1時過ぎ、『一瞬の夏』 を読み終える。
それにしても、沢木氏はなんていうことを書いて
くれるのだろう。
最後の章で、胸が痛くなったわ。
思わず本を伏せてしまい、冗談抜きで、茫然自失状態に
なりかけた。
まあ、これは個人的なことだから仕方ないけど、それに
しても、とても
とてもなカスティーゴだね。
うまい筆の運びだ。
どうやったらあんな風に文章にリズムを持たせることが
できるのだろうか。
先週書いた、次の選挙に出ることになった足立氏の応援
メールを読み返してみる。
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「自分のために」
前号のリレー・エッセイで古谷さんは、中米・グアテマラ
のことについて書いていました(その前の号の安藤さんも
同国のことに触れてました)。
私は今、そのグアテマラに滞在中で、現地からこの文章を
送っています。
5月15日(土)の昼過ぎ、5年ぶりに首都グアテマラ
シティーにやってきた。雨期の始まりであろうか、
午後3時頃、分厚い灰色の雲が空を覆い、雷を伴う雨が
降り始める。雨粒というより、石畳の地面に水玉模様の跡
を残す、大粒の水滴が落ちてきた。
大聖堂前の中央公園で話をしていた石川さんと私は、そんな
雨から逃れるように、近くの米国系ファーストフード店に
入った。
石川さんは、このグアテマラに住んで約12年、現地のNGO
に深く関わっている人である。この国に特有の味の薄い
コーヒーをすすりながら、私は彼女に、久しぶりに訪れた
グアテマラの感想を話してみた。
「今回はまだ2週間しか滞在していないけど、なんか、
ほっ、とした軽さを感じますね。まあ、TVや新聞で見る
かぎり、一般犯罪は相変わらず多いようですけど、この
数十年間、生活の中にしみ込んでいた軍への恐怖がなく
なったような感じです。間違ってますか?」
石川さんは、だいたいにおいて、同意してくれた。
「確かに。でも、過去の事件で、同じ村に加害者と被害者
が一緒に暮らしている状況なので、一見平和に見える村の
中にも実は、癒しきれないモノがいまだ残っているんですね。
それでも、軍への恐怖はなくなった。それは、そうですね。」
子どもの足をつかんで、頭部を岩に叩きつけて殺害する。
あるいは、殺した身体の一部を切り取り、口に突っ込み、
見せしめのために道路に放置する。
軍の暴力を背景にした、そんな目に見える恐怖はなく
なった。それは確かであろう。内戦が終結してよかった
ことは、毎日の暴力が減ったことだ。
しかし、見えなくなったから問題がなくなったわけでは
ない。というか、この国の抱える問題は解決されないまま、
忘れ去られようとしている。
「8年前からずっと、グアテマラに来たかったんです!」。
そんな日本人女性に先日、出会った。
1年間、この国に住むんだ! そう言って、張り切って
いた。
彼女が最初に落ち着いたのが、グアテマラの中の「異国」、
観光地で名高いアンティグア。そこで現地の人の家に
下宿しながら、少しずつスペイン語を勉強しつつ、現地
生活を楽しんでいる毎日だ。
しかし、そんな彼女が偶然、『虐殺の記憶』(岩波書店)
を手に入れ、読み始めた。別の日本人は、その内容の重さ
に最後まで読み切れなかったというシロモノだ。
彼女は、つい20年ほど前に起こったグアテマラの暴力の
歴史を知ってしまった。
「すごい国だったんですね。先住民の美しい衣装の国じゃ
ないのですね。こんな国で、じゃあ私たちは今、一体、
どうしたらいいの」
本を読んで、この国に関わる当事者になってしまった
ようなリアクションにも驚いた。こう言うしかなかった。
「確かに、この国の歴史はむちゃくちゃだけど、それは
どんな国にもあること。この国が好きだと言うなら、今の
この国はどうなっている。それも知った方がいいじゃない
かなあ。特に先住民族のことを」
でも、外国人として、何を知ることができて、何を知るこ
とができないのだろうか。
今のグアテマラには、一見暴力のない、平和になった日常
生活しか見えない。そんな平和な暮らしは、日本に帰って
しまうと、とりたてて意識されないだろう。
ショッキングな事件の被害者・加害者は記憶される。だが、
たとえば交通事故の犠牲者は記録されるが、当事者となった
近親者や友人以外の者には記憶されることはない。
それゆえ、市井の日常生活はありふれているからこそ、歴史
には残されることは少ないだろう。そう、歴史という形で
残された記録はこれまで、果たしてどんな取捨選択がなされ
てきたのか。その基準を、何かのきっかけで考えることが
できればいい。
自国民が犠牲になれば、当事者顔をして大騒ぎ。他の国の
人の生命が失われても、単なるニュースに扱い。今の私たち
の生活は、命の重さが平衡ではないことに気づきつつ、
それをはっきりと指摘されるのを嫌うようだ。
何も考えなくてもいい、現状維持的な平和生活は、もしか
したら誰かの犠牲に上に立っているかもしれない。そのこと
を指摘されるのも嫌う。
たとえば私は、グアテマラも含め、中米各国や東南アジアの
ゴミ捨て場で働く人びとの写真を撮り続けている。
すざまじい貧困の現実である。もちろん、多くの子どもたち
も働いている。
写真を見た感想は、同じようなものだ。
「過酷な状況の下でも、汗水流して働いている子どもたちの
姿に感動しました。そんな彼らの姿を見て勇気が出ました。
飽食の日本の姿を反省しました」
これが大勢である。
しかしながら、なぜ彼らがそういう生活をせざるを得ないか、
どうして、貧困の生活を受け入れざるを得ないのか、その
背景にまで想像を巡らせた感想はきわめて少ない。彼らの
存在はあくまでも、対岸の悲劇のままである。
飽食の一方で、飢餓がある。自然の生み出す産物は一定だと
思ったことがある。本来なら他者が享受すべきモノまで、
それが当然のように偏ってしまっている現実もある。
厳しい状況下で生活する人びとは、毎日の生活に追われ、
自分たちの生活をよくするために、ほんの小さな声を上げる
こともできない。上げようと考えることさえ放棄させられて
いる。
強い者が得る。それは、自然界の厳しい掟かもしれない。
そこには一考の余地はないのか。しかも、あたかも、
公平・公正な立場で競争がなされているように、強者は
錯覚したまま。
ゴミ捨て場でのギリギリの日常生活は、今も続いている。
為政者にとっての恥部となる現実は公にされることは
少ない。その事実は、時代と平行して記録に残されること
は、これまた少ない。
グアテマラの(経済的な)貧しさ、エルサルバドルの
貧しさ、カンボジアの貧しさ、フィリピンの貧しさ。
太平洋を隔てた国の間に、貧しさに共通点があるのでは?
現場を歩きながら、ふと、気づいた。もしかしたら、日本
(先進国)と関わりがあるのかもしれない? 外国の富や
資源の収奪をつづけているかもしれない。
そう、指摘されるのを嫌う人々もいる。
話は変わるが、グアテマラに入る4ヶ月前、私は、
東南アジア最後の軍事政権国家ビルマに滞在していた。
ビルマでは、かつてグアテマラでおこったことが、今、
起こっている。
政府批判をすれば、人生を捨てなければならない社会が
そこにある。
ビルマ滞在中、びっくりするようなことがあった。
アウンサンスーチー氏を支持する人びとが約20名ばかり、
小さなプラカードを持って道路に立ったのだ。
小雨降る中、無言で立つ人びと。軍事政下で、政府の意に
添わない行動をすれば、その後何が起こるか、容易に想像が
つく。
軍部に対して、拳をあげることはできなくとも、抵抗する
人がいた事実は動かせようがなかった。
私は写真を撮った。
それは、私が外国人だから許されたことだ(数時間後、
私はビクビクしながら飛行機で隣国タイに出国)
外国人だからしか(こそ)、関われないことがあることも
知った。
自分たちの住む社会をよりよくしようとする人びとは
どこにでもいるし、実際、いた。
小さな声は止むことがない。その止むことのない動きは、
実は、権力者をおびえさせている。そのことも、知った。
声を上げることの許されない社会。
毎日、恐怖を感じなければ生きていけない社会。
そんな社会はまだまだある。果たしてそれは、外国の
ことだけだろうか。
沢木耕太郎氏の著作に「シジフォスの四十日」(『馬車は
走る』文春文庫)というのがある。石原慎太郎氏と美濃部
亮吉氏とが東京都知事選を闘う様子を、石原氏の陣営から
綴った作品である。
結局、当時の石原氏は破れた。その敗因を石原陣営の参謀、
浅利(慶太)氏、と牛尾(治朗)氏が語る場面がある。
「(ふたりは)、口をそろえて、『都民の判断は賢明
だった』と言う。美濃部を叩き、僅差に迫い込みながら
石原を当選させはしなかった。石原に対する不安という
のは、『ファッショ的』などということより、もっと
本質的なところに根ざしていたのではないか。都民は
それを敏感に感じ取っていた・・・・・・。」
この石原氏の本質的なモノとは何なのだろうか。
沢木氏は当時、遠回しに触れている。
「だが、この(石原氏の)細心さが人と対応する時に
発揮されない、とりわけ、不潔であったり無能そうで
あったりする者に対して、苛烈とも思える言動をとる
ことがある。まさにこのような人々にこそ優しさは
必要なはずさったのだが・・・・。」
また、石原氏が、ホテルのボーイを叱りつける場面も
あった。それは必要以上に激しい叱責であった。立場的に
弱い者を、力がないが故に叩いていた。沢木氏は選挙の
結果をこう結論づけた。
「彼は(石原)自分のために戦い、自分故に破れた。」
今、石原氏は東京都知事である。かつて、氏の醸し出す
「苛烈さ過酷さ」にノーを突きつけた東京都民は、現在は
それを積極的(得票数を見れば一目瞭然)に受け入れて
いる。
都知事選に投票した、誰もが権力者の過酷さが自分の方に
向かないと思っている。しかし、誰かがスケープゴートに
なっているうちはいいが、そのうちその役割が自分の方に
割り当てられるかもしれないのに。
現実問題として、日本社会は変わった。
それをまず受け入れなければならない。
考えなければならないのは、どうして、彼(石原氏)が
受け入れられる土壌ができてしまったのか、ということだ。
力の論理が今、東京・日本を含め、世界を動かしている。
個人活動している自分は、はっきり言って、怖いな、と思う。
でも、コワイコワイ、とばかりは言っていられない。
ビルマやグアテマラから見ると、日本社会はまだ、
「それ以上でも、それ以下でもない」生活をしているよう
に思える。不安を抱えながらも、微妙なバランスを保ち
ながら生活しているようだ。
今の自分は、自分のできる役割をどう果たしていくのか、
自分なりに、小さな声にどう耳を傾け、意識し続け、
行動し続けるしかない。それには、まずは自分の身を守る
戦いをしていかなければならない。
強者だけの歴史を残してはならない。
グアテマラのファーストフード店。お代わりした2杯目の
コーヒーも冷え始めたころ、石川さんにこう話した。
「個人的には、足立君には『平和』を語ることだけの活動を
続けてほしくないなあ。平和を語る正論はもちろんだが、
まずは自分自身のために戦い続けてほしい。
自分を信じる力、それが説得力をもつものなら、彼の動き
は広がっていくだろうから・・・。」
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7時過ぎ、起床。
8時にはアタバルへ。
ったく、連絡もしないで、で、この・・・を送る。
11時、シャトルバスが自宅前に到着。
先客はたったの一人、ルイジアナから来た米国人女性ひとり。
グアテマラシティーまでの約1時間、車中は英語で話を
してしまう。
何のためにスペイン語をやったのや。
弁護士である彼女もスペイン語を勉強していたとか。
しっかし、聞き取りにくい英語やな。
ちゅうか、スペイン語に耳が慣れすぎたということかな。
市内の 3 Ave と 12 Calle でピエロ発見。
また撮影せなあかんな。
12時前、TICAバス到着。
出発まで1時間ある。待合所の隣に座ったのはニカラグアに
帰る女の子。
20代前半かな?
グアテマラ見物をしに来たとか。う~ん、ひとり旅の
ニカラグア女性に会ったのは初めてやな。
何かと話しかけてくるが、何を言っているのかようわからん。
13時、(見かけだけ)デラックス(実は、車内は狭いし
くつろぎにくい)バスは出発。
エルサルバドルの国境まで2時間。
途中、何回かの峠越えの時、大雨と濁流。
国境の通過は簡単。
今はグアテマラに出国と(エルサルバドル)の入国手続き
ができる。
両替屋は相変わらずたむろしている。
ったく。汗水して働いている人がいると思えば、こうやって・・・。
でも、彼らも結局、胴元にしめられているのだろう。
1(US)ドル=8.1で交換。
ま、悪いレートではない。
2001年まで使われていた現地通貨であったコロン紙幣
を見せると、あはは、それはもうコレクションやで~、と
からかわれる。
ったく、自国の通貨がドルになったのがこの結果。
サンサルバドルまで約3時間。
94年の選挙みたいに、道路や壁、岩に選挙運動のペンキを
塗りたくっていたという感じはしない。
グアテマラにろ、エルサルバドルにしろ、変わったな、
という感じ。
なにがどう変わった?
自分が写真を撮る動機を呼び起こせないのだな。
時代が変わったのだな。
特にエルサルバドルはそうだろな(グアテマラはまだ、
先住民族の問題があるし)
外国人だからこそ関わることのできる問題とは何なの
だろうか。
何もないからこそ、日常から問題をきちんと掘り起こす
必要があるのだが、それだけの力量があるのかな。
18時前、サンサルバドルのTICAバスに到着。
タクシーでXIMENA'S ゲストハウスへ。
タクシーの運転手にいろいろ聞いてみる-
今、エルサルバドルで一番の問題は何?
-仕事がないこと。
家族は4人、サンフランシスコにも家族がいる、とか。
ゲストハウスは安い部屋が空いていない。
1日22ドルの部屋を1週間割引で18ドルにしてもらう。
ダウンタウンなら10ドル前後だが、今回は今まで泊まった
ことのない地区で過ごそうと思っていた。
毎回毎回、同じ繰り返しじゃあ進歩ないもんなあ。
しっかし、アンティグアに比べて値段の割には部屋は
安っぽすぎる。
ま、観光客の少ないエルサルバドルだから仕方ないか。
ホテルのレセプションから小川氏に電話。
電話口にいきなり出ました。
懐かしいですな。
いろいろ話したいことがあるけど、それは明後日に。
Blvd del los Heroes に出てジャンクフードで夕食。
蚊が多い部屋やな。
ケーブルテレビはいらんから、その分部屋を綺麗に
してほしいな。
蚊帳を吊って23時前寝る。
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