2006年4月アーカイブ

 最近、予想通りにチャット(Kyat)が下落している。
 1400は一気に通り過ぎた。
 公務員の給料が上がる明後日から、もっと悪くなるのだろうか。

 モノの値段も上がり始めている。
 ジョーカウソエのラーメンが1000Kだ。
 2年半前には650Kなのに。

 いい気になって乗っていたタクシーも、初乗りは1000K くらいに
 なってしまったし。

 大きな発電機を備えているホテルだが、ディーゼル油が値上がりした
 ため、宿泊客が少ないと動かしてもらえない。

 窓のない真っ暗な部屋は、ほんとたまんない。


 数日、新聞を読んでなくて、偶然手に取った新聞に内田氏の談話
 が載っていて驚いたが、その談話の横に藤原新也氏のエッセイ、
 「デジタル化する人間の"眼"」が載っていて、2度驚いた。
 
 やっぱり新聞を読まなきゃダメだな。自分の期待しなかった紙面
 展開があるからな。

 さすがにある意味尊敬する、藤原センセ。一般受けする(?)
 アナログ対デジタルという展開はしていないが、どうも違和感を
 感じてしまう。
  
 デジタル化が人間に及ぼす影響というのは同感できる。だが、
 デジタルとは何かというものをとらえ切れていないのでは
 ないか、という感じがする。デジタルの本質を語っていないよう
 に思える(<おお、偉そうに)
 
 紙面では富士山の写真を例にとって、デジタルを説明しようと
 試みている。
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 0と1の配列によるデジタル画像の"細胞"はピクセルという
 方形の単位で成る。仮に富士山のデジタル画像を拡大すると、
 フィルムと違って方形の空虚な模様が現れる=藤原さん提供
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 デジタルを考える際に、アナログからの発想しているのが
 わかる。デジタルは目に見える形にできないので、あくまでも
 便宜的にピクセルという形を技術者がとったにすぎない。

 また、方形の並びを「空虚」と名付けることはきわめてアナログ
 的である(のではないか?)

 そもそも、デジタルの0と1という配列自体、技術者が生み出
 した技術であって、それでしか表現できないのである(こう書いて
 いくと何が本質か、らっきょの皮むきに陥ってしまうが)
 
 また「アナログからデジタルへの移行」という風に、一つの流れ
 として書いているが、コトバとして、社会的な存在としては、
 時代の流れとしてそう言えるかもしれないが、もともと本質の違う
 ものを一つの流れの上においてもいいのだろうか?

 デジタルはデジタルの流れがあるので、アナログの延長上に置く
 のはちょいと違和感がある(で、流れ、って何?)

 私の考えるデジタルとは(以前に書いたように)、自然の産物
 である人間の捉えきれないものである。その存在さえ知覚でき
 ないものを何とか表そうとしている技術上の一つの存在である。
 
 う~、自分で書いていて迷走している。
 名僧が瞑想で迷走するように。
 (自分は名僧ではないが、こうゆうオヤジギャグっていうこと)
 
 つまりは、生物学上人間は必ず消滅する。それが自然の法則だ
 よね(って、その定義自体、自然と受け入れているが)
 
 デジタルは滅びないのである。半永久的に存在するのである。

 人間は、無くなるもの、滅びるもの、失ってしまうもの、消える
 もの、亡くなる者、不確実なモノ対して感性を刺激される。
 それが、はかなさというものである。
 
 だが、デジタルにはそのはかなさがない。
 不確定要素を排除するために、0と1で何事も規定した存在である。
 それに対して人間は、はかなさを感じない。
 ほぼ完全なコピー可能な存在に対して、人間は冷たく反応する。

 デジタルが支配する社会とは(いきなり飛躍するが)、基本的に
 冷たい社会なのだ。
 
 デジタル化というのは、藤原氏のいうように、視覚に現れるような
 「脳気質の変化」どころではない。表面上は現れない、人間の持って
 いる無意識にも影響を及ぼしている、と思うのだが。

 何が言いたいのか。
 アナログ的な考えでデジタルを捉えようとする、その方法に限界が
 あるのでは。デジタルをデジタルで捉えるような発想、表現がいつ
 でてくるのか。その出現を今は期待するしかない。

 う~ん、アナログの支配から解き放された次(次々?)の世代に期待
 するしかないか。
 ふむ。


 SCN0004.jpg
 おお、これは40代前半のアウンサンスーチー氏と
 ウー・パパレイの姿ではないか。
 
 この写真の内容は、今月末発売の『週間金曜日』
 (2006年4月28日)に詳しく書いてます。


 しばらく新聞を止めていた。
 活字中毒の自分としては、それほどの違和感がないのにちょいと
 びっくり。
 ある意味、このまま行くのかな。

 と、『毎日新聞』、『朝日新聞』を手に取ってみた。
 おお、偶然、オピニオンのページに『国家の品格』の藤原正彦氏
 と『ため倫』の内田樹氏の談話が載っていた。
 ちょうど内田さんの『知に働けば蔵が建つ』を読んでいたので、
 ちょいと驚き。

 最近、内田さん、乗ってるね。
 私も集中的に読んでいる。
 加藤典洋さんは「内田は、現在五十代半ばだが、ほんの四年前
 まではフランス現代哲学の担い手の一人であるエマニュエル・
 レヴィナスの翻訳によって関心のある人々に、僅かに知られる
 ─・・・・・。」「なぜ突然こうした書き手が現れたのか、
 ・・・・・」
  
 たしか高橋源一郎氏(村上春樹氏だったかな?)もどこかで、
 同じようなこと、-もっと早く内田さんを読んでたら、自分の
 行動も変わっていた(2度も離婚、云々)-と書いてた。

 ま、これも時代が生み出した人なんだろう。
 確かに内田氏の発想は面白いし、というか、なんでそんな風に
 考えるの?ってその考えの内容よりも、その裏を想像するのが
 楽しい。

 もっと面白いことに、内田氏のブログを通じて、オダジマンこと
 小田嶋隆氏のコトを知ったことだ。
 というより、オダジマンを再発見したことだ。

 内田氏のブログや著作に出会うずっと前から、実はオダジマンの
 存在を知っていたのに、書いたモノを読んでいたのに、そのことに
 気づかなかった。

 数年前まで『噂の眞相』という、過激(?)な月刊誌があった。
 現在メディアに登場している「うるさ方」が書いていた雑誌である。
 確かオダジマンもそこに、毎月コラムを書いていた。

 誌面のレイアウトの関係か、あまりじっくりと読んだことは
 なかった。時にじっくり読んでみると、確かに面白かった、
 という記憶はある。

 数年間、オダジマンの書いたものとつきあっていたのに、当時は
 今ほど彼れの書いたモノをスゴい、と思わなかった。
 ある意味、天才はなかなか理解されないものだ。

 そう、何が言いたいかというと、個人的に思うに、オダジマンは
 天才型。内田氏は秀才型、という風に感じることだ。
 両氏の書いたモノは、面白いし、ためになる。あんな風に書けたら
 なあ、とも思う。

 才能があり努力する人は、内田氏になれる、と思う。だが、決して
 オダジマンにはなることはできないだろう。

 誤解しないでほしい。
 内田氏よりもオダジマンが偉い、すごい、というのではない。
 ただ、単に違うのである(その違いが説明できない)
 
 オダジマンの場合は、発想の面白さではない。すごさである。
 ある意味狂気(いやいや社会的に存在しているから、プチ狂気
 かな)を感じさせる。世捨て人の切なさを感じる。

 社会的な影響力や存在としては内田氏のあり方がまっとうだと
 思う。

 報道やドキュメンタリー写真でいえば、J・ナクトウェイ氏と
 S・サルガドかな。

 被写体への接近、写真の撮り方、作品発表の仕方からすると、
 サルガド氏は秀才型、ナクトウェイ氏は天才型かな。
 
 畏れ多いことを言えば、誰もが頑張ればサルガドにはなれる。
 が、ナクトウェイには決してなれない。
 
 内田氏やサルガドを目標とすることはできるが(そうすること
 自体ちょいとばかげているが、人はついついそうしてしまう)、 
 決してオダジマンやナクトウェイ氏を目標とすることはできない。
 後者の2人は、違う世界に住んでいるのだから。

 だからかもしれない。内田氏の書いているものが理解できない
 場合は、判ろうとして何度も読んでしまう(だから集中的に本を
 買ってしまった)
 
 それに内田氏は、幅が広いので(たぶんその幅を無意識的に意識
 しているはず)、彼の繋がりから自分もそれにつられて、ちょっとは
 広がることのできる可能性を見いだせる。

 たとえば『東京ファイティングキッズ』の平川克美を知ったことは
 そのいい例であろう。

 だが、オダジマンの書いたモノが理解できないときには、端から
 あきらめてしまう。理解できるモノしか楽しめない。
 だから人に、内田氏を薦めても、けっしてオダジマンを薦めることは
 あまりない、と思う。
 オダジマンはメジャーになって欲しくない(ある意味、なってるけど)

 ついたその日に、知り合いは旅立ってた。
 ああ、入れ違い。
 
 10日間ほど身動き取れないな。
 トホホ。

 


 DSCN0017.jpg
 ここはビルマ(ミャンマー)の首都ラングーン(ヤンゴン)の
 街角。女性が一人、人混みに混じっててくてく歩く。

 DSCN0019.jpg
 と、人通りが途絶えると、目立ちますね。
 そう、発電機が。
 相も変わらず停電が多いね。
 
 長時間の停電は慣れるけど、かなんのは、電気が来たり
 止まったり、頻繁にその繰り返しが起こること。
 いらいらぽっちじゃ。

 いろいろ忙しくて新しい書き込みができない状況ですぅ。
 近日中にアップ予定かな(?)


 ここはラカイン州のとある村の朝の、ありふれた風景。
 bu02682.jpg
 朝食用に揚げ物を売る店、回りでは子どもたちが遊び回る。

 bu02221.jpg

 カメラのシャッターを押すことさえも忘れてしまう。
 ありふれた風景。
 
 ビルマと日本、何が違うのだろうか。
 民族、言葉、風習。
 暮らしは、人の営みは全く同じなのに。

 カメラでは写しとることの出来ない現実を前にして己の
 非力を痛感するのみ。
 うう、う。


 日付が変わって丁度映画が終わる。

 とりあえず、東京に来ているはずのKの携帯に電話する。
 が、留守電になってる。
 ま、いつものように著目著目かな。

 見終えたばかりの映画、"Around the Bend" の内容を思い出す。
 なかなか良い映画だ。
 ラスト近くのカメラワークと映像処理には、思わず「すごい」と声を出して
 しまった。

 邦題は『ラスト・マップ 真実を探して』というそうだ。
 どうやら予告編の "sometimes the truth lies just arond the bend"
 からとったらしい。
 
 ・失って気づく、自分の探していたもの。
 ・誰かに話を聞いて欲しいと思うことがある。でも、その誰か
  ではない誰かにこそ、口を開きたいのだが(分かりにくいなあ)
 ・そして誰にでもある悩み事。解決のつかない悩み事。
 ・どんな人にも、家族にも、カップルにも、一人であっても、
  決して逃れることの出来ないやりきれなさと切なさがつきまとう
  -だからこそ耐え難い日常があるのだけれど。
 
 久しぶりに見た秀作映画かな。

 8時過ぎに目が覚めるが、やっぱり2度寝で、結局、11時過ぎ起きる。
 昼過ぎ、東京のS さんより電話あり。
 へえへえ、と。

 何にもする気がしない。
 雨降ってるし。

 3月~4月にかけて誕生日の人多い。
 メールの挨拶じゃ、気が抜けるね、いや、ほんと。

 夕方、雨やむ。
 あ、DVDを返しに行かな。
 ビュン、と出動。
 
 夕方、米国より一時帰国中のKより電話あり。
 「え~、ほんまかいな」という反応をしてしまう。
 ま、実行やで。
 それに、ま、私生活は置いといて、仕事も大変やなあ。
 1時間ほどぐっちゃら。

 と、また、とんでもない失礼な問い合わせが来る。
 ま、1年に何度か来る類のヤツだが、年々その質がひどくなる。

 普通は、それほどのことなら、編集部に気付で手紙を送るなり
 するものだが、ここ最近は直でくる(ま、メールアドレスを
 オープンにしてるから仕方ないが)

 なんで、キチンと自己紹介できないのか、どういう目的なのか、
 一切ない。最低限のルールさえ守れてない人に、いちいち返事
 をするのも煩わしいし。
 
 というか、読むだけで気分が滅入るわな。
 相手がどう思うか、そういう配慮さえない人が増えてるのか。
 
 これを読んでいたら、しっかりと反省して欲しい。
 なんで私がキミ(あなたのために)そこまでしなければならない
 のか???


 夕方、電話する。
 また、なにやら口を滑らしたらしい。
 う、という感じ。
 私も反省が必要かな(きっとそうだ)

 倉庫部屋と仕事部屋を往復。押し入れごそごそ。
 あ~、まとまらんわい。
 あわてふためく。
 連絡業務もたまってるのに。
 と、電話あり。
 もう、メールにしてね。
 
 カレーを喰らう。
 バナナを喰らう。
 チョコパン喰らう。
 ビスケット喰らう。
 
 押し入れから昔のズボン(とても良いヤツ)が出てきた。
 が、ウエストが入らない。
 ぶっちょになったなあ。
 
 あたふたと整理。
 なかなか進まない。
 イライラするのもしんどいわい。

 ま、少しずつやるか、のう。


 bu02982.jpg
 bu02976.jpg
 bu02975.jpg

 モッタマからモウラミャインヘ。
 朝日の下、漁をする人の姿が見える。
 このサルウィン河を超えると、ほんの目と鼻の先の土地なの
 に、これまた違う国に来た印象を受ける。

 西のラカイン州/シットゥエと東のモン州/モウラミャイン、同じ
 港町だが、これもやっぱり違う。

 外付けのHDを認識しないので、OSからインストールの
 やり直しとなる。がっくり。

 「朝生」を聴きながらの作業。
 今回もがあがあいう「論客」ばかりなり。

 2時過ぎ、約束通り(?)電話するが、やっぱり寝てた。
 
 データの転送の間、何もすることがない。
 かといって、本を読む気力が出ない。身も心もアイドリング状態。
 6時半過ぎ、布団に入る。
 
 あ、今日から新聞止めてたんだ。
 なにやら手持ちぶたさやな。

 ラジオを聴きながら、うつらうつら。
 あ、今日はエープリールフールか。
 でも、ウソをつけるのは午前中だけだとか。知らなかった。
 
 8時過ぎ、目が覚める。あ、作業の途中で寝てた。
 再度、作業続行。
 10時まで寝る。
 
 11時過ぎ、「お上便」がピンポ~ン。
 ったく。着払いなら在宅と金額を確かめるのが手順でしょが。
 ネコさんならその辺、お客の側に立ったサービスがちゃんと出来てる。
 「お上便」といっても、いわゆる外注なのはミエミエ。
 お上感覚抜けきれず。

 USB2.0が使えないので、トロトロデータ転送。
 ま、仕方ないか。
 
 洗濯する。
 晴れ、という予報だったが、なにやら空はどんよりと曇ってる。
 ま、それでも今日はシーツも洗っちゃろ。

 ラップトップのセットアップはそこそこにして、そろそろ準備
 にとりかかるか。

 ピックアップTX、HTはなんとか確保。

 ゴロンと横になって内田樹『知に働けば蔵が建つ』をツン読。
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 本来、「文明」とは、「私と違うもの」を「私たち」という
 一人称複数形のうちの包摂し、他者とのコミュニケーション
 しうるような公的準位を構築する能力を指す。
 
 このとき、私たちと他者との共生を可能にするのは、愛とか
 思いやりとか想像力とか包容力とかいう個人レヴェルの資質
 ではない。

 そうではなくて、公共的な水準に確保されたコミュニケーション
 のためのリアルで具体的な制度である。
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 私と公を考える上で考えさせられる。

 知らぬ間に寝入ってた。う~、熟睡。
 ゆっくり風呂に入る。

 MMA氏より連絡あり。

 夜はレタスだけのサンドイッチを喰らう。

 やっぱり徹夜をすると頭がボ~っとするなあ。
 DVDで "Around the Bend" を見始める。

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