2004年6月アーカイブ

 2時過ぎまで『転がる・・・』を読み続ける。

 朝食後、半時間の仮眠。
 グアテマラ、今日は祝日(軍人の日)
 9時すぎ、アタバルへ。
 9時半過ぎ、電話・・・コマラパへ一所に行く予定のS氏、 
 慌ててやって来る。
 アンティグアは晴れ。この空にだまされてはあかん。
 チマルテでバスを乗り換える。お、今日は座れたか。
 コマラパに近づくに従って曇り空。で、やっぱり降ってきた。
 発掘現場に着くと、おろ、今日は誰もいない。
 周辺を探し回る。
 畑を耕しているおっちゃんに、掘っている人はいない?
 って訊くが、どうも要領を得ん。
 あ、あっちにいた。
 それもたった3人だけ。
 霧雨のような雨がしたたる。
 で、どうやら作業は終わりみたい。
 え、もう、今日は終わり?ってきくと、終わり、って
 答える。
 測量班の人に、この現場はいつまで?って訊くと、今日で
 終わりやで~、って返事。
 えっ、そんな。
 他に働いている人、いないなあ。
 しゃあないなあ、畑で働いている人でも撮って帰ろうかなあ。

 現場の入り口付近、人がたくさんいるぞ。
 おろ、なんや今日はここで掘ってたのか。
 キチェから来た男が15人。
 昼食を食べて、今日はサッカーは無し。
 15時半過ぎ、キッチェの男たち帰る。
 山の斜面を掘り続けるコマラパの町の人が4人ばかり。
 16時前、今日の作業は終わり。
 コマラパの作業は今日は終わりだよ~・・・って念を
 押される。
 バスはコマラパの始発から乗る。
 雨が激しく降ってくる。
 アンティグアは曇り。 I 氏に電話するがつながらず。

 18時半、京田氏宅へ。
 ジュン氏の出発を祈って、今宵は手巻き寿司パーティー。
 久しぶりに食べるごちそう。

 22時前、帰宅。

 5時過ぎまで『金融腐食列島』を最後まで読み続ける。
 書いている内容を深く考えようとしても、眠気には
 勝てんなあ。
 でも、銀行員の個人のストーリーだから、どうしても
 銀行側に立った支店で日本の金融の事を考えてしまう。
 ついつい、銀行がイイモンに思えてくるからなあ。
 ちょいと、 あかんな~。
 まぶたが重くなり、最後の数項は、ただただ項をめくって
 いるだけ。

 7時過ぎなんとか起きる。
 朝食はフラフラの頭で何とか食べきる。
 9時過ぎまでベッドの中で寝る。
 シャワーを浴び、なんとか動ける体勢に持っていく。
 アタバルに行く途中に電話。

 タイ在住の亡命(?)ビルマ人のMK氏からビルマの写真を
 探しているやが、というメッセージが入る。
 うぇ、あいにく、そのイメージはも持ってないねんなあ。
 メールの返信をしていると、おろ、やっぱりPCがストップ。
 再起動してもラップトップ自体が立ち上がらない。
 しゃあないなあ・・・。
 もしかしてウイルス?
 ウイルスソフトを貸してもらってチェックする。
 と、うわ、例の「トロイの木馬」が発見。
 やられたなあ、知らんまに。
 が、最新バージョンのウイルスやったから、ウイルスソフト
 でも除去でけへん。
 しゃあないなあ・・・。
 とりあえず、WIN2KをSP4にバージョンアップする。
 約1時間かけて40MBのデータをダウンロードする。
 あ~あ、今日はコマラパに行けんなあ。

 京田さんに、そろそろ厄年とちゃうか、と指摘される。
 そうか、41歳やから、本厄らしい。
 そうか、そんな歳になったんかいな。
 そのままアタバルのオフィスでぐっちゃら。
 ビデオチャットで日本のマコトさんと久しぶりに会話。

 18時前、オフィスを出る。
 グアテマラに電話。
 ロサリーナ氏とのインタビューは木曜日の午前中に決定。

 『転がる香港に・・・』を読み続ける。
 面白いんやが、何かもう一つ、すっきりせん。
 なして、やろ。
 文章のリズムはあるのやが、細部までこだわりすぎ、
 読み手の想像力を奪ってしまう過保護的なところかな。
 23時半、一息。

 

< 空振り >

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 7時過ぎ起床。
 なんか頭がぼ~っとして眠たすぎる。
 ほんの読み過ぎかな。
 朝食後、ベッドにうっぷせになる。
 10時過ぎ、そろそろいこか。
 コネクションで日本に電話する。
 11時半、アンティグアを出る。

 コマラパの発掘現場ちかくでバスを降りる。
 と、お、おっちゃんが畑を耕している。
 鍬を持っている。
 ほんの100M離れたところでは、同じように鍬をもって
 遺骨を発掘しているのに。このアンバランスさは、青い空
 が見える所ではちょいと怖いぞ。

 現場に入る。
 14時10分前やというのに、まだみんな昼食を食べている。
 わざわざ昼食時間をはずしていったのに。
 今日は作業人も少ないらしい。
 牛肉とトマトのスープとトルティーヤをごちそうになる。

 14時半を過ぎても作業の始まる様子は見られない。
 いつもいる5人のメンバーはずっとサッカーに興じている 。
 ま、昼食後の運動はいつものことなのやし。
 15時を過ぎても、作業に取りかからない。
 今日はもう掘らないの?
 そやで。
 ・・・・。
 今日は昼ご飯を食べに来ただけか。
 空振りか~。
 ま、畑を耕すおっちゃんをのイメージ(たった一つの
 イメージ)を撮れたから、ま、いいとするか。
 バス通りバスを待っていると、発掘をしている人類学者
 グループの4輪駆動車が通りかかった。
 チマルテまで乗せてもらう。

 アンティグアには5時過ぎに戻る。
 ペンション田代に立ち寄る。
 いつ行っても日本人でいっぱい。
 しばしぐっちゃら。
 星野博美『転がる香港に苔は生えない』を借りて帰る。
 帰り道、財布を物色。
 気に入った財布はQ170か。
 今後どれだけ下がるかな。
 チキンを喰らって帰る。

 高杉良『金融腐食列島』を読み始める


 DSC_0035.jpg
 白玉蜀黍を植える。

 2時過ぎ頃かな、電気をつけたまま、知らんまに寝て
 いた、はず。
 7時過ぎ、目が覚めるが、今日は日曜日。
 朝食のない日、ゆっくり寝かせてちょ。
 時計の針が9時を指すまでゆっくりと寝る。
 惰眠をむさぼるとは、ええ気分やな。

 さて・・・、どうすべ。
 あわてても仕方ないし。
 ネットで収集した、『間違いだらけの少年H』に関する
 モノを簡単にツン読する。
 やっぱり文字になるというのは大変なことやな。
 きちんと主張・批判するなら、間違いはできるだけ少ない
 方が良い。
 それに読み手に対する書き手の誠実さが大切やな。

 『少年H』そのものは、たしかに神戸生まれの自分に
 とっては、知っている地名もたくさん出てくるし、面白く
 読んだ。
 だが、それがフィクションかノンフィクションか、それを
 考えるとちょいとなあ。
 加藤雅代氏が「『少年H』論」を書いている。
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 ・・・・・。
 『少年H』には多くの史実誤認が存在すると言う点で、
 「ノンフィクション」のテクストであるとは言いがたい。
 それにも関わらず作者が「ノンフィクション」であることを
 主張すればするほど、あるいは、隠微に書き換えを行えば
 行うほど、山中氏の作業によってその「ウソ」が暴露されて
 くるという、何とも皮肉な結果につながってしまっているの
 である。
 とはいえ、ここで問題なのは、「ノンフィクション」が
 「フィクション」より価値があるということではない。
 「フィクション」でなければ書けないこと、「フィクション」
 でなければ、「思考」できないことがある。
 「小説」が、今日まで書き続けられているのは、その
 「フィクション」の機構が人間に新しいヴィジョンを提示
 しうるからにほかならない。
 問題なのは、どうやら妹尾河童自身のなかに「フィクション」
 より「ノンフィクション」の方が価値があるとする素朴な幻想
 があり、「フィクション」の機構を侮っていることである。
 その侮りは、自ら書いたテクストによって復讐されること
 になるだろう。
 言い換えれば、「フィクション」は、作者の「政治的無意識」
 を、「抑圧」されているため本人自身、もはや自覚できなく
 なっているもの、作者の「封じ込めの戦略」(ジェイムソン)を
 語り始めるのである。
 「意味」の〈四角形〉から排除され、抑圧されたもの、
 それが『少年H』の本当の「盲点」であり、このテクストを
 ベストセラーにした「日本人」の「政治的無意識」なので
 ある。
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 考えさせられるなあ。(ただ、最後の、「作者の『封じ込め
 の戦略』(ジェイムソン)を・・・」の部分はよう分からん)

 そう、写真は特にそうやろうなあ。ドキュメンタリー写真や
 報道写真は「真実」や「事実」を伝えているという幻想を
 一部の写真の撮り手は思いがち。
 そうではないんやな。
 時に、ドキュメンタリーや報道をメインに仕事をしている人は、
 自分のやっている「正義」だけをプンプン漂わす。
 このご時世分からんでもないが、なあ。
 でも、世の中いろんな立場や価値観があるのだと自戒を
 込めて。

 写真家は、写真を撮ることをせずに、写真論ばかりに
 はまってはおかしいのではないだろうか?
 何を、どこで、どの時代に、どういう立場で、何を
 期待して、どういう視点で写し撮り、記録し、伝えるか・・・
 ああぁ、論にはまりそう。
 フィクションにしろ、ノンフィクションにしろ、嘘はダメだ
 なあ。
 言ったん書いたことを、撮したモノを、何の断りもなく
 改ざんするのはよくないと思う。
 取材するにしろ、発表するにしろ、誠意やな。誠実な
 態度やな。

 でも、もっとも、仕事で誠実な態度を取る人は必ずしも
 生活で誠実な人とは限らない(う、再度、自戒を込めて
 ・・・)

 で、妹尾河童『少年H』(講談社文庫、1999年)
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 その頃、卵が手に入りにくくなりかけていたので、Hは
 母親に声を揃えて、
 「わあキレイやなあ」と歓声を上げた。
 ご飯のお米もよかったし、卵も鶏肉も新鮮だったから
 美味しかった。
 (p.113)
 >>ここを読んで、「俺たちだって、肉を食べたい」と
 言ったカレンのヤツの顔を思い浮かべてしまった。

 お上は、芝居や映画、本には、"規制""禁止"などという
 検閲を強めていたが、こと相撲に対しては積極的に応援
 していた。"国技"といわれた相撲の存在は、国民の欲求
 不満を解決させるのに効果があったし、戦意高揚に結び
 ついたのであろう。
 (p.240)

 「そうやないんや、(踏み絵を)踏んでもええのや。信仰
 は自分の心の中にあるんやから、それを護るんは正面から
 抵抗するだけやない
というのを知っておいて欲しいんや」
 (p.310)

 Hは、このときハッキリ感じたことがあった。人に物を
 もらうことが、どういう状態だと素直にもらえて嬉しいか、
 ということだった。
 簡単にいえば、もらいに行くのは絶対に厭だが、もって
 きてくれた物は感謝して貰える、ということだった。
 実は単純なこの差が、自分にとっては大事なものだった
 のだったと知った。
 (p.178)
 Hは、少し放心した状態になってトボトボと焼け跡の中の
 道を歩いて・・・。
 途中で道上に長々と煙突の影が横たわっていた。・・・・・。
 この町のことはよく知っていた。
 だから見慣れないヘンな煙突の影に驚いたのだ。
 周囲の家が焼けてなくなったから、・・・。
 Hは、やっと生き残ったような感じで立っている煙突の影を、
 踏んではいけないような気がして、ピョコンと飛び越えた。 (p.188)
 
 >>ここが『少年H』での最高の場面だろうなあ。
 この描写は、いい。

 「この戦争は、何を守るための戦争だったのか?」と
 考えてみると、ハッキリしているのは、戦争が始まった
 ときから終わるまで、守ろうとしていたのは、"国体"と
 いうものだったようだ。
 (p.311)

 Hは、その雲を見ながら、戦争が始まる前も戦争中も、
 まったく変わらなかったのは、さっきまで見ていた海と
 この空だけだったなあ、と思った。
 (p.313)

 「お前なあ、筋を通したいのはわかるけど、戦争中は誰で
 も軍国主義やったんやで。
 セノオの場合は変わっとったから、疑問を持ってたのを
 オレは知ってたけど、そんな奴は普通やなかったんや。
 進駐軍がやってきて"軍国主義はあかん。これからは民主
 主義や!"といわれたから、今みんな慌てとる最中やないか。
 そんな自分が恥ずかしいから、かえって素直に謝れんのと
 違うか。
 先公かて、虚勢張ってやっと自分の体面を保っとるんや。
 それをわかったれよ」
 ・・・・・。
 「でも、考えは変えられない」と思った。
 2、3ヶ月で仕込んだ民主主義を、もっともらしい顔で
 説かれるのは、やっぱり嫌だった。
 (p.382)

 「この荒れ果てた地を見よ。・・・・・。天皇を首魁と
 する軍閥、財閥がやったんじゃありませんか!」
 Hも、「やっぱり、そうだよなあ」と思った。そう思い
 ながら、ちょっと怖くなってきた。目の前の群衆の熱狂
 ぶりが、紀元2600年の時に「神国日本万歳!」と
 叫んでいたときと同じように見えたからだ。
 Hは、「みんなが同じことをいうのは怖いなあ」と思った。
  (pp..407-408)
 ----------------------------------------
 11時前、もしかしたらと思いつつ、国際電話をしに
 アタバルへ。
 N氏より連絡有り。
 クレジットカードの利用停止、Oリックスはできたが、
 ○ャックスはできない、と。
 なして?
 やっぱり国際電話をせなあかんのかなあ。

 コネクションのオフィスへ。
 で、24時間受付のはずの番号へ電話をすると、「現在、
 この番号は使われておりません・・・」と。
 で、通常の盗難連絡番号へ電話をすると、やっぱり営業
 時間外の機械音声。
 ったく。
 不便なばかりの○ャックスなり。

 日曜日のアンティグアは人でいっぱい。
 鶏を食べようとおもったら、座るところがない。
 仕方なく、牛やな。
 昼食を食べながら、『リング』を読了。
 最後の部分、殺されて埋められた犠牲者を掘り出す場面、
 ちょいと迫力に欠けていたかな。
 ここグアテマラで、死者を弔うために遺骨を掘るという
 作業を毎日目にしているだけに、あともう一歩、なにか
 欲しかった。

 ペンションTへ行くが、不在なり。
 公園で土産物売りの最中のサラに、「帰られんかったわ~」
 と告げる。
 テレホンカードQ30分買う。

 家に戻り、システム手帳から電話番号を抜き出す。
 ったくなあ。

 18時半過ぎ、再度、コネクションへ。
 日本時間で9時半過ぎ、神戸の営業所へ直接電話。
 対応に出た若い兄ちゃんはあたふた。
 ったく。
 なんとかこちらのクレジットカードも停止完了。
 日本に戻ってからの再発行が大変かな?

 

 2時過ぎ、『少年H』読了。
 さ、寝よう。

 7時過ぎ、なんとか起床。
 家賃(週払い・朝食付き)を払う。先週の残りと今週分、
 しめてQ500なり。

 メルカードで靴を物色。
 なかなか気に入った形がない。あった、と思ったら合う
 サイズがない。
 ま、これで妥協か。
 Q220をQ150に負けてもらう。
 しばし、市場の中をぶ~らぶら。
 チマルテ行きのバスに乗ったのは12時近くなった。

 チマルテでコマラパ行きのバスを待つ。
 やっぱり込んでるなあ。
 なんとか半座りができる状態になる。
 と、料金を集めに人をかき分けてきた兄ちゃん、Q6の
 お釣りを自分だけには渡さない。
 ったく。
 料金を集め終え、バスの一番前に戻った兄ちゃんに目で
 合図を送る。
 が、目線をそらす兄ちゃん。
 が、最終的に、後で(釣りを渡す)、というジェスチャーを
 返してきた。

 14時過ぎ、コマラパのいつものところで降りる。
 降りる間際にお釣りを受け取る。

 バスを降りて、ふと、気づくと、カメラマンジャケットの
 右下のポケット、ジッパーが開いている。
 一瞬、嫌な感じ。
 あ、財布がない。
 やられた。スリや。
 気づいた時は、もう遅い。
 最後に財布を使ってポケットを閉めたのは・・・バスの
 料金などの小銭は左上の小ポケットに入れることにして
 いる・・・あの靴を買った時や。
 あれから市場をちょいとうろついて、バスに乗った。
 市場かな、バスかな・・・バスの中でやられたんやろうなあ。
 現金Q1100、$10、クレジットカード2枚、電話番号
 のノート、メディアなど。
 あ~あ、やられたか。
 しかも、現金をおろした翌日。間が悪い。
 海外に頻繁に出始めて15年目、スリに遭ったのは実際、
 初めてや。
 くっそう~、っていう感じ。
 ちょっと気が抜けてたんかな。ほんまに、やられた!
 っていう感じ。
 ま、身体に危害が加えられたわけでもないし、これから
 気を引き締めろ!っていうことかな。

 発掘現場に行くと、おろ、今日はたくさん来ているなあ。
 100人くらいかな。
 食事の時間が長いなあ。
 14時半ぐらいから午後の作業が始まる。
 1時間ぐらいすると、三々五々、グループごとに現場を
 後にする姿が目にきはじめる。
 ロサリーナの訴えかけ有り、その後、彼女の黙々と掘る
 姿が印象的だった。
 アンティグアに戻り、警察にスリの被害を報告。
 だが、ばたばたする対応。
 ったく。強盗の被害も多いはずやのに、もうちょっと
 すんなりと被害届を受け付けて欲しいわ。

 鈴木光司『リング』を読み始める。


 DSC_0046.jpg
 秘密墓地の発掘場所。

<準備中>

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 7時起床。
 今日は早めに動き出そう。
 グアテマラのフアンに連絡。
 帰国不可になったから会えますよ、って

 K氏から、軍資金快諾の返事有り。
 しっかし、こんな形になるとはなあ。
 もっと、違う形を想像していたのに、トホホ。
 ま、そんなもんか。

 今日は早めに発掘現場に行く。
 サラゴサを過ぎると雨が強くなってきた。
 この数日、「朝晴れ・夜雨」というパターンが崩れて、
 午前中や午後にも雨が降るようになってきたわい。

 11時過ぎ、現場到着。
 おろ、今日は誰も発掘している人の姿が見えない。
 掘った穴を計測している3人だけ。
 と、丘を囲む塀を作っている工事の人は何人かいるけど。

 「今日は墓堀りせんの?」
 「あっちのほうでやってるよ。いつもやっているからね」
 と、そっちにいくと、ふぇ、いつもの5人組のみ。
 あ、そうか、今日は「先生の日」で、いわゆる一種の休日か。
 それほど真剣な5人組じゃあないしなあ。作業より、手を
 休めている時間の方が多いぞ。
 今日は撮影にならんな、引き上げよう。

 コマラパの街の中心まで歩いていく。
 その途中、農作業をしている人たちの姿を撮影。
 通り過ぎる農夫たちはだれも明るく、「ブェノ」
 「アディオス」と声をかけてくれる。
 そらはどんよりとした曇り空。

 腰をかがめてイチゴを摘んでいる女たち。
 思わず『ストロベリー・ロード』を思い出す。
 フリホレスを摘んでいる男の子たち。
 見渡す限りの畑が続く斜面。生きるための食べ物を作って
 いる。
 市場で売るための商品を作っている。人間の営みがあるなあ。
 これが平和の一つの姿かな。
 約30分後、コマラパの街に到着。
 町の入り口に大きな墓地がある。
 墓地を囲む壁に色とりどりの壁画あり。
 町の中心は祭りの最中。
 屋台や移動遊園地がでている。
 教会は、いろんな形の「受難」を展示中。

 ここからバスに乗ると座れる。
 バスが動き出し、パンアメリカンハイウエーにでる頃には
 また強い雨。
 うとうとしてたら、バスがバウンドした際、前の座席の
 背もたれに思いっきり顔をガッツン。
 メガネが飛んだ。
 バスを乗り換え、またまたうとうとしてたら、バスが揺れた
 時、荷台から荷物が落っこちてきて、メガネが飛んだ。
 ったく。

 靴に穴が開いているのを発見。
 うへ。

 今日は早めにアンティグア戻り。
 バスターミナル近くで鶏を喰らう。

 銀行で300ドル分、Q2340を引き出す。
 夜、強い雨が降る。
 カッパを羽織り、下半身ずぶぬれになりながら、帰宅。


 comapala.jpg
 お豆 摘みですね。

 セットした目覚まし時計が鳴ったのはちょうど4時。
 荷物の点検をする。
 シャワーを浴びる。
 今日でグアテマラをさようなら、念入りにひげを剃る。
 5時半前、旅券、航空券、空港までのシャトルバスの券、
 クレジットカード、財布の中の現金を確認。

 朝日が昇り、東と西の空がオレンジ色に輝き始めた。
 40分過ぎ、シャトルバスがピックアップ。
 3名の先客は全員米国人、アンティグアでバケーションとか。
 6時過ぎ、グアテマラ市内に入る。
 車が混み出す。
 6時半過ぎ、飛行場到着。
 荷物のチェックインは X 線の装置がないので、すべて
 手作業でチェック。

 「都合で、早く帰らなければならなくなった。席ある?」
 「ちょ~っと、まって・・・」
 「へぇ」
 「あ、すいません、この航空券は、ここでは日付変更でき
 ません。
 市内にあるメインオフィスで手続きしてください」
 「えっ、ここではできないの?」
 「できません。私には権限がないの。オフィスに行って
 ください。
 はい、これが住所です。9時から開きますから」
 「じゃあ、今日は飛行機に乗れない・・・」
 「すいません。ここではどうにもなりません」
 「なんとか融通ききません?」
 「ネクストプリーズ・・・」
 (うるさい客は無視か、デルタよ)「・・・・・」

 空港のカフェで時間をつぶす。
 ATMマシンで100ドルおろそうとしたら、現金が
 出てこない。
 あれ~、もしかして請求されるのかな?
 今はそれを冷静に考える余裕無し。
 しゃあない、現地通貨Q500をおろす羽目になる。
 アンティグアのRに電話、また、そちらにお世話に
 なります、と。

 タクシー(Q50)でデルタエアのオフィスへ。
 が、9時になっても、オフィスは開かない。
 セキュリティーが、もうちょっと待て、と。
 オフィスの外で待ちぼうけ。
 9時過ぎてんだから、せめて、中で待たせてくれよな、
 デルタよ。

 9時10分過ぎ、ようやくスタッフが登場。
 もちろん、10分くらいの遅れなら、「すみません」の
 一言ないのはトーゼン。

 タイプライターのような端末をかちゃかちゃ。
 すいません、このチケットでは日付の変更できません。
 --ひぃえ~。普通は100ドルくらい払ったら変更
 できるでしょ?
 お役に立ちたいですけど、これはできないチケットです。
 それがコントラクトです!
 --なんとか、ならないの?
 じゃあ、片道のチケット・・・1500ドル・・・買って
 いただきましょうか。
 --往復15万円のチケットなのに・・・。
 しゃあないなあ、そんなお金を使うのなら、従来通り、
 7月末の帰国やな。
 10時半過ぎ、アンティグアまで、タクシー($15)で
 戻る。

 今朝、出たばかりのファミリアへ戻る。
 Rじいさん、びっくり。

 すぐさまアタバルへ戻る。
 空港まで行って、席が空いてるのに、乗れないなんて・・・。
 元旅行代理店勤務者(2名)もびっくり。
 そんなことがあるなんて。
 やっぱり、「9・11」の余波かな、と。
 昨日、イラクで1日で最高の死傷者を記録したとか、
 トルコでチキンブッシュの泊まる予定のホテルが爆破された
 とか。
 やっぱり航空業界は規制が強くなったのかな。

 とりあえず「至急連絡」をいくつか入れる。
 それも、初めての依頼を含めて・・・。
 ふぅ~、なんてこった。
 帰国してからの予定が大幅に狂ってしまった。

 アタバル文庫から清水一行『色即是空』『汚名』を
 かり出す。
 なんか気分転換せなあかん。
 ファミリアへ戻り、『色即是空』をツン読する。
 おろ、清水氏には珍しいのかな。
 お話にもならないエロ小説なり。ったく。

 一応、日本の旅行代理店にも、チケットの件で一報
 入れることにする。

 夜、『汚名』を読了。
 う~ん、ちょっと一時代前の小説かなあ。
 やっぱり、時代を超えるモノを残すのは難しいのやな。

 ひぇ。
 こちらの帰国不可能事情を察してか、思いがけない
 「軍資金」の振り込みあり。
 こちらが驚く早さ。
 びっくりしたなあ、もう。それにしても、その心遣い
 ありがたい。

 ハワイのK氏に連絡すると・・・と、これまた偶然、
 首都に出ているとか。

 城山三郎『人生の流儀』読了。ま、短いし。
 しっかし、人生訓をありがたがるようになったら
 おしまいやな。
 ----------------------------------------
 現場にはあらゆる人生の材料がころがっている。
 その中から、自分で問題をつかみ、その問題をひろげ、
 深めていくことである。--打たれ強く生きる--

 「ひとりでは何もできぬ。しかし、ひとりが動かなければ
 何もできぬ」
           --挑戦『生命なき街』収録--

 人間、汚い空気の中にも、しばらく居れば馴れてしまう。
           --社長室『総会屋錦城』収録--
 
 教訓。
 口いっぱいにモノを食ってはいけない。
 欲望をフルに満たそうと思ってはいけない、そのときには
 別の欲望に食われている。
               --わたしの情報日記--

 完全な絶望状態などというものはあり得ない。
 人間がそう思いこむから、そうなるまでである-。                     --華麗なる疾走--

 わたしたちプロのもの書きは「書けませんでした」と
 いって、投げ出すわけにはいかない。とにかく書き上げ
 なければならない。どれほど砂を噛む思いをしようと、
 書き続けねばならない。
 だが、考えてみれば、そのおかげで、わたしたちは、
 プロらしく鍛え上げられても行くわけである。書き上げ
 られたものだけが、ときに傑作となり得るのであって、
 未完の傑作などというものは、世の中に存在しないのだ。
                 --私の情報日記--

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 妹尾河童『少年H』を読み始める。

 朝食後、一息入れて新聞用の原稿を読みなおす。
 ちょっとしっくりこないなあ。
 危なげのない、すっ、と通る、平易な内容すぎるかな。
 なんかもう一ひねりしたいなあ。
 が、800字だし、書き直す時間もエネルギーもないか。
 とりあえず、締め切り前に送信。
 日本に戻ってから、最後の修正をしよう。

 アタバルに I 氏現れる。
 日本に持って帰ってもらう荷物(民芸品)をファミリアの
 方に預けておきましたから、と。
 へえ、へえ。 ま、セメント袋ぐらいの大きさとか。
 成田空港に着いたら、そのまま着払いで送ってください、と。
 ガッテンだ。

 I 氏とそのまま、コーヒーとケーキを食べに行く。
 12時過ぎまでぐっちゃら。
 今日はコマラパには行けないなあ~。
 朝からかなり気分は低調やったしなあ。
 気分はもう日本モード。

 田代氏宅へ。
 依頼されていたブツを持っていく。
 受け渡しが住むまで(なんか犯罪っぽいなあ)、
 『ゴルゴ13』と『美味しいんぼ』を読む。
 『美味しい・・・』は73巻目と83巻目。
 すごい息が長いシリーズなんやな。
 内容はなんか知識の押し売りって言う感じで、漫画として
 のおもしろさがなくなったなあ。

 15時過ぎ、サラの店へ。
 おみやげをQ240分買う。
 が、サラはいない。お母さん曰く、サラは公園で行商して
 るよ、と。
 と、入れ違いで、サラの息子が来た。
 公園へ。

 最近はポリスが、物売りを公園から追い出すんよね~。
 商売ができないよ~。
 え、おみやげはお店で買ったの?なんで私から買って
 くれないの?
 --えっ、お店で買おうが、サラから買おうが、同じ家族
 でやっているから同じでしょ。
 ちゃうのよね。あっちの店は旦那のお母さん家族がやってる から、私の方には入らないのよ・・・。
 なんで、私から買ってくれなかったの?
 --前会った時、「お店で買って」と言ったでしょうに。

 雨が降ってきた。
 急いで教会の庇?に隠れる。
 --もうすってんてんだよ。財布にQ40しかないよ。
 明日の朝5時半にアンティグアを去るからね。
 全部使っちまったよ。現金はないよ~。
 じゃあ、銀行に行ってお金をおろして、これ買ってよ。
 Q100にしとくから。
 --あ~あ、もう店で、こんだけのおみやげかった
 からねぇ。もう買えないよ~。
 じゃあ、最後に、このマヤのお守りQ30分だけでも。
 --ま、じゃあ、それは買うわ。ま、また来年か2年後に
 来るからね。

 アタバルに寄り、最後の挨拶。
 KT氏の奥さんから日本に着いたら投函する手紙やハガキ、
 原稿の運び屋を頼まれる。へぃ、これもガッテンです。

 手持ちの現金がないから、クレジットカードで、鳥を
 豪勢に5ドル分、喰らう。

 20時過ぎ、ファミリアに戻る。ロミロ氏と最後の挨拶。
 曰く、明日の朝、早い出発やね。見送ることできないけど、
 気をつけて帰ってね。
 鍵はテール部の上に置いてくれたらいいから。

 必死のパッチ(死語?)で荷物の整理。
 ボロボロの下着と靴下は捨てよう。
 ニカラグアで渡す予定だった写真は、ニカラグアには
 行かなかったので、余分な荷物になってしまった。
 これは、もったいないけど廃棄。

 22時過ぎ、4時に目覚ましをセットして、就寝。

 日付が変わっても、ひたすらキーボードを叩く。
 2時過ぎ、あかん、キレタ。
 ちょっと休もう。
 何回読み直しても、話の中心が飛びすぎる。
 が、緊急やから仕方ないか。
 そう思いつつ、もう1回、もう1回と見直してしまう。
 3時過ぎ、あ~、修正はもうこれで終わり。
 際限がない。

 7時半、なんとか起きる。
 朝食中、頭がぼ~っとする。
 シャワーを浴びて、ちょっとだけ頭をすっきりさせる。
 原稿、最後の見直し。
 ま、これでええやろ。
 日本時間、23日になる直前に入稿。
 ま、これで一つ終わり。

 カレンダーを見たら、あ、あ、忘れてた。
 新聞の原稿もあったんや。
 こっちが、ホンチャンやのに。
 目が点、<・><・>になる。
 いきなり2日連続の原稿書きは無理や。

 14時前、コマラパへ。
 お、今日はようさん来ているやんけ。
 ソロラから大型トラック・幌つきで30人近い人出や。
 女の人も多いぞ。
 で、作業はというと・・・あ、午前中に掘ったのか。
 午後の作業は埋め戻しだけか~、あ~あ。
 それでも絵になるかもしれない。
 できるだけシャッターを切る。
 雨も降ってきた。なんか力が入らんなあ。

 クールピックス5700、機動力はあるけど、起動時間が
 遅い。
 パワーズームの動作が遅い、遅すぎる!D70を使うと、
 このクールピックスの動きにイライラしっぱなし。
 何度となくシャッターチャンスを逃してしもた。

 15時半、おろ、もう片づけが始まった。
 なんちゅうこっちゃ。
 雨も強くなってきた。
 しゃあない、自分も撤収するか。

 しっかしなあ、こんな田舎の道路で、雨に打たれながら、
 ポツンとローカルバスを待っている自分でなんなんやろ。
 レイモンド・チャンドーラーにもならんわ。
 ちょいと訳がわからなくなってしまう。
 そこまでこだわる写真イメージなのかな。
 何一つ手応えのない写真イメージに、ただただただ、
 エネルギーのレベルダウンなり。
 バスに乗ったら、雨が豪雨となった。
 運良く、途中から一番前の席に座ることできた。
 雨にけぶる窓を通して、曲がりくねる道路を見つめながら 、
 頭の中も<・><・>なり。

 チマルテについたら雨がやんでいた。
 バスを乗り換え、アンティグアに戻ったらいつものより
 早い17時過ぎ。
 おみやげ屋をぶらぶら覗き歩く。
 明日か明後日には、おみやげ買おう、っと。
 チキンを喰らう。

 アタバル文庫から清水一行『買い占め』を借りる。
 原稿書かなあかんのに・・・逃避やな。
 日付が変わるまで、読み続ける


 DSCN2424.jpg
「手ぶれ」のイメージも、ウエブ上ならギリギリオーケーかな?


 7時過ぎ起床。
 ま、朝食のメインは、スープかコーンフレークが1日おきに
 出てくるパターンやな。
 ちょいと飽きたましたぜよ。

 あ、23日は新聞原稿の締め切りやった。
 ま、まだ日があるけど、思いつくまま、ツラツラと書いて
 おこう。

 そや、新聞の切り抜き手に入れなあかん。
 グアテマラシティーの石川氏に電話。
 切り抜きありますか~?あるなら、見せてください、と。
 14時過ぎ、そちらに伺いますよ。

 12時まで、原稿の下書き。
 で、グアテマラシティーへ。
 バスを降りて4番のバスへ乗り換え。
 2-29のコナビグアの近くまで行ってくれた。
 コマラパの発掘の新聞発表を見せてもらう。
 う~ん、なかなか整理されてないやんか。
 ま、それでも、ま、こんな感じか、と欲しいイメージは
 手に入れる。

 ここ数日、雲の動きが激しいなあ。
 雨が降ったり、ギンギラに太陽が照ったり。

 今日は早めにグアテマラシティーを引き上げる。
 メールをチェックするとR氏から、「そちら時間で23日
 が締め切りです。
 なんとか24時間以内に、原稿頼みます」、のメッセージ。
 うへぇ、うへ。
 平和について書くなんて、難しすぎる。
 概論みたいなこと書いても仕方ないし。

 エッセイやコラムって、本当に難しいんやからなあ。
 アタバル文庫から清水一行氏、宮崎学氏、池田晶子氏、
 沢木耕太郎氏などの本を借り出し、書き出しのヒントを
 探す。
 それにしても、どうすべ。
 頭がイタイ。
 と、 池田晶子氏の『考える日々』は、ちょっと期待はずれ。
 内容もリズムも、他の人に比べるとなあ・・。
 しっかしなあ、おどろいたなあ。
 -- 人は考えないで、悩んでいるのが実際のところ--
 なんとまあ、全く自分と同じ事を考えていたとはなあ。

 悩んでいても仕方ない。書くしかないのやから。
 キーボードを叩き続ける。

 ****************************************
 <恐怖からの自由>

 東南アジア最後の軍事政権国家ビルマで昨年九月、身体が
 震えた。恐ろしさと感動で心臓が縮み上がった。ビルマは
 現在も、軍の絶対的な暴力を背景に人びとを抑え続けて
 いる強権国家である。

 政治の話を表だって口に出すのはタブーである。憩いの
 ために集う喫茶店では、軍のスパイが絶えず目を光らせて
 いる。相互監視とタレコミとチクリの世界がそこにはある。
 政治に関わり、政府に目をつけられると、それで人生の
 終わりをも意味する。
 誰もが息をひそめて生きている。ここでは、政治に関わる
 ことは危険なのだ。

 隣国タイで発行されている、反ビルマ軍政の雑誌を所持して
 いた若者が逮捕され、15年の刑期を宣告された。88年の
 民主化闘争で拘束された当時の学生リーダーは今、15年の 
 刑期が終わっても出所の見通しが立たないまま。

 自分の信じる思想を捨てないために、20代から40代まで
 の貴重な時期を、堀の中で生活し続けている。ビルマでは、
 62年からそんな閉塞社会がずっと続いている。

 しかし、そんな状況下でも、希望を捨てない人びとがいる。
 私は現地に滞在中、偶然、そんな人に出くわすことが
 あった。意思を持って、立ち上がった人びとを目撃した。

 だが、勇ましく、拳を振り上げて立ち上がったのではない。
 小雨降る中、無言のまま、路上にたたずんだにすぎない。
 自分たちのリーダーであるアウンサンスーチー氏の身体を
 心配して、小さなプラカードと彼女の写真を胸に、静かに
 抵抗の意思を示していただけ。

 逮捕・投獄。自由を奪われるのは、恐ろしいこと。だが、
 それにも関わらず、立ち上がる。まさに、それこそが
 スーチー氏のいう『恐怖からの自由』なのだろう。

 彼らを前にして、私は写真を撮るのを、一瞬ためらった。
 周りは、私服の軍政府の関係者で囲まれているはず。
 もしかしたら、写真撮影をする自分自身が拘束されるかも
 しれない。

 外国の記者はむろん、地元の報道関係者も全く姿が見えない。
 何が起こっても、後で誰も検証することは不可能。

 どうなるかわからない。そう考えると怖かった。しかし、
 彼らの無表情の面もちこそが私を強烈に引きつけた。一歩
 前へ踏み出し、彼らのその姿を写真に収めた(後日、
 『バンコクポスト』で発表)

 シャッターを切る指は震えはしなかったけれど、心臓が縮み
 あがった。口の中の唾液は、苦い鉄の味がした。自分で作り
 上げた恐怖の枠を意識した。今振り返っても、あれは自分の
 力で恐怖を克服したわけではなかった。

 雨の中に立つ彼らの力を借りた行動であった。何が彼らを
 突き動かしたのか、それを想像するだけでも胸が熱く、
 痛くなる。

 この15年間、日本の外側で、自分の目の前にいろいろな
 出来事が展開してきた--シンナーを手から離さず、目を
 トロンとさせている路上生活の子どもたち。日本政府に
 戦後補償を求め続ける韓国の元従軍慰安婦。国境を越えて
 売られていく少女たち。

 豊かな生活を夢見て、国境を越える人びと。地雷で両手両目
 を失った農夫。国軍兵士の暴力から逃れた難民。銃を担ぐ
 少年。ゴミ捨て場で生きる人びと。無計画に山から切り
 出されるチーク材。内戦を終結させ、歓喜する人びと--
 これらは書物の中の物語やテレビ番組の作り事ではなく、
 事実であった。

 取材の中でいつも感じていたのは、なぜ自分ではなく、彼ら
 なのか、ということであった。日本に生まれるかどうかで、
 その後の運命が決定づけられてしまう。

 あるいはこの21世紀の初頭に生を受けるかどうかでも、
 違う人生をおくることになる。現実問題として、人間は
 生まれた時から不公平・不条理な世界を目の前にしなければ
 ならない。
 それは現実であった。

 問題は、その後である。世の中の不条理を知ってしまった
 後の生き方である。フィリピンのスラムで活動する日本人の
 伊藤さんは、「知ってしまった責任」 を強調していた。

 ある人は当然のように、今の時代を「時代の転換期」
 「激動の時代」だという。しかし、いつの時代であっても、
 その時代は大きく動いているはず。

 「激動の時代」を強調するのは、自分の生きている時代を、
 あるいはそれを分析する自分を大きく見せたい、その裏返し
 なのか。それより、人は、自分の生まれた場所と時代から
 逃れることはできない。

 ひとつの時代から発生する思想や主義主張も、おのずと
 時代の制限を受ける。
 その冷たく、簡単な事実を、なによりもまず押さえて
 おかねばならない。

 日本では60年代~70年代に「安保反対」「学生運動の
 盛り上がりと挫折」 があった。今だから、後追い的に
 批判的にその頃を分析できるのであって、当時の参加者は、
 本当に革命が起きると思っていたようだ。

 記録によると、そのころは、主義・主張の暴力的な激しい
 ぶつかり合いが、平穏な生活を凌駕していた(そうだ)。

 しかし、いったい、あの頃の、理想を求めていた人びとは
 どこに消えてしまったのだ。夢を謳っていた彼らは、その
 後に、より長く続く人生を生きるために、妥協し・流され・
 傷つき、消え去ってしまったのだろうか。

 その結果として政治は、権力者に利用されて、人の夢見る
 理想は骨抜きにされてしまった。社会の根本は、何も変わら
 なかった。その反動が、「理想を追っても何も変わらない
 のだ」という現実を、その後(今)にもたらしたようだ。

 しかし、しかしである。いつの時代にも、その生まれた時代
 に翻弄されながらも、いや、時に抗いながらも、自分の
 正しい主張を信じて行動する人がいる。それは、世界どこ
 にでも現れる。

 彼らの要求は、彼らが人間として生き延びるための正義
 でもある。私は、そんな彼らの正義に心を寄せたいとも思う。

 個人のエゴともいえる正義と正義のぶつかり合いが実は、
 紛争を生みだしている。人はそういうかもしれない。だが
 私は、不条理に抑えつけられていた人が絞り出す正義を
 支持したい。

 無理矢理にでも、ある歴史の一部分を自分に引き寄せて
 考えてみたい。不可能かもしれないが、できる当事者に
 心を寄せたい。

 今の時代、誰もが、自分の人生の中では、自分が主人公に
 なりたがる。だが、物語(社会)は一人の主役だけで成り
 立っているのではない。

 物語の中では絶えず、主人公どうしが衝突し合い、紛争が
 起こる。誰もが、自分らしさを追求するあまり、脇役に
 なるのを拒否するからだ。

 人は、自分(たち)の生活を守るため、自分(たち)の
 主義主張を貫くためぶつかり合う。ところが、物語(社会)
 を支配するのは実際、個人ではなく、権力を持つ者である。
 権力者は監督となって、実のところ、自分たちの都合の
 いいような作品を仕上げる。個人どうしがいがみ合って
 いるうちに、物語は監督のいいように作り上げられて
 しまう。

 自分の人生を守ろうとするあまり、他人の人生を傷つける。 
 その実は、誰かに支配されてしまっている。

 灰谷健次郎『優しい時間』のなかに次のような一節がある。 
 ----------------------------------------
 あなたの知らないところに
 いろいろな人生がある
 あなたの人生が
 かけがえのないように
 あなたの知らない人生も
 また、かけがえのない
 人を愛するということは
 知らない人生を
 知るということだ

 他人の人生を知るということと、他人の考えを知るという
 ことは、人が人になるために、絶対的に必要なこととして
 あるのだろう。
 ・・・・・。
 いくら自分を知ろうと務めても、他者の生を知ることなく
 して、自己の存 在を確かめる 術はないのである。
 ----------------------------------------
 今は誰もが自分の生活を大切にする時代のように思える。
 だが、他人の人生を、自分のそれと同じように大切にして
 いるのか。疑問である。

 大切にしようとする自分とは、個人の身の回り5mほどの
 小さな同心円を中心にした近親者や知人・友人である。
 その円を超える世界を考えようとするのはまれなこと。

 また、その円内に自分の理解できないモノが入ってこよう
 とすれば、過剰な反応をして拒絶する。

 異質なモノ、言い換えれば、自分に受け入れられないモノ
 を排除する論理をいかようにも組み立てる。

 小さな同心円的な幸せを大切にする今の日本社会、日本
 以外の動きに関心なしでも生きていける。それ故、その
 平々凡々とした生活に波風を立てようとする者は、激しく
 糾弾される。

 たまたまこの中米取材に、中島みゆきのCD「地上の星」
 を持ってきていた。
 それを聴きながら、太田昌国が「この国は危ない」
 (「支援連ニュース」、1998年10月号)で書いて
 いたことを思い出した。
 ----------------------------------------
 「わたしの子供になりなさい」(ポニーキャニオンPCCA-01191)
 という名のアルバムの最後にその曲は収められていて、
 題して「4.2.3.」という。
 ・・・・・。

 曲名の「4.2.3.」は、フジモリ大統領が人質救出の
 ために武力を行使した日付を日本時間で表現したものである。
 ・・・・・。
 ・・・・・。

 あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない
 あの国の戦いの正しさを ここにいる私は測り知れない
 しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心のある人たちが何故
 救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないの
 だろう
 この国は危ない
 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう
       平和を望むと言いながらも
 日本と名の付いていないものにならば
       いくらだって冷たくなれるのだろう
 慌てた時に 人は正体を顕わすね
 あの国の中で事件は終わり
 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた
 4.2.3....... 4.2.3.......
 日本人の人質は全員が無事
 4.2.3....... 4.2.3.......
                 「作詞:中島みゆき」

 ・・・・・。
 問題はこうなのだろう。
 この国で保障されている「言論の自由」の枠内で、メディア
 は多様な見方を提出しているように見える/あるいはそう
 信じられている。

 この事件の場合で言えば、「どんな理由があれテロは
 いけない」「人質の安全が心配だ」に始まり、「テロリスト
 に妥協するな、譲歩するな」「フジモリも監獄の処遇状況
 くらいは改善しなければ」「貧困問題が根にある」「日本も 
 政府開発援助のあり方を見直さなくては」......という具合に、
 実に多様な意見が飛びかうように見える。

 だが、事件の発端をなした天皇誕生日パーティの問題性を
 指摘する議論は、マスメディアには登場しない。少数者の
 テロと国家のテロをまず同列において、どんな政治・社会
 のあり方が双方のテロ(暴力)を廃絶できるのかを根源から
 考えようとする意見も登場しない。
 ・・・・・。
 「あの国の人たちの正しさを/あの国の戦いの正しさを
 ここにいる私は測り知れない」という一節は、中島が
 自分の位置を自制をもって定めようとしている姿勢を
 示しており、それをまったく欠いていた多くのマスメディア
 の対極にある。その姿勢が定まることによって、彼女は
 「日本と名の付いていないものには、いくらでも冷たく
 なれる」「この国の危うさ」を歌い、ペルーの出来事を
 介して足元の問題に戻ることになる。

 ----------------------------------------
 数年前のペルーと今のイラク。時期と場所は違えど、
 日本国内の反応はあまり変わっていないようだ。
 日本という一国だけの平和ボケは相変わらず。

 今の日本の安寧はある意味、世界の不条理で成り立って
 いるとは気づかされていない。誰もがこの満たされた
 生活を失いたくないようだ。
 世界の不条理に目を閉ざしつつ、同心円の生活を守ろう
 としている。

 私は自分の仕事の関係上、おい、今の日本、おかしいのと
 違うか。そう言葉を投げかけざるを得ない。そんな言葉は、
 「和」を乱すモノとして、嫌われるのかもしれない。時に、
 反発を招くこともある。

 今、中米グアテマラを取材中にこれを書いている。米国に
 追従する日本の姿は、ここ中米からどのように映るの
 だろうか。

 世界的に脅威を煽り、敵を人工的に作り出す米国。
 一方日本は同じように、隣国に敵を作り出し、国内の不安を
 異常なほどたきつける。

 意図的に敵を作り出す。人の心に恐怖と不安を植え付ける。
 その敵を、犯罪的な暴力で排除したら安心が得られるの
 だという策略。
 恐怖に支配された人は冷静な判断ができなくなる。

 さらに、今、何を考えなければならないか、判断材料と
 なる情報は、権力者によって、あるいはその走狗となった
 メディアによって支配されているのが現実。
 もう、ああ!としかいいようがない。

 私はこの1週間毎日、80年代に起こった虐殺の秘密墓地
 の発掘現場に足を運んでいる。
 米国が後押しした政策の結果だ。

 米国の暴力の犠牲者となったグアテマラの先住民族の
 人びと。その後始末は、今も続けられている。東西冷戦を
 理由にした、権力と富の占有。それに逆らう者は、永遠に
 黙らされた。

 『グアテマラ 虐殺の記憶 歴史的記憶の回復プロジェクト』 
 (訳・飯島みどり・狐崎知己・新川志保子)はこういう。
 ----------------------------------------
 こういうことを二度と繰り返させないために何をしなければ
 いけないのでしょうか。民衆組織を作り、人として自分たち
 がどんな権利を持っているのか、そして何をすべきかを
 知ることです。そして恐れを捨てることです。恐れこそが
 わたしたちの力を削ぐものですから。
 怖かったから、黙り込んでしまったのです。でも今は、
 話すことができるようになりつつあります。この恐怖を
 克服することが大事だし、そうすることでのみ、お互いを
 尊重し合うことができるのですから。
 -----------------------------------------
 世間から指弾される恐怖。
 バッシングされる恐怖。
 食えなくなるのではないかという恐怖。
 自由に生きようとすればするほど、恐怖がまとわりつく。
 自由な発言をするのに恐怖や不安を感じるのはおかしい。

 日本で生活する者は、ビルマやグアテマラで起こった
 大きな犠牲から学ぶことができるはず。
 それは、なによりもまず、自分で自分を縛る恐怖を
 解きほぐす必要があるのでは、と。
 ****************************************

 ま、今回は、ここまで書くのが精一杯やな。
 しっかし、もっと自分の頭を整理する必要があるなあ。
 が、しかし、考えすぎると、撮れなくなるぞ・・・
 これも要注意なり。


 『突破者(下)』を読了。
 宮崎学/鈴木邦男『突破者の本音』を読み始める。

 一週間ぶりの日曜日(当たり前か!)
 久しぶりに朝寝をする。
 8時半までぐっすり就寝。
 9時過ぎ、朝ご飯を食べに街に出るが、街は至って静寂。
 開いている店がない。
 ドミノピザも閉まっている。
 しゃあない・・・な。
 いつもの雑貨屋で買い、帰宅。
 昨日の食パンのみを食べる。

 10時過ぎ、家を出る。
 日曜日やからなあ~。
 やっぱし家族連れで満員のバス。
 立ったままでバスの揺れに身体をあずけてたら、背中の
 筋違えたわ。
 イタイイタイ。

 チマルテナンゴでバスを乗り換え。
 うへ、こちらも満員。しばらくは立ったまま。
 途中、やっと座れる。

 現場に着いたのは12時半。
 やっぱり2時間近くはかかるなあ。
 今日は首都から?墓堀りの見学にきている人(8名)あり。
 毎日変わらぬ作業風景を撮影。
 結構、深い穴掘っている。ゆうに2.5mはあるで。
 撮影しようとカメラを起動させたら、おろ、
 昨日、データのバックアップとるの忘れてた。
 それにバッテリーも充電してないし。
 気が抜けたんかいな。

 雲の流れが速い。
 青空がのぞいたと思ったら分厚く灰色の曇り空。
 風景だけ見たら、それこそ心が軽くなる。
 こんなところで虐殺があったんやなぁ。

 今日は昼飯も昼飯をごちそうになる。
 肉とトマトスープとトルティーヤ。
 美味しい。
 コーヒーは・・・まずい。
 おろ、今日はサッカーはないのか、13時半過ぎには
 墓堀りが始まる。
 やけに愛想のいいおっちゃんが話しかけてくる。
 ソロラ出身とか。
 15時過ぎ、手伝いのおっちゃんたち帰る。
 今日は日曜日だから、早めなのかな?
 15時半、私も早めに引き上げる。

 街道で帰りのバスを待つ。
 おろ、今日はタイミングがいい。
 道ばたに腰を下ろして数分、すぐにバスが来た。
 が、満員。
 身体をひねっての立ちとなる。
 背中の筋がまたまた痛くなる。

 17時過ぎ、アンティグアの自宅に戻る。
 シャワーを浴びてすっきりする。
 すぐさま2日分のデータのバックアップ。

 18時、アタバルへ。
 みんな集ってますね。
 メールのチェック・・・うわ、来た。
 ついでにラップトップがダウン、あ~あ。

 ジュンさんに韓国風のうどんをごちそうになる。
 M氏、帰国便が見つからない、とか。
 20時過ぎ、おいとま。
 朝の復讐や、ドミノピザに入って散在。
 ふうぇ。

『突破者の本音』を読了。


 DSC_0030.jpg 
見よう見まねで私も鍬を持つ。
お父さんやお母さんが何を探しているのか、
もちろん知っているはず。

 

 7時20分起床。
 うへぇ~、眠たいよ。
 撮影自体はそれほど疲れないのだが(勝手が違うから
 疲れているのかな?)、往復のバスが結構身体に応えて
 いるようだ。

 借金依頼のメールを削除し、当たり障りのない内容に
 書き換える。
 やっぱり、自分のなかで完結させなあかんわな。
 甘えは無しにする。
 自分のやっていることは、それだけ価値があるのかどうか、
 というか、自分の正義の妥当性を見直すのが必要だから。
 自分の正義・思想・行動・価値判断を常に疑い、宙ぶらりん
 で決定させる。
 追い込んで、追い込んで、本音を吐かせるのであ~る。
 自分のやっていることに価値を見いだしたとしても、他の人
 を巻き込んではならない
 巻き込んでもいいと思える人かどうか。
 たとえそうであって、そうしてはいけない。
 こんな考えだからいつまでもいきがって、マバリックを
 名乗るのかな?
 ウン。

 昼食時間をはずそう。
 で、出発時間が遅れた。
 11時過ぎ、ファミリを出る。
 14時前、発掘現場に到着。
 おろ、今から昼食ですか・・・。
 タイミングが合わんなあ~。

 今日は人夫がすくないなあ。
 それも、14時をすぎても仕事に取りかかるような雰囲気で
 はない。
 土曜日だからかな?

 近所の人が丘の上にピクニックに来た。
 それも土曜日だから?

 やっと仕事が始まっても、どうやらおしゃべりが多いなあ。 
 穴堀りもそれほど進んでいない。

 16時過ぎ、作業終了。
 車でコマラパのバス乗り場まで乗せてもらう。
 なんか今日は撮影した気分がしない。
 16時半のバスでコマラパ発。
 アンティグアに戻ったのは18時過ぎ。
 疲れたなあ。
 依頼の原稿人文字も書いてない。
 うへぇ。

 近所の駄菓子屋にジュースを買いに行ったら、1本Q5
 という。
 え?「Q4、マホップ~?」とスペイン語とビルマ語が
 ごっちゃになってる。
 帰国間際になってこうだから、この2ヶ月なにやってたん
 だろ?

 『突破者(下)』を読み始める。

 夜更かしをしてしまう。
 2時過ぎまで『突破者』を読む。
 7時過ぎ、起きる。
 やはり青空の朝。
 朝食後、日本から持ってきたNの音楽を聴きながら、
 今日の予定を考える。
 9時半過ぎ、グアテマラシティーに電話。今日の予定を確認、
 と今後の予定を伝える。
 やっぱり、誰にも注目されていない活動だからこそ撮り
 ます、と。
 グアテマラの村の生活はいつでも撮れるが、この活動は
 今しか撮れないから、と。

 アタバルへ行って、メッセージ確認。

 11時40分過ぎ、あわててファミリアを出る。
 首都までのバスは混む。

 首都に着いたものの、さて、コナビグア(連れ合いを
 奪われた女性の会)は・・・どこだっけ?
 確か8番街やったなあ。
 うろ覚えのまま通りを歩く。
 やっぱりそうや・・・コナビグアに到着したのは14時前 。

 おろ、もう記者会見はじまってるやん。
 カメラ3台を首から提げて撮影。
 でもなあ、これは!と決まるイメージが撮れない。
 決まったパターンだからなあ、これはしゃあない。

 昼食をごちそうになる。
 ローストチキンの足は食べ応えがある。
 アボガドと米もなかなか。
 食べながら、 I さんとぐっちゃら。

 昼食後、記者会見と質疑応答の続きが始まる。
 う~ん、絵にならないなあ。
 記者会見って、どうやって決めたらいいんだろ。
 一つの話が終わると、小さなグループがごそごそ話し合い
 がある。
 なにせ7つのマヤの言語集団があるから、スペイン語で
 話されたことは、それぞれのグループ内で通訳されるのだ。
 うへぇ~、時間がかかるなあ。
 その様子を撮影しようとすると、おばあさんが一人、
 さっとカメラから顔を背けた。
 身体で示す嫌悪感。
 ゴミ捨て場で石をぶつけられるよりズンとくる。

 16時前、コナビグアを跡にする。
 85番のバスに飛び乗る。夕方のグアテマラ市街は渋滞や。
 排ガスが思いっきりビル谷間に充満するわ。
 ごほごほ。

 夕食もチキン。

 メールのチェックをすると、おろ、ビルマから同時に
 3通のたよりあり。
 なんか前回も同じやったぞ。

 『突破者』を読み続ける


 早めの帰国を延期することにした。
 やっぱり、これは見届けなければならないな。
 そう強く感じたからだ。
 で、無理をしなければならなくなった。
 軍資金依頼のメールを書く。
 この仕事を始めて13年。取材に関して初めて借金を
 することにした。
 まあ、返す当てもるし。一番大きいのは、これは個人の
 仕事だからと言う、自分のプライドをちょいとだけ
 ひん曲げることにした。
 ま、この人になら頼んでも、ということもあってだな。
 バシバシとキーボードを叩く。

 7時過ぎ起きる。
 今日もいい天気。
 下宿屋の小さな中庭から、小さくなった青い大空を見上げる。

 昨夜、寝る前に書いたメッセージを考え直す。
 やっぱり、やめとこ。
 時間をかけて書いたメッセージをお蔵入りさせる。
 やっぱり、まだまだこれは、最後まで自分のできる範囲内で
 行動せなあかん。

 腹の調子がだいぶ良くなってきた。
 精神的なもんなのかな。

 出発するのが遅くなった。
 9時半過ぎ、家を出る。と、目の前をトゥクトゥクが通り
 かかった。
 思わず乗ってしまう。市場の裏までQ10なり。
 チマルテナンゴまでQ3なり。
 お、今日はバスの接続がいいぞ。バスを降りると、コマラ
 パ行きのバスが待ってた。
 コマラパまで約40分(Q4)
 コマラパでもトゥクトゥクを捕まえる。
 が、行き先をどう伝えたらいいもんか・・・・。
 とりあえず、まっすぐ5分ぐらい走ってくれ、と。
 発掘現場まで、本当にすぐやった(Q5)
 歩けば約30分の距離。

 トゥクトゥクを下りて約5分ほど歩く。
 11時半過ぎ、現場到着。
 今日は父の日。
 神父さんを呼んで、特別のミサが行われていた。
 アメリカの団体からも2人派遣されてきていて、取材して
 いた。
 ミサは、参加人数は30人くらいと少ないが、荘厳な雰囲気。
 家族を失った想いを訥々と話す人もいる。
 悲しみが伝わってくる。
 もう遺体発掘のニュースも新奇さが亡くなり話題に
 ならないのだろうなあ。
 でも、それを抱えて生きていく人がここにいる。
 この山のなかのひっそりとしたミサの中にいる。

 昼食は蒸した・・・。
 ごちそうになる。
 と、地主に雇われて塀を作っている若者にも昼食が
 振る舞われている。
 毎日のことか(昨日はなかったなあ)、それとも今日は
 特別な日だから。
 遺体を発掘している人にとっては、地主に雇われている人は
 自分たちを抑えつけていた側の人。それなのに。
 それが許すという行為の一部なのか。

 コンクリートの塀は、特別な形をしている。
 家や工場、教会では見られない形。
 一度だけ、同じ形の塀を見たことがあった。
 アンティグアからチマルテナンゴに向かう途中のにあった。 
 それは軍の施設だった。

 昼食後、男はサッカーに興じる。女たちはおしゃべり。
 先ほどの悲しいミサの後の、この笑顔が飛び交う時間は、
 これまた日常生活の一部。誰もが悲しみや苦しみを抱えて
 生きている。

 14時過ぎ、今日の発掘作業が始まる。
 うへぇ~、午前中だけでだいぶ掘ったなあ。
 山(丘)の斜面が穴だらけや。

 衣服や靴の一部が出てきたら、もしかしたら・・・!
 という期待が高まる。
 が、空振り。
 新しい場所を掘り始める。
 彼ら彼女らは、この期待と期待はずれをどのくらい繰り
 返しているのだろうか。
 この期待はずれの堆積はとてつもなく大きな空洞やな。
 物理的な空虚な穴ボコには底があるが、この期待はずれ
 には底がない。
 残された時間は2週間を切っている。

 16時半、発掘現場(デスタカメント)を後にする。
 今日は、帰りもいい具合にバスが通りかかった。
 18時前、アンティグア戻り。
 それほど身体を動かしていないのに全身を押しつぶすような
 疲労感。
 やっぱりファインダーをのぞき続けるというのは、しんどい
 ことなのだなあ。
 フィルム本数にして8本もとってないというのに。

 村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(下)』を読み続ける。 ****************************************
 ユキは自分一人を抱えて生きていくだけで精一杯なのだ。
 まわりの人間の感情の動きまで細かく対処していくような
 余裕がないのだ。そしてその結果他人を傷つけ、またそれに
 よって他人をとおして自分も傷つくことになるのだ。(p.6)

 「・・・、物は豊富にあるのに、欲しいものがない。金は
 幾らでも使えるのに、本当に使いたいもののために使えない。
 綺麗な女は幾らでも買えるのに、好きな女とは寝られない。
 ・・・・・。」(p.43)

 「・・・本人は一所懸命努力しているつもりでも・・・。
 ・・・思いつきであっちにやられたり、こっちにやられたり
 ・・・」・・・あ、

 「・・・そういえば・・・こういうのが何度もあったっけな、
 ・・・。・・・傷つけて、何度も謝った。・・・・・。
 どうしてそんなに傷つくんだろう、と僕はよく思ったものだ。
 ・・・・・。でも僕はいつもそういう時には我慢強く謝り、
 説明し、その傷を癒すように努めた。そしてそういう作業を
 積み重ねることによって我々の関係は向上していると
 考えていた。でも・・・」(p.108)

 「・・・・・。誰も・・・ことなんか考えてない。自分の
 保身のことだけだ。僕ももちろん含めてね」(p.154)

 「・・・・・。ある種の人間はそういうものを手に入れる
 ことで差異化が達成されるともっているんだ。みんなとは
 違うと思うのさ。そうすることによって結局みんなと同じ
 になっていることに気がつかないんだ。想像力というものが
 不足しているんだ。・・・・。」(p.160)

 「・・・・・。人というものはあっけなく死んでしまう
 ものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと
 脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と
 接す留べきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そう
 いう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したり
 するような人間を僕は好まない。個人的に」(p.197)

 「・・・・・。彼女は死んでいて、穴に横たわり、その
 上に土がかけられた。・・・・・。」(p.260)
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 この2日間、遺体発掘につきあっているせいか、埋葬され
 た人の記述に出会うと、体の中のアンテナがビンビン音を
 立てる。
 『ダンス・・・・』を読んで、人を埋める(埋められる)
 とはそんなことじゃないのだよ、と言いたい気分だ。
 数百の穴ぼこを前にしたら、震えがくるよ。

 身体がガクガクと疲れている。が、宮崎学『突破者』を
 読み始める。この間の『ストロベリー・ロード』と同じ
 ように、自分の歩んできた道を解雇しているのだが、
 何か違うぞ。前者の方が面白いエピソードがあるのだが、
 後者の感受性に惹かれてしまう。