今日はちょいとゆっくりだ。
で、7時起き。
新聞にのんびり目を通し、8時過ぎ、出動。
通勤・通学とは時間差かな。電車・バスではゆっくり座れる。
藤原章生『絵はがきにされた少年』を読み始める。
9時15分過ぎ、写真展の撤収開始。
ほどなくSさん現れる。
とっととやれば、あら、1時間で終わってしまった。
ご苦労様。
と、車で駅まで送ってもらい、今回の写真展+スライドショー、
無事終了かな。
本屋で立ち読みして、買い物して、ビュンと帰宅。
さ、やらねば。
ようやくリストづくりに取りかかる。
連絡先一覧・連絡方法の確保とその方法・銀行・保守関係。
おおお、こんなにたくさんあるのか、ちょい目が回る。
NTTとヤフーさんに電話する。
ああ、事務手続き、ややこしいことばかり。
ふぅ~、ため息
と、麻呂氏から嬉しい連絡ありと一報入る。
ご苦労様(+これからも)
18時過ぎ、ビュンと出動。
ヨドバシで、じゅるじゅると涎を吹き出しながらデジカメを触る。
キーリングやSDカードケースなどの専用品は、なんでこんなに
値段が高いの?
ふむ。
テクテク歩いてビッグマン前で待ち合わせ。
時間ちょうどにW氏現る。
おお、ほんまに大阪に帰ってきたのですね。すごい人事だ。
テクテク歩いてベトナム料理のBHへ。
近況報告などをぐっちゃら交換。
ぱくぱく食べて、デザートにバナナチョコパフェなるものを
喰らう。

おお、カロリー高そう。
でも、この数日、外出が多かったので、体力つけなきゃ(それほど
過酷な仕事はしてないが)。ま、たまにはこういうのもいいだろう。
22時過ぎ、散会。
ウエブをツラツラ見てたら、エルサルバドル関係のニュースが流れて
いた。
→『毎日新聞』
どうして、エルサルバドルが大きく取りあげられる?
そりゃ、日本と繋がりが深いからね。
1932年3月1日に「満州国」の建国が宣言された。この満州を
真っ先に承認したのがエルサルバドルだからね。
外務省の説明にもこうある→■ <以下、抜粋>
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すでに日本に総領事を派遣していたエルサルバドルは、
1933年に移民法を改正して日本人に対する入国禁止を是正し、
翌34年には他国に先駆けて「満州国」を承認するなど
日本寄りの政策を採っていた。
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つまりこういうことだ。
1929年の米国に端を発する世界恐慌は、コーヒーの輸出に
依存するエルサルバドルに大打撃を与えた。土地無し農民は、
プランネーションから追い出され、まさに生存の危機に立たされた。
32年1月、エルサルバドルの西部サンタアナ県で、数千人の農民が
蜂起し、政府や大地主に抗議の声を上げた。その抗議の声は次第に
全国規模へと広がっていった。しかし、農民たちの抗議は軍隊に容赦
なく鎮圧され、最終的に2万人近い農民が虐殺された。その時の農民
の指導者であった共産主義者のアウグスティン・ファラブンド・マル
ティは逮捕され、処刑された。
この事件は「マタンサ(大虐殺)」として記録されることになる。
後年、エルサルバドルの軍事政権と対峙するゲリラ組織の名ファル
ブンド・マルティ解放戦線(FMLN)は、彼の名前に由来する。
このとき、大虐殺を命じたマルティネス将軍はその後、青年将校の
クーデターによって失脚。そのクーデターによって成立した政権は、
米国の強い反対によって承認されなかった。
しかし、そのクーデター政権を日本は、天皇の名において承認した
のだ。当時のエルサルバドルが「満州」を認めたのはそういう理由
があった。また、同国がまれに紹介されるとき、勤勉な国民性から、
「中米の日本」と呼ばれるときもある。
世界恐慌と経済苦境、さらに、侵略/虐殺と軍政。
ここで当時の軍事国家である日本とエルサルバドルがつながった。
たまには地球の裏側を考えてみるものだ。

ちなみに2004年6月1日、カサ大統領の就任式で撮った写真です。
会場が大きく、手ブレブレでの撮影でした。
こういうときは高価なデジカメが欲しくなるのであった。

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