さすがに疲れ切っていたのか、カレンの手織の毛布
をかぶると知らぬ間に寝入っていた。
朝早く、鶏の甲高い鳴き声で目覚める。
時計を見ると、3時半過ぎだ。
ちょいと早すぎはしないか?で、いつも通り、2度寝。
ブルブルやっぱり寒いわ。
朝御飯のあと、すぐに出発だ。
残り3時間あまり歩くとサルウィン河にたどり着くと思うと
ちょっと気が楽になる。
パンパンに張った太股にも力が入る。
で、6時50分発。
ただただひたすら歩く。
考え事をしている余裕もない。
前を向いて、下を向いて、気をつけねば、すぐにつまづく。
なんど転びそうになったことか。
朝靄に沈む森の中。
足音だけがこだまする。ふと立ち止まってみると、虫の音、
鳥のさえずりも聞こえる。
水牛の糞があるのは村が近くにある証拠。
竹藪が踏み散らかされた跡は、象が通った痕跡。
太陽があたらない山陰は息を吸う空気も湿っている。
森は生きているのだ。
約40分で早めの休憩。
これから登りだ。前を行く2人の足取りも重い。
こんなに疲れ切ってもこの山肌を登り切ることができるのかと
不安になるが、ゆっくりゆっくり、確実に、一歩一歩踏みしめる。
汗が吹き出る。
ネットのアーミーシャツがぐっしょり濡れる。
緩やかな上り坂から急な登りはきつい。
さらに、登り切ったかと思うと、その向こうにまたなだらかな
上り坂が続く。
2時間後、やっと休憩。
サルウィン河から荷物を担いできた村人の集団に出会った。
40歳前後から15歳前後の男たちだ。見るからに重たそうな
米袋を担いでいる。
どんな重たさか、試しに持たしてもらった。
すごい。持ち上げることさえ出来ない。
40~50kgはある重さ。
ゴム草履で荷をかつぐ姿は驚嘆ものだ。
首の太さとふくらはぎのたくましさはだてではない。
さ、最後の登りと下りだ。
10分ほど上ったかと思うと、あとは急な下り道。
膝ががくがくする。
しかし、歩みはとまらない。
約1時間、ずっと下りが続いた。
と、目の間の梢の間にサルウィン河が見えてきた。
やった、帰ってきた。
しかし、甘かった。
それからさらに約30分、足を踏ん張っての下り坂が続く。
膝と足の裏が熱い。
やっと帰ってきた。気分がすっきり。
9時50分到着。
川べりでは船上小屋が次の中継地点。
ビルマ軍に襲われてもすぐにタイ側に逃げることが出来る
ように船の上での生活。
半年前、村を焼かれてからそうなったらしい。
が、やっとタイ側に行けると思ったいたら、「ボートがない」と。
今晩はここで一泊を覚悟する。
船上小屋の売店の奥さんがいろいろともてなしをしてくれた。
彼女はカレン軍のシンパらしい。
日本人が珍しいのか、いろいろと世話を焼いてくれる。
好意に甘えて、昼御飯のあと、船の裏部屋でごろりと休憩。
あんまり疲れていないと思ったが、横になったとたん眠気が
襲ってきた。
1時間ほど熟睡。
運搬用のボートの音で目が覚める。
「ユーゾー、1300B払ったらボードが出せるぞ。どうする」
思ったより安い。動くことが出来るときに動く。
それが鉄則(食べることができるときに食べる。眠ることが
できるときに、寝る。それと同じ)
でないと次のボートはいつになるか分からない。
下りのボートはスピードに乗って気持ちいい。
こうやってサルウィン河の下るのは、実に9年ぶりだ。
しかし、周り状況は変わっている。
中継点の何カ所かはビルマ軍に押さえられており、ひと昔
みたいにのんびりと川下りを楽しむわけにはいかない。
いつ狙撃されるかわからない。
それでもサルウィン河の流れに身をゆだね、迫り来る山々を
目にすると自然の大きさを実感せざるを得ない。
行けども行けども、山の稜線が葛折のように連続する。
3時すぎ、東の空に満月を目の前にした白い月が青い空に
浮かんでた。
西の空にはまだ翳るまで間のある太陽が輝いているのに。
と、何の気なしに口ずさんだ「旅の宿」を繰り返し唄う。
まるで壊れたテープのように繰り返し。
午後5時過ぎ、タイ側に到着。
かつて何度となくボートを乗り降りしたところ。
今はすっかりタイ軍の立派な監視所ができあがっている。
タイとビルマの間を行き来しているカレンのコンタクトBPの
後について中継所へ。
そこで町まで行く車を待つ。
晩御飯をすまし、ほっとする。
と、見知らぬタイ人が中継所に入ってきた。
どうやら酔っぱらっているらしい。なんか雰囲気がおかしい。
第5旅団から一緒だったPの様子もおかしい。
ふっと、耳元でささやく。「タイのインテリジェンスだ」。
うわ、見つかったか。
どうやら2週間前にビルマ側に渡るときにチェックした、
その同じインテリジェンスだ。
「パスポートを見せろ」、という。
ここでじたばたしても仕方ない。
正直にパスポートを出す。
そのとき、ビルマ側で撮影したフィルムの入ったカバンを
いかに隠すかで頭の中がいっぱいだった。
と、BPがビールとたばこを持って来た。
ビールを受け取るのに合わせて、私はパスポートを取り
戻した。
BPがなんとかその場を取り繕うと必死なのがわかる。
なにやらいろいろと説明している。
私にはもうどうすることもできない。
あとはPB頼みだ。
「ビー、ビー」
そのとき運良く、車のクラクションが響いた。
部屋の中の緊張が破れた。それを機会にPが、
「さ、行こう」と声をかけ、立ち上がった。
一瞬の間合いだった。私も間をいれずの行動だ。
私はPの後に続いた。 車は一般の乗客を乗せるピック
アップトラックだ。
それでもいい、一刻も早くここから立ち去らねば・・・。
ちょうどタイのTV局が国境の取材に来ていた。
インテリジェンスがそれに気を取られている間にピックアップは
発車。
あとはただひたすら、近くの町まで約1時間半。
初めて訪れた93年、国境に通じる道は泥だらけで、
通行不可能になるくらいの悪路だった。
それがどうだ今は。
すっかり舗装道路になっているではないか。
たった9年といえども、タイの辺境の様子は確実に変化して
いる。
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