<よ、妖怪だ>

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 朝起きて、原稿書き。
 ペチペチペチペチペチとお仕事。

 昼過ぎ、情報収集のためネット徘徊。
 あ~、こんな情報あったんだー、と。

 そいや、先日、久しぶりにKティちゃんに再会。
 おお、赤ん坊が!
 すごい。
 オフィスがナーサリーになってる。

 何がすごいって、途中を飛ばして、いきなり赤ん坊というショートカットだもの。
 「この子がねー、みんなを幸せにしてくれるのよ」だって。
 でれでれでした。
 おお、(分かっていたけど)ショック。

 で、もう一つすごいことが。
 Kティちゃん、若返っている。20歳から年齢が加わっていないような。
 あら恐ろしや。
 ここまで来ると、妖怪だな。
 
 部屋に戻ってペチペチペチペチペチ。
 
 ビルマと北朝鮮が国交回復、だとか。
 あのね、遅すぎるよ。
 っていうか、完全に北朝鮮に引きずられたニュースだな、こりゃ。

 夕方、MさんとSさんが来訪。
 ぐちゃら。
 で、近くで食事をしながら業界ネタをぐちゃら。
 で、3人寄れば、生活苦(?)の話となる。
 ははは。
 でもここはお気楽(って、オレだけか?)天国だし。
 ま、なんとかなるわな。

 食事の後、Mさん宅に寄って、本を借りる。
 やっぱり研究者(?)だけあって、タイトルが違うわな。
 で、4冊ほど借りる。

 そいや、本といえば、楽しみに待っている本があるのだ。

 2月半ば、平川氏のブログを読んでいたら、次のような本が
 出るとのこと。

 内田氏との共著『東京ファイティングキッズ』と、その続編である
 『東京ファイティングキッズ リターン』を読んですっかり平川氏の
 ファンになってしまった。

 2月14日の平川氏のブログにはこうある(少々長い引用になるが)
 --------------------------------------------------
《『株式会社という病』の最後の山場を登攀している。・・・・・。

 私は、ビジネスの現場で三十年間、働いてきて、多くの疑問に逢着してきたが、そのうちのいくつかはビジネスの現場だけでは解決できない種類の問題であると思っていた。たとえば、ビジネスとは何かという問いに対する答えは、ビジネスの現場には埋まってはいない。そのような問いは、それほど多くはないのだが、いくつかは並べられる。交換とは何か。商品とは何か。働くとはどういうことか。会社とは何か。

 
これらは、いずれも原理的な問いであり、ビジネスの現場にはなじまない。現場とはそもそもこのような原理的な問いを拒むところに営まれている。このような原理的な問いが終わったところから、あるいはそれを一旦括弧に入れて営まれるのが現場というものだろう。どんな複雑な思想もただひとつの結果としてしか実現できない。それが、遂行的であるということの意味である。》

 
《その意味では、本書もまた具体的なビジネス上の諸問題は扱わないだろうし、実際の役に立つようなハウ・ツウが書かれることもないだろう。(本音を言わせていただければ、即戦力として実際の現場で役に立つノウ・ハウなどというものは誰によっても書かれたためしはない。もし、その作者がビジネスに長けた経済合理主義者ならば、「必勝の要諦」などというものは秘匿してこそ価値があることを知っているはずだからである。もとより私は競馬の予想屋でもなければ、スピリチュアル・カウンセラーではないのである。)
 
 では、何のために、ビジネスの現場では糞の役にも立たない本を書くのかと問われるであろう。

 その理由は前述したとおりである。ビジネス上の問題のいくつかは、ビジネスの現場では解決できない。そして、そういった問題について直接応えてくれるビジネス書が書店には並べられていない。この二つの理由によって、私は、私自身が読んでみたい、ビジネスの原理論とでもいうようなものを書いてみたいと思ったのである。別の言い方をするなら、人間は合理的であろうとして、何故、非合理的な行動をとるのかについて私自身が知りたかったからである。あるいは、非合理極まりない人間という存在にも拘らず、どうして知性は合理性に惹き付けられるのかといってもよい。

 何故ビジネス上の問題のいくつかは、ビジネスの現場では解決できないのか。
 この問いには、簡単にお答えすることができない。いや、それに答えるのが本書のテーマでもあるのだ。労働、創造、交換、交流といった要素で構成されているビジネスは、そのどれひとつを欠いても人間が人間であることを説明できないほど人間的な行為である。》

 《思想が思想足りうる条件とは何か。それは、どのような問題にも明確に答えうるような処方を持っていることにあるのではなく、この世の中に生起するさまざまな問題を、特殊な人間によって、特殊な状況のもとで引き起こされたものだといった対蹠的、診断的な処理をしないということであると私は思っている。対蹠的、診断的な処方は、個別遂行的な課題には何らかの効用があるだろうが、習慣を超え、言葉を超え、思考の枠組みそのものを超えて、人性に爪跡を残すことはできない。それは問題を発見したり、解決したりしたのではなく、ただ整理したに過ぎないからだ。思想が思想足りうるためには、いかに特殊な事象に見えようが、そこから人間全体の問題に繋がる普遍性を取り出せるかどうかということであり、そこにこそ思考というものの全重量がかかっている。》
 --------------------------------------------------
 前著である『反戦略的ビジネスのすすめ』を読んで、私自身、
 商売(ビジネス)とは一体何なんだろうかと、ちょっと考えさせられたから
 である。

 
というのも、ここ数年ビルマ取材に通って、現地で実際に値段交渉を
 する度に痛感させられてきたことがある。
 
 「どうしてこれほどまでに彼らは値段にこだわるのか」
 、ということである。
 
 1K(チャット)でも相手からせしめることを考えている(し、そういう態度に出る)
 1Kといえば1円ぐらいである。

 また、100K(時には10K=10円くらい)の値段交渉で延々と
 口角泡飛ばして、やりとりする。
 
 そこには信頼関係を築くという態度はない。あくまでもワンタイム
 ビジネス(1回切りのやりとりである) 

 相手から少しでも取ろうという態度から友好関係など出来るわけがない。
 次がない、その場限りのビジネス。

 モノが不足しているせいか、売る側に優先権があるのも値段交渉を
 やっかいしているところがある。イヤなら買うな、他の店に行け。
 長距離バスのチケットを買うときでも、イヤなら乗るな、だ。
 モノも座席も限られているため、買う側が下手に出ざるを得ない。
 
 ちょっと話がずれた。
 今回、平川氏のブログでドキンとしたのは、次の部分である。
 

 --------------------------------------------------
 「ビジネスとは何かという問いに対する答えは、ビジネスの現場には埋まってはいない。そのような問いは、それほど多くはないのだが、いくつかは並べられる。交換とは何か。商品とは何か。働くとはどういうことか。会社とは何か。
 
 これらは、いずれも原理的な問いであり、ビジネスの現場にはなじまない。現場とはそもそもこのような原理的な問いを拒むところに営まれている。このような原理的な問いが終わったところから、あるいはそれを一旦括弧に入れて営まれるのが現場というものだろう。」
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 時に自分もそうだが、写真を撮るとは、写真とは、現場で得た経験から
 説明しようとすることがある。だが、どうも納得のいく言葉が見つから
 なくて困ったことがある。
 
 そう、写真を撮る現場は、そういう(写真論みたいな)ものに
 なじまないということだな。無理矢理答えを出そうとすること自体、
 無理があったのだな(当たり前か)

 自分の理想と考える行動や行動原理、それと実際の写真を撮る現場での
 行動は違うことが多いと感じる(うまく説明できないが)

 通常は、いかに良い写真を撮るか、に全力を注いでしまう。
 構図や光の陰影、一瞬の表情のシャッターチャンス、その現場を上手く
 切り取った全体のバランス・・・などなどを考えて行動する。

 そこでは、写真を使って伝えたい思想や行動原理はすっ飛んでしまう。
 写真を編集する段階になって、ああでもない、こうでもないと後付の
 説明が付け加えられる。現場が先にあって、思想が後追いする、という
 ことかな。現場に鍛えられる、というのもそういうことかな。
 (上手く説明できないが)

 写真家は現場に行かないと写真を撮ることができない。それ故、
 勢い現場至上主義に落ちいってしまうことがある。
 ふん、現場も知らないのに何言うか、と。
 もちろん現場は大切だが、それだけを大切にするのもおかしい。

 そんなことをツラツラ考えながら、平川氏の次の本を待っている。


 で、今日、久しぶりに平川氏のブログを見ると、昨日の選挙の件に
 ついて言及してあった。
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 選挙があるから、
 義務を果たしに行くのである。
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 えっ、選挙とは「義務」だったのか?
 おそらく、多くの人にはそういう思いがあるのだろうか。
 選挙好きの私は、棄権回数ゼロだ(海外渡航時はむりだけど)
 

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