2004年6月アーカイブ

 2時過ぎまで『転がる・・・』を読み続ける。

 朝食後、半時間の仮眠。
 グアテマラ、今日は祝日(軍人の日)
 9時すぎ、アタバルへ。
 9時半過ぎ、電話・・・コマラパへ一所に行く予定のS氏、 
 慌ててやって来る。
 アンティグアは晴れ。この空にだまされてはあかん。
 チマルテでバスを乗り換える。お、今日は座れたか。
 コマラパに近づくに従って曇り空。で、やっぱり降ってきた。
 発掘現場に着くと、おろ、今日は誰もいない。
 周辺を探し回る。
 畑を耕しているおっちゃんに、掘っている人はいない?
 って訊くが、どうも要領を得ん。
 あ、あっちにいた。
 それもたった3人だけ。
 霧雨のような雨がしたたる。
 で、どうやら作業は終わりみたい。
 え、もう、今日は終わり?ってきくと、終わり、って
 答える。
 測量班の人に、この現場はいつまで?って訊くと、今日で
 終わりやで~、って返事。
 えっ、そんな。
 他に働いている人、いないなあ。
 しゃあないなあ、畑で働いている人でも撮って帰ろうかなあ。

 現場の入り口付近、人がたくさんいるぞ。
 おろ、なんや今日はここで掘ってたのか。
 キチェから来た男が15人。
 昼食を食べて、今日はサッカーは無し。
 15時半過ぎ、キッチェの男たち帰る。
 山の斜面を掘り続けるコマラパの町の人が4人ばかり。
 16時前、今日の作業は終わり。
 コマラパの作業は今日は終わりだよ~・・・って念を
 押される。
 バスはコマラパの始発から乗る。
 雨が激しく降ってくる。
 アンティグアは曇り。 I 氏に電話するがつながらず。

 18時半、京田氏宅へ。
 ジュン氏の出発を祈って、今宵は手巻き寿司パーティー。
 久しぶりに食べるごちそう。

 22時前、帰宅。

 5時過ぎまで『金融腐食列島』を最後まで読み続ける。
 書いている内容を深く考えようとしても、眠気には
 勝てんなあ。
 でも、銀行員の個人のストーリーだから、どうしても
 銀行側に立った支店で日本の金融の事を考えてしまう。
 ついつい、銀行がイイモンに思えてくるからなあ。
 ちょいと、 あかんな~。
 まぶたが重くなり、最後の数項は、ただただ項をめくって
 いるだけ。

 7時過ぎなんとか起きる。
 朝食はフラフラの頭で何とか食べきる。
 9時過ぎまでベッドの中で寝る。
 シャワーを浴び、なんとか動ける体勢に持っていく。
 アタバルに行く途中に電話。

 タイ在住の亡命(?)ビルマ人のMK氏からビルマの写真を
 探しているやが、というメッセージが入る。
 うぇ、あいにく、そのイメージはも持ってないねんなあ。
 メールの返信をしていると、おろ、やっぱりPCがストップ。
 再起動してもラップトップ自体が立ち上がらない。
 しゃあないなあ・・・。
 もしかしてウイルス?
 ウイルスソフトを貸してもらってチェックする。
 と、うわ、例の「トロイの木馬」が発見。
 やられたなあ、知らんまに。
 が、最新バージョンのウイルスやったから、ウイルスソフト
 でも除去でけへん。
 しゃあないなあ・・・。
 とりあえず、WIN2KをSP4にバージョンアップする。
 約1時間かけて40MBのデータをダウンロードする。
 あ~あ、今日はコマラパに行けんなあ。

 京田さんに、そろそろ厄年とちゃうか、と指摘される。
 そうか、41歳やから、本厄らしい。
 そうか、そんな歳になったんかいな。
 そのままアタバルのオフィスでぐっちゃら。
 ビデオチャットで日本のマコトさんと久しぶりに会話。

 18時前、オフィスを出る。
 グアテマラに電話。
 ロサリーナ氏とのインタビューは木曜日の午前中に決定。

 『転がる香港に・・・』を読み続ける。
 面白いんやが、何かもう一つ、すっきりせん。
 なして、やろ。
 文章のリズムはあるのやが、細部までこだわりすぎ、
 読み手の想像力を奪ってしまう過保護的なところかな。
 23時半、一息。

 

< 空振り >

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 7時過ぎ起床。
 なんか頭がぼ~っとして眠たすぎる。
 ほんの読み過ぎかな。
 朝食後、ベッドにうっぷせになる。
 10時過ぎ、そろそろいこか。
 コネクションで日本に電話する。
 11時半、アンティグアを出る。

 コマラパの発掘現場ちかくでバスを降りる。
 と、お、おっちゃんが畑を耕している。
 鍬を持っている。
 ほんの100M離れたところでは、同じように鍬をもって
 遺骨を発掘しているのに。このアンバランスさは、青い空
 が見える所ではちょいと怖いぞ。

 現場に入る。
 14時10分前やというのに、まだみんな昼食を食べている。
 わざわざ昼食時間をはずしていったのに。
 今日は作業人も少ないらしい。
 牛肉とトマトのスープとトルティーヤをごちそうになる。

 14時半を過ぎても作業の始まる様子は見られない。
 いつもいる5人のメンバーはずっとサッカーに興じている 。
 ま、昼食後の運動はいつものことなのやし。
 15時を過ぎても、作業に取りかからない。
 今日はもう掘らないの?
 そやで。
 ・・・・。
 今日は昼ご飯を食べに来ただけか。
 空振りか~。
 ま、畑を耕すおっちゃんをのイメージ(たった一つの
 イメージ)を撮れたから、ま、いいとするか。
 バス通りバスを待っていると、発掘をしている人類学者
 グループの4輪駆動車が通りかかった。
 チマルテまで乗せてもらう。

 アンティグアには5時過ぎに戻る。
 ペンション田代に立ち寄る。
 いつ行っても日本人でいっぱい。
 しばしぐっちゃら。
 星野博美『転がる香港に苔は生えない』を借りて帰る。
 帰り道、財布を物色。
 気に入った財布はQ170か。
 今後どれだけ下がるかな。
 チキンを喰らって帰る。

 高杉良『金融腐食列島』を読み始める


 DSC_0035.jpg
 白玉蜀黍を植える。

 2時過ぎ頃かな、電気をつけたまま、知らんまに寝て
 いた、はず。
 7時過ぎ、目が覚めるが、今日は日曜日。
 朝食のない日、ゆっくり寝かせてちょ。
 時計の針が9時を指すまでゆっくりと寝る。
 惰眠をむさぼるとは、ええ気分やな。

 さて・・・、どうすべ。
 あわてても仕方ないし。
 ネットで収集した、『間違いだらけの少年H』に関する
 モノを簡単にツン読する。
 やっぱり文字になるというのは大変なことやな。
 きちんと主張・批判するなら、間違いはできるだけ少ない
 方が良い。
 それに読み手に対する書き手の誠実さが大切やな。

 『少年H』そのものは、たしかに神戸生まれの自分に
 とっては、知っている地名もたくさん出てくるし、面白く
 読んだ。
 だが、それがフィクションかノンフィクションか、それを
 考えるとちょいとなあ。
 加藤雅代氏が「『少年H』論」を書いている。
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 ・・・・・。
 『少年H』には多くの史実誤認が存在すると言う点で、
 「ノンフィクション」のテクストであるとは言いがたい。
 それにも関わらず作者が「ノンフィクション」であることを
 主張すればするほど、あるいは、隠微に書き換えを行えば
 行うほど、山中氏の作業によってその「ウソ」が暴露されて
 くるという、何とも皮肉な結果につながってしまっているの
 である。
 とはいえ、ここで問題なのは、「ノンフィクション」が
 「フィクション」より価値があるということではない。
 「フィクション」でなければ書けないこと、「フィクション」
 でなければ、「思考」できないことがある。
 「小説」が、今日まで書き続けられているのは、その
 「フィクション」の機構が人間に新しいヴィジョンを提示
 しうるからにほかならない。
 問題なのは、どうやら妹尾河童自身のなかに「フィクション」
 より「ノンフィクション」の方が価値があるとする素朴な幻想
 があり、「フィクション」の機構を侮っていることである。
 その侮りは、自ら書いたテクストによって復讐されること
 になるだろう。
 言い換えれば、「フィクション」は、作者の「政治的無意識」
 を、「抑圧」されているため本人自身、もはや自覚できなく
 なっているもの、作者の「封じ込めの戦略」(ジェイムソン)を
 語り始めるのである。
 「意味」の〈四角形〉から排除され、抑圧されたもの、
 それが『少年H』の本当の「盲点」であり、このテクストを
 ベストセラーにした「日本人」の「政治的無意識」なので
 ある。
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 考えさせられるなあ。(ただ、最後の、「作者の『封じ込め
 の戦略』(ジェイムソン)を・・・」の部分はよう分からん)

 そう、写真は特にそうやろうなあ。ドキュメンタリー写真や
 報道写真は「真実」や「事実」を伝えているという幻想を
 一部の写真の撮り手は思いがち。
 そうではないんやな。
 時に、ドキュメンタリーや報道をメインに仕事をしている人は、
 自分のやっている「正義」だけをプンプン漂わす。
 このご時世分からんでもないが、なあ。
 でも、世の中いろんな立場や価値観があるのだと自戒を
 込めて。

 写真家は、写真を撮ることをせずに、写真論ばかりに
 はまってはおかしいのではないだろうか?
 何を、どこで、どの時代に、どういう立場で、何を
 期待して、どういう視点で写し撮り、記録し、伝えるか・・・
 ああぁ、論にはまりそう。
 フィクションにしろ、ノンフィクションにしろ、嘘はダメだ
 なあ。
 言ったん書いたことを、撮したモノを、何の断りもなく
 改ざんするのはよくないと思う。
 取材するにしろ、発表するにしろ、誠意やな。誠実な
 態度やな。

 でも、もっとも、仕事で誠実な態度を取る人は必ずしも
 生活で誠実な人とは限らない(う、再度、自戒を込めて
 ・・・)

 で、妹尾河童『少年H』(講談社文庫、1999年)
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 その頃、卵が手に入りにくくなりかけていたので、Hは
 母親に声を揃えて、
 「わあキレイやなあ」と歓声を上げた。
 ご飯のお米もよかったし、卵も鶏肉も新鮮だったから
 美味しかった。
 (p.113)
 >>ここを読んで、「俺たちだって、肉を食べたい」と
 言ったカレンのヤツの顔を思い浮かべてしまった。

 お上は、芝居や映画、本には、"規制""禁止"などという
 検閲を強めていたが、こと相撲に対しては積極的に応援
 していた。"国技"といわれた相撲の存在は、国民の欲求
 不満を解決させるのに効果があったし、戦意高揚に結び
 ついたのであろう。
 (p.240)

 「そうやないんや、(踏み絵を)踏んでもええのや。信仰
 は自分の心の中にあるんやから、それを護るんは正面から
 抵抗するだけやない
というのを知っておいて欲しいんや」
 (p.310)

 Hは、このときハッキリ感じたことがあった。人に物を
 もらうことが、どういう状態だと素直にもらえて嬉しいか、
 ということだった。
 簡単にいえば、もらいに行くのは絶対に厭だが、もって
 きてくれた物は感謝して貰える、ということだった。
 実は単純なこの差が、自分にとっては大事なものだった
 のだったと知った。
 (p.178)
 Hは、少し放心した状態になってトボトボと焼け跡の中の
 道を歩いて・・・。
 途中で道上に長々と煙突の影が横たわっていた。・・・・・。
 この町のことはよく知っていた。
 だから見慣れないヘンな煙突の影に驚いたのだ。
 周囲の家が焼けてなくなったから、・・・。
 Hは、やっと生き残ったような感じで立っている煙突の影を、
 踏んではいけないような気がして、ピョコンと飛び越えた。 (p.188)
 
 >>ここが『少年H』での最高の場面だろうなあ。
 この描写は、いい。

 「この戦争は、何を守るための戦争だったのか?」と
 考えてみると、ハッキリしているのは、戦争が始まった
 ときから終わるまで、守ろうとしていたのは、"国体"と
 いうものだったようだ。
 (p.311)

 Hは、その雲を見ながら、戦争が始まる前も戦争中も、
 まったく変わらなかったのは、さっきまで見ていた海と
 この空だけだったなあ、と思った。
 (p.313)

 「お前なあ、筋を通したいのはわかるけど、戦争中は誰で
 も軍国主義やったんやで。
 セノオの場合は変わっとったから、疑問を持ってたのを
 オレは知ってたけど、そんな奴は普通やなかったんや。
 進駐軍がやってきて"軍国主義はあかん。これからは民主
 主義や!"といわれたから、今みんな慌てとる最中やないか。
 そんな自分が恥ずかしいから、かえって素直に謝れんのと
 違うか。
 先公かて、虚勢張ってやっと自分の体面を保っとるんや。
 それをわかったれよ」
 ・・・・・。
 「でも、考えは変えられない」と思った。
 2、3ヶ月で仕込んだ民主主義を、もっともらしい顔で
 説かれるのは、やっぱり嫌だった。
 (p.382)

 「この荒れ果てた地を見よ。・・・・・。天皇を首魁と
 する軍閥、財閥がやったんじゃありませんか!」
 Hも、「やっぱり、そうだよなあ」と思った。そう思い
 ながら、ちょっと怖くなってきた。目の前の群衆の熱狂
 ぶりが、紀元2600年の時に「神国日本万歳!」と
 叫んでいたときと同じように見えたからだ。
 Hは、「みんなが同じことをいうのは怖いなあ」と思った。
  (pp..407-408)
 ----------------------------------------
 11時前、もしかしたらと思いつつ、国際電話をしに
 アタバルへ。
 N氏より連絡有り。
 クレジットカードの利用停止、Oリックスはできたが、
 ○ャックスはできない、と。
 なして?
 やっぱり国際電話をせなあかんのかなあ。

 コネクションのオフィスへ。
 で、24時間受付のはずの番号へ電話をすると、「現在、
 この番号は使われておりません・・・」と。
 で、通常の盗難連絡番号へ電話をすると、やっぱり営業
 時間外の機械音声。
 ったく。
 不便なばかりの○ャックスなり。

 日曜日のアンティグアは人でいっぱい。
 鶏を食べようとおもったら、座るところがない。
 仕方なく、牛やな。
 昼食を食べながら、『リング』を読了。
 最後の部分、殺されて埋められた犠牲者を掘り出す場面、
 ちょいと迫力に欠けていたかな。
 ここグアテマラで、死者を弔うために遺骨を掘るという
 作業を毎日目にしているだけに、あともう一歩、なにか
 欲しかった。

 ペンションTへ行くが、不在なり。
 公園で土産物売りの最中のサラに、「帰られんかったわ~」
 と告げる。
 テレホンカードQ30分買う。

 家に戻り、システム手帳から電話番号を抜き出す。
 ったくなあ。

 18時半過ぎ、再度、コネクションへ。
 日本時間で9時半過ぎ、神戸の営業所へ直接電話。
 対応に出た若い兄ちゃんはあたふた。
 ったく。
 なんとかこちらのクレジットカードも停止完了。
 日本に戻ってからの再発行が大変かな?

 

 2時過ぎ、『少年H』読了。
 さ、寝よう。

 7時過ぎ、なんとか起床。
 家賃(週払い・朝食付き)を払う。先週の残りと今週分、
 しめてQ500なり。

 メルカードで靴を物色。
 なかなか気に入った形がない。あった、と思ったら合う
 サイズがない。
 ま、これで妥協か。
 Q220をQ150に負けてもらう。
 しばし、市場の中をぶ~らぶら。
 チマルテ行きのバスに乗ったのは12時近くなった。

 チマルテでコマラパ行きのバスを待つ。
 やっぱり込んでるなあ。
 なんとか半座りができる状態になる。
 と、料金を集めに人をかき分けてきた兄ちゃん、Q6の
 お釣りを自分だけには渡さない。
 ったく。
 料金を集め終え、バスの一番前に戻った兄ちゃんに目で
 合図を送る。
 が、目線をそらす兄ちゃん。
 が、最終的に、後で(釣りを渡す)、というジェスチャーを
 返してきた。

 14時過ぎ、コマラパのいつものところで降りる。
 降りる間際にお釣りを受け取る。

 バスを降りて、ふと、気づくと、カメラマンジャケットの
 右下のポケット、ジッパーが開いている。
 一瞬、嫌な感じ。
 あ、財布がない。
 やられた。スリや。
 気づいた時は、もう遅い。
 最後に財布を使ってポケットを閉めたのは・・・バスの
 料金などの小銭は左上の小ポケットに入れることにして
 いる・・・あの靴を買った時や。
 あれから市場をちょいとうろついて、バスに乗った。
 市場かな、バスかな・・・バスの中でやられたんやろうなあ。
 現金Q1100、$10、クレジットカード2枚、電話番号
 のノート、メディアなど。
 あ~あ、やられたか。
 しかも、現金をおろした翌日。間が悪い。
 海外に頻繁に出始めて15年目、スリに遭ったのは実際、
 初めてや。
 くっそう~、っていう感じ。
 ちょっと気が抜けてたんかな。ほんまに、やられた!
 っていう感じ。
 ま、身体に危害が加えられたわけでもないし、これから
 気を引き締めろ!っていうことかな。

 発掘現場に行くと、おろ、今日はたくさん来ているなあ。
 100人くらいかな。
 食事の時間が長いなあ。
 14時半ぐらいから午後の作業が始まる。
 1時間ぐらいすると、三々五々、グループごとに現場を
 後にする姿が目にきはじめる。
 ロサリーナの訴えかけ有り、その後、彼女の黙々と掘る
 姿が印象的だった。
 アンティグアに戻り、警察にスリの被害を報告。
 だが、ばたばたする対応。
 ったく。強盗の被害も多いはずやのに、もうちょっと
 すんなりと被害届を受け付けて欲しいわ。

 鈴木光司『リング』を読み始める。


 DSC_0046.jpg
 秘密墓地の発掘場所。

<準備中>

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 7時起床。
 今日は早めに動き出そう。
 グアテマラのフアンに連絡。
 帰国不可になったから会えますよ、って

 K氏から、軍資金快諾の返事有り。
 しっかし、こんな形になるとはなあ。
 もっと、違う形を想像していたのに、トホホ。
 ま、そんなもんか。

 今日は早めに発掘現場に行く。
 サラゴサを過ぎると雨が強くなってきた。
 この数日、「朝晴れ・夜雨」というパターンが崩れて、
 午前中や午後にも雨が降るようになってきたわい。

 11時過ぎ、現場到着。
 おろ、今日は誰も発掘している人の姿が見えない。
 掘った穴を計測している3人だけ。
 と、丘を囲む塀を作っている工事の人は何人かいるけど。

 「今日は墓堀りせんの?」
 「あっちのほうでやってるよ。いつもやっているからね」
 と、そっちにいくと、ふぇ、いつもの5人組のみ。
 あ、そうか、今日は「先生の日」で、いわゆる一種の休日か。
 それほど真剣な5人組じゃあないしなあ。作業より、手を
 休めている時間の方が多いぞ。
 今日は撮影にならんな、引き上げよう。

 コマラパの街の中心まで歩いていく。
 その途中、農作業をしている人たちの姿を撮影。
 通り過ぎる農夫たちはだれも明るく、「ブェノ」
 「アディオス」と声をかけてくれる。
 そらはどんよりとした曇り空。

 腰をかがめてイチゴを摘んでいる女たち。
 思わず『ストロベリー・ロード』を思い出す。
 フリホレスを摘んでいる男の子たち。
 見渡す限りの畑が続く斜面。生きるための食べ物を作って
 いる。
 市場で売るための商品を作っている。人間の営みがあるなあ。
 これが平和の一つの姿かな。
 約30分後、コマラパの街に到着。
 町の入り口に大きな墓地がある。
 墓地を囲む壁に色とりどりの壁画あり。
 町の中心は祭りの最中。
 屋台や移動遊園地がでている。
 教会は、いろんな形の「受難」を展示中。

 ここからバスに乗ると座れる。
 バスが動き出し、パンアメリカンハイウエーにでる頃には
 また強い雨。
 うとうとしてたら、バスがバウンドした際、前の座席の
 背もたれに思いっきり顔をガッツン。
 メガネが飛んだ。
 バスを乗り換え、またまたうとうとしてたら、バスが揺れた
 時、荷台から荷物が落っこちてきて、メガネが飛んだ。
 ったく。

 靴に穴が開いているのを発見。
 うへ。

 今日は早めにアンティグア戻り。
 バスターミナル近くで鶏を喰らう。

 銀行で300ドル分、Q2340を引き出す。
 夜、強い雨が降る。
 カッパを羽織り、下半身ずぶぬれになりながら、帰宅。


 comapala.jpg
 お豆 摘みですね。

 セットした目覚まし時計が鳴ったのはちょうど4時。
 荷物の点検をする。
 シャワーを浴びる。
 今日でグアテマラをさようなら、念入りにひげを剃る。
 5時半前、旅券、航空券、空港までのシャトルバスの券、
 クレジットカード、財布の中の現金を確認。

 朝日が昇り、東と西の空がオレンジ色に輝き始めた。
 40分過ぎ、シャトルバスがピックアップ。
 3名の先客は全員米国人、アンティグアでバケーションとか。
 6時過ぎ、グアテマラ市内に入る。
 車が混み出す。
 6時半過ぎ、飛行場到着。
 荷物のチェックインは X 線の装置がないので、すべて
 手作業でチェック。

 「都合で、早く帰らなければならなくなった。席ある?」
 「ちょ~っと、まって・・・」
 「へぇ」
 「あ、すいません、この航空券は、ここでは日付変更でき
 ません。
 市内にあるメインオフィスで手続きしてください」
 「えっ、ここではできないの?」
 「できません。私には権限がないの。オフィスに行って
 ください。
 はい、これが住所です。9時から開きますから」
 「じゃあ、今日は飛行機に乗れない・・・」
 「すいません。ここではどうにもなりません」
 「なんとか融通ききません?」
 「ネクストプリーズ・・・」
 (うるさい客は無視か、デルタよ)「・・・・・」

 空港のカフェで時間をつぶす。
 ATMマシンで100ドルおろそうとしたら、現金が
 出てこない。
 あれ~、もしかして請求されるのかな?
 今はそれを冷静に考える余裕無し。
 しゃあない、現地通貨Q500をおろす羽目になる。
 アンティグアのRに電話、また、そちらにお世話に
 なります、と。

 タクシー(Q50)でデルタエアのオフィスへ。
 が、9時になっても、オフィスは開かない。
 セキュリティーが、もうちょっと待て、と。
 オフィスの外で待ちぼうけ。
 9時過ぎてんだから、せめて、中で待たせてくれよな、
 デルタよ。

 9時10分過ぎ、ようやくスタッフが登場。
 もちろん、10分くらいの遅れなら、「すみません」の
 一言ないのはトーゼン。

 タイプライターのような端末をかちゃかちゃ。
 すいません、このチケットでは日付の変更できません。
 --ひぃえ~。普通は100ドルくらい払ったら変更
 できるでしょ?
 お役に立ちたいですけど、これはできないチケットです。
 それがコントラクトです!
 --なんとか、ならないの?
 じゃあ、片道のチケット・・・1500ドル・・・買って
 いただきましょうか。
 --往復15万円のチケットなのに・・・。
 しゃあないなあ、そんなお金を使うのなら、従来通り、
 7月末の帰国やな。
 10時半過ぎ、アンティグアまで、タクシー($15)で
 戻る。

 今朝、出たばかりのファミリアへ戻る。
 Rじいさん、びっくり。

 すぐさまアタバルへ戻る。
 空港まで行って、席が空いてるのに、乗れないなんて・・・。
 元旅行代理店勤務者(2名)もびっくり。
 そんなことがあるなんて。
 やっぱり、「9・11」の余波かな、と。
 昨日、イラクで1日で最高の死傷者を記録したとか、
 トルコでチキンブッシュの泊まる予定のホテルが爆破された
 とか。
 やっぱり航空業界は規制が強くなったのかな。

 とりあえず「至急連絡」をいくつか入れる。
 それも、初めての依頼を含めて・・・。
 ふぅ~、なんてこった。
 帰国してからの予定が大幅に狂ってしまった。

 アタバル文庫から清水一行『色即是空』『汚名』を
 かり出す。
 なんか気分転換せなあかん。
 ファミリアへ戻り、『色即是空』をツン読する。
 おろ、清水氏には珍しいのかな。
 お話にもならないエロ小説なり。ったく。

 一応、日本の旅行代理店にも、チケットの件で一報
 入れることにする。

 夜、『汚名』を読了。
 う~ん、ちょっと一時代前の小説かなあ。
 やっぱり、時代を超えるモノを残すのは難しいのやな。

 ひぇ。
 こちらの帰国不可能事情を察してか、思いがけない
 「軍資金」の振り込みあり。
 こちらが驚く早さ。
 びっくりしたなあ、もう。それにしても、その心遣い
 ありがたい。

 ハワイのK氏に連絡すると・・・と、これまた偶然、
 首都に出ているとか。

 城山三郎『人生の流儀』読了。ま、短いし。
 しっかし、人生訓をありがたがるようになったら
 おしまいやな。
 ----------------------------------------
 現場にはあらゆる人生の材料がころがっている。
 その中から、自分で問題をつかみ、その問題をひろげ、
 深めていくことである。--打たれ強く生きる--

 「ひとりでは何もできぬ。しかし、ひとりが動かなければ
 何もできぬ」
           --挑戦『生命なき街』収録--

 人間、汚い空気の中にも、しばらく居れば馴れてしまう。
           --社長室『総会屋錦城』収録--
 
 教訓。
 口いっぱいにモノを食ってはいけない。
 欲望をフルに満たそうと思ってはいけない、そのときには
 別の欲望に食われている。
               --わたしの情報日記--

 完全な絶望状態などというものはあり得ない。
 人間がそう思いこむから、そうなるまでである-。                     --華麗なる疾走--

 わたしたちプロのもの書きは「書けませんでした」と
 いって、投げ出すわけにはいかない。とにかく書き上げ
 なければならない。どれほど砂を噛む思いをしようと、
 書き続けねばならない。
 だが、考えてみれば、そのおかげで、わたしたちは、
 プロらしく鍛え上げられても行くわけである。書き上げ
 られたものだけが、ときに傑作となり得るのであって、
 未完の傑作などというものは、世の中に存在しないのだ。
                 --私の情報日記--

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 妹尾河童『少年H』を読み始める。

 朝食後、一息入れて新聞用の原稿を読みなおす。
 ちょっとしっくりこないなあ。
 危なげのない、すっ、と通る、平易な内容すぎるかな。
 なんかもう一ひねりしたいなあ。
 が、800字だし、書き直す時間もエネルギーもないか。
 とりあえず、締め切り前に送信。
 日本に戻ってから、最後の修正をしよう。

 アタバルに I 氏現れる。
 日本に持って帰ってもらう荷物(民芸品)をファミリアの
 方に預けておきましたから、と。
 へえ、へえ。 ま、セメント袋ぐらいの大きさとか。
 成田空港に着いたら、そのまま着払いで送ってください、と。
 ガッテンだ。

 I 氏とそのまま、コーヒーとケーキを食べに行く。
 12時過ぎまでぐっちゃら。
 今日はコマラパには行けないなあ~。
 朝からかなり気分は低調やったしなあ。
 気分はもう日本モード。

 田代氏宅へ。
 依頼されていたブツを持っていく。
 受け渡しが住むまで(なんか犯罪っぽいなあ)、
 『ゴルゴ13』と『美味しいんぼ』を読む。
 『美味しい・・・』は73巻目と83巻目。
 すごい息が長いシリーズなんやな。
 内容はなんか知識の押し売りって言う感じで、漫画として
 のおもしろさがなくなったなあ。

 15時過ぎ、サラの店へ。
 おみやげをQ240分買う。
 が、サラはいない。お母さん曰く、サラは公園で行商して
 るよ、と。
 と、入れ違いで、サラの息子が来た。
 公園へ。

 最近はポリスが、物売りを公園から追い出すんよね~。
 商売ができないよ~。
 え、おみやげはお店で買ったの?なんで私から買って
 くれないの?
 --えっ、お店で買おうが、サラから買おうが、同じ家族
 でやっているから同じでしょ。
 ちゃうのよね。あっちの店は旦那のお母さん家族がやってる から、私の方には入らないのよ・・・。
 なんで、私から買ってくれなかったの?
 --前会った時、「お店で買って」と言ったでしょうに。

 雨が降ってきた。
 急いで教会の庇?に隠れる。
 --もうすってんてんだよ。財布にQ40しかないよ。
 明日の朝5時半にアンティグアを去るからね。
 全部使っちまったよ。現金はないよ~。
 じゃあ、銀行に行ってお金をおろして、これ買ってよ。
 Q100にしとくから。
 --あ~あ、もう店で、こんだけのおみやげかった
 からねぇ。もう買えないよ~。
 じゃあ、最後に、このマヤのお守りQ30分だけでも。
 --ま、じゃあ、それは買うわ。ま、また来年か2年後に
 来るからね。

 アタバルに寄り、最後の挨拶。
 KT氏の奥さんから日本に着いたら投函する手紙やハガキ、
 原稿の運び屋を頼まれる。へぃ、これもガッテンです。

 手持ちの現金がないから、クレジットカードで、鳥を
 豪勢に5ドル分、喰らう。

 20時過ぎ、ファミリアに戻る。ロミロ氏と最後の挨拶。
 曰く、明日の朝、早い出発やね。見送ることできないけど、
 気をつけて帰ってね。
 鍵はテール部の上に置いてくれたらいいから。

 必死のパッチ(死語?)で荷物の整理。
 ボロボロの下着と靴下は捨てよう。
 ニカラグアで渡す予定だった写真は、ニカラグアには
 行かなかったので、余分な荷物になってしまった。
 これは、もったいないけど廃棄。

 22時過ぎ、4時に目覚ましをセットして、就寝。

 日付が変わっても、ひたすらキーボードを叩く。
 2時過ぎ、あかん、キレタ。
 ちょっと休もう。
 何回読み直しても、話の中心が飛びすぎる。
 が、緊急やから仕方ないか。
 そう思いつつ、もう1回、もう1回と見直してしまう。
 3時過ぎ、あ~、修正はもうこれで終わり。
 際限がない。

 7時半、なんとか起きる。
 朝食中、頭がぼ~っとする。
 シャワーを浴びて、ちょっとだけ頭をすっきりさせる。
 原稿、最後の見直し。
 ま、これでええやろ。
 日本時間、23日になる直前に入稿。
 ま、これで一つ終わり。

 カレンダーを見たら、あ、あ、忘れてた。
 新聞の原稿もあったんや。
 こっちが、ホンチャンやのに。
 目が点、<・><・>になる。
 いきなり2日連続の原稿書きは無理や。

 14時前、コマラパへ。
 お、今日はようさん来ているやんけ。
 ソロラから大型トラック・幌つきで30人近い人出や。
 女の人も多いぞ。
 で、作業はというと・・・あ、午前中に掘ったのか。
 午後の作業は埋め戻しだけか~、あ~あ。
 それでも絵になるかもしれない。
 できるだけシャッターを切る。
 雨も降ってきた。なんか力が入らんなあ。

 クールピックス5700、機動力はあるけど、起動時間が
 遅い。
 パワーズームの動作が遅い、遅すぎる!D70を使うと、
 このクールピックスの動きにイライラしっぱなし。
 何度となくシャッターチャンスを逃してしもた。

 15時半、おろ、もう片づけが始まった。
 なんちゅうこっちゃ。
 雨も強くなってきた。
 しゃあない、自分も撤収するか。

 しっかしなあ、こんな田舎の道路で、雨に打たれながら、
 ポツンとローカルバスを待っている自分でなんなんやろ。
 レイモンド・チャンドーラーにもならんわ。
 ちょいと訳がわからなくなってしまう。
 そこまでこだわる写真イメージなのかな。
 何一つ手応えのない写真イメージに、ただただただ、
 エネルギーのレベルダウンなり。
 バスに乗ったら、雨が豪雨となった。
 運良く、途中から一番前の席に座ることできた。
 雨にけぶる窓を通して、曲がりくねる道路を見つめながら 、
 頭の中も<・><・>なり。

 チマルテについたら雨がやんでいた。
 バスを乗り換え、アンティグアに戻ったらいつものより
 早い17時過ぎ。
 おみやげ屋をぶらぶら覗き歩く。
 明日か明後日には、おみやげ買おう、っと。
 チキンを喰らう。

 アタバル文庫から清水一行『買い占め』を借りる。
 原稿書かなあかんのに・・・逃避やな。
 日付が変わるまで、読み続ける


 DSCN2424.jpg
「手ぶれ」のイメージも、ウエブ上ならギリギリオーケーかな?


 7時過ぎ起床。
 ま、朝食のメインは、スープかコーンフレークが1日おきに
 出てくるパターンやな。
 ちょいと飽きたましたぜよ。

 あ、23日は新聞原稿の締め切りやった。
 ま、まだ日があるけど、思いつくまま、ツラツラと書いて
 おこう。

 そや、新聞の切り抜き手に入れなあかん。
 グアテマラシティーの石川氏に電話。
 切り抜きありますか~?あるなら、見せてください、と。
 14時過ぎ、そちらに伺いますよ。

 12時まで、原稿の下書き。
 で、グアテマラシティーへ。
 バスを降りて4番のバスへ乗り換え。
 2-29のコナビグアの近くまで行ってくれた。
 コマラパの発掘の新聞発表を見せてもらう。
 う~ん、なかなか整理されてないやんか。
 ま、それでも、ま、こんな感じか、と欲しいイメージは
 手に入れる。

 ここ数日、雲の動きが激しいなあ。
 雨が降ったり、ギンギラに太陽が照ったり。

 今日は早めにグアテマラシティーを引き上げる。
 メールをチェックするとR氏から、「そちら時間で23日
 が締め切りです。
 なんとか24時間以内に、原稿頼みます」、のメッセージ。
 うへぇ、うへ。
 平和について書くなんて、難しすぎる。
 概論みたいなこと書いても仕方ないし。

 エッセイやコラムって、本当に難しいんやからなあ。
 アタバル文庫から清水一行氏、宮崎学氏、池田晶子氏、
 沢木耕太郎氏などの本を借り出し、書き出しのヒントを
 探す。
 それにしても、どうすべ。
 頭がイタイ。
 と、 池田晶子氏の『考える日々』は、ちょっと期待はずれ。
 内容もリズムも、他の人に比べるとなあ・・。
 しっかしなあ、おどろいたなあ。
 -- 人は考えないで、悩んでいるのが実際のところ--
 なんとまあ、全く自分と同じ事を考えていたとはなあ。

 悩んでいても仕方ない。書くしかないのやから。
 キーボードを叩き続ける。

 ****************************************
 <恐怖からの自由>

 東南アジア最後の軍事政権国家ビルマで昨年九月、身体が
 震えた。恐ろしさと感動で心臓が縮み上がった。ビルマは
 現在も、軍の絶対的な暴力を背景に人びとを抑え続けて
 いる強権国家である。

 政治の話を表だって口に出すのはタブーである。憩いの
 ために集う喫茶店では、軍のスパイが絶えず目を光らせて
 いる。相互監視とタレコミとチクリの世界がそこにはある。
 政治に関わり、政府に目をつけられると、それで人生の
 終わりをも意味する。
 誰もが息をひそめて生きている。ここでは、政治に関わる
 ことは危険なのだ。

 隣国タイで発行されている、反ビルマ軍政の雑誌を所持して
 いた若者が逮捕され、15年の刑期を宣告された。88年の
 民主化闘争で拘束された当時の学生リーダーは今、15年の 
 刑期が終わっても出所の見通しが立たないまま。

 自分の信じる思想を捨てないために、20代から40代まで
 の貴重な時期を、堀の中で生活し続けている。ビルマでは、
 62年からそんな閉塞社会がずっと続いている。

 しかし、そんな状況下でも、希望を捨てない人びとがいる。
 私は現地に滞在中、偶然、そんな人に出くわすことが
 あった。意思を持って、立ち上がった人びとを目撃した。

 だが、勇ましく、拳を振り上げて立ち上がったのではない。
 小雨降る中、無言のまま、路上にたたずんだにすぎない。
 自分たちのリーダーであるアウンサンスーチー氏の身体を
 心配して、小さなプラカードと彼女の写真を胸に、静かに
 抵抗の意思を示していただけ。

 逮捕・投獄。自由を奪われるのは、恐ろしいこと。だが、
 それにも関わらず、立ち上がる。まさに、それこそが
 スーチー氏のいう『恐怖からの自由』なのだろう。

 彼らを前にして、私は写真を撮るのを、一瞬ためらった。
 周りは、私服の軍政府の関係者で囲まれているはず。
 もしかしたら、写真撮影をする自分自身が拘束されるかも
 しれない。

 外国の記者はむろん、地元の報道関係者も全く姿が見えない。
 何が起こっても、後で誰も検証することは不可能。

 どうなるかわからない。そう考えると怖かった。しかし、
 彼らの無表情の面もちこそが私を強烈に引きつけた。一歩
 前へ踏み出し、彼らのその姿を写真に収めた(後日、
 『バンコクポスト』で発表)

 シャッターを切る指は震えはしなかったけれど、心臓が縮み
 あがった。口の中の唾液は、苦い鉄の味がした。自分で作り
 上げた恐怖の枠を意識した。今振り返っても、あれは自分の
 力で恐怖を克服したわけではなかった。

 雨の中に立つ彼らの力を借りた行動であった。何が彼らを
 突き動かしたのか、それを想像するだけでも胸が熱く、
 痛くなる。

 この15年間、日本の外側で、自分の目の前にいろいろな
 出来事が展開してきた--シンナーを手から離さず、目を
 トロンとさせている路上生活の子どもたち。日本政府に
 戦後補償を求め続ける韓国の元従軍慰安婦。国境を越えて
 売られていく少女たち。

 豊かな生活を夢見て、国境を越える人びと。地雷で両手両目
 を失った農夫。国軍兵士の暴力から逃れた難民。銃を担ぐ
 少年。ゴミ捨て場で生きる人びと。無計画に山から切り
 出されるチーク材。内戦を終結させ、歓喜する人びと--
 これらは書物の中の物語やテレビ番組の作り事ではなく、
 事実であった。

 取材の中でいつも感じていたのは、なぜ自分ではなく、彼ら
 なのか、ということであった。日本に生まれるかどうかで、
 その後の運命が決定づけられてしまう。

 あるいはこの21世紀の初頭に生を受けるかどうかでも、
 違う人生をおくることになる。現実問題として、人間は
 生まれた時から不公平・不条理な世界を目の前にしなければ
 ならない。
 それは現実であった。

 問題は、その後である。世の中の不条理を知ってしまった
 後の生き方である。フィリピンのスラムで活動する日本人の
 伊藤さんは、「知ってしまった責任」 を強調していた。

 ある人は当然のように、今の時代を「時代の転換期」
 「激動の時代」だという。しかし、いつの時代であっても、
 その時代は大きく動いているはず。

 「激動の時代」を強調するのは、自分の生きている時代を、
 あるいはそれを分析する自分を大きく見せたい、その裏返し
 なのか。それより、人は、自分の生まれた場所と時代から
 逃れることはできない。

 ひとつの時代から発生する思想や主義主張も、おのずと
 時代の制限を受ける。
 その冷たく、簡単な事実を、なによりもまず押さえて
 おかねばならない。

 日本では60年代~70年代に「安保反対」「学生運動の
 盛り上がりと挫折」 があった。今だから、後追い的に
 批判的にその頃を分析できるのであって、当時の参加者は、
 本当に革命が起きると思っていたようだ。

 記録によると、そのころは、主義・主張の暴力的な激しい
 ぶつかり合いが、平穏な生活を凌駕していた(そうだ)。

 しかし、いったい、あの頃の、理想を求めていた人びとは
 どこに消えてしまったのだ。夢を謳っていた彼らは、その
 後に、より長く続く人生を生きるために、妥協し・流され・
 傷つき、消え去ってしまったのだろうか。

 その結果として政治は、権力者に利用されて、人の夢見る
 理想は骨抜きにされてしまった。社会の根本は、何も変わら
 なかった。その反動が、「理想を追っても何も変わらない
 のだ」という現実を、その後(今)にもたらしたようだ。

 しかし、しかしである。いつの時代にも、その生まれた時代
 に翻弄されながらも、いや、時に抗いながらも、自分の
 正しい主張を信じて行動する人がいる。それは、世界どこ
 にでも現れる。

 彼らの要求は、彼らが人間として生き延びるための正義
 でもある。私は、そんな彼らの正義に心を寄せたいとも思う。

 個人のエゴともいえる正義と正義のぶつかり合いが実は、
 紛争を生みだしている。人はそういうかもしれない。だが
 私は、不条理に抑えつけられていた人が絞り出す正義を
 支持したい。

 無理矢理にでも、ある歴史の一部分を自分に引き寄せて
 考えてみたい。不可能かもしれないが、できる当事者に
 心を寄せたい。

 今の時代、誰もが、自分の人生の中では、自分が主人公に
 なりたがる。だが、物語(社会)は一人の主役だけで成り
 立っているのではない。

 物語の中では絶えず、主人公どうしが衝突し合い、紛争が
 起こる。誰もが、自分らしさを追求するあまり、脇役に
 なるのを拒否するからだ。

 人は、自分(たち)の生活を守るため、自分(たち)の
 主義主張を貫くためぶつかり合う。ところが、物語(社会)
 を支配するのは実際、個人ではなく、権力を持つ者である。
 権力者は監督となって、実のところ、自分たちの都合の
 いいような作品を仕上げる。個人どうしがいがみ合って
 いるうちに、物語は監督のいいように作り上げられて
 しまう。

 自分の人生を守ろうとするあまり、他人の人生を傷つける。 
 その実は、誰かに支配されてしまっている。

 灰谷健次郎『優しい時間』のなかに次のような一節がある。 
 ----------------------------------------
 あなたの知らないところに
 いろいろな人生がある
 あなたの人生が
 かけがえのないように
 あなたの知らない人生も
 また、かけがえのない
 人を愛するということは
 知らない人生を
 知るということだ

 他人の人生を知るということと、他人の考えを知るという
 ことは、人が人になるために、絶対的に必要なこととして
 あるのだろう。
 ・・・・・。
 いくら自分を知ろうと務めても、他者の生を知ることなく
 して、自己の存 在を確かめる 術はないのである。
 ----------------------------------------
 今は誰もが自分の生活を大切にする時代のように思える。
 だが、他人の人生を、自分のそれと同じように大切にして
 いるのか。疑問である。

 大切にしようとする自分とは、個人の身の回り5mほどの
 小さな同心円を中心にした近親者や知人・友人である。
 その円を超える世界を考えようとするのはまれなこと。

 また、その円内に自分の理解できないモノが入ってこよう
 とすれば、過剰な反応をして拒絶する。

 異質なモノ、言い換えれば、自分に受け入れられないモノ
 を排除する論理をいかようにも組み立てる。

 小さな同心円的な幸せを大切にする今の日本社会、日本
 以外の動きに関心なしでも生きていける。それ故、その
 平々凡々とした生活に波風を立てようとする者は、激しく
 糾弾される。

 たまたまこの中米取材に、中島みゆきのCD「地上の星」
 を持ってきていた。
 それを聴きながら、太田昌国が「この国は危ない」
 (「支援連ニュース」、1998年10月号)で書いて
 いたことを思い出した。
 ----------------------------------------
 「わたしの子供になりなさい」(ポニーキャニオンPCCA-01191)
 という名のアルバムの最後にその曲は収められていて、
 題して「4.2.3.」という。
 ・・・・・。

 曲名の「4.2.3.」は、フジモリ大統領が人質救出の
 ために武力を行使した日付を日本時間で表現したものである。
 ・・・・・。
 ・・・・・。

 あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない
 あの国の戦いの正しさを ここにいる私は測り知れない
 しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心のある人たちが何故
 救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないの
 だろう
 この国は危ない
 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう
       平和を望むと言いながらも
 日本と名の付いていないものにならば
       いくらだって冷たくなれるのだろう
 慌てた時に 人は正体を顕わすね
 あの国の中で事件は終わり
 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた
 4.2.3....... 4.2.3.......
 日本人の人質は全員が無事
 4.2.3....... 4.2.3.......
                 「作詞:中島みゆき」

 ・・・・・。
 問題はこうなのだろう。
 この国で保障されている「言論の自由」の枠内で、メディア
 は多様な見方を提出しているように見える/あるいはそう
 信じられている。

 この事件の場合で言えば、「どんな理由があれテロは
 いけない」「人質の安全が心配だ」に始まり、「テロリスト
 に妥協するな、譲歩するな」「フジモリも監獄の処遇状況
 くらいは改善しなければ」「貧困問題が根にある」「日本も 
 政府開発援助のあり方を見直さなくては」......という具合に、
 実に多様な意見が飛びかうように見える。

 だが、事件の発端をなした天皇誕生日パーティの問題性を
 指摘する議論は、マスメディアには登場しない。少数者の
 テロと国家のテロをまず同列において、どんな政治・社会
 のあり方が双方のテロ(暴力)を廃絶できるのかを根源から
 考えようとする意見も登場しない。
 ・・・・・。
 「あの国の人たちの正しさを/あの国の戦いの正しさを
 ここにいる私は測り知れない」という一節は、中島が
 自分の位置を自制をもって定めようとしている姿勢を
 示しており、それをまったく欠いていた多くのマスメディア
 の対極にある。その姿勢が定まることによって、彼女は
 「日本と名の付いていないものには、いくらでも冷たく
 なれる」「この国の危うさ」を歌い、ペルーの出来事を
 介して足元の問題に戻ることになる。

 ----------------------------------------
 数年前のペルーと今のイラク。時期と場所は違えど、
 日本国内の反応はあまり変わっていないようだ。
 日本という一国だけの平和ボケは相変わらず。

 今の日本の安寧はある意味、世界の不条理で成り立って
 いるとは気づかされていない。誰もがこの満たされた
 生活を失いたくないようだ。
 世界の不条理に目を閉ざしつつ、同心円の生活を守ろう
 としている。

 私は自分の仕事の関係上、おい、今の日本、おかしいのと
 違うか。そう言葉を投げかけざるを得ない。そんな言葉は、
 「和」を乱すモノとして、嫌われるのかもしれない。時に、
 反発を招くこともある。

 今、中米グアテマラを取材中にこれを書いている。米国に
 追従する日本の姿は、ここ中米からどのように映るの
 だろうか。

 世界的に脅威を煽り、敵を人工的に作り出す米国。
 一方日本は同じように、隣国に敵を作り出し、国内の不安を
 異常なほどたきつける。

 意図的に敵を作り出す。人の心に恐怖と不安を植え付ける。
 その敵を、犯罪的な暴力で排除したら安心が得られるの
 だという策略。
 恐怖に支配された人は冷静な判断ができなくなる。

 さらに、今、何を考えなければならないか、判断材料と
 なる情報は、権力者によって、あるいはその走狗となった
 メディアによって支配されているのが現実。
 もう、ああ!としかいいようがない。

 私はこの1週間毎日、80年代に起こった虐殺の秘密墓地
 の発掘現場に足を運んでいる。
 米国が後押しした政策の結果だ。

 米国の暴力の犠牲者となったグアテマラの先住民族の
 人びと。その後始末は、今も続けられている。東西冷戦を
 理由にした、権力と富の占有。それに逆らう者は、永遠に
 黙らされた。

 『グアテマラ 虐殺の記憶 歴史的記憶の回復プロジェクト』 
 (訳・飯島みどり・狐崎知己・新川志保子)はこういう。
 ----------------------------------------
 こういうことを二度と繰り返させないために何をしなければ
 いけないのでしょうか。民衆組織を作り、人として自分たち
 がどんな権利を持っているのか、そして何をすべきかを
 知ることです。そして恐れを捨てることです。恐れこそが
 わたしたちの力を削ぐものですから。
 怖かったから、黙り込んでしまったのです。でも今は、
 話すことができるようになりつつあります。この恐怖を
 克服することが大事だし、そうすることでのみ、お互いを
 尊重し合うことができるのですから。
 -----------------------------------------
 世間から指弾される恐怖。
 バッシングされる恐怖。
 食えなくなるのではないかという恐怖。
 自由に生きようとすればするほど、恐怖がまとわりつく。
 自由な発言をするのに恐怖や不安を感じるのはおかしい。

 日本で生活する者は、ビルマやグアテマラで起こった
 大きな犠牲から学ぶことができるはず。
 それは、なによりもまず、自分で自分を縛る恐怖を
 解きほぐす必要があるのでは、と。
 ****************************************

 ま、今回は、ここまで書くのが精一杯やな。
 しっかし、もっと自分の頭を整理する必要があるなあ。
 が、しかし、考えすぎると、撮れなくなるぞ・・・
 これも要注意なり。


 『突破者(下)』を読了。
 宮崎学/鈴木邦男『突破者の本音』を読み始める。

 一週間ぶりの日曜日(当たり前か!)
 久しぶりに朝寝をする。
 8時半までぐっすり就寝。
 9時過ぎ、朝ご飯を食べに街に出るが、街は至って静寂。
 開いている店がない。
 ドミノピザも閉まっている。
 しゃあない・・・な。
 いつもの雑貨屋で買い、帰宅。
 昨日の食パンのみを食べる。

 10時過ぎ、家を出る。
 日曜日やからなあ~。
 やっぱし家族連れで満員のバス。
 立ったままでバスの揺れに身体をあずけてたら、背中の
 筋違えたわ。
 イタイイタイ。

 チマルテナンゴでバスを乗り換え。
 うへ、こちらも満員。しばらくは立ったまま。
 途中、やっと座れる。

 現場に着いたのは12時半。
 やっぱり2時間近くはかかるなあ。
 今日は首都から?墓堀りの見学にきている人(8名)あり。
 毎日変わらぬ作業風景を撮影。
 結構、深い穴掘っている。ゆうに2.5mはあるで。
 撮影しようとカメラを起動させたら、おろ、
 昨日、データのバックアップとるの忘れてた。
 それにバッテリーも充電してないし。
 気が抜けたんかいな。

 雲の流れが速い。
 青空がのぞいたと思ったら分厚く灰色の曇り空。
 風景だけ見たら、それこそ心が軽くなる。
 こんなところで虐殺があったんやなぁ。

 今日は昼飯も昼飯をごちそうになる。
 肉とトマトスープとトルティーヤ。
 美味しい。
 コーヒーは・・・まずい。
 おろ、今日はサッカーはないのか、13時半過ぎには
 墓堀りが始まる。
 やけに愛想のいいおっちゃんが話しかけてくる。
 ソロラ出身とか。
 15時過ぎ、手伝いのおっちゃんたち帰る。
 今日は日曜日だから、早めなのかな?
 15時半、私も早めに引き上げる。

 街道で帰りのバスを待つ。
 おろ、今日はタイミングがいい。
 道ばたに腰を下ろして数分、すぐにバスが来た。
 が、満員。
 身体をひねっての立ちとなる。
 背中の筋がまたまた痛くなる。

 17時過ぎ、アンティグアの自宅に戻る。
 シャワーを浴びてすっきりする。
 すぐさま2日分のデータのバックアップ。

 18時、アタバルへ。
 みんな集ってますね。
 メールのチェック・・・うわ、来た。
 ついでにラップトップがダウン、あ~あ。

 ジュンさんに韓国風のうどんをごちそうになる。
 M氏、帰国便が見つからない、とか。
 20時過ぎ、おいとま。
 朝の復讐や、ドミノピザに入って散在。
 ふうぇ。

『突破者の本音』を読了。


 DSC_0030.jpg 
見よう見まねで私も鍬を持つ。
お父さんやお母さんが何を探しているのか、
もちろん知っているはず。

 

 7時20分起床。
 うへぇ~、眠たいよ。
 撮影自体はそれほど疲れないのだが(勝手が違うから
 疲れているのかな?)、往復のバスが結構身体に応えて
 いるようだ。

 借金依頼のメールを削除し、当たり障りのない内容に
 書き換える。
 やっぱり、自分のなかで完結させなあかんわな。
 甘えは無しにする。
 自分のやっていることは、それだけ価値があるのかどうか、
 というか、自分の正義の妥当性を見直すのが必要だから。
 自分の正義・思想・行動・価値判断を常に疑い、宙ぶらりん
 で決定させる。
 追い込んで、追い込んで、本音を吐かせるのであ~る。
 自分のやっていることに価値を見いだしたとしても、他の人
 を巻き込んではならない
 巻き込んでもいいと思える人かどうか。
 たとえそうであって、そうしてはいけない。
 こんな考えだからいつまでもいきがって、マバリックを
 名乗るのかな?
 ウン。

 昼食時間をはずそう。
 で、出発時間が遅れた。
 11時過ぎ、ファミリを出る。
 14時前、発掘現場に到着。
 おろ、今から昼食ですか・・・。
 タイミングが合わんなあ~。

 今日は人夫がすくないなあ。
 それも、14時をすぎても仕事に取りかかるような雰囲気で
 はない。
 土曜日だからかな?

 近所の人が丘の上にピクニックに来た。
 それも土曜日だから?

 やっと仕事が始まっても、どうやらおしゃべりが多いなあ。 
 穴堀りもそれほど進んでいない。

 16時過ぎ、作業終了。
 車でコマラパのバス乗り場まで乗せてもらう。
 なんか今日は撮影した気分がしない。
 16時半のバスでコマラパ発。
 アンティグアに戻ったのは18時過ぎ。
 疲れたなあ。
 依頼の原稿人文字も書いてない。
 うへぇ。

 近所の駄菓子屋にジュースを買いに行ったら、1本Q5
 という。
 え?「Q4、マホップ~?」とスペイン語とビルマ語が
 ごっちゃになってる。
 帰国間際になってこうだから、この2ヶ月なにやってたん
 だろ?

 『突破者(下)』を読み始める。

 夜更かしをしてしまう。
 2時過ぎまで『突破者』を読む。
 7時過ぎ、起きる。
 やはり青空の朝。
 朝食後、日本から持ってきたNの音楽を聴きながら、
 今日の予定を考える。
 9時半過ぎ、グアテマラシティーに電話。今日の予定を確認、
 と今後の予定を伝える。
 やっぱり、誰にも注目されていない活動だからこそ撮り
 ます、と。
 グアテマラの村の生活はいつでも撮れるが、この活動は
 今しか撮れないから、と。

 アタバルへ行って、メッセージ確認。

 11時40分過ぎ、あわててファミリアを出る。
 首都までのバスは混む。

 首都に着いたものの、さて、コナビグア(連れ合いを
 奪われた女性の会)は・・・どこだっけ?
 確か8番街やったなあ。
 うろ覚えのまま通りを歩く。
 やっぱりそうや・・・コナビグアに到着したのは14時前 。

 おろ、もう記者会見はじまってるやん。
 カメラ3台を首から提げて撮影。
 でもなあ、これは!と決まるイメージが撮れない。
 決まったパターンだからなあ、これはしゃあない。

 昼食をごちそうになる。
 ローストチキンの足は食べ応えがある。
 アボガドと米もなかなか。
 食べながら、 I さんとぐっちゃら。

 昼食後、記者会見と質疑応答の続きが始まる。
 う~ん、絵にならないなあ。
 記者会見って、どうやって決めたらいいんだろ。
 一つの話が終わると、小さなグループがごそごそ話し合い
 がある。
 なにせ7つのマヤの言語集団があるから、スペイン語で
 話されたことは、それぞれのグループ内で通訳されるのだ。
 うへぇ~、時間がかかるなあ。
 その様子を撮影しようとすると、おばあさんが一人、
 さっとカメラから顔を背けた。
 身体で示す嫌悪感。
 ゴミ捨て場で石をぶつけられるよりズンとくる。

 16時前、コナビグアを跡にする。
 85番のバスに飛び乗る。夕方のグアテマラ市街は渋滞や。
 排ガスが思いっきりビル谷間に充満するわ。
 ごほごほ。

 夕食もチキン。

 メールのチェックをすると、おろ、ビルマから同時に
 3通のたよりあり。
 なんか前回も同じやったぞ。

 『突破者』を読み続ける


 早めの帰国を延期することにした。
 やっぱり、これは見届けなければならないな。
 そう強く感じたからだ。
 で、無理をしなければならなくなった。
 軍資金依頼のメールを書く。
 この仕事を始めて13年。取材に関して初めて借金を
 することにした。
 まあ、返す当てもるし。一番大きいのは、これは個人の
 仕事だからと言う、自分のプライドをちょいとだけ
 ひん曲げることにした。
 ま、この人になら頼んでも、ということもあってだな。
 バシバシとキーボードを叩く。

 7時過ぎ起きる。
 今日もいい天気。
 下宿屋の小さな中庭から、小さくなった青い大空を見上げる。

 昨夜、寝る前に書いたメッセージを考え直す。
 やっぱり、やめとこ。
 時間をかけて書いたメッセージをお蔵入りさせる。
 やっぱり、まだまだこれは、最後まで自分のできる範囲内で
 行動せなあかん。

 腹の調子がだいぶ良くなってきた。
 精神的なもんなのかな。

 出発するのが遅くなった。
 9時半過ぎ、家を出る。と、目の前をトゥクトゥクが通り
 かかった。
 思わず乗ってしまう。市場の裏までQ10なり。
 チマルテナンゴまでQ3なり。
 お、今日はバスの接続がいいぞ。バスを降りると、コマラ
 パ行きのバスが待ってた。
 コマラパまで約40分(Q4)
 コマラパでもトゥクトゥクを捕まえる。
 が、行き先をどう伝えたらいいもんか・・・・。
 とりあえず、まっすぐ5分ぐらい走ってくれ、と。
 発掘現場まで、本当にすぐやった(Q5)
 歩けば約30分の距離。

 トゥクトゥクを下りて約5分ほど歩く。
 11時半過ぎ、現場到着。
 今日は父の日。
 神父さんを呼んで、特別のミサが行われていた。
 アメリカの団体からも2人派遣されてきていて、取材して
 いた。
 ミサは、参加人数は30人くらいと少ないが、荘厳な雰囲気。
 家族を失った想いを訥々と話す人もいる。
 悲しみが伝わってくる。
 もう遺体発掘のニュースも新奇さが亡くなり話題に
 ならないのだろうなあ。
 でも、それを抱えて生きていく人がここにいる。
 この山のなかのひっそりとしたミサの中にいる。

 昼食は蒸した・・・。
 ごちそうになる。
 と、地主に雇われて塀を作っている若者にも昼食が
 振る舞われている。
 毎日のことか(昨日はなかったなあ)、それとも今日は
 特別な日だから。
 遺体を発掘している人にとっては、地主に雇われている人は
 自分たちを抑えつけていた側の人。それなのに。
 それが許すという行為の一部なのか。

 コンクリートの塀は、特別な形をしている。
 家や工場、教会では見られない形。
 一度だけ、同じ形の塀を見たことがあった。
 アンティグアからチマルテナンゴに向かう途中のにあった。 
 それは軍の施設だった。

 昼食後、男はサッカーに興じる。女たちはおしゃべり。
 先ほどの悲しいミサの後の、この笑顔が飛び交う時間は、
 これまた日常生活の一部。誰もが悲しみや苦しみを抱えて
 生きている。

 14時過ぎ、今日の発掘作業が始まる。
 うへぇ~、午前中だけでだいぶ掘ったなあ。
 山(丘)の斜面が穴だらけや。

 衣服や靴の一部が出てきたら、もしかしたら・・・!
 という期待が高まる。
 が、空振り。
 新しい場所を掘り始める。
 彼ら彼女らは、この期待と期待はずれをどのくらい繰り
 返しているのだろうか。
 この期待はずれの堆積はとてつもなく大きな空洞やな。
 物理的な空虚な穴ボコには底があるが、この期待はずれ
 には底がない。
 残された時間は2週間を切っている。

 16時半、発掘現場(デスタカメント)を後にする。
 今日は、帰りもいい具合にバスが通りかかった。
 18時前、アンティグア戻り。
 それほど身体を動かしていないのに全身を押しつぶすような
 疲労感。
 やっぱりファインダーをのぞき続けるというのは、しんどい
 ことなのだなあ。
 フィルム本数にして8本もとってないというのに。

 村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(下)』を読み続ける。 ****************************************
 ユキは自分一人を抱えて生きていくだけで精一杯なのだ。
 まわりの人間の感情の動きまで細かく対処していくような
 余裕がないのだ。そしてその結果他人を傷つけ、またそれに
 よって他人をとおして自分も傷つくことになるのだ。(p.6)

 「・・・、物は豊富にあるのに、欲しいものがない。金は
 幾らでも使えるのに、本当に使いたいもののために使えない。
 綺麗な女は幾らでも買えるのに、好きな女とは寝られない。
 ・・・・・。」(p.43)

 「・・・本人は一所懸命努力しているつもりでも・・・。
 ・・・思いつきであっちにやられたり、こっちにやられたり
 ・・・」・・・あ、

 「・・・そういえば・・・こういうのが何度もあったっけな、
 ・・・。・・・傷つけて、何度も謝った。・・・・・。
 どうしてそんなに傷つくんだろう、と僕はよく思ったものだ。
 ・・・・・。でも僕はいつもそういう時には我慢強く謝り、
 説明し、その傷を癒すように努めた。そしてそういう作業を
 積み重ねることによって我々の関係は向上していると
 考えていた。でも・・・」(p.108)

 「・・・・・。誰も・・・ことなんか考えてない。自分の
 保身のことだけだ。僕ももちろん含めてね」(p.154)

 「・・・・・。ある種の人間はそういうものを手に入れる
 ことで差異化が達成されるともっているんだ。みんなとは
 違うと思うのさ。そうすることによって結局みんなと同じ
 になっていることに気がつかないんだ。想像力というものが
 不足しているんだ。・・・・。」(p.160)

 「・・・・・。人というものはあっけなく死んでしまう
 ものだ。人の生命というのは君が考えているよりずっと
 脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と
 接す留べきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そう
 いう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したり
 するような人間を僕は好まない。個人的に」(p.197)

 「・・・・・。彼女は死んでいて、穴に横たわり、その
 上に土がかけられた。・・・・・。」(p.260)
 ****************************************
 この2日間、遺体発掘につきあっているせいか、埋葬され
 た人の記述に出会うと、体の中のアンテナがビンビン音を
 立てる。
 『ダンス・・・・』を読んで、人を埋める(埋められる)
 とはそんなことじゃないのだよ、と言いたい気分だ。
 数百の穴ぼこを前にしたら、震えがくるよ。

 身体がガクガクと疲れている。が、宮崎学『突破者』を
 読み始める。この間の『ストロベリー・ロード』と同じ
 ように、自分の歩んできた道を解雇しているのだが、
 何か違うぞ。前者の方が面白いエピソードがあるのだが、
 後者の感受性に惹かれてしまう。



   DSCN2266.jpg
 
不条理な死は観念ではない。それこそが不正義かもしれない。

< 発掘 >

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 零時半前、『東電OL殺人事件』 読了。
 う~ん、一気に流し(ツン)読みしたからなあ。
 でも、佐野氏の話の展開にはちょいとついていけない
 ところがあったなあ。
 話の主人公の生き方を「堕落」と決めつけるところが
 ちょいとなあ。
 それに、出だしから、「私の本意は彼女のプライバシーを
 暴くことではない。あえていうならば、この事件の真相に
 できるだけ近づくことによって、亡き彼女の無念を晴らし
 ・・・」、「・・・マスコミの及び腰によって、事件が
 風化、いや忘却化させられてしまうことを恐れたからで
 ある」、「・・・彼女の魂は永遠に浮かばれないことに
 なる」。
 「人権派」にもの申す態度ながら、自らも特殊な立場に
 身を置いているんだぞ、という姿がちょいとなあ。
 その辺、斉藤茂男氏とはちょいと違うなあ、と感じる。
 あまりにもジャーナリズム(スト)にこだわるあまり、
 人として寄り添うという姿勢がそれほど感じられなかった。
 でも、そのこだわりがあるからこそいいのかな。
 よう分からんわ。
 ****************************************
 いや、違う。そういう別の声が私の内部から聞こえる。
 おまえは、ノンフィクションの要諦は、わからないことは
 正直にわからない、と書くことだ。わからないことを
 賢しらにいかにもわかったように解釈してみせる一知
 半解さこそ、、ノンフィクションの邪道だ、と・・・
 ****************************************
 また、人間はおもしろい、複雑だという、言い尽くされた
 ことを繰り返すことは、これまたちょいと鼻につく。
 さらに、「・・・根拠のない談話情報を垂れ流した雑誌も
 『低俗、下劣』である。しかし、私がいうジャーナリズム
 の売らんかな主義と犯罪性はもっと別なところにある。」
 ・・・って新潮社の本で書いている。
 フムフム。
 なんか誤解を生むような表現かなっと?
 1時半過ぎ就寝。

 なんか夢を見ていた・・・が、安寧の心地を破る呼び声。
 「ユーゾー、電話やぞ~」と。
 時計を見る。6時半過ぎや。
 ・・・ 石川さんだった。
 むみゃむにゃ。
 で、 じゃあ、今日の9時に、チマルテナンゴの歩道橋の
 所でね。

 朝食後、下痢は続くが、だいぶ治まった感じ。
 強気で、食べて治そう。

 8時過ぎ、CDと雑誌(『ネット・ランナー』、
 『朝日ネット』)を返しにアタバルへ。
 メルカードの裏からチマルテナンゴ行きのバスに乗る。
 9時に間に合うかな~・・・、ま、無理や。

 9時半前、パンアメリカンハイウエー(1号線)の歩道橋
 に到着。
 あ、石川さん来てた(ま、トー然か)
 サラゴサ行きのバスに乗る(約30分、Q3)。
 サラゴサでジュースとコーヒーを飲む。
 コマラパ行きのバスに乗り換え(Q3.5・・・高え)
 コマラパ・・・結構、大きな街やなあ。今週末はフェス
 ティバル(靴祭り)らしい。
 屋台や遊具の準備が進んでいる。
 メルカードで「アトール・ブランコ」というグアテマラ風
 おかゆを食べる(Q1)
 街をぶらぶら・・・と、絵画ギャラリーに出くわす。
 グアテマラでは結構有名らしいオスカー・ペレン氏の絵を
 見る。
 特に Feliz Viaje という絵はおもしろい。
 少々高かったが、絵はがき2枚を買う(Q10)。

 12時過ぎ、学校が終わったようだ。
 学校帰りの子どもたちにジロジロ見られる。
 ま、しゃあないか。
 トゥクトゥクでバラポルへ(Q3)
 幹線道路から歩いて約5分・・・鍬、鶴嘴、鍬を持って
 やってました。
 50人くらいの男たちが地面を掘り返していた。
 そう、虐殺遺体発掘の現場である。
 「連れ合いを奪われた女性の会(通称コナビグ)」の代表
 ロサリーナの顔は覚えがある。
 石川さんにマルガリータを紹介してもらう。

 ず~っと見渡すと、丘の斜面が穴ぼこだらけ。
 深い穴は1.5mはあるなあ。
 去年の8月から始まったコマラパ村の発掘作業。
 これまで1000近い穴をあけ、約37の遺体を見つけ
 出した。
 先月は一つの穴から21の遺体を見つけたとか。
 しかし、気の遠くなるような作業。
 軍に連れ去られ、殺され、どこに埋められたか、関係者は
 知っている。
 加害者は、今も同じ村に住んでいる。
 が、加害者は保身のためその場所を教えてくれない。
 ここだろうという見当をつけて掘り進める。
 自分の夫・親・兄弟・姉妹を捜し求めて掘り続ける被害者
 の肉親たち。
 発掘作業に汗を流す人々は、不条理に殺された人たちが
 そのまま葬り去られるのを由としない。マヤの風習に
 従ってきちんと霊をおくらなければならない。そう信じて いる。
 何も今更、加害者を罰するために、その証拠として遺体を
 発掘しているのではない。
 加害者と被害者の関係者の間には大きなすれ違いがある。

 コマラパ村の発掘作業は、地主から2ヶ月の期限を切ら
 れている。
 7月3日が最終日。
 時間が限られている。
 軍とつながりがある地主は現在、高さが2.5mはある
 コンクリートの壁を丘の周りに建設し始めている。
 期限が切れたら立ち入らさせないようにするためだ。
 コンクリート壁の高さと厚さは、何を物語る。

 時間が限られている。そのため、この村の発掘作業には
 例外的に、別の村から応援者が来ている(原則的に他の
 地域では、その村の人が発掘作業をするらしい)
 ソロラ・キッチェ・チマルテナンゴから男たちが手伝い
 に来ている。

 これまで他の土地で発掘作業のために力を出してきた
 ロサリーナは、いよいよ自分の村の発掘だ。どこを掘る
 のか、地面の固さを調べるのにも力が入るようだ。
 実際、自分で穴に入って、発掘作業もしている。

 マーガリータも自分でクワを握り、掘り始めた。
 その姿を写真に収めようと、自分の立つ位置を変えた時、
 あ、この光景前にもあった・・・いわゆるデジャヴィ
 (だったかな?)を強烈に感じた。
 目の前にいる、この人も、この会話も、前に経験した
 (あるいは夢に見た)そのまんまや。ちょいと背筋に
 冷たいモノが走った。

 16時過ぎ、今日は一応引き上げ。
 ま、村に入るという目的は果たせなかったけど、20年
 近く前に軍の暴力で命を落とした人を捜すその現場に
 立ち会うことができたのは、
 あの狂気の時代は終わったのではない。まだまだ違う形で
 引きずっている。

 16時半、ピックアップトラックをヒッチハイクして幹線
 道路まで出る(Q2)。
 チマルテナンゴ~でバスを乗り換える。
 激しい夕立あり。
 18時過ぎ、アンティグア戻る。
 お腹は大丈夫だな。鳥を食らう。

 アタバルへ行き、村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
 (上・下)、アン・ラバスティール『絶滅した水鳥の湖』
 (晶文社)、宮崎学『突破者(上)』(幻冬舎アウトロー文庫)
 を借りる。
 20時半までJ氏とぐっちゃら。
 今日の撮影、久しぶりに1Gくらい(340カットくらい)

発掘作業

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 DSC_0251.jpg
 内戦中に虐殺された人びと(先住民族)の遺体を発掘する。

 1時過ぎまでラップトップの修復をはかるが、ダメ。
 もう、寝ようっと。
 7時過ぎ、起きる。
 朝食を済まし・・・あ、また腹がゴロゴロ言い出した。
 あかんなあ~。

 ラップトップの修復をはかる。
 やっぱりHDがカタンと音を立てて停止する。
 どこか接触が悪いのやろうなあ。
 10時過ぎ、ようやく修復完了。

 アタバルに行く前にフアンに電話をするが、またまた
 留守 番電話なり。
 K氏に電話をすると、おろ偶然、今、アンティグアに
 向かっています、と。
 じゃあ、午後アタバルでお会いしましょ。

 久しぶりの日記を更新する。
 たまったメールの返信も一気に。

 そのままぐっちゃらと時間をつぶす。
 お腹を戻すため、昼食は抜き。
 J氏からコンピューター関係の情報を仕入れる。
 全くもって、もうついて行かれへんわ。

 16時過ぎ、K氏あらわれる。
 ボランティア募集の案内を配っている。
 で、インタビューの中止、村行きのことなど。

 大粒の雨。
 朝はあれほど晴れてたのになあ。
 読めない天気。

 パソコン雑誌とCDを借りて帰る。
 セントロ近くの喫茶店でコーヒーとロールを食らう。
 けっ、さみしい夕食やな。
 ま、お腹が治るまで、ガマンガマン。

 佐野眞一『東電OL殺人事件』を読み始める。
 20時過ぎ、 I 氏から電話連絡を待つが、来ない。
 あれれ、都合が悪くなったのかな?
 中米最後の取材やのになあ~・・・。
 それまでダメになると、もうどうしたらええの?

 またまたラップトップがおかしくなる。
 もう、トホホを通り過ぎたわ。

 知らぬ間に寝入っていたようだ。
 5時過ぎ、プルプル寒さで目が覚めた。
 やっぱり、ここはアンティグアやな。
 電気を消して、再度寝る。

 7時前、目が覚める。
 おなかの調子は、だいぶ良くなったようだ。
 が、朝食(コーンフレーク、卵)を食べると、再びグルグル。

 便所に駆け込む。ひぃぃ~。
 さすがに昨夜の肉の祟り(威力)かな。

 急ぎのメールの送信・返信を片づける。
 「自己責任」論についても、簡単な返信を記す。
 アタバルへ。
 フライト変更に関して、いい情報を仕入れる。
 そうか、そうやったんか。

 自分のウエブ上からファイルをダウンロード(約17M分)
 する。
 やっぱりアタバルは便利だな。

 銀行へ行って、200ドルおろす。
 現地通貨Qで1560Qなり。
 ちぇ、1ドルがQ7.8にしかならんか。
 ま、仕方ないか。

 電話を3件かけるが、みんな留守電。
 うへぇ~、いったいどうなってんのや。

 『ストロベリー・ロード』(下)を読んでいたら、ロナルド・
 レーガン氏がカリフォルニアの州知事になる記述が出て
 きた。
 時代を感じるなあ。

 この間の行動の記録を、こうやってまとめ始める。
 17時前、石川さんに電話。
 村行きの相談、なんとか進みそう。
 ほっ。

 メールの返信、ウエブの閲覧。
 ジュン氏から、秋葉原のお得情報を仕入れる。
 19時半、おいとま。
 食パンと飲み物を買って帰る。

 『ストロベリー・ロード』を読了。
 アメリカ合州国に過度に思い入れのある著者の姿。
 それがかつての自分と重なる。
 ああ、間抜けなこと。
 それに気づかせてくれたしなあ。
 ****************************************
 このようなかたちの結婚を平然と実行できるのはアメリカ人
 ぐらいではないだろうか。
 このような経験を持つ人間が、社会の中に数多く存在して
 初めて、その国は世界に向けて何事かを行い、あるいは世界
 に向けて何事かを語り得るのではないだろうか。
 アメリカ人は人種間での偏見はあるが、人間観における偏見
 はないようだ。
 ・・・・・。
 しかし、のちに振れることになるが、むしろそうした見方は
 間違っていたのではないか。(pp89-90)

 この漠然とした"足りなさ"の感覚は、いったい何に原因する
 ものなのか。
 ・・・・・。
 それは、自分の過去が、今、現に生活しているアメリカという
 土地の中に堆積されていない、ということからくる欠乏感なの
 だという思うようになる。
 <そうやな~。ホンジュラスの何もないホテルで、ひたすら
 考えていたことと言えば、これから先の取材のことではなく、
 これまで出会った人のことや、これまで経験したことなど、
 過去のことばかりであった。それはどこかで不安を解消しよう
 とする事故保全から来たのかもしれない>

 それぞれ違う言葉を話す人間が集まって、このアメリカ社会や
 国家をつくったのだ。他人の言語や生活習慣を、いちいち
 時間をかけて理解しようと考えていたら、この土地には、
 何年かかっても統一された国家など、生まれはしなかった
 だろう。
 なによりもまず、自分の考えを人に押しつけ、あるいは聞かせ
 たほうが、物事はスピーディーに運ぶ。
 ・・・・・。
 アメリカ社会が外部の人に暴力的な印象を与えるのは、
 多発する犯罪ばかりのせいではない。
 おそらく、会話の一方通行性に多くの原因があるのである。
 (pp.120-121)

 このようにしてアメリカ社会は、常に一階級下の社会層を
 作り出していく。
 キャッシュ・カードは、そうした差別を再生産する役割を
 果たしている。(p.129)

 戦争に負けるということは、単に軍事的な敗北だけを意味
 しない。
 負けたあとにも悲劇は訪れるのである。
 それは、自分の息子や娘たちが自分とは違う価値観を、
 それもかつて戦争をしていた相手の国の価値観をもつように
 なる、という形であらわれてくる。(p.192)

 ・・・2人が生活を始めると、彼の話は、アメリカ全体を
 背負った言葉なわけ。・・・・・。男と女の楽しい"会話"から
 男と女の生き方をめぐる"言葉"の関係になっていった時、
 そのことを思い知ったわ(p.220)

 アメリカは、体制か反体制かという、単純な2極化に向かい
 つつあった。(p.233)

 ヘンリー・デービッド・ソロー『森の生活』、
 「シビル・ディスオベイディアンス」

 ・・・・・。アメリカでは、黒人はいつもルーザーだった。
 そしてルーザーであればなおさら、人間は下にだれかを
 かかえたくなるはずでしょ。そうでないと彼は永遠のルーザー
 になってしまう。それは白人の男たちにも言えるのね。・・・、
 この過酷な競争社会で心理的な遅れをとった白人の男たち
 が一般的に、私たちのような日本人と結婚しているのよ。

 ・・・・・。
 アメリカの男たちにとって妻の側に言葉のハンディがある
 ことは、彼らの深層心理から見ればむしろ望ましいことでも
 あるのよ。
 なぜなら、アメリカ社会で敗れた自分が、妻との関係に
 おいては優位に立っている、というかくされた勝利者の
 意識がもてることになるから・・・・。
 言葉において、国力において、体力において彼らは圧倒的な
 立場にいるの。わたしたちが彼らから優しさを感じるのは、
 裏を返せば、自分たちが、それだけ差をつけられていること
 になるの。
 アメリカでは結婚も一つの大きなポリティクスなの。
 (p.256-257)

 ・・・・・。人間ゆうものは、自分の居場所が見つかるまでは、
 いつまでも行ったり来たりするものよな(p.260)

 「アメリカは、あのベトナムの領土がほしいとか、あそこの
 資源がほしいとか、そういった理由で戦争をしているわけでは
 ありません。
 ふつう戦争をする時はかならず領土的な野心があるもの
 ですが、アメリカにはそれが全くありませんね。・・・・・。
 ただひたすら、"正義"のためにアメリカは戦っているのです。 
 ・・・・・。
 しかし、観念で戦争ができる国なんてほかにありません。
 でも、その過剰な正義感が、この国をダメにしていくのです」
 (p.275)

 日本の男性が女性を見る時、いつも性的なことだけでしか
 視線を送っていない、ということなの。・・・・。アメリカの
 男性は、全部がそうだというわけではないけど、ひとりの
 人間として見てくれているように思うの。
 ・・・・・。
 女性であるわたしが女性であることを意識させないような
 つきあいをしてくれるの。(p.291)
 ****************************************
 昔読んだはずなのに、なにかしら新しい感覚を得た感じ。
 民族・人種・国境・性差などについて考えるヒントを与えて
 くれるような感じ。
 しっかしなあ、地球の反対側まで来て、この本を読むとは
 なあ。

 アメリカに対峙する、若かりし石川好氏。
 アメリカを分析する「日本」人の石川氏だが、どうして
 そういう風な印象や感想を持つに至ったのか、日本で
 生まれ育った彼の意識の構造をもうちょっと(分析して)書いて
 欲しかったなあ(それは自分ですることかな)

 ウエブ上でピックアップした日記や書き込みなどを読む。
 改めてこの数ヶ月、日本で起こった事柄をかいま見る。
 やっぱりイラクかな。
 米国のKから、またイラクに行くかもしれないと連絡が入る。

 ラップトップの調子がまたまたおかしくなる。
 胃が痛いのはそのせい。

 5時半過ぎ、目覚ましで目が覚める。
 荷物を最終チェック。忘れ物ない、よし!
 6時、モーニングノック有り。
 準備が早く終わった・・・ごろんと横になり、CNNを
 見る。
 相変わらず、レーガンネタか。

 腹の調子がまだ40%かな。
 まあ、2食抜けば回復するかな。

 6時半過ぎ、タクシーを呼ぶ。
 日曜日の早朝は車が少ない。約10分でバスターミナルに
 到着(3ドル)
 7時まで受け付けをしない。
 しゃあないなあ。無為に時間をつぶす(こんな表現あった
 かな?)

 バスはベンツ製の大型バス。座席も広い。
 7時半過ぎ、バス発車。
 途中、エスカロン地区のシエスタホテルで乗客を拾って、
 グアテマラに向かう。
 しっかし、乗客は少ないなあ。座席数55近くあるのに、
 乗っているのは7人。
 一人頭の単価が高くなるのは当然か。

 サンサルバドルを後にしても、今回は何ら感傷的にも
 ならず。
 なんでかな。
 どこかで、「もういい」と自分を納得させることが
 できたのかな。

 女性車掌がパスポートを集めに来た。
 もしかして・・・。そう、そのもしかしてだった。
 9時半ちょうど、エルサルバドル/グアテマラ国境に到着。
 うへぇ~、早い。1時間半しかたっていない。。
 で、 バスでそのまま待機となる。
 車掌さんがイミグレーションに出国・入国の手続きに
 行ってくれるのだ。
 こりゃ、楽ちんでいい。
 旅行を楽しむのなら、自分で出入国の手続きの楽しみを
 奪われた、と
 思うかもしれないが。今は余分な心配は無しにしたい。

 やっぱり腹が減った。
 国境で甘くないクッキーとガシオサを買ってしまう。

 よくよく考えると、心配事がたくさんある。
 納得のいく写真が撮れないのならまだしも、それ以外に
 手続きのこと、おかねのこと、生活の雑多なこと。
 ちょいとしんどすぎるなあ。

 グアテマラに入って、これまた1時間半、11時半には
 ソナ15のバスターミナルに
 到着。うへぇ、3時間半で着いたわ。
 タクシー(90Q)でアンティグアに向かう。
 ぼったくりの運転手は25ドルというむちゃくちゃな
 値段をふっかけて来るしなあ。

 日曜日のアンティグアは交通渋滞だった。
 ほんま、ここは異常な街だな。
 アタバルに顔を出す。
 おろ、マコトさんはまだ日本に。
 ジュンさんが留守番をしていた。初顔合わせです~。
 ペトラがロミロじいさんに連絡をしてくれていたらしい。
 とりあえず部屋は確保できた。
 ロミロじいさん、週末恒例のパナハッチェルへ行って
 いるとかで、家には入れない。

 やっとこさネットが自由に使える所に戻ってきた。
 未返信、未送信のファイル・メールを送る。

 アタバルの日曜定食、今日は豪華な?すき焼きだとか。
 Q16がQ40と、料金も豪華なり。
 ま、おなかも大丈夫みたいだし、たらふく食べるぞ。

 18時前、グアテマラの石川さんに電話。
 例の件、お願いできますか、と。
 JとK氏に電話をするがつながらず。

 19時前、すき焼きが始まる。
 しっかし、肉が多すぎる。野菜もちょっと食べなあかん。
 お腹は大丈夫みたいだ。
 でもって、 春雨もうどんも食べてしまう。
 ついでにポップコーンも。

 19時半、ロミロじいさんに電話をするがまだ帰って
 いない。
 東京の写真学校を卒業したSさん(23)と会う。
 なんでも樋口健二門下生とか。
 で、ドキュメンタリー写真を撮りたいとか。
 いろいろと「えらそうな口」をたたいてしまう。
 ま、そうかな。
 写真家は論ではなく、行動力(撮影)で勝負やからね。

 20時半過ぎ、ロミロさんに再び電話。
 お、今度は居た。
 今からいきますね~、と。
 鞄とスーツケースを持とうと身体に力を入れたら・・・、
 お腹がグルグル言い出した。
 うぅへぇ~、来た!

 暗くなった石畳をスーツケースをごろごろ転がし、
 または担いで、
 3ブロックほど歩く。ふぅ~、汗びっしょりや。
 途中、通りかった車が、荷物載せていこか?って言って
 くれたけど、
 行き先は目と鼻の先。それに・・・さすがにアンティグア
 といえど、危ないかもしれない。

 ふぅ~、やっと着いた。
 じいさん、笑顔で迎えてくれた。
 で、 前回と同じ部屋に入ることになる。
 まずは、便所や!
 やっぱりあんだけの肉を大量に食べたのはあかんかった
 なあ。
 治りかけた腹痛と下痢がぶり返す。
 ったく、何してんだろ。
 シャワーを浴びて、ベッドにごろん。

 ちょっと肌寒いかな。
 蚊もいないようだ。
 『ストロベリー・ロード』(下)を読んでたら・・・
 寝ていた。

 『プライベート・・』を見終わったのは1時前。
 あかん、早よ寝な。

 6時過ぎ、起きる。
 お腹がグルグル。
 ちぇ。

 で、ホンジュラス、というかテグシガルパには思い残す
 ことはない。
 深く入るためには、それなりの準備が必要なんだ。
 これまで幾度となく経験していたことなんだけど、同じ
 失敗を繰り返しているような気がする。
 でもなあ、失敗をして学ばないのが自分のいいところ・・・
 な訳があるはずない。
 回り道をしなければ得ることのない教訓がここにもある。
 ちゅうか、それも自己正当化かな。

 ホテルを出ると、おろ、初日にバスターミナルからホテル
 まで送ってくれた運転手がいるやんけ。もしかして、
 ホテルと契約してはたらいてんの?
 そうなんや、という返事。

 7時半過ぎ、バスターミナル着。
 バスの発車予定は8時半だが、8時15分にはバスは出発。
 なんちゅう予定。
 しかも、予定表には「夜」8時半出発と印刷されているし。
 
 それを訂正しないままのリーフレットを大量に置いているし。
 ったく。
 豪華バスはデラックスだが、座席は小さいな。
 約2時間半で、エルサルバドル国境に到着。
 お、やっぱりそうか。
 ホンジュラス「出国」とエルサルバドル「入国」が隣り合わせ。

 バタン・バタンとスタンプを押してもらって、バスに戻る。

 なんか、個人的な感想だが、イミグレーションの係官や
 警官は、エルサルバドルの方がキビキビと働いている感じ。

 国境から約2時間半でサンサルバドルのバスターミナル着。
 さて、価格的にはやすいかもしれないTICAバスでグアテマラ
 に戻るか?
 それともこのままプエルト(キング・クオリティー)バスで、
 グアテマラに戻るか?
 TICAバスのオフィスに行くには、ちょいと遠すぎるし、
 しんどいな~。
 あ、そうか、プエルトはクレジットカードも使えるのか。
 ま、ここで買うか。グアテマラまで20ドル。

 29番→30番とバスを乗り継いでXメハゲストハウスに
 戻る。
 う、いつもの15ドルの部屋がない。
 しゃなあい・・・22ドルの部屋を18ドルにしてもらう。

 しっかし、18ドルも出して、なんでこんな部屋なん?
 蚊はブンブン飛んでるし、マットレスはスプリングがアホウに
 なってふにゃふにゃやし。天井の扇風機は役立っていないし。

 ま、ここにはもう来ないだろうし・・・、我慢するか。
 しかししっかりとケーブルTVだけは付いている。
 ああ、腹減った。
 でも、ここで我慢。一日も早く下痢を治さねば。

 ケーブルTVでCNNを見る。
 レーガン氏の追悼セレモニーの風景が流れてた。
 本来は一国の大統領が逝去したらこういう扱いなんだろう
 なあ。

 それに比べるとビルマの元大統領の逝去後は、全く寂しい
 扱いだったなあ。
 軍事独裁者の果てとしては当然かな(不謹慎かな)

 映画で『スネーク・アイズ』をやっていた。
 しかし、ラテンアメリカがおもしろいのは、ちゃんと
 タイトルをスペイン語で・・・・
 S・・・としていたことだ。日本ならそのまま英語表現で、
 スネーク・アイズやのに。
 このへんのこだわり?がおもしろい。
 『スネーク・・・』を見終わって、ガソリンスタンドの
 コンビニに行き、ツナサンドを買ってしまう。もう、
 お腹は大丈夫だろう・・・のはず。

 『プライベート・ライアン』もやっていた。
 ちょっと激しい戦争映画だが、こちらもずるずると見て
 しまう。
 それにしても、今も昔も、それぞれの大儀のために、
 命をかけた戦争をするのだな。

 あ、日付が変わる。

 8時45分起床。
 腹の調子がおかしい。今日の朝食は抜きや。
 素人療法だが、胃と腸を休めるのが一番なり。

 N・Cに寄った後、今日もひたすら歩く。
 あ、気分転換に美術館でも行くか。
 なんか得るモノはあるだろう。
 美術館の前まで行く。が、周辺でたむろしている人を見て、
 入る気が失せた。
 なんかちゃうんやなぁ。
 結局、ひたすら歩くことになる。
 あ~あ、腹減った。我慢ができない。
 ま、大丈夫だろう・・・で、チキンを食らう。
 が、すぐに、お腹がゴロゴロ鳴りだした。
 ホテルへ直行する。
 しばらく部屋で休む。
 雨が降ってきた。なんでまた・・・。

 15時半過ぎ、雨やんだ。
 今を逃すと、行く意欲がなくなる。
 タクシーを拾い、ゴミ捨て場へ。
 お、妙に神妙な運転手(往復・待ち時間を含めて)
 150LPでいいとか。

 雨の後のゴミ捨て場は、地面がどろどろ、ヘドロ状態。
 うわ、タクシーで現場に入る前に、タイヤが泥を跳ね上げる。

 撮影前に泥だらけになりそうや。

 夕焼け間近のゴミ捨て場を期待してたんやけど甘かった。
 どんよりと雨雲がたれ込めている。
 時々、雨粒がポトリと落ちる。
 撮影に気分が乗らない。
 ゴミを投げつけられる。
 撮影をいやがられる(ま、当然だが)
 で、 グアテマラよりも落ち込む。
 気分を高めるアドレナリン度がマイナスへ。
 ったく。
 約1時間ちょいの撮影で、引き上げる。
 ま、しゃあない。納得できるまでやったことやし、
 悔い無し。
 ちゅうか、そこまで自分を追い込む理由がもう一つ自分で
 釈然としない。
 しゃないわ。

 腹減った。
 下痢は治ってないだろうしなあ。
 しかし、力が入らん。
 路上で売っているクッキー6つ(5LP)を買って帰る。
 飲み物と一緒に味わって食べる。
 ホンジュラスくんだりまで、何しに来たんだろ?
 でも、とりあえず、ホンジュラス・テグシガルパの現場に
 は立った。
 そんな現場に立っただけの証拠写真だけど、今はそれでが
 精一杯のできること。

 20時半過ぎ、落雷で停電なり。
 1FのロビーのTVがうるさい。4階のこの部屋まで
 響いてくる。
 なんちゅうホテルのスタッフや。


 ベッドでゴロゴロしながら、眠りにつく。

 朝8時、起床。
 昨日のレストランでボリュームのある朝食をとる。
 さて、午前中はどうするか。
 N・Cへ行き、その後は、やはり当てもなく、歩くこと
 にする。
 ホテルを出ると、昨日、ゴミ捨て場に行ったタクシーが
 現る。
 今日も行くんでしょ、と。
 15時過ぎに行くから、そのとき来てちょ、と返事する。

 さて、それまでは・・・無駄だと分かっていても、その
 無駄をクリアしなければならないのだろうなあ。
 とりあえず、自分の目で見ること。
 何もないと分かっていても、見ること(頭の中だけで、
 分かったということに陥らないためにも)を大切にしたい。

 ちょいと腹の調子がおかしくなってきたぞ。
 なんでかな?

 12時過ぎ、40LPで国立教育大学へ。
 あ、早く着きすぎた。
 大学前のショッピングモール内をうろつく。
 あ、ここにもあった、プチ米国合州国が。
 小さなモールなので、時間をつぶしきれない。

 教育大学内を散策。
 ちょうどブックフェアをやっていた。
 チアパス・サバティスタの写真解説集が売っていた。
 600LPもするか~。
 う~ん、さすがに買えないなあ。

 12時半前、正門前にN氏現る。
 院時代の先輩であり、奥さんもホンジュラス人でもある。
 もうこちらに住んで6年目。
 モール内にできた、ファーストフード形式の日本食
 レストランへ。
 スシ(88LP)をごちそうになる。

 さすがに在ホンジュラスだけあって、この国のことは
 詳しい。
 通称<マラ>と呼ばれるギャング集団 Mala Salvatrucha
 のことを聞く。
 もう、ギャングとカルトが一緒になったような団体。
 ひどいこと(子どもの身体をバラバラに切り刻む、バスを
 マシンガンで銃撃する)をすればするほど悪に近づけると
 いう、恐ろしい信念で行動しているとか。
 そんな取材はしたくないなあ。

 N氏曰く、ホンジュラスは、「色のない国」だとか。
 言い得て妙だな。
 グアテマラやエルサルバドルは中米の中でも、まだ(比較
 の問題として)名は知られているが、ホンジュラスは本当
 に知っている人は少ない。
 中米に関わっている自分でさえよく分からない国や。

 エルサルバドルの物価高のことについても同意してくれた。
 あの国のモノの高さは異常だとか。
 特に2001年に貨幣がドル化して以来、顕著だとか。
 本当にそれはそう感じる。
 中米にいるというより、米国で生活しているという感覚
 だった。

 スタバもどきのコーヒー専門店に場所を移して、ぐっちゃら
 を続ける。
 抹茶?ティーを、これまたごちそうになる。

 この12月に契約が切れるN氏は、やはり身の振り方を
 考えないといけないとか。
 まあ、仕事のこと、生活のことを、違う意味で共通点が
 あり、話が盛り上がる。
 日本内でこぢんまりとするよりは、日本を出て、自分を
 試せる環境作りをする方がいいのかな、と。
 まあ、N氏の場合は、ちゃんとした実績があるからなあ。
 15時過ぎ、お開き。
 モールを出ると、地面が濡れているのに気が付く。
 雨がふったんだなあ。

 タクシー(40LP)でホテルに戻る。
 部屋に戻ってすぐ・・・あ、やっぱり来た。
 お腹がゴロゴロ鳴り始めた。
 便所に駆け込む。
 ひぃえぇ~。
 ま、それほどひどくないなあ。

 15時半、ホテル前に行く。
 が、タクシーが現れず。あれ?どうして?
 しばらくすると、雨が降り始めた。それも強く。
 あかん、このままでは撮影に行かれへん。
 しばし、雨がやむかどうか見極める。
 こりゃだめ、強くなる一方。
 今日の撮影中止。
 
 部屋に戻って "THE BURMA LEGACY" を読了。

 あ~あ、これで手元に読む本がなくなったわい。

 -同世代(同じ境遇?)だとあって、話が通じるんやな~。

 8時過ぎ、目が覚める。
 10ドルにしては、なかなか居心地のいい部屋かな。
 フロントで、朝食を食べる場所を聞く。
 今朝は、昨夜と違う女性がフロント業務。
 だるそうに、「隣」と指さすだけ。
 ったく。客扱いせえよな。

 朝からガンガンの音楽のレストランに入る。
 朝食を頼む。
 と、コーヒーも、と。
 えっ、コーヒーがない。何で・・・絶句。
 もういい。レストランを後にする。
 ホテルのフロントに戻り、他に食べる所ない?って聞く。
 知らない、と。
 えっ、なんで?
 私はこの辺に住んでないから、この辺のこと知らない、と。
 ぶっきらぼうで、なんちゅう対応。

 向かいのG2に行き、そこのフロントに朝食のありつける
 場所を聞く。
 なんや、やっぱりあるやんか。
 30LPで豪勢な朝食や。

 ホテルに戻りフロントからN氏に電話。
 が、通じず。
 ネットカフェに行き、英語でテグシガルパ入りを伝える。
 さ、行こか。

 やっとこさ3台目のタクシーでC・G行きを確保する。
 やっぱり市街を出るとタクシー代は高くなる。
 むちゃくちゃたくさん走っているのになあ。
 65LPなり。2時間待ち、帰りは待ち時間も含めて
 140LP。
 ま、タクシーの運転手にはいい稼ぎだと思うけど。

 タクシーは市街を抜け、渓谷をぬってテグシガルパの
 ゴミ捨て場に到着。
 入り口で警備員に呼び止められるがパスを見せて、通り
 抜ける。
 やっぱりここでも自由な立ち入りは難しいらしい。
 入り口から約200m、ゴミ処理がされている現場に
 到着。
 タクシーは入り口で待っているとか。
 それにしても、強烈な腐敗臭。

 ゴミ拾いをしている人は、ざっと見て、200~300人
 ほどかな。
 場所自体は大きいのだが、働いている人はそれほど多く
 ない。
 ちょっと撮影意欲がそがれるなあ。
 ゴミ収集車もそれほど多くないし。

 それでも、撮影に取りかかる。
 当然、写真を撮っていて、何で写真を撮っているのだ?
 ゴミ拾いをしている人たちから質問がされる。
 グアテマラよりも強い拒否反応が返ってきた。
 顔を隠す人が多い。
 市の清掃担当者からも質問が来る。
 なんで写真を撮っているのだ。
 その担当者(30代・男性)はこざっぱりした服装を
 している。
 ゴミ捨て場なのに、ピカピカの革靴。
 彼はこちらのいでたちをじろっと、上から下までなめる
 ように、見る。
 カメラこそ高級品だが、服装はボロボロやしなあ。

 あかん、2時間も気力が持たん。
 撮影中止。
 12時過ぎ、市街に戻る。
 なんで、テグシガルパのこんな場所の写真を撮っている
 のか・・・。
 自分の中でもう一つきちんと整理が付いていなかった。
 とりあえず現場へ。
 ちょいとミスったなあ。

 しかし、そのまま引き下がるわけにはいかん。
 市街を当てもなく、もしかしたら何か撮るモノがあるか
 もしれない。
 そう思ってさまようように歩き続ける。
 川を渡って、イシドロ市場もうろつく。
 が、 結局、何も撮れず。
 PHでクレジットカード払い。
 その後、 NC。

 19時も過ぎると、通りは閑散としてくる。
 これが一国の首都か、と思ったけど、実際はサンペドラ・
 スーラへ首都機能は移っているとか。ま、しゃあないか。

 ホテルに戻る。
 入り口を入ってすぐ、フロントの女性が、ハイ、電話、
 と受話器を渡してくれた。
 なんちゅう偶然、N氏からだった。
 じゃあ、明日の昼、会いましょう、と。

 殺風景な部屋で、"THE BUMA LEGACY" を読み続ける。


 DSC0049.jpg
 あと一歩、その一歩が踏み出せない。

国境線は川

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 DSC_0002.jpg
 エルサルバドル / ホンジュラス国境線である川。

 2時過ぎまでデータのバックアップ。
 ふぅ~。

 8時半までベッドの中。
 身体にできたジンマシン、少々悪化気味かな。
 こればかりは、時間が解決するのでどうしようもない。
 持ってきた軟膏がなくなってしまったわい。

 朝食はひどくなる。
 パンの数は少なく、クリームも付いてこない。
 これで3.5ドルとはひどすぎる。
 ま、その分、他の部分で穴埋めするか。

 30番、29番のバスを乗り継いでプエルトバスターミナルへ。
 ま、どこでもそうだが、(売ってやるという態度の)愛想

 の悪いカウンターでテグシガルパ行きのチケットを買う。
 うへぇ~、高い。往復33ドル。
 グアテマラまで片道が(一番安くて)24ドル。
 これやったらTICAバスが一番安いということか。
 明日の10時半発。

 2C(4C?)のバスでメトロセントロまで行く。
 が、途中でスキップされ歩かされる羽目に。

 銀行で200ドルをキャッシング。
 あ~あ、使いすぎな。

 ミスタードーナツでシナモンロール(75C)と炭酸を
 飲みながら、
 "THE BURMA LEGACY" を読む。
 やっぱり7月末までお金が持たないなあ。
 帰国の算段を考え始める。
 ノートにカレンダーを書いて、どこまで残りの取材が
 できるか計画する。
 誰に頼まれた取材ではない。
 どこまでやれば気が済むのか?
 分からんなあ。
 まるでモノクロプリントを焼いている感じ。
 完璧を目指せば留まるところがわからない。

 と、よく見るとメトロセントロ内にインターネット
 カフェがあるじゃあーりませんか。
 メールのチェック。
 OSにXPが入っていたので、日本語を読むことができた。
 (書くことはできないんやな~)
 スパムメールの山。
 と、ビルマから複数のメールが来てた。
 ほぉよぉほぉよぉ。
 でも、日本から期待してた知らせは一向になし。
 写真展への出展依頼が来てたが、また無料で・・・とか。
 ふぅ~。

 Bに行き、大型を食らう。
 ホンジュラス行きの計画・・・何度となくやめようと
 言う理由を考えてしまう。
 「やらないいい訳」はイヤというほど思いつく。
 でも、ここまで来たら、やるしかない。
 どこまでモーティべーションを高めていくか。
 そこが取材のポイント。
 いやいや、取材のポイントではなく、仕事のポイント。

 しかし、ほんまに、ここのゲストハウスに泊まって
 しまうと、エルサルバドルの問題が全く見えなくなって
 くる。
 停電あり。
 雨が降ってきた。あわてて洗濯物を入れる。

 夕食は・・・軽くする。

 サンアントニオで撮った写真を見直す。
 ま、自分好みではないけど、モノになりそうなイメージが
 5つほどある。
 身体を張った甲斐があったもんだ。

 2時過ぎまでデータのバックアップ。
 ふぅ~。

 8時半までベッドの中。
 身体にできたジンマシン、少々悪化気味かな。
 こればかりは、時間が解決するのでどうしようもない。
 持ってきた軟膏がなくなってしまったわい。

 朝食はひどくなる。
 パンの数は少なく、クリームも付いてこない。
 これで3.5ドルとはひどすぎる。
 ま、その分、他の部分で穴埋めするか。

 30番、29番のバスを乗り継いでプエルトバスターミナルへ。
 ま、どこでもそうだが、(売ってやるという態度の)愛想

 の悪いカウンターでテグシガルパ行きのチケットを買う。
 うへぇ~、高い。往復33ドル。
 グアテマラまで片道が(一番安くて)24ドル。
 これやったらTICAバスが一番安いということか。
 明日の10時半発。

 2C(4C?)のバスでメトロセントロまで行く。
 が、途中でスキップされ歩かされる羽目に。

 銀行で200ドルをキャッシング。
 あ~あ、使いすぎな。

 ミスタードーナツでシナモンロール(75C)と炭酸を
 飲みながら、
 "THE BURMA LEGACY" を読む。
 やっぱり7月末までお金が持たないなあ。
 帰国の算段を考え始める。
 ノートにカレンダーを書いて、どこまで残りの取材が
 できるか計画する。
 誰に頼まれた取材ではない。
 どこまでやれば気が済むのか?
 分からんなあ。
 まるでモノクロプリントを焼いている感じ。
 完璧を目指せば留まるところがわからない。

 と、よく見るとメトロセントロ内にインターネット
 カフェがあるじゃあーりませんか。
 メールのチェック。
 OSにXPが入っていたので、日本語を読むことができた。
 (書くことはできないんやな~)
 スパムメールの山。
 と、ビルマから複数のメールが来てた。
 ほぉよぉほぉよぉ。
 でも、日本から期待してた知らせは一向になし。
 写真展への出展依頼が来てたが、また無料で・・・とか。
 ふぅ~。

 Bに行き、大型を食らう。
 ホンジュラス行きの計画・・・何度となくやめようと
 言う理由を考えてしまう。
 「やらないいい訳」はイヤというほど思いつく。
 でも、ここまで来たら、やるしかない。
 どこまでモーティべーションを高めていくか。
 そこが取材のポイント。
 いやいや、取材のポイントではなく、仕事のポイント。

 しかし、ほんまに、ここのゲストハウスに泊まって
 しまうと、エルサルバドルの問題が全く見えなくなって
 くる。
 停電あり。
 雨が降ってきた。あわてて洗濯物を入れる。

 夕食は・・・軽くする。

 サンアントニオで撮った写真を見直す。
 ま、自分好みではないけど、モノになりそうなイメージが
 5つほどある。
 身体を張った甲斐があったもんだ。

 7時過ぎ、起きる。
 バスの発車は10時半、時間はたっぷりある。
 ゲストハウスの、いつものぼったくり朝食を食べる。
 荷物整理をした後、荷物を預けてチェックアウト。
 ま、荷物をちゃんと預かってくれるから、少々ぼったくり
 があってもしゃないか。

 ゲストハウスから大通りまで出てタクシーを拾う。
 バスターミナルまで2ドルなり。

 10時45分すぎ、バスは出発。
 50を超える座席なのに15人も乗っていない。
 これでよくやってんなあ。
 窓際に席を取り、見慣れた赤茶けた/緑の風景を楽しむ。
 3時間弱で、エルサルバドル / ホンジュラス国境到着。
 エルサルバドル側で出国手続きをした後、歩いて国境の
 橋を渡りホンジュラス入り。
 そこで3ドル払って入国手続き。
 ホンジュラス人たちが、団子のようになってエルサルバドル
 入国の順番待ちをしていた。
 国境で90ドルをレンピーラに交換。
 1ドルが18レンピーラ。

 エルサルバドル側で乗客を降ろしていたバスは、先回り
 してホンジュラス側で待っていた。
 そこから一路、テグシガルパを目指す。
 この道を走るのは11年ぶりだなあ。
 車窓の風景からエルサルバドルとの違いを懸命に探そう
 とするが、そんなに大きな違いがあるわけない。
 ここがアジアと違うところ。
 アジアでは大体、国境を越えると言葉も風景も一変する
 が、中米はBを除いてスペイン語、カトリック圏だしなあ。

 17時前、テグシガルパ到着。
 タクシー($3)にてホテルG2に向かう。
 タクシーの運転手、日本人だと分かると、喜ばそうとしてか
 「東京、横浜」と日本の地名を言い出した。
 が、その2言のみ。
 「シィー、マス、ディーセ(ほら、もっと何か言えよ)」
 と催促すると黙ってしまった。
 ったく、意味もなく気分が悪くなる。
 「え、どういうつもりで、トーキョー、ヨコハマ、って
 言ったんだ?何か意味があるのか?、え、え?」
 運転手は、ゴメン、と一言。

 約20分で、新市街に到着。
 が、G2は満室。向かいのG3にチェックイン。
 おろ、思ったより安い。一泊、185LPやんか。
 10ドルか。
 15ドルはかかると思っていただけに、ちょい嬉しい。
 しかし、フロントの女性はぶっきらぼうX2。
 その、泊めてやるわ、ありがたく思え、という態度は
 むかつくな。
 でも、安いからしゃあないか。

 荷物を置いて、暗くなる前に街の雰囲気をつかんでおこう。

 近くの薬局でテグシガルパの地図を買う(45LP)、
 水(1.5L)は10LP。

 適当にメインロード(らしき通りを)歩く。
 歩き始めて約15分、徐々に思い出した。
 あ、11年前、この通り歩いたっけ。
 通りの雰囲気も思い出した。
 なんか変な気分。もう、2度と来ることのないと思って
 いたはずなのに。
 こうやって来てしまった。
 夕食はチキンを食らう。

 さすがに違う国の初日は疲れる。
 "THE BUMA LEGACY" を読みながら寝てしまう。

就任式

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 5時半過ぎ、目覚まし時計よりも早くに目が覚める。
 6時、オレンジジュースとパンケーキが朝食の代わり。
 トントン、トン。
 ノルウェーの記者の部屋をノックするが返事がない。
 まだ寝ているのかな。
 そいや、休暇でエルサルバドル入りしていたから、大統領
 の就任式は
 どうでもいいんだろう・・・。
 タクシー(3.5$)でフェリナ・インターナショナルへ。

 周りは警戒態勢。
 ま、しゃあないか。

 すぐに屋外形式の会場に入る。
 メディアの席はTVと写真の2つに分かれている。
 写真の席でAFPのユリと再会。
 久しぶりやな~、前回にあったのは94年のエルサルバドル
 選挙取材の時やったから、11年も前になる。
(お互い)歳とったなあ、ヤサ男の感じなのに、貫禄が出ている。
 がっしりと握手する。
 あのころはユリも自分も、なんか駆け出しの写真撮り
 だったはず。
 こういう思い出は、あくまでも個人の感傷。
 取材内容とは関係ない、はず。
 それなのに、何かに決着をつけようとして、納得させよう
としてエルサルバドルを再訪したような感じになってしまう。

 9時過ぎ、39歳の新大統領の就任式が始まる。
 フォトグラファーが立っている位置から舞台まで30M
 近く離れているかな。
 こういう時の撮影って、あらかじめ機材によって出来上がり
 が決まってくるなあ。 
 だいたいがデジカメを使っているが、昔ながらにフィルム
 カメラを使っている者もいる。
 まったく退屈な撮影・・・でも、それも現実の一部。
 11時過ぎ、宣誓式、スピーチなどのセレモニー終わる。
 いったい、こんな写真を撮って(撮ろうとすることで、
 時たま、こういう
 違う世界?を経験できるのだ)
 横でTVが同時中継をしている。
 そのクリアなモニター画面を見ていると、
 なんでそこまでして(この時代に)写真を撮るのか
 わからない。
 否が応でも、歴史(といえばおおげさだが)の一部に
 巻き込まれてしまっている。
 たかが・・・こんなことで、こんな書き方をすることも
 ヘラヘラやな。
 自分の経験を大きく感じたい裏返しかな。

 プレスセンターに行って、コンピューターを借りる。
 おっ、OSがXPや。で、日本語が読める。
 ウエブから自分のメールサーバーにログイン。
 おひょ、おひょ、スパムメールがイヤになるほど
 たまっている。
 適当に100個ほど削除。

 さ、帰るとするか。
 周りはすべて交通規制。タクシーが走っているところまで
 テクテク、
 汗だくになりながら歩く。
 すぐ近くに、いわゆるスラム街があるが、撮影に行く気に
 ならず。
 単に、写真を撮るのがしんどい。
 被写体に対する自分の位置づけを考えると、ふらふら
 しすぎてしまう。
 そう、今はふらふらという表現でごまかしておこう。
 ミスタードーナツでクロワッサンサンドイッチと
 ガシオサを飲む。

 タクシー(2$)でメトロセントロまで行く。
 ATMマシンを使おうとしたら・・・2台ある
 インターナショナルカードが
 有効のマシンが使えない。
 なんで・・・?
 クレジットカードが使えなくなると問題だぞ。
 背中に冷や汗。
 おかしいな、銀行の残金、まだ少々あるはず。
 出直して、別のカードを試してみよう。
 しっかし、金利が一番安いカードでキャッシングが
 できなくなると、ちょいと困るぞ。

 ゲストハウスに戻り、電話回線でネットにログイン。
 ウエブ上から自分の銀行のログイン。
 ほ~ら、まだ少々(ほんとに少々・・・)残金がある。
 でも、帰国したら借金生活やな・・・とほほ。
 ま、別のカードを使うか、銀行の窓口に行ってみるか。

 ネットにログインしたついでに連絡業務を少々。
 しっかし、1通送信するのに1分近くかかる。
 ったく。

 メトロセントロに出直し、銀行の窓口で100ドルを
 おろす。
 金利の一番安いカードが使えたゾ、・・・ほっ。
 ミスタードーナツに入る。
 浅井基文 『日本外交 反省と転換』(岩波新書)を
 ツン読する。
 ソ連のことを書いていて、ちょいと時代を感じさせる
 代物だが、
 日本外交の方針を考えさせてくれる。
 外交や国際関係の考え方、そのものを考えさせてくれる。

 雲行きが怪しくなってきた。
 洗濯物をほしているからちょい心配。
 ゲストハウスに戻る。
 蚊の多い(大量!)、薄暗いパティオで月に一度の
 おつとめ原稿を書き出す。
 う~ん、まとまらん。
 この間のヤツで代用させてみよう。
 出だしだけ、ツラツラ書く。

 いつもの店に行く。
 ローストビーフとハムのサンドイッチ、コーヒーが夕食。
 お、今日のコーヒーはやけに美味しいやんか。
 で、よく考えたら、アメリカンコーヒーを注文してた。
 コーヒーの産地のエルサルバドルのコーヒーは、それほど
 美味しくない。
 ったく。
 入れ方が違うから仕方ないか。

 ケーブルTVで映画をぼんやりと見る。
 内容さえも覚えていない。

 21時過ぎ、激しい落雷を伴った雨が来た。

 歯が痛くなってきた。
 何で、こんな時に。

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