2006年6月アーカイブ


 カレン州パアン市内にある一番大きなパゴダに、ふらりと足を
 踏み入れてみる。まあ、ビルマ国内、どこにでもあるフツーの
 パゴダだ。
 
 が、よく見ると、右上にあの有名なミャンジングー
 (Myaing Gyi Ngu)僧正(U Thuzana)の写真が飾っている
 ではないか。
 cu02007.jpg

 ミャンジングー僧正は、あのDKBO(DKBA)の元締めでも
 ある、KNUから宿敵とされている僧正でもある。
 
 パアン市内の隠れ家(?)を探り出し、インタビューに行って
 みた。
 が、言葉数は少ない。写真撮影も断わられた。
 (おみやげの冊子とブロマイドはもらったけど←マニアには
 垂涎?)

 
 が、タマニャ僧正のところでブラブラしていたら、おお、びっくり、
 ミャンジングー僧正がお見舞いに来たではないか。ここでなら
 写真撮影は拒否できないだろう。

 で、すれ違い様、シャッターを切る。
 03bur062.jpg
 なんとか写っていたわ。

 パアン市内からミャンジングーへ向かうバスも走ってるね。
 cu02011.jpg
 これから数年はカレン州(カイン州)が大きく動く予定(?)だ。
 ちょいと目が離せない。


 無味乾燥なデータ入力を続行。
 退屈な作業やな。
 ただ単に眼と肩の筋肉を痛めつけているだけの感じ。
 不毛とは言わないが、単調な作業。

 ネットで白物家電の機能と値段をチェック。
 この夏は、あの暑さを、なんとか乗り切りた。
 
 布団の中で『「生きる」という権利』『僕が批評家になったわけ』
 『飽食窮民』を順番にツン読する。眼がしょぼしょぼ。
 6時過ぎ就寝。

 9時には起き出し、机の前に座る。
 タイに送るサンプル写真の編集に取りかかる。一気に1000枚
 のイメージだから大変だわ。

 雨という予報がくれぐれも外れる。
 降らへんやん。布団干しができるほどの天気。
 
 作業に取りかかったら、調子が乗ってきた。これなら一気にでき
 そうな感じ。ひたすら集中作業。ペチペチペチペチペチ。

 午後、NS氏から電話。
 今日、これから会えますか?、と。
 ううう。さすがに、当日は無理ですよ~、と。
 せめて前の日に連絡が欲しいよね。

 作業に没頭。
 んで、3日の締め切り忘れるな~←呪文のように唱える。
 
 Sさんから電話。
 10月の写真展&スライドショーお話。それで行きましょう、か。
 と、最上階は屋上からの熱で、エアコン買ってもききませんよ、と。
 う~、う~、う~。今年も酷暑だったrどうしよう。

 今日は朝からずっとコン詰めの作業。
 気分転換にビュンと量販店へ。

 Kナンに着くと、入り口に睡蓮鉢が陳列してた。
 ああ、欲しい。金魚飼いたい。
 
 白物家電の実物を確認。やっぱり安いモノはイマイチ。
 深鍋24cm、コード、豆球などを買ってビュンとツタヤへ。

 今日はしっかりと仕事をしすぎた。自分へのご褒美だ。
 『復讐するは我にあり』『TRICK vol.1』、"NO MAN'S LAND"、
 "TAXI""SHATTERED GLASS"(『ニュースの天才』)を借りる。
 
 "TAXI" は、なんとフランス映画だった。
 もっと派手なカーチェイスを期待してたが、イマイチ。

 『TRICK vol.1』の題名は、今月初め東京に行ったとき、泊まった
 ホテルのテレビで初めて知った。面白そうだったから、借りてみた。
 お、これが仲間由紀恵さんですか。う~、どこかで見たような顔。
 あ、そうか、JR西日本のカードキャンペーンに出てましたね。
 
 映画自体は、なかなか笑かしてもらえる。どこかジム・キャリー
 に通じているような感じ。ははは。

 意味なく笑えるバカバカしい映画はいいよな。軽く現実逃避が
 できるもん。

 3時頃まで打ち込み続ける。
 ちょいと一休み。PCの電源を落とし、布団にゴロリ。
 読みかけの『ウェブ進化論』を読み始める。
 
 ふうん、「ロングテール」ってそういう意味だったのか。
 ページを進めながら、なぜか違和感。
 
 横に積んでいる斉藤茂男『飽食窮民』安田好弘『「生きる」という
 権利』が気になって仕方ない。早く読んでよ、と本が催促している。
 『ウェブ・・・』の違和感とこの「早く読んでよ」の感覚が通じる。
 
 生きるという哲学と技術論がぐっちゃぐちゃ。
 まさに今考えている、ゴール・オリエンティッド(goal-oriented)
を礼賛しているような気がするのだ。

 9時過ぎ、『ウェブ進化論』を読み終える。
 う~ん、前半は面白かったが、後半は、斜め読みになってしまった。
 
 いわゆる「9・11」で、「人生観が変わった」と強調する人の
 言説を信じないようにしているのだが、まさにこの著者梅田さんが
 それを最後の最後に力説してた。それで「ガックリ」肩を落として
 しまった。

 羽生義治氏の話の引用は、確かに面白かった。うん。
 それに、ウエブやブログ、これからのインターネットの方向性に
 ついて自分のやり方は間違ってないのだという確信を得た。
 その点に関しては参考になる本だった。

 今日も梅雨の中休み。青空やん。
 慌てて布団干し。

 徹夜明けで頭がぼ~。
 ツラツラ作業に励む。そろそろタイに送るサンプル写真をまとめ
 なければならないが、さて、どこから手をつけるべきか・・・。
 手順を考えるのも鬱陶しい。
 
 ちょいと仮眠。
 
 新聞にツラツラ目を通す。
 大阪の集団暴行死の続報があった。
 よく分からないのが、被害者・加害者とも大学生だったが、大学
 がそこまで相次いで「おわび」を出さなければならないのか?
 大学にどういう非があるのだろうか。
 
 それよりもこういう行きすぎた暴行死がおきたのか、新聞は、
 記者は、そのことをきちんと報道すべきではないだろうか。
 
 ただ単に、誰に責任がある、誰かの謝罪で報道(イヤ情報提供)を
 終えるべきではないと思うんだが。

 こういう事件が起こったとき、もし斉藤(茂男)さんなら、黒田さん
 ならどういう取材をするのだろうか、そんな風に想像してしまう。
  
 あかん、かなりの虚脱感に襲われている。
 憂鬱まではいかない宙ぶらりん。
 何もする気がしない。どうしてこんな気分になったのだ。
 原因分からず。嵐が通り過ぎるのを待つしかないか。
 ちょいと引きこもりがすぎたようだ。

 暑い。どこが梅雨やねん。
 フラフラと外出。
 
 21時過ぎ、買い物へ。
 ツタヤでDVD("No man's Land"『鬼が来た』)を漁ってたら、
 あ、明日から半額セールか。じゃ、明日借りよ。

 久しぶりにDエに行く。やっぱり品揃えしょぼいわ。
 でも、まあ、テキトーに買い物して、ビュンと帰宅。

 部屋の扉を開けると、もわぁ~と熱気。
 やっぱり最上階は屋上の熱が伝わってんだ。外出して初めてその
 ことに気づくわ。

 シューマイとレタスをおかずに遅い夕食。

 お腹いっぱいになったら、ルーティーンになった打ち込みをしつつ、
 さ、仕事しよか。

<宝くじ>

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 社会問題(=当選金を目当てにして働かない)になっている
 宝くじは、ここビルマの西の外れ、ラカイン(ヤカイン)州の
 市場でも見かける。
 bu01961.jpg
 bu01962.jpg
 
もっともこれは「合法的」なくじでした。

 
 非合法宝くじは、タイの宝くじの当選番号、下2桁3桁を
 利用しているそうだ。

 写真のデータベースの雛形が、ほぼ完成した。
 後はチマチマとデータを入力していくだけだ。
 が、これがまた、気の遠くなるような作業だわ。
 
 このブログの上部、[Search] (↑)からも入れますね。
 
http://uzo.sakura.ne.jp/uzo/index.htm

 あと、個人的に記録する日々雑感のデータベースを手元に
 置いておきたいのだが、これも PHP&MySQL で組むか
 ファイルメーカーで組むか悩むところだ。

 PHP&MySQLはバージョンが 4.XX だし、写真データベース用の
 アパッチェと PHP5.X とは相性が良くないらしく、動かない。
 
 しかし、原稿の締め切りが迫ってんのに、いったい、何やってんだろ。
 ま、これは急ぎのことでもないし、今後の課題かな。

 現在利用しているホスティングサーバーの解約通知を送る。
 確かに安定しているが、どうもコストパフォーマンスが悪すぎる、
 んで。

 ひたすらデータ入力。
 眼と手首が痛い。

 ヒマを見て、ツラツラとウエブを徘徊する。
 と、『戦略的ビジネスのすすめ』の
平川さん
 第2弾を書くかも知れない。
 今から楽しみだな。

 「村上ファンド」の村上氏が逮捕されてすぐ、この人ならこの事件を
 どう考えるのか。とても興味があり、ソッコーで買ったのが上記の本。
 結構、書き抜きもしましたし(6月20日にアップ)

 
 もう1日が24時間ではなく2時間X12という単位で過ごしている。
 身体に悪いなあ。
 胃が重たいなあ。眼がビシバシだ。


 10時過ぎ、寝入る。
 14時過ぎ、カナダに向かう拝辞さんから電話あり。
 で、ふにゃふにゃ寝言を言いながら受け答え。
 お腹が空いたけど、とりあえず寝よう。

 次に目を覚ましたら、うわ18時半前。
 京都行き出来ません(予想通りというか)
 
 頭がぼ~。
 冷やしうどんをかっ喰らう。
 
 で、再び。データ入力開始。
 よくよくウエブをみてみたら、ポートフォーリオのページ、ほとんど
 リンク切れではないですか。なにやってんだ。

 夜中に作業をすると、どうも牛乳、豆乳の消費量が激しい。
 23時前、閉店間際のミニコープにビュンと出動。
 
 あ、荒ゴミの日、明日ではなく今朝だった。
 ちぇっ、がっくり。
 これでまた1ヶ月待たねばならない。


 あれれ、オジサンたちは眺めているだけ?

 水汲みは、
 bu01621.jpg
 女、子どもだけの仕事かな?
 
 そう思っていたら、男の人も水汲みにやって来た。
 bu01616.jpg
 
んでも、あちこち地方を訪れてみて、
 水汲みの仕事をしているのは、女の人と子どもたちが多い、
 ようだ。

 ひたすらデータ入力。
 自分にこんな根気強さがあったなんてちょいと驚き。
 ペチペチペチペチペチ、& ペチペチペチペチペチ。
 
 で、眠くなるまで作業続行。
 
 で、目が覚めるとまだ10時半。
 も一つ寝よう。
 で、目が覚めると、あれ、まだ10時半。
 あれれ?

 目覚まし時計の電池が外れてました。
 無意識的に目覚まし時計を邪険に扱って(投げて?)いたようだ。
 すまない。
 
 で、昼過ぎか。
 冷蔵庫空っぽ。
 無調整豆乳を飲む。おいしくない。
 
 目覚めと共に作業続行。
 うへ。
 
 梅雨の中休みで天気が良いではないか。青空も見える。
 げげげ。洗濯や!

 16時過ぎ、ニューヨークに送る契約書を封筒詰めし、ビュン、
 と郵便局まで出動(110円でした)

 そうそう、コープのリサイクル、ペットボトルとアルミ缶を忘れずに。
 
 ガソリンスタンドに寄ったら、「バイクの後輪、空気を入れる箇所、
 チューブの部分が避けてますよ」、と。
 通りで空気が抜けるんだ。

 バイク屋に寄ったら、部品650円、工賃2700円余り。
 タイヤ(特に後ろ)をはずすと、技術料がいるのよね。

 本屋で立ち読み。
 そろそろ本気で仕事をせねば。むむむ。
 
 今日はJモールでお買い物。
 精をつけねば、久々にお肉なるモノを買う。
 ついでに夜食用のおやつもたくさん。

 ビュンと帰宅。
 ちょいと歩いて汗かいた。水風呂浴びて、さ、作業続行。
 ほどなく腰痛い。

 ニラ、ぴいまん、ヤキ肉を机の上に並べ、さ、美味しく食べよう。
 しっかし仕事しながらメシ食うのもザンないな。

 休憩を入れつつ、ペチペチペチペチペチ。


 雨でも托鉢は休めない。
 なにせ、それで喰ってんだから(生活してるんだから)
 cu02157.jpg
 冷たい雨の後、裸足はつらいね。

 ビルマに3ヶ月も住んでいると、パナッ(草履)をはいてい
 てもすぐに踵がガチガチになって割れる。
 ハダシのお坊さんはどんな足してんだろ。

 やはり修行慣れか、お坊さんたち、サササッ、と、ハダシ
 でも結構早足、テクテクッ、歩く。ちょいと脇見をしてたら、
 もうあそこまで。
 cu02159.jpg

 今日も畳にごろ寝。
 熟睡しないための方策。悲しいなあ。

 今日も梅雨のど真ん中、雨のち曇り、のち小雨。
 鬱陶しい梅雨空じゃ。

 ラジオを聞いていると、輸血も実は「臓器移植」の一種だと。
 う~ん、そうだったのか。個人的には、臓器をモノのように扱う
 (決して、そうではないのは分かっているが)「臓器移植」には
 あまり賛成できないが、輸血(献血)は賛成していた。

 確かに、移植を待つ側からすれば、理屈は入らないのだろう。
 が、
 う、よく分からなくなってきた。
 
 大阪~岡山で大学生を含めた凄惨な事件が発生。
 朝刊でその情報を読む。
 で、新聞によると、容疑者と(被害者?)が在籍している東大阪
 大学の幹部が緊急会議を開いた。

 で、対策として「勉学に専念するよう掲示などで呼びかけること
 に決めた。」そうだ。

 ええっ。
 どんな形であれ、人の命が奪われているのだ。
 それなのに、それにキチンと対応することなく勉学にいそしめ、と。
 なんかちゃうんとちゃうかな。
 やっぱり腰据えて、正面から向き合う姿勢が必要では、と
 思うのだが。

 机の前に座って、ペチペチペチペチペチと作業。
 手首が腱鞘炎になるわ。

 夕方から小降り。
 夜になると雨やむ。
 
 冷蔵庫空っぽ。
 悲し。
 
 気分転換で紅茶を飲む。たまにはティーもいいもんだ。


 タマニャ山詣での尼僧(?)たち。
 03AC0047.jpg
 背中を向け合っているけれど、たまたまそういう座り方を
 しただけ。
 
 決して、ケンカをしているわけではありません。

 それはさておき。

 ①nun(尼僧)、
 ②bhikkhuni(比丘尼)、
 ③ thilashin(テラシン)、
 オレンジ、橙色の僧衣をまとっている女性たち。
 
 修行形態や行いや、あるいは服装自体違うのかな。

 この3つの違いがよく分かりません。



 どなたか、ビルマ(ミャンマー)語でベジタリアンを意味する
 言葉、タタロー/タタルウの英語表記を教えてください。

 ググってるのですが、見つかりません。

 深夜2時過ぎ、息切れ。
 気分転換にDVDでも見よう。今日は寝っ転がって、"IBMマシン
 をオンにする。

 ""NORTH COUNTRY"(邦題""STAND UP"
 
 疲れた目がますます疲れた。ギンギンや。
 布団にもぐり込む。

 今日は新聞読む気力も体力もナシ。
 寝入ったのは6時半過ぎ(ころかな?)
 
 目が覚めたら、2時半過ぎ。
 ちょうど8時間の睡眠。久々です。
 いろんな夢を見たようだ。が、びろうながら、憶えているは
 オシッコでダムを満杯にする夢だけ。なんでだろ?
 
 雨やんでるやん。どんよりとした曇り空。
 
 すぐに仕事にとりかかる気力ナシ。
 布団の仲で朝刊読んで、ゴロゴロ。
 やっぱり一人だと独り言が多くなるようだ、知らないうちに
 ブツブツと何かをつぶやいている。

 さ、起きようか。布団をたたんで、机まわりの書類を片付ける。
 請求書は見るのもヤダな。

 しばらくしていなかった、パソコンのデータのバックアップ。
 データのクラッシュは致命的だよね。
 
 20時過ぎ小雨の中、、MP3でボロの唄を聴きながら、(珍しく)
 歩いて、近くのミニコープへ。運動不足だからね、ちょっとでも
 歩かねば。で、安売り多し。キューピーのハーフが148円。
 
 さ、今夜も仕事に励もう。
 ペチペチペチペチペチ。

<雨降り>

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 シトシトと降る雨は、日本もビルマも、やはり鬱陶しい。
 
 でも、雨(水)は天の恵みだし、もちろん文句は言えない。
 それは仕方ない。

 雨が降っていると、タクシーの値段交渉も難しい。
 こういうときは運転手が強く出ることがある。
 それは仕方ない。
 03S00140.jpg
 左のオジサンも、交渉しては車を離れ、再び運転手に話し
 かけてた。
 それを2度3度。
 雨降り時の値段交渉を繰り返してた。

 その一方、雨が降ると、サイカーに乗る客も激減。
 03S00141.jpg
 雨の中、客待ちをするサイカーの運転手たち。
 
 こういう情景を見ていると、見る側の心の中も濡れがちだ。


 目が覚めたら2時過ぎ。
 少しだけ机に向かって椅子に腰掛ける。が、ダメだ。
 そのまま畳の上にゴロリ。布団で寝たらぐっすり寝込むからね。
 それじゃあかん。

 4時過ぎ起きる。で、ペチペチペチペチペチと作業。
 朝刊読んで一休み。

 ん?
 何時に寝て、何時に起きた?
 もうムチャクチャですね。

 2時間毎に、寝て、起きる、の繰り返し。
 ふぅ~、ようやく修正のめどが付いた。
 これでなんとかなるなあ。

 で、一休み。
 トマトときうりとレタスのサンドイッチを喰らう。

 で、いよいよデータの打ち込み作業。
 ビルマのガイドブックを見ながら基礎データの抜き出し。

 で、写真の登録開始。
 なんとかなると思ったら、うわ、縦位置の写真がおかしい。
 う~、これ以上修正できないよ。みっともないけど、なんとか
 そのままやり続けるしかない。

 トウフとワカメのお味噌汁で軽い夕食。

 どうやら大阪にトム・クルーズが来ていたそうだ。
 ふん。
 って、何張り合ってんだ。
 
 そいやその昔、米国ボストンに住んでいたときのことを思い出す。
 現地の日本語情報誌で仕事があった。ハーバード大学は年に一度、
 俳優に「何たら賞」を出すそうな。

 その年の「何たら賞」の受賞者は、トム・クルーズとメグ・ライアン
 であった。メグ・ライアンの記者会見に、いそいそと出かけた。
  meg.jpg
 確かにキュートだね。ふむむ。
 でもさすがに年齢か。アゴの下のたるみは隠せないね。
 
 その時はモノクロだけで写真を撮っていた。
 あの時、カラーで撮ってたらもっといい写真が残ってたのに。
 残念。

 で、翌週の記者会見はトム・クルーズだった。
 が、その会見には出席できなかった。情報誌の編集部の女性
 たちが、3人と限られた会見の出席人数を占めてしまったから
 であった。

 「もしかして、記者会見でトムと目が合って、恋に落ちたらどう
 しよう?」。途方もないことを考える女性陣であった。
 しかし、そこまで思わせるトム、って何だ!

 あの頃の私は、ひたすらドキュメンタリー写真だけのことを考えて
 いたようだ。当時の編集長は、そんな私に気を遣って、鈴木保奈美
 (今は「とんねるず」石橋貴明の連れ合いですね)のインタビュー
 をキャンセルしてくれた。
 
 うう、ありがとう。
 今なら、軟弱になってるから、そんな機会は逃さずに受けるのに。
 (なんの機会だ?)
 
 ダメだ。最近、仕事に集中しすぎだ。
 幻惑がひどい。
 
 そうトムだ。アヤツ、同い年じゃないか。
 で、So what?

 ま、いいか。
 仕事をしよう。
 ペチペチペチペチペチ。

 ブラジルX日本戦。
 これまた、いつものようにツルツル脳味噌の想像力の部分を
 フル回転させながら、キーボードをペチペチペチ叩きながら、
 ラジオでサッカーを聴く。

 日本、1点入れる。
 もしや?、って思ったのが自分の甘さ。すぐに現実に直面。
 
 3-1になった段階でも、全国97局のラジオ局をつないだ、
 代表のアナウンサーが、「3-5(点)と逆転すれば決勝リーグに
 望みがある」とほざいている。

 もうやめてくれ。
 結局4-1。
 
 でも、良いゲームだった。
 だって、試合を楽しませてくれたじゃないか。
 夢を見させてくれたじゃないか(ホントは見てないけど)

 というより、4年に1度、サッカーゲームの面白さをいやという
 ほど味わさせてくれたじゃないか。うん。
 ペチペチペチペチペチとキーボードを叩くが。
 瞼がトロン。
 もう寝よう。

 遠い意識で電話がなる。
 許しておくれ。
 
 昼過ぎ起床。
 相変わらず昼夜逆転の生活。
 食生活もボロボロ(夕食は「ココナツサブレ」と「むぎむぎ」)

 重たい胃に冷えた水を500mlぐらい流し込む。
 げぽっ。
 
 とりあえず、急ぎの連絡2件ほど。
 
 夕刊に目を通して、ガックリ。
 「素粒子」のトップにこうある。
 --------------------------------------------------
 戦いすんで夜が明けて、日本の球蹴り狂想曲おわる。あんな、
 へなへなシュートじゃ、仕方ない。
 --------------------------------------------------
 、と。
 これはひどい。精一杯プレーした(と思う)選手に対して、余り
 にも失礼なコメントではないか。負けた責任は、やはり監督が負う
 べきであり、選手のプレーを揶揄するような事は言って欲しくない。
 
 こういうのをウィットに富んだコメントだと思っているなら、
 大間違いだと思う。久々に不快に感じる一文だ。
 ディーセンシーがないのだ。

 それに加えて、その夕刊の紙面作りに問題ありかな。
 ↓
  DSCN3167.jpg
 このレイアウトは、やっぱりイケてないな。なんで折り目に
 ポイントである中田選手が来るの?
 緑の芝生、白いライン、そこに横たわる中田選手。
 このイメージを生かそうとしたら、・・・。
 もう言わま。

 オランダから ""WORLD PRESS PHOTO 06" の冊子が届く。
 ふむふむ。
 これも、何も言わま。
 ぐちゃぐちゃ「言う」よりも、行動を起こさねば。
 深く反省。
 はい。
 う。

 さ、やるべき事をやろう。

 なんども書き換え、不都合な部分を修正。
 どうもこの PHP というのが分からない、というか理解できない。
 
 サンプルを修正しているが、それでも何とかなるのか、分からない。
 自分の脳味噌のデキの悪さにトホホ。
 
 夜中、異臭あり。
 また、隣家が料理してんだな、
 って思ってた。
 ペチペチペチペチペチとキーボードを叩く。

 あれ、おかしいな。
 あ、カレーを煮てたんだ。
 慌ててキッチンに飛んでいく。

 ブスブスブス。
 カレーは完全に炭化。お鍋とお玉も真っ黒け。
 火を止めたら、もうもうと白煙が上がる。
 うわ、換気扇じゃあ間に合わない。
 
 ゴホゴホ。 
 大阪ガスの「ピコピコ」が作動しないかとヒヤヒヤ。
 
 15分もする後白煙収まる。
 今度は冷えはじめたステンレスのお鍋が収縮しはじめたのか、
 ペキペキ、ペッキッと高い金属音がキッチンに響く。
 危ないなあ。
 
 DSCN3163.jpg
 ブロッコリーカレーの残骸。
 透明な強化ガラス蓋も、熱でこのざま。
 
 夜中3時過ぎ、何してんだろ。ガックリ。
 そこまで集中して机に向かっていながら、やりたいことは遅々と
 して進まず。これが現実。

 雨降ってるし。気分は乗らない。
 寝よう。

 11時過ぎ、起きる。身体が重たい。
 生食パンをかじる。冷蔵庫が空っぽだ。
 むなしい。

 それ以上に今朝のむなしい作業の続きを続行。
 なんとかデザインをカスタマイズし、ローカルでの動作は確認
 できた。

 その次が大きなハードルだ。
 phpMyAdmin の使い方をウエブで検索。
 が、全くない。
 いったい、これ、どうやって使っていいの?
 やっぱり素人が手出しをするモノではなかったのか。
 ここまで来て、・・・、目の前が暗くなる。

 が、諦めるわけにはイカン。
 サーバーを提供してるプロバイダーのQ&Aに目を通す。
 ウエブ上のQ&Aに目を通す。
 
 とりあえず、エラー&ゴーだ。
 ペチペチペチペチペチとキーボードを叩きはじめる。
 悪戦苦闘3時間あまり。
 やっぱり動かない。
 目の前、真っ暗→真っ白け。もうやめようかね。

 今やめたら、この2週間の苦労とエネルギーとお金が無駄になる。
 が、大きく傷つかないところでやめるのも賢明な選択。

 あきらめようか、まだもうちょっとやってみようか。
 ゆら~り、ゆれゆれ。ああ。

 全力を尽くしていない自分が居るのもシャクに障る。
 やってみよう。
 
 データベース機能の全体の概念とそれに対応するプログラムの
 関係がよく分からない。
 
 分からないことが分かるというだけでも進歩か。
 トホホ。

 もう一度、マニュアルに目を通し、データをアップしていく。
 あ、この php.ini をアップしていないじゃないか。
 どこへアップ?
 あ、ここか。
 で、リターン。
 
 19時過ぎ、画面が動いた。
 おお、できた。やった。
 心地よい虚脱感。素人でもなんとかできた(それ以上のことは
 たぶん出来んけど)
 
 ふぅ~っていう感じ。
 ここまで来たら、マイナー修正とデータ入力のみ(これもまた、
 気が遠くなる)
 
 かなり頭に血が上っている。
 ノー味噌を冷やそう。
 DVDで "CASTING DIRECTOR" を見はじめる。
 冷蔵庫が空っぽだ。豆乳も牛乳もシュワシュワもない。
 買い物にでも行くか。
 22時過ぎ、近くのミニコープまで出動。

 雨が小降り、シトシト気味。ま、散歩にはイイか。
 電話片手に、坂を下りる。

 きうり、ぎうにう、ココナツサブレ、むぎむぎ、などを買う。
 電話片手に、坂を上がる。
 ぐちゃら。

 "CASTING DIRECTOR" を見終える。
 最後のところで、おお、ようやく盛り上がりはじめた、と思った
 ら肩すかし。いつもの(文字通り)自己陶酔型ハリウッド映画だ
 った。

 ショーン・ペンはキャスティングミス、メグ・ライアンの演技も
 もう一つ。唯一の救いは、ケヴィン・スペーシーの深い演技かな。
 さすがだな。

 3つのパソコンにそれぞれ Apache, PHP, MySQL を導入している。
 メインのデスクトップには、さすがに ネット直結だけど。
 
 さ、やりましょか。
 目がパシパシ。指はペチペチペチペチペチ。
 ああ、また、日付が変わる。

 『うなぎ』を見終えたら、もう3時過ぎだ。
 さすが今村昌平監督作品、考えさせられるようで、実はサラッと
 流してしまいそうな内容でもある。
 
 浮気をした妻を殺した男。その懲役が「8年」か。
 その8年に違和感を感じる。

 ちょうど今日、「山口・母子殺害」事件の判決があっただけに、
 犯罪と死刑制度、犯罪をした後の矯正とは何か、について考えて
 しまう。
 
 人が人を裁く。
 いや、国家が人を裁くというシステム。
 そんな簡単に答えが出ない事象にどう対処して良いのか。
 
 法的に考えるのか、それとも「人間として」という部分に重きを
 おいて考えるのか。う~ん、まとまらない。宙ぶらりん。

 山口事件の被害者遺族、Mさんのコメントを新聞で読む。
 「死刑で自分の命を取られる。それを初めて実感したときに、自分
 の罪の重さを知ることができる」

 Mさんが遺族として社会に積極的に打って出て訴え、ある意味孤軍
 奮闘しないと、加害者が自分の罪の重さを知ることが出来なかった。
 そんな制度の不備にこそ、考えるヒントがあるのではないか、と思う。
 いや、そういう発想は逃げになるのか。
 そう考えるのが今は精一杯。
 
 いきなりDVD3本を見て、目がパシパシになってしまった(◎_◎)
 もう4時過ぎ。
 寝よう。

 11時過ぎ、自然に目を覚ます。
 悪夢を見たようだ。精神的にはきつい。
 でもこの天候気候、身体的には気持ちがいい。
 
 今日もピーカン晴れ。
 洗い物をして、布団を干す。ゆっくり新聞に目を通す。
 
 日銀福井総裁の記事が写真付きででている。
 写真キャプションに、「会見を終え、うつむき加減に会場を出る
 福井日銀総裁」とある。
 ここで「うつむき加減」という描写は、不必要だろう。
 読者に先入観を植え付ける一文である。

 それはさておき。
 ここで総裁が役職にとどまることで、日本の(役所の)無責任体質
 が強化されるであろう。運用益が1473万円というのは、どう
 考えても言い訳ができない。
 
 「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」という考え方は
 日本に根付かないのだろうか。

 暑い。カンカンカ~ンと金属音が鳴り響く。前の家がエアコンの
 取り付け工事中。うう。羨ましい。

 米国の「組織」から、メール添付で写真使用の契約文書がきていた。
 うう、1枚の写真の使用に関して、これほどの契約書を作るのか。
 (まあ、雛形の流用だけと思うけど)、それでも、さすがにこの
 「組織」の性質を現しているな。


 書き抜き作業をしながら、最近の出来事をツラツラ、考える。
 さて、どういう風に進めるか、対処するか。 
 自分自身、方針の決まらないひどいヤツだと思いつつ。

 昨日も今日もカレー。
 あ、ブロッコリーを入れるのを忘れてた。
 作業を進めなければならないのに、手つかず。
 ああ。

 ウエブのニュースを見ていたら、デジカメもいよいよ1億画素か。
 小型化も時間の問題だよな。あと2~3年くらいか。
 いや、コストを考えると一般小売りはしないのかな?

 『論力の時代』の書き抜き。
 --------------------------------------------------
 以前は、内容を第一に考えていた。そこで何が語られ、主張され
 ているのかを何よりも重視していた。が、最近では、どのように
 語られ、表現されているかに注意が向くようになった。内容の正
 しさより先に、語り方・書き方の真剣さ、美しさ、面白さ、心地
 よさの方が気になる。
 (P.ⅰ)

 議論強者が主導権を握れば会議は動く。が、現実はかえって動か
 なくなる。
 (P.5)

 たしかに、「理性的議論で決める」こと以上に公平な物事の決め
 方はないように見える。・・・・・。
 しかし、他方で、すべてが理性的議論にゆだねられた社会を仮定
 してみると、それは果たして公平と言えるだろうか。権力者や金
 持ちに従わなくてもよくなる代わりに、議論強者に牛耳られてし
 まうことにならないだろうか。
 (P.7)

 それでもやはり、議論の結果決まった事を守らないわけにはいか
 ない。そういう道徳を内面化しているから、良心が痛むのだ。
 それに、私も他人に同じ事を要求することがある。こちらの言い
 分が通ったら、相手がその結果に従うのは当然だと思っている。
 つまり、自縄自縛なのだ。
 (P.10)

 戦後の学校教育に代表される「社会の民主化」の流れは、とくに
 暴力、権力、金力の猛威をそぐことをその目標としてきた。
 ・・・・・。
 そこで「人を人に従わせる力」として論力のみが唯一公認されて
 きたのである。
 ・・・・・。
 私は、論力もまた暴力や権力と同じように、人が人を従わせる力
 の一つなのではないかと言いたいのである。
 (P.11)

 あらためて見渡してみれば、現在の情報社会はコミュニケーション
 の容易さや生活の便利さにもかかわらず、きわめて不快な一面を
 もっている。便利になった分だけ忙しくなるという問題もあるが、
 それだけではない。問題は便利さの中身なのだ。この情報社会は
 言葉にあらわされたあらゆる知識や思想や観念を「要約」して
 パッケージ化していく。
 ・・・・・。
 いまやジャーナリストの取材や編集だけでなく、学者による解説
 や文献案内もまたこの種の「要約」なのだ。
 (P.81)

 理性的議論を用いて相手の行動をかえさせようとすることの
 適切性それ自体が議論されていないのだ。理性的議論はどの
 ような場合にどの程度の価値をもつのか、それ自体を理性的
 に吟味されなければならないのである。
 (P.116)

 「言葉の魅力」はけっしてパターン化できないし、意図的に
 引き出すこともできない。
 (P.137)

 言葉の魅力は言葉にコミュニケーション上の実用性しか認め
 ない者の前では無にひとしい。
 (P.138)

 私はこの文章<吉本隆明『言葉からの触手』>を読んだとき、
 異様な空虚感におそわれたことを憶えている。この情報化社会
 ではこの世におこりうるあらゆることがすべてもう語られ、
 書かれてしまっている。
 (P.174)

 私は「言葉の美しさ」をたんに言葉の問題とみなしてはいない。
 言葉の美しさは言葉を発する人間美しさに通じ、究極的には、
 その人間の存在を可能にする社会の美しさに通じる。この直感
 にもとづいて、私は「言葉の魅力を持って人々を動かし、社会
 生活を方向づけるべし」と主張してきたのだ。
 (P.181)
 --------------------------------------------------

 暑い。水風呂に入る。
 うへぇ~、冷たい。
 でも風呂上がりは気持ちがいいよな、うん。
 


 ジャングルを続ける。
 急な斜面を、斜めに登っていると、うわ、再び象に出くわす。
 93kar062.jpg
 
おいおい、その巨体で横滑りしないのか。
 結構器用な動物である。

 
 山の頂付近。
 今度は象の群れ(5頭)に出くわす。
 子どもは子象に乗ってる。
 93kar058.jpg
 そのバランスの良さに思わず苦笑。

 こちらはかつてのサルウィン河支流。
 KNUの総司令部マナプロウが陥落するまで、メーサムリップ
 (タイ側)~マナプロウ間には数多くの製材所があり、数え
 切れない程の象が働いていた。
 93kar063.jpg
 KNUの支配地域からタイ側へ「輸出する」木材を運んで
 いる。

 地域はずずず~っと南に下がる。
 タイ側カンチャナブリからビルマ側へ渡る。かつてKNUが
 大きく支配していた第4旅団区。
 93kar059.jpg
 そこでも象がのっしのっしと闊歩していた。


 魂を売るか・・・ある財団に応募しようとおもったが、その財団の設立に
 を考えると、やめだ。

 『戦略的ビジネスのすすめ』、『論力の時代』読了。
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 人間がビジネスをするのではなく、ビジネスする動物が人間
 なのだ。
 (P.003)

 ビジネスとは損得勘定でものごとを考えることであり、正義や
 倫理、道徳を指標とするわけではないということに全面に同意
 を与えたいと思っております。・・・・・。
 
 ・・・「グローバリズム的な思考」「戦略思考」といったもの
 が、ビジネスの面白さやエートスといったものを根こそぎになぎ
 倒している光景に対して、そうではないやり方、・・・・・。
 (P.004)

 「面白さ」のよってくることは、人それぞれにことなっている
 でしょう。・・・・・。
 それはひとつの結果であって、事後的に成功であったとか失敗
 であったと判断して・・・。
 人は儲からない仕事にも情熱を注ぐことができるし、地位に恋々
 としなくとも達成感を得ることが可能・・・。
 (P.016)

 わたしがいいたいことは、実は「ビジネスはお金のためだけじゃ
 ないよ。もっとも崇高な目的があるはすだよ」ということでは
 ありません。ビジネスを「お金」であれ、「達成感」であれ、
 あるいは経営者の自己実現であり、明確な目的が事前にあるもの
 だとする考え方そのものが、ビジネスをつまらなくさせている
 原因のひとつであるということなのです。

 
 将来に目的というものを設定することによって、ビジネスの
 「現在」は将来に奉仕するための手段になります。この現在の
 絶えざる手段化こそ、ビジネスの本来の面白さを殺ぐ原因である
 と思っている・・・。
 (P.017)

 ビジネス書を読む読者が見落としているのは、ルールブックを
 いくら読んでもゲームを楽しんだことにはならないという単純
 な事実です。
 (P.018)

 逆説的な言い方になりますが、すべてがうまくいくゲームは
 まったく面白さというものを運んでこないばかりか、ゲームと
 して成立しません。なかなかうまくいかないこと、膨大な失敗
 の山を築くこと、こういった試行錯誤こそゲームの面白さを保証
 し、担保しているということだろう・・・。
 (P.019)

 ビジネスはモノを媒介とする平和的なコミュニケーションであり、
 (P.020)

 高度経済成長を続けている間に、ビジネスが社会の限られた
 リソースの奪い合いとして認識され、会社をその収益獲得機関
 として考えるようなビジネス観が支配的になってきました。
 奪い合いであれば、その最終形態は戦争です。
 (P.021)

 ビジネスにおいては長い間、攻撃は最大の防御であり、競争
 相手をその「最低の鞍部」越えるという80年代のポレミック
 な考え方・・・。

 戦略本が読者の心の深いところに響かせているのは「恐怖」
 です。敵よりも早く「戦略」を手にしないと大変なことになる
 よというわけです。つまり、人は戦略本を買うのではなく、
 自らの恐怖心に買わされているのです。

 ビジネスプランというものがあります。マイクロソフトの
 プレゼンテーションソフトである「パワーポイント」には、
 ビジネスプランのテンプレート(雛形)が組み込まれています。
 ・・・・・。
 もし、起業家というものを定義しようとするなら、テンプレート
 にしたがって自らのビジネスを組み立てるマインドの持ち主で
 あるはずはなく、テンプレートそのものを書き換えるような人間
 であるはずです。
 (PP..029-030)

 IT は情報技術と翻訳されます。でも、正確にいうなら情報交換
 技術というべきでしょう。というのは、情報というものは退蔵
 されたままでは何の価値ももたないただのゼロと1の数字の羅列
 にすぎないからです。
 (P.037)

 その意味では、情報はお金と似ています。お金もそれ自体は
 ただの紙切れですが、それが何とでも交換できる「万能の性格」
 を持ったときに、そして持てる者と持たざる者の巨大な落差が
 形成されるときに比類のない「価値」となったわけです。
 (P.038)

 起業家が描くビジネスプランも投資サイドが考えているような
 評価ポイントを軸に画一的に構成されているものがほとんどなの
 です。 
 なぜなのでしょうか。
 答えは簡単です。それは、企業の目的が最終的には「お金」に
 設定されていることから招来するということです。
 (P.043)

 わたしは、ビジネスをモノやサービスといった商品を媒介とした
 人間と人間のコミュニケーションであると考えています。
 (P.048)

 わたしは、自らの欲望の充足のために会社を興したわけではない
 ので、・・・。
 (P.049)

 かつての会社設立にはひとつの物語がありました。

 「物語」とはそれ自体自己完結しているひとつの世界です。
 そして「物語」が「物語」であるのは、そのなかに現実とは
 異なった物語固有の時間が流れているということに尽きるの
 です。
 
 たとえば企業活動というものが「利潤」を生み出す活動であり、
 ・・・・・。なぜならここでは、重要なのは結果であって、
 プロセスというものはできる限り簡素で、単純で、交換可能な
 ものであることが要請されるからです。
 しかし、固有の時間というものはプロセスのなかにしか存在して
 いません。
 私たちが会社というものを作って、・・・、そこにわたしたちの
 固有の時間(自分たちの仮構)というものを生成するミッション
 があったからだと、わたしは考えています。
 ・・・・・。
 会社の機能面の対極にあるこの幻想共同体の生成という側面は、
 (PP.057-059)

 カテゴライズは、いつもその人間の性格や行動を類型として理解
 するために単純化された過去のデータにしかすぎません。それは、
 人間というものを拘禁したり、解釈したり、審判したりする場合
 に使用する物差しとしては何らかの意味を持っているのでしょう
 が、
そういった類型化という目的を離れたところでは何の意味も
 持たないということは、
・・・。
 
 同時に、他人の人生から何かを学ぼうという人にとっても、この
 カテゴライズは何の意味もない事後的な文字列にすぎません。
 それなのに、会社を作っていこう、会社について考えてゆこう、
 会社の価値について何ごとかを学ぼうといった人たちが、なぜ、
 事後的に記された会社のデータや業績や事例といったものから
 何かを学ぼうとするのか、不思議なことと言わねばなりません。

 繰り返しになりますが、これらのものは事後的、便宜的に類型化
 されたにすぎないのです。
 ・・・・・。
 これらはすべて過去の事象であり、事後的に記述された結果に
 すぎないということでしょう。
 ・・・・・。
 では、人が他者の人生から何かを学びたいと思うとき、彼は他者
 のどのようなふるまいに期待したらよいのしょうか。あるいは、
 人が自分の人生を他者に伝えたいと思うとき、人はどのようにして
 自分を説明しようとするでしょうか。
 おそらくは、その人間がひとつの行為をどのような理由によって
 選択し(あるいはその選択によって何を断念し)、そのときに
 どのような意図、決意、逡巡があり、その行為がそのような
 プロセスを経てひとつの結果になったのか、とうところまでの
 時間のなかでの出来事に行き着くほかはないはずです。

 これが、「物語」という形式を人に選ばせる理由です。別の言い方
 をすれば、人には「物語」という形でしか伝えられないものがある
 のだということです。
 (PP..060-061)

 創業者にとって会社を作ることは、個人的な欲望やアイデア、
 技術といったものを社会化させてゆくための装置の作りであって、
 会社そのものが目的ではありません。
 (P.075)

 企業のプレゼンスとは、誰もがそこで働いてみたいと思わせる
 ような、企業理念、意志決定プロセス、影響力、製品やサービスの
 独自性、そしてそれらを生み出す経営方法といったものが作り出す
 オーラであり、個性というべきものにほかならないのです。
 (P.077)

 シリコンバレーに代表される、スピード経営、戦略経営、直接金融、
 株主中心の会社経営、労働資本の流動化、企業競争のゼロサム
 ゲーム化といったものが日本の経営土壌に一気に流入してきた
 のは、それが勝者の戦略として機能していたからです。

 このことは、米国型の戦略的な経営が米国経済を勝利に導いた
 ことを必ずしも意味しません。話しは逆です。経済的勝者が繁栄
 を永続化、固定化するために現在の戦略を構築したのです。
 (P.079)

 人間はいつもプロセスのなかに存在しています。
 (P.085)

 戦略家は、結局自分の戦略が当てはまる現実しか見ないものである
 ということでしょう。戦略が当てはまるのは、相手もまた同じ思考
 のパラダイムで働いているときだけなのです。なぜなら、形式や
 分析とは無縁のベトナムのゲリラの行動は、自分がよく知っている
 思考パラダイムから離れて、自分が知らない思考のなかへの命懸け
 の跳躍をしなければ読むことができないからです。
 (P.086)

 ひとつの方法論の選択は同時にほかのありうる可能性の排除で
 あることを意味しています。
 (P.089)

 未知という意味は、たんに将来のことはよくわからないという
 意味ではありません。むしろ、将来を知るためにはわたしたち
 が過去を取り扱う手つきには、私たちには自覚することのでき
 ない重大な落とし穴があるということを申し上げたいのです。
 (P.092)

 フィジカルな欲望は、いわば人間一個の身体内部での出来事
 です。身体性というものが、欲望の培地であり同時に欲望を
 囲い込む垣根であるわけです。対するに、観念の領域は無際限
 であり、ここに生起する欲望は身体の内部から這いだして、観念
 のなかで自己運動を始めます。ここに欲望は制動機を失い、欲望
 が欲望を再生産しながら拡大してゆきます。
 (P.104)

 社会のなかに位置づけられるとは、社会のなかで他者と自分との
 間にある差異が意識されることでもあるでしょう。人間は自分を
 確認するために他者を必要とするわけです。この場合他者は自分
 と同じでなければならず、同時に自分は他者と異なっていなけれ
 ばならないという奇妙な2重性が現れます。
 (P.106)

 働くモチベーションを突き詰めていくと、必ずコミュニケーション
 の問題に行き着きます。それは、人間の欲望といったものの最終
 形態が他者を必ず必要とするからです。
 ・・・・・。
 まず先に交換があって、はじめて人は他者との差異のなかに自分
 を発見するわけである。そして事後的にその差異が愛情とか尊敬
 といった形で分節されることになります。
 (P.107)

 自己実現とは将来実現する能力や可能性なのではなく、ただ現在
 の欠落感としてしか実感できないものであるといえるのではない
 でしょうか。・・・・・。
 欠損的、欠性的にしか存在しえないような欲望を、わたしたちは
 自己実現の欲求と名づけたわけです。
 (P.118)

 「ビジネスとは何か?」「人はなぜ働くのか?」・・・。
 したがって、私の論考はこの「なぜ働くのか?」という問いに
 回答を用意するためのものではありません。私の興味は、人は
 なぜこのような問いをやめられないのかということの考察にこそ
 向けられています。
 (P.126)

 人間がビジネスをするのではなく、ビジネスする動物が人間で
 あるということです。言葉を持つ、火を使う、墓を持つということ
 と同様に、人間をほかの動物と隔てる条件の一つが交換するという
 ことであり、それこそがビジネスの期限的な場所であるということ
 です。
 (P.136)

 客観的な評価とはある枠組みのなかでの評価にすぎないと
 いえます。社員を数値で評価してゆくのは、あくまでも数値で
 評価できるものを評価するという枠組みを設定しているからこそ
 できるわけですが、評価される側も評価する側もしばしばこの
 枠組みを忘れるものです。
 (P.146)

 しかし日本型システムが崩壊したのは、まさにこの責任を取る
 というシステム成立上の基盤そのものが崩れてしまったという
 ことになるでしょう。
 (P.156)

 わたしはコミュニケーションが発生する最初の条件は「最初の
 贈与」であると考えています。・・・・・。コミュニケーション
 においては与えたものしか受け取れないということになります。
 (P.158)

 ・・・リアル・ポリティクスの世界だけではなくて、経済、教育、
 社会のどの分野でもいまや戦略的な思考は当然の理であり、戦略
 なき態度は間抜けな証左であるかのごとく取り扱われているの
 です。
 ・・・・・。
 言葉というものはおそろしいもので、頻繁にしようされている
 うちに、それがひとつの思考パターンになり、行動までを規定
 してゆくという呪術的な力を持っています。
 (P.162)
 
 戦略的な思考にとらわれる理由はふたつしかありません。その
 ひとつは、少しでも自分に優位に事を進めるために、スタート
 地点における有利なポジションの獲得、競争相手の弱みに関する
 情報の入手、・・・、いわば一種のずる賢さの肯定です。そして
 もうひとつは、自分の相手は必ずこのずる賢さで自分に対応して
 くるという疑心であり恐怖心です。
 (PP..164-165)

 結論からいえば、それは都市化と市場原理主義の横行にその因子
 があるということなのでうが、これを証明するためには少し厳密
 な議論が必要です。

 たしかに、いきすぎた市場主義というものが、いわば結果よけれ
 ばすべてよしといった倫理観の土壌をつくり、それが競争をより
 加速させ、競争に勝つための戦術を先鋭化させ、さらにはあらか
 じめ競争優位なポジションを得るために頭脳を使うということが、
 人と人との関係を変質させてきた、・・・。
 (P.165)

 わたしは、この「当たり前」の事実、つまりビジネスにおいて
 交換されるのはモノやサービスとお金であると同時に、技術や
 誠意といったものが満足や信用といったものと交換されている
 という二重の交換こそが、あらゆるビジネスの課題の中心であり、
 そこからビジネスの過酷さも面白さも派生してくることを申し
 上げたいのです。モノやサービスやお金といったものばかりを
 見ていると、その背後にある、非言語的なコミュニケーション
 というものは見えなくなります。
 (P.168)

 ・・・、報われない努力というものには意味があるということ、
 ビジネスは果実を得るまでに多くの時間を要すること、たとえ
 華々しい結果を現在得ることができていなくとも、継続のなかに
 「見えない資産」が蓄積されていることなどを理解できれば、
 自らの立ち位置に新たな価値観を見いだすことも可能である。
 (P.171)

 この半世紀という長いスパンで見たときにいえることがひとつ
 あるとすれば、生活レベルで今日より明日はよくなるだろうと
 いう進歩の幅というものが確実に小さくなり、もはや糊代が
 ほとんどなくなるほどに成長を遂げてしまったということです。
 ・・・・・。生産の拡大と消費の拡大がバランスしていた、
 あるいはバランスさせてゆくことが経済発展の最大の課題だった
 時代が終わりつつあるということです。
 (P.176)

 経済のグローバル化とは、国民経済の枠組みのなかでは残り
 少なくなってしまった発展の糊代を開発途上国と先進工業国と
 の間の経済格差のなかに見出してゆくことにほかなりません。
 この経済グローバルはこれから先、未開拓市場への先進工業国
 大企業の進出競争、埋蔵資源への利権獲得競争という形でポリ
 ティカルな様相を必然化させながらも熾烈なものになっていく
 ・・・。
 
 実際のところ、グローバリズムといったイデオロギーの下で、
 地球レベルでの地域間の差異こそが富の収奪の源泉となるほか
 はないといった様相を呈しています。
 (P.177)

 誤解を恐れずにいうならば、政治的な課題や倫理的な課題を
 損得勘定のなかで考えるというがビジネスの思考なのですが、
 ビジネスの課題を政治や宗教の語法で語っているのが昨今の
 現象であるといえると思います。
 (P.180)

 地球の救済とか社会正義の実現というような問題は、倫理感や
 正義感だけではなくて、ソロバンが合う合わないといった世俗
 の言葉でも語れないといけない。ソロバン勘定ってのは則を越
 えずということと同じで・・・。
 
 「現場で検算されない理屈はいくら正しくても使いものになら
 ない」ということですよね。
 (P.183)

 「現場」というのは、たしかに「ここ」なんだけれど、「ここ」
 にいるだけではその全容が見えない。でも、「全容が見えない」
 ということは「ここ」にいないとわからない。・・・・・。
 
 見えない部分に支えられて見える部分が浮力を得ているという
 ことを表象したけれど、・・・。
 (P.185)

 「現場」というのは、確かに「ここ」なんだけれど、「ここ」が
 「現場」であるためには、「それが見えるためには、それを見え
 るものにした無数の条件といったものを無意識的のうちに排除し
 ていることをわたしたちは忘れている」ということを思い出さな
 いといけない。
 (P.186)

 現場っていうのは、まさに身体がそこで生きている場所なわけ
 ですね。
 どんなに整序された理論で説得されても、なんかどうも居心地が
 悪いっていうことありますよね。頭ではああなるほど、と思って
 も身体が納得していない。こういった場合、ぼくはやはり、身体
 から響いてくる声に耳を傾けるべきだと思います。
 ・・・・・。
 経済や経営、或いは政治まで含めてもいいですけれど、これらを
 説明する理論なんて、それこそ時代が変われば容易に変わってし
 まう・・・、身体のほうは何万年も変化しないわけですからね。
 (P.188)

 沈黙交易のダイナミズムは、モノをやり取りする人々の間に
 「共通の度量衡がない」という・・・。
 
 だから、おそらくは「交易相手に、もう一度出会わなければ
 ならない」とぼくたちに思わせる心理的圧力の高いものほど、
 「経済的価値」が高いとされるのです。
 (PP..193-194)

 よくわからないものを手にしたとき、人はその価値を計量しよう
 がないので、もう一度会うという仕方で理解を経験に変換しよう
 とするわけですね。
 (PP..193-194)

 「戦略」という好戦的なタームであり、数ある思考のフレーム
 ワークのオプションのひとつにすぎない思考方法にとらわれて
 しまうような精神の状態こそが問題であるということなのです。
 ・・・・・。
 本来自由な考想に委ねられるべき状況を限定的な文脈のなかで
 しか考えることができなくなるということもあるのです。
 (P.209)

 しかし、戦略的な思考を採用することで無意識のうちに排除して
 しまった別の思考のフレームワークというものがあったのでは
 ないかと想像することは、意味ある重要な態度ではないかと思う
 わけです。
 (P.210)

 (マラソンの)野口選手が勝利したことによって、この(25キロ
 付近の早過ぎると思われる)スパートが「戦略」のひとつであった
 と事後的に確認されたのだ、と。
 野口選手が勝利した原因は、おそらく数え切れないくらいたくさん
 あったはずです。・・・・・。
 
 それでも人はひとつの結果に対してひとつの原因を求めたがる
 ものです。そこで人々が注目したのが、25キロ付近のスパート
 という「戦略」だったということにすぎません。考えてみれば、
 この「戦略」自体を可能にしたのもまた練習の蓄積や関係者の
 支え、シューズやコンディションであったわけです。
 
 問題なのは、「戦略」をクローズアップするということはその他
 の無数にあった条件を隠蔽してしまうkということなのです。
 (P.217)

 もし成功から学べるとすれば、それは結果からではなく、選手の
 構え、トレーニングに足しする日常的な対し方といったところに
 降りてゆくほかはないということなのです。それは、優れて想像力
 の問題であるといってもいいだろうと思います。
 (P.218)
 --------------------------------------------------

 この本の書き抜きをしながら、朱線を引いた部分の前後を改めて
 読み返すと、どうも前に進まない。今までの作業的な書き抜き作業
 と違う。どうも時間がかかる。
 何度も何度も、分からない部分を読み返してしまう。
 
 どうも、自分自身とは違う思考のフレームをしているのを感じて
 しまうからである。
 なぜか?
 
 どうして、そんな風に?
 そう感じる度に、思考が中断されてしまう。
 なんで、そんな風に?

 それは、この人自身がビジネスという現場で経験したことを自分の
 言葉で語ろうとしているからであろう。

 なぜ、そんなにこの人の考え方にこだわるのか。
 よく分からないけど、自分の考え方に波風を立てる。

 それはこういうことであろう。
 その昔、23歳前後の頃だろうか。
 私自身どう生きるか、ということで悩んでいたときに千葉敦子氏の
 著作のなかで出会った生き方、その後、自分自身の生き方と重なる
 方法- goal-oriented -ゴール・オリティッドという人生の処方
 箋を揺り動かしているからであろう。

 ゴールを設定して、それに誠実に向き合い、エネルギーを注いでいく
 という生き方こそがより崇高だと思っていたが、そうではないらしい。
 う~ん。

 理念的にはそうは思いつつ、実生活ではどう具体化するのか。
 社会に対して、どんな形のコミュニケーション方法を提供するのか。
 

 写真という情報を、どう商品化、作品化して、どの様に交換する
 のか。さらに作品そのものではなく、コミュニケーションの手段を、
 自分でどのくらい自由な形でコントロールできるのか。それが、
 今後の課題であろう。

 『貧困なる精神 Z集』をツン読する。

 『ウェブ進化論』を(いつものように「あとがき」から)読み始める。
 おお!、これはすごい本だ(新書の割には文字が小さくて読み
 づらいけど)

 これを読めば、フリーメールの gmail を使おうと思わなくなる
 だろう。タダほど高いモノはないからね。あな恐ろしや。
 
 6時過ぎ、おお、もうこんな時間か。
 寝よう。

 10時過ぎ起きる。
 おお、今日も天気だ。布団干し。

 さ、取りかかろうか。
 マニュアル本を片手に、サンプルの修正し、オリジナルデザインの
 構成に取りかかる。これってセンスがモノをいうから難しい。
 
 14時過ぎ、出動。銀行へ。
 100ドル札2枚の両替のため。
 10分もかからないと思ったが、甘かった。
 
 窓口で待たされる。他の窓口は開いているが、そちらは利用できない、
 そうだ。
 完全に銀行側の論理。客側にサービスを提供しようとする考え方
 ではない。

 やっと番がきた。
 それからまた大変。2枚のうちの1枚が「要チェック番号」に該当するそうだ。
 それからまた書類を書かされる。
 次に、受け取りのための書類。
 そのたびに、窓口係は席を立って、あちこち歩き回る。
 たった2枚の両替になんとまあ不必要と思える手続き。
 
 18分経過し、もういい。
 受け取りは送って。そういい残し、その場を立ち去る。
 200ドルの両替になんでそんなに時間をかけるのか。
 ああ。日本のバンクよ。

 15時過ぎ、駅前で記者Kさんと待ち合わせ。
 駅前の喫茶店に入り、まずはご挨拶。
 共通の知人ばっかりですね。
 で、ビルマのことメディアのことぐっちゃら。
 17時過ぎ、散会。ごっTZあんでした。

 Dエにて買い物。TSUTAYAに寄る。
 『ミンボーの女』『お葬式』『うなぎ』""CASTING DIRECTOR"
 借りる。

 ウエブのニュースを見ていたら、「不起立に『煮えくり返る』
 君が代斉唱で戸田市教育長」
というのが流れていた。

 こういう伊藤良一教育長のような人が教育行政のトップに立つ市は
 ホント不幸だな。自分の思想や感情だけで動いているし。
 
 「規律を乱す」から、という発想はまさに、管理する側の発想だな。
 怖い。この人自身、「自分の正しさ」を疑っていないのだな。
 

 『ミンボーの女』を見ながら・・あ、これ前見たことあるわ。
 これって、結構古い映画やな。
 『お葬式』を見る。
 これも、観客に阿たような展開。それをあえて2重に意識させて
 いるとしたらたいしたものだ。
 
 引き続いて『うなぎ』を見始める。
 あ、日付が変わる。

<お手伝い>

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 6時半過ぎ、目が覚めたようだ。
 今朝も知らないうちに目覚まし時計のベルを止めていた。
 7時前、慌てて起きあがる。
 
 おお、今日はピーカンの、真っ青な天気だ。
 まさに碧だ。
 慌てて布団を干す。
 
 朝食を取る間もなく、7時20分過ぎ出動。
 今日はゴミ捨て忘れずに。
 新神戸駅にはゆっくり到着。

 ああ、お腹空いた。
 阪急三宮北のマクドで朝食。
 B1Fの禁煙席、なしてXなの。
 客の利便性より、店の管理を考えてる。
 
 月曜日の朝、けだるい雰囲気が客席に漂う。
 朝帰りだろうか(朝まで遊んだ?)若者の、トロンとうつろな
 眼が不気味なり。

 8時過ぎの普通で阪急西宮北口~甲東園へ。
 マクドだけではあきまへん。ちょいとお腹空く。
 パンやでパン2個とアイスコーヒー。
 おお、大きなグラス。それに予想に反してとても美味しいぞ。
 9時過、関学到着。

 Fさんは既に写真展準備に取りかかっている。
 で、いそいそとお手伝い。
 ぐっちゃら喋りながら手を動かす。
 ちょいと小汗をかく。
 12時半過ぎ、なんとか写真展の準備は整う。
 ふぅ。

 Kさんとのアポは明日に延期なり。

 関学前のコーヒー屋(トップ)にてFさんとグッチャラ。
 
 三宮へ戻る。
 サンパルの文具屋でカール(CARL)製のブックスタンダーをチェック
 する。値段は1330円か。定価が1600円だから、ま、お買い
 得か。
 
 ジュンク堂で立ち読み