2007年10月アーカイブ


 いつも満員の路線バス。
 屋根の上にも人が座ってます。
 R0011299.jpg
 が、
 よく見ると、女性が屋根の上に乗ることは極めて希です。
 特に女性が頭上に位置する場所に座るのは、やはり仏教国
 では無理ですね。

 夜、だらだらとDVDをツン見、してしまう。

 7時半過ぎ起床。
 ぼぉ~っとした頭で国際電話。
 モタモタした対応にちょいと切れる。
 がおがお、とがなり立ててしまう(反省だ)
 さては、カルシウムが食べ足りないのかな。

 朝食を食べた後、連絡業務。
 おお、T氏より6MB近いファイルが届いてた。
 びっくりした。
 そうか、そうやってダウンロードしたら簡単なのか。

 G氏は、ソフトをダウンロードしてセットアップしたようだが
 どうやら上手く行っていないようだ。半分こわれかけている。
 たは。

 シャワーを浴びて、荷物の整理をしていたら、うわ、もう正午前。
 ビュンと電車に飛び乗り、オフィスへ。
 丁度12時到着。

 掲載紙を受け取り(ほぉ、でか扱いだ)、ブツを受け取り、昼食へ。
 やっぱり秋はサンマですね。
 まるまる太ったサンマの塩焼き(って、どこで獲れたモノかな?)
 美味い。
 ぐっちゃら話。
 と、国際電話あり。
 どうもごっTZあんです。
 連日、外食。

 連絡業務をしていたら、うわ、K氏死去の報あり。
 シャン人に確認の電話。
 確かなようだ。
 でも、この時期に・・・。

 壊れかけのG氏より何度か連絡有り。
 がむばってね。

 16時過ぎ、 I 氏登場。
 いつもの喫茶店で密会。
 グッチャラを18時半まで。
 
 野菜不足だな。
 それにカルシウムも。


 あの流血抗議デモから約2週間。
 スーレー・パゴダの扉も開きました。。

 親子(たぶん)と見られる二人連れが、スーレー・パゴダの
 2階の入り口に向かって歩いています。
 DSC_0428.jpg
 父とそこそこの年齢の息子が手をつないで歩いているを
 見るのは日本では希なことだろうなあ。

 こういう光景を目にすると、思わず唸りながら(大げさ?)、
 シャッターを切ってしまうのであった。


 

 シャワーを浴びて目を覚ます。
 10時半過ぎ出動。
 電車を乗り継ぎ、近くのオフィスへ。
 ビルマ問題の話をする。
 う~ん、次が読めないですね、と。
 で、ブツをいただく。

 13時半前、電車に乗り、テクテク歩いて、PTへ。
 いつものお店へ。
 HD120Gとケースのプレゼント有り。
 作業が済むまで、その辺で時間を潰す。
 
 出たり入ったりで、結局4時間が・・・。
 ま、そういうものです。
 おお、もう18時前ではないですか。
 テクテク歩いて駅まで。
 EKの次で下りてレストランへ。
 おお、こんなところで社舞写部を。
 お腹いっぱい。
 ごっTZあんです。
 
 部屋に戻って、新品HDをつなぐ。
 う~、やっぱり速いほうは無理か。
 
 例のサイト修正有り。
 んでも、連絡ないよ。


 ここは、アウンサンスーチー氏自宅に通じる「大学通り」の
 カバエー通り側です(この写真、いくつかのメディアに出し
 ましたけど)
  DSC3019-2.jpg
 おお、警備のバリケードがここまで出っ張ってますか。
 驚きだね。
 やっぱり9月22日のスーチー氏の姿見せは、よっぽど
 軍政側に刺激になったと見える。
 
 バリケードの向こう側には土嚢も見えるし

 
今回も隠し撮り(でスイマセン)
 何回かタクシーで通り、ようやくまともな写真を撮影できた。


 7時過ぎの目覚ましのベルで目覚める。
 ゆっくり起きて、布団を干して、お話し会のまとめをする。 
 
 ビュンと歯医者へ。
 歯科衛生士さんから、「歯ぐききれいですね」、と。
 お世話になってるNセンセから、サンスターのデンタルリンスを
 頂く。歯磨きできないときに、お使いなさい、と。
 また、山で使わせていただきます。
 多謝。

 ビュンと三宮へ。
 東京、名古屋、(前橋?)行きのチケットを買う。
 やっぱり高いなー。

 ビュンとDエ三宮店へ。
 おお、ようやくB2Fにもレジが設置されていた。
 これでなんとかカスタマーオリエンテッドのお店に変わるのね。

 ああ、もう昼過ぎ。
 ラップトップに入っている講演会のデータを確認して、14時前、
 ビュンと出動。

 電車の中で『戦争大統領』(毎日新聞社)読了。
 しかし、こういう調査報道、日本でもできんかな。
 と、デザイナーさんには申し訳ないが、本の装丁、もうちょっと
 深みのあるものにして欲しかった。
 本の内容と表紙が不釣り合いだ。
 
 15時過ぎ、京都到着。
 お迎えの車を待つ間、『絵はがきにされた少年』を読み続ける。
 著者の藤原さん、なかなかですよね、これ。
 
 15時40分過ぎ、お迎え到着。そのまま京都精華大学へ。
 この時期、やっぱり京都市内は車がジャムジャム状態。
 
 市内の郊外にある京都精華、なかなか環境よろしおま。
 さ、16時スタートの講演、30分ぐらい押してますね。
 で、ラップトップをセットアップしようと思ったら・・・。
 うわ・・・手元に愛用のIBMがない。
 あれ?
 どうして?
 一瞬、目の真っ白、思考停止。
 なんで、ラップトップないの?

 うわわ。
 JR新快速の網棚に忘れた。
 あわわわ。
 なんとまあ。
 まさか。
 でも、忘れた。
 どうしようもない。

 手元にない。もうジタバタしても仕方がない。
 データはUSBメモリに入っているから、とりあえずMさんから
 ノートパソコンをりて、なんとか講演を始める。
 アセアセ。

 大学職員さんの手を煩わせ、JRに問い合わせてもらう。
 どうも恐縮です。
 講演を始めて15分後。「PC見つかりました」とメモ書きが届く。
 
 大切なデータを、ちょうどデスクトップからラップトップに移していた
 ところだった。本当に、冷や汗通り越して、心臓止まりそうだった。
 ああ、見つかって、ほっ、と一息。

 話を終え、約1時間ほど、場所を変えてこぢんまりと懇談会。
 がうがうと話をする。
 19時半前、会終了。
 京都駅まで送っていただく。どうもご苦労様でした。

 さて、ラップトップをピックアップに行かねば。
 京都から滋賀県・野洲へ。
 野洲止まりの新快速でまだ良かった。これが米原や敦賀行きなら
 とんでもない時間がかかっていたはず。
 
 京都から野洲まで、新快速で約30分。480円
 野洲駅でラップトップをピックアップし、さ、京都に戻ろう。
 う、普通列車しかない。ゴットンゴットンと各駅停車する。
 車中、安心しきって、昔の出来事を思い起こしてしまう。
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 1993年、米国から日本に帰国。
 仕事や生活に終われまくっていたとき、今回と同じ大失敗を
 やらかしてしまった。

 大阪ニコンのサービスセンターにカメラ(複数台)をオーバーホール
 に出す。その日、カメラのオーバーホールと修理が終わりピックアップ
 した。新快速で神戸に戻る
 
 夕方の時間で、新快速は満員だった。神戸に着いて、慌てて電車を
 下りる。複数台のカメラは重たい。
 乗客を押し分け、大きな荷物を忘れないように手にしていたのを確認。
 が、その時はまだ気づかなかった。
 
 家に戻って、靴を脱いで、ほっ、と一息しても気づかなかった。
 修理に出したカメラのシャッターを切り、カメラの状態を確認してても、
 まだ気づかなかった。
 
 ゆっくりとお風呂に入って、さっぱりしてもまだ気づかなかった。

 ご飯を食べる前(だったと思う)に、テーブルに座って、さて、
 出版社や雑誌社に預けた写真をチェックしようと、ファイルボックス
 からポジを出そうと、ふと、気づいた。

 あれ?
 ファイルボックスは?
 どこ?
 頭の中が真っ白。
 目の前も真っ白。
 ああああ。
 新快速の網棚に、わ、す、れ、た。
 まぬけ。
 なんで、そんなこと?
 うわわ。

 大慌ててJRに連絡。
 大阪で乗り込んだ新快速は姫路行きだった(自分は神戸で下車)。
 新快速はそのまま姫路で折り返し、再び出発地点の(たぶん)野洲に
 向かっている途中だとか。

 網棚の荷物は、姫路でチェックを受けずにそのまま野洲に向かっている
 可能性があり、と。もし、姫路で誰かが持って下りていたら・・・。
 
 神戸で下車するとき、カメラのことばかり気になって、網棚に乗せた
 (カメラよりももっと大事な)撮影済みのフィルムを忘れていた。
 カメラはお金を出せば買うことができる。が、苦労して、(おおげさ
 かもしれないが)命を賭けて撮した写真がなくなったら・・・。
 さすがに、落ち込んだ。
 
 もし、あの写真がなくなったら。
 そう考えるのも怖かった。
 
 望みがあるとすれば、ファイルボックス2つを入れた袋は、お世辞に
 もキレイとはいえない。よほどの物好きではないと、持っていかない
 だろう・・・。

 1時間ほどして、JRに再度確認。
 車掌が、その汚いファイルボックスの包みを確認しました、と。
 ふぅ~。
 翌日、安心はしつつも、フィルム全部あるかどうか気になりつつ、
 神戸から野洲に向かった。
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 あれから14年後、同じような失敗をやらかすとは・・・。
 
 きっと疲れ過ぎてんだな。
 最近、なにもかも上の空になるときがあるからなあ。
 ちょいと気をつけなければ。
 うん。
 
 そう気合いを入れたと思っていたが、ついうたた寝をしてしまった。
 駅つにいて、ガタン。人の移動する雰囲気で目が覚めた。
 今度は京都駅で乗り過ごしそうになった。まったく気が緩んでいる。
 ふぅ~。

 京都駅前の改札でH氏と再会。
 久しぶりですなぁ。
 が、今日はもうグロッキー気味。
 エネルギーのパワーオフが近いのかな。
 で、駅構内のイタリア風パブレストランへ。
 
 近況交換をしながら、ぐっちゃらぐっちゃら語り合う。
 しかし、ほんま8歳の年の差ですか?
 私が若いのか、あるいは彼の方が・・・?
 
 で、そうですね。そういう成り行きってありますね。
 君も私も学ばない口ですね、うん。
 でも、その語り口から何やら覚悟を決めているような。
 うん。
 ごっTZあんです。

 23時09分、最終の新快速に乗って、京都を出発。
 神戸に着いたら、あ、もう日付が変わってた。
 電車の中、人でいっぱい。
 こんな時間に人がいっぱい。なんなのこれって?
 う~、気分がすぐれん。

 そや、最近、映画を一本も見ていない。
 久しぶりにツタヤに寄る。
 4本1050円のサービスも無くなったし、借りたいモノ少なく
 なった感じ。
 
 お、そやVHSを見ることができるんや。
 『セルピコ』を借りる。

 ビュン、と自宅に戻る。
 ふぅ~、今日はとんでもない日だった。
 ラップトップを無くしそうになるしなあ。
 えっ?
 あ、あれ?
 また、忘れた。
 ・・・・・。
 ガックリ。脱力感。
 ラップトップを駐輪場に置き忘れてきた。
 慌てて家を出て、ピックアップ。
 
 一体全体、なんなんこれは?
 全然立ち直っとらんですやん。
 大丈夫ですか、ウダさん?
 思わず自問自答してしまう。
 
 大丈夫じゃないな、こりゃ。


 デモ収束から数日後、そろそろ町中ではビルマ国軍兵士の
 姿が消えかかった頃だ。


 テクテク町中を歩き回る。
 と、「ヤンゴン中央病院」の角に来る。
 
 うわ、
 R011552.jpg
 兵士と武装警官が警備中だった。 
 まだまだ息が抜けないのですね。
 それもまだ銃を構えたままですよ。
 
 そりゃ、怪我をした家族、犠牲者になった家族が病院に
 殺到するのを(たぶん)防ぐためなんだろうけど。

 ビビリなもんで、今回も隠し撮り。
 リコーのカプリオ(Caplio 500G wide+22mmのワイド
 テレコンバーター)が大活躍です。

 モチベーションが高まらないので、人に会ったり、ネットを徘徊している。

 ふと『へいけんこんブログ』というページに行き着いた。
 池田龍夫さんが、「軍事機密と報道規制、市民監視」というのを
 書いているのをツラツラ読む。
 う~ん、としか言いようがない。その⑥で、
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 朝日新聞がその日に、「自衛隊は国民を監視するのか」という
 大きな見出しを立てた一本社説を書いていました。
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 とある。
 ビルマ軍事政権を取材してきて、政治を司る側は、ビルマも日本も
 同じ方向を向いているのか、と思ってしまった。
 まさに「軍隊は国民を監視しているのだ」な。
 うん。


 って、オヤヂギャグの典型ですが。   
 R0011595.jpg
 あ、アルジャジーラのカメラマン(たぶん)が隠し撮りしてます。
 それをまた隠し撮りする私であった。
 (ま、テクテク歩いて近づいていって、「大バレだよ、気をつけて」
 と一言かけましたがね)


 

 『ミャンマー軍による長井健司さん殺害に抗議する』
 ページに今日(25日)、「これから、ミャンマー大使館に
 行きます。」とのエントリーがあった。

 丁度、長井氏の葬儀が行われたその日、ビルマ
 (ミャンマー)・ラングーン(ヤンゴン)の現場に立っていた。

 まだ緊張があり、おおっぴらに写真を撮ることができず、
 隠し撮りするしかなかった。

 その現場は、すでに車と人が行き交う「日常」に戻っていた。
  R0011710.jpg
 日本で葬儀が行われている日だから、日本大使館から
 花の一つでも・・・、って思っていたのが甘かった。
 
 何もない。
 
 ビルマ政府は、国内的にも国際的にも、一刻でも
 忘れさせたい出来事だったかも知れないが、
 そうはさせてはならない。

 もしや、1日遅れで、って思って翌日、同じ場所に
 行ってみた。
 
 だが、昨日と同じ。何もない。
  R0011711.jpg
 同じように武装警官3名が談笑しているだけだった。
 このような事実があったことを、キチンと記録しておきたい。

 忘れてはならない。
 許してはならない。



 『毎日新聞』(夕刊の写真ページ)、
 『朝日新聞』(朝刊のコメント・たぶん)
 『週刊金曜日』に 「跪く僧侶」の話を出した。
 
 私が目にした画像は、アルジャジーラ(英語放送)だった。
 日本ではこの画像流れたかな?
  LES_09.jpg
  LES_10.jpg
 
僧侶が1~2人、跪いて、手を合わせている。
 はっきりした映像だ。
 相手は兵士ではなく武装警官(グレーの制服)だけど、
 ほとんど同じことだ。


 実際、武装警官たちは兵士の指示で動いたいたんだし。
 (動画を静止画に落としていたけど、誤って削除して
 しまった、あちゃ)

  LES_06.jpg
 タンシュエ上級大将(SPDC議長)が国軍記念日
 (3月27日)の閲兵式で胸張っています(たぶんこの映像は
 2007年か2003年のもの)

 で、彼の乗っている車の車種は何なんだろう??
 ビルマ製ではもちろんないね。

 西欧嫌いなのに、たぶん西欧の車に乗ってるよね、これは。

  LES_08.jpg
 これは真偽の程は分からないが・・・。
 27日のデモが最高潮に達し始めたとき、突然、
 (新品)レンガを満載したトラックが現れた。武装した
 警官や兵士に反撃するために(投げるために)
 登場したのである。


 わざと騒ぎを大きくするために、レンガを用意した
 のだ、と。
 
 だって、あの騒ぎのど真ん中に、トラックが入れる
 わけないだろ。軍に雇われたヤツが仕掛けたんだ、と。

 トラック側面の番号が分かれば、真偽の程が判明するんだが。
 フム。

  LES_07.jpg
 "New Light of Myanmar" も "Myanmar TV3" もVOA、
 FRB、BBC を激しく非難してますね。
 でも、ここには "DVB" の名前がありません?
 なぜって?

 それは『週刊金曜日』(11月2日号で説明してます)
 画像は、"Aljazeera" "ChannelNewsAsia" から。


  DSC_3115.jpg
 あれっ、デビッド・コパフィールドさん、ビルマに
 来てたのですか?
 
 もしかしてあのデモの最中も上演してたとか?
 或いは、もしかしてこれから?
 
 それにしても、確か中国でも公演してたね。
 北朝鮮でも・・・あ、あれは女性の引田天功氏
 だったか。

 
 しかし、スーパーマジシャンはこういうお国が
 好きなのですね。


 流血のデモ弾圧から、数日後。
 シュエダゴン・パゴダ前を警備する兵士と武装警官たち。
 (映りは悪いけど、緊迫感あるね)
 R0011473.jpg
 さすがにこの時期、正面切って撮影する勇気はないね。
 雨の降る中、タクシーの中から隠し撮りするしかない。
 これでも精一杯の行動である。
 ビビリなモンで。
 タクシーの運転手が恐怖に顔を引き攣らせてるし。
 (他の人を巻き添えにしてしまうので、あまり無謀な事は
 できない)


 机の前だけでビルマの状況分析をしているのでは決して
 理解できないこの国の酷さを実感。
 ふむ。


 

 ・・・・・。
 でも、朝からお仕事。
 英文の公文書(?)作成。
 ペチペチペチペチペチ。

 昼前出動。
 で民文章を作成。
 約2時間約20ドルである。
 結構、気に入ったのができた。

 G氏から連絡有り。
 新しいHDをゲットできそうだ。
 頑張ってね。

 部屋に戻って、MKさんと合流。
 ソファーでぐっちゃら。
 河岸を変えて、飲みながらぐっちゃら。
 ビルマの裏の裏とその関係者をいろいろ知っている。
 ふ~ん、そうなんだと参考になる。
 ちょいと連絡業務をしながら、河岸を変える。
 サンマとお寿司!モロモロをごちそうになりながらぐっちゃら。

 あ、NHKが流れている。
  防衛省の前事務次官のニュースが流れていた。
 確かウエブでもそのニュース読んだ覚えがある。
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守屋氏については、元専務から100回以上、ゴルフ接待を受けていたことが既に発覚。防衛省は、担当職員が守屋氏と連絡を取り合い、接待疑惑などについて説明を聞いている。守屋氏はゴルフをした事実を認めた上で、「自衛隊員倫理規程が出来る前なので問題ない」と主張しているとみられる。 (10月22日)
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 最後の部分が面白い。
 問題がある(あった)から倫理規定ができたのだ、ということが
 こと人には分からないらしい-分かっていても、分からないフリを
 しているのだろう。それが、この人の品性を表している。
 19時半、インタビュー電話あり。
 あ、忘れてた。
 ゴメンなさい。
 20時前、散会。
 ごっTZあんです。
 
 21時前、電話あり。
 約1時間半、みっちりインタビュー打ち合わせ。
 
 三島さんから確認メール有り。
 
 引き続き約1時間、電話でぐっちゃら。
 ふぅ。
 
 (ちょいと抜粋)


  IMGP5779.jpg
 この田舎町の道で2003年5月、アウンサンスーチー氏
 一行の車列がUSDA率いる暴徒たちに襲われたのである。

 で、「ディペイン大虐殺」の真相をタンシュエ軍事政権は
 キチンと検証したのだろうか?
 
 まさか。

 いつも通り、時間稼ぎをしてうやむやにしてしまったのである。
 


 ビルマでは、インターネットが自由に使えるようになり、
 昨日はとうとう60日間の予定だった夜間外出禁止令が
 解除されました。

 で、映像ジャーナリスト長井さんの件もあり、日本の外務省の
 ホームページを覗いて見ました。

 外務省のビルマ関係ページでいつも気になるのが、
 「難民情勢」のページですね。
 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/nanmin/myanmar.html


 なんと「平成13年9月」から更新されておりません。
 意図的?
 まさか。


 10月20日(土)にようやく外出禁止令が解除されたようだ。
 その2日前の18日(木)には、俳優でコメディアンの、
 ウー・ザガナー氏が拘束から解放されたという一報が入った。

 で、マンダレーのコメディアン、ウー・パパレイ氏は解放された
 のだろうか?
 心配である。
  DSC_9452.jpg
 <2007年8月撮影>

 今日はオフの日とするのだ。
 
 朝食をパッパッと喰らう。
 9時過ぎ、新聞用の原稿、週刊誌用の原稿を送付して、ふぅ、と一息。
 まだまだ残る連絡業務を一つ一つこなす。
 まだまだ終わらないな。
 部屋でぐったり。

 電話インタビューあり。
 デモから1ヶ月用の原稿だとか。
 
 駅の古本屋で羽生善治『決断力』(角川 one テーマ21、2005年)
 を買う(120B)
 新書だから読みやすいよね。

 昼すぎ、ビュンと○/1へ。
 ○で定食
 駅前でゴーグルを見つけるが、いまいち顔にフィットしない。

 ENPでブラブラ。
 部屋に戻って、衛星放送で映画を見ながら(・・・って)、
 『決断力』を読了。

 今日、日本を離れた異国で偶然手に入れた本は、あの羽生氏の著作
 である。
 その最終章(第5章の)の1のタイトルが興味深い。
 「才能とは、同じ情熱、気力、モチベーションを持続することである」
 そうだ。
 
 「実力と結果で成り立っているのがプロの制度である。プロらしさ
 とは何か?・・・。その力を、瞬間的ではなく持続できることだと
 思っている。」(p.194)
 「どの世界においても、大切なのは実力を持続することである。
  そのためにモチベーションを持ち続けられる。・・・。」(p.195)

 20年ほど前、あまり肌の合わない(気にくわない)先生がいた。
 でも時にいいことを言っていた。
 (成功するためには)「(他)人のしない(できない)ことをしろ。
 それができなければ、(他)人のできることを、(他)人より先に
 しろ」と。
 
 ふん、と思った(今でも思ってるけど)

 私は、それに加えて「人が諦めることを、(もしそれが納得できれば)
 人より長く持続してやること」(成功とは言わない)が、充実した
 生き方と思っている。

 ふむ。

 "Shaggy Dog" で大笑い。
 
 東京から約束の電話掛かってこないですけど(これで2度目)
 もう XXXX (一応伏せ字)

 (抜粋)


 
 アウンサンスーチー氏とタンシュエ上級大将(SPDC議長)
 の間を行き来する国連事務総長特別顧問のガンバリ氏に
 期待が高まっている。

 が、ちょいと待てよ。
 
 そう、ピニェイロ国連特別報告官はどこへ行った?
 軍政側にビザも出してもらえなくて、入国もできないし。
 国連は、実のところSPDCに軽く扱われているんだけど。

 そう考えると、ガンバリさんはやっぱり軍政の時間稼ぎの
 役目と使われているに過ぎないのかな。

 やっぱり安全保障理事会じゃあないとダメなのかな。

 ふむ、む。


 最近、急激に増えたビルマ関係のニュースで、
 またこの話題である。
 
 呼称にこだわって、本質的な問題から目をそらしては
 ならないが、見過ごしにできないこともあるのだ。

 特に、「そう書くことによって、あなたは何が言いたいか」を
 キチンと考えなければならない。

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「ミャンマー」派?「ビルマ」派? 政治的メッセージ帯びる呼称
10月15日15時8分配信 産経新聞

 軍事政権による過酷なデモ弾圧で、ミャンマーが久々に国際的な注目を集める中で、同国の呼び名の違いも鮮明になってきた。軍政下で「ビルマ」から変更された「ミャンマー」という国名を、軍政に近い中国はもちろん、ロシアや日本も使っているのに対し、米英両国などは軍政を容認しないとの姿勢から、「ビルマ」で押し通している。一国の呼称は、政治性を帯びることが少なくない。(外信部 犬塚陽介)
 そもそも、ふたつの呼称の違いはどこにあるのか。
 ミャンマー事情に詳しい根本敬・上智大教授は「ミャンマーは12世紀ごろの碑文にも刻まれている文語。ビルマは16世紀ごろには使われていた口語で、いずれも現在のミャンマー人口の約7割を占めるビルマ族を指す言葉だ」と解説する。
 国名変更は、クーデターで実権を握った軍政が1989年、「(ビルマは)多民族国家の名称にふさわしくない」として行った。約130の民族の総称として「ミャンマー」を用いる"新解釈"に立ったものだ。
 「中高年は文語を口語にすることに抵抗感もあるようだが、軍政の指導もあって若い世代は日常的に『ミャンマー』を使っている」と根本教授は指摘、「ミャンマー」は一般国民には受け入れられているようだ。
                   ◇
 だが、ある在京のミャンマー人は「名称変更に違和感はない」としつつ、「ただ」と言葉を継いで、「軍政による押し付けが引っかかる」とも語っている。
 民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんが演説や記者会見などで必ず「ビルマ」の呼称を使うとされるのも、「ミャンマー」には軍政のイメージが染みついているとみてのことであり、ほかの民主化運動家たちも自国を「ミャンマー」とはまず、呼ばない。
 「米国人はビルマの状況に憤慨している」とデモ弾圧を非難したのは、9月25日に国連総会一般演説に立ったブッシュ米大統領だ。大統領以下、米政府が旧国名に固執するのは、「軍政は認めない」との考え方が根底にあるからだという。

 英国でも、政府はもとより、BBC放送やタイムズ紙などマスコミもおしなべて「ビルマ」を使用する。ミャンマーに対する旧宗主国意識、英国の名門オックスフォード大に学んで亡夫も英国人というスー・チーさんに肩入れする心情も背景にはありそうで、軍政への態度は米国よりも厳しい。
                   ◇
 こうした中、中露両国はともかく、日本が「ミャンマー」を使うのはなぜか。国連は「ミャンマー」を採用しており、「軍政の評価と関係なく、国連に登録された呼称を尊重し使っていいる」(外務省)という。
 さて、米国でも、メディアは大半が「ミャンマー」という国名を使っている。だが、国際紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンに最近載ったコラムによると、ニューヨーク・タイムズ紙の元編集主幹は「『ミャンマー』は今、あんなひどい連中と関連付けられている」とし、「私(の『ミャンマー』表記に切り替えた決断)はあまりに早過ぎた」と述懐している。
 あなたは「ミャンマー」派、それとも「ビルマ」派? 

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September 29, Agence France Presse
What's in a name -- battle rages over 'Burma' vs 'Myanmar' - Frank Zeller

Burma or Myanmar? As the military regime has cracked down on pro-democracy
protests in the Asian country this week, a war of words has flared again
over what to call the troubled nation.

Political exiles, the United States and the BBC prefer the old name,
'Burma,' which stems from British colonial days, while the United Nations,
Japan and many other nations have adopted 'Myanmar' as the official name.

The country's ruling junta made the switch to 'Union of Myanmar' in 1989,
the year after its soldiers massacred some 3,000 activists supporting Aung
San Suu Kyi, the pro-democracy leader and Nobel Peace Prize winner.

The regime derived the English name from the traditional 'Myanma
Naingngandaw,' symbolically breaking with the era of the British Raj when
the colony was called 'Burmah' after the dominant Burmese ethnic group.

They made a host of other geographical name changes, turning what was then
the capital, 'Rangoon,' into 'Yangon' -- similar to changes made later to
Indian city names, such as the switch from 'Bombay' to 'Mumbai.'

But critics say the move lacked legitimacy because it was made by an
unelected junta and should be ignored by the world.

Some have even drawn parallels to the change from 'Cambodia' to
'Kampuchea' which was made by the murderous 1975-79 Khmer Rouge regime but
reversed after their overthrow by Vietnamese troops.

"A lot of exile groups still use 'Burma' because that was the name of the
country before they fled after the 1988 protests," said David Mathieson of
Human Rights Watch (HRW), whose group has stuck with the name Burma.

"The US and many organisations who call it 'Burma' made an official stance
saying they'll stick with the pre-1989 name. The UN, on the other hand, is
bound by what the sovereign government says."

White House spokesman Tony Fratto this week said Washington's refusal to
use the junta's term was "intentional" because "we choose not to use the
language of a totalitarian dictatorial regime that oppresses its people."

"And we have freedom of speech here, maybe they don't," he quipped.

US President George W. Bush -- and First Lady Laura -- have stuck with
"Burma" in line with the US State Department, which pointedly notes that
the 1989 name change never won approval from the country's legislators.

"The democratically elected but never convened Parliament of 1990 does not
recognize the name change, and the democratic opposition continues to use
the name 'Burma'," the State Department website says.

"Due to consistent support for the democratically elected leaders, the US
government likewise uses 'Burma.'"

Mathieson, a long-time expert on Burma/Myanmar affairs for the New
York-based group HRW, said the point is perhaps more hotly debated outside
the country than by its citizens, many of whom have got used to the
change.

"It would be great if the country was free and there could be an open
debate about it," he said.
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参考ページ

http://www.uzo.net/notice/quo/b_m.htm

 
 ここはチーミンダイの野菜市場の裏。 
 DSC_0600.jpg
 なぜか広告に日本の文字もあるね。
 んでも、誰に向かって? 
 ビルマにいる600人ほどの在留邦人相手に?
 まさかね、ここに直接姿を現す日本の人はほとんど
 いないはず。

 

 デモ隊を阻んだ鉄条網が巻かれたバリケード。
 デモ弾圧が終わった後は徐々に片付けられ、道路も
 解放され始めています。 
 R0011703.jpg
 ほお、ここシュエダゴン・パゴダ下では、洗濯物を
 乾かす台として活用されてます。

 庶民の強さ(ってこじつけ?)を垣間見た感じ。
  R0011697.jpg
 ふむ。



 R0011554.jpg
 
3人そろって、さて体重計の針はどこを指してるのか。
 路上で働く子どもたち。
 みんな、ガリガリだよね。

<お財布>

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 知り合いのビルマ人の多くは手ぶらで動くことが多い。
 男性は、ロンジーに財布を突っ込んでいる。
 
 女性は、といえば、これはおばちゃんに多いのだが、
 ちゃんと財布代わりを考えている。
 DSC_0542.jpg
 
ほら、ここが私の財布だよ。
  DSC_0493.jpg
 この人も札束を突っ込んでます。
 ふむ。



 3週間ほどの留守の間にビルマに起こったことと言えば、
 そう、タンシュエ軍事政権による流血デモ弾圧。
 それと、
 ミニゴンにオーロラビジョンができていた。
 DSC_3108.jpg
 もしかして、ここがビルマ版「新宿オルタ」前となるのか。
 まさか。




 これまで菓子パンのパッケージでパチモノのセブンイレブン
 製品を見てきた。
 が、
 である。
 この間、Hレイダンをうろついていたら、これこそ正真正銘の
 パチモノの店を見つけた。
 R0011662.jpg
 ここまでやれば、ちょいと感動モノだ。
 うん。



<ウダ節>

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 書類申請のためパスポートのコピーに行く。
 で、慌ててネットオフィスへ。
 12時直前だ、回線はまだ繋がっていない。
 1日4時間だとはいえ、インターネットが再開されたのは嬉しい。
 
 と、胸騒ぎがしてふとカバンの中に手差し入れこね回す。
 あ、やっぱり。
 先ほどのコピーオフィスにパスポートを忘れてきた。
 うかつだ。
 気が抜けている。
 脱兎のごとく早足で(ってどんな感じだ?)、先ほどのオフィスに行く。
 ほっ、店の人のすっかり忘れていたようだ。
 
 ネットが繋がって10分ほどは、まだアクセスが集中していないせいか
 サクサク動く。が、すぐに混む。
 とりあえず、急ぎの連絡業務にとりかかる。
 画面上で原稿の仮仮修正。
 
 あとは余裕で連絡業務。
 13時半、ネット業務終了。
 待っている人がたくさんいる。

 タクシー(1200K)で待ち合わせ場所へ急ぐ。
 例の場所に通りかかる。
 カメラを出して、写真を撮る。
 運転手が怪訝な顔。
 
 ・・・・・。
 ・・・・・。

 いつになく道路が混雑している。
 14時ギリギリで待ち合わせ場所に到着。
 まだR氏は着いていないようだ。
 パン2個とアイスコーヒーを頼む(1600K)なり。

 ほどなくR氏到着。
 やっぱり道路が混んでいたらしい。
 話によると、今日、政府の動員集会があったそうだ。
 
 で、グッチャラら。
 久しぶりに「ウダ節」が出てしまう。
 そんなに語ってどないするねん、って言うほど。

 写真集を買っていただく。
 17時、閉店まで粘って、グッチャラ話す。
 
 外に出ると人たくさん。
 店を冷やかしながら、テクテク歩く。
 写真もいくつか撮る。
 3週間前のデモが嘘のような週末。
 
 今日早めに夕食だ。
 久しぶりに中華系のマーボー豆腐だ。
 一人でぱくぱく喰らう。
 今日もうたたね。

 夜、パタパタと雨が降る。

 (今日も抜粋)

 みなさま、

 日本ではそろそろ忘れられかけられている(?)ビルマでなんとか
 やっております。

 何人かの方にメールを送らせてもらってますが、返信は、
 info@uzo.net に願います。

 朝まで通信社用の原稿書き。
 締め切りまで1日の余裕があるけど、いつインターネット回線が
 切られるか分からないので、送ることができるときに送ってしまおう
 という(いつもとは違って殊勝な態度)

 ペチペチペチペチペチと朝3時まで書く。
 写真を編集して、ふぅ。
 
 8時過ぎ目が覚める。
 ・・・・・。
 雰囲気のいい中年夫婦だ。
 ・・・・・。
 ・・・・・。
 
 オーストラリアからは締め切りすぎてますけど・・・、と。
 すいません、と返信。
 印刷所まで・・・。
 すいません。
 とりあえずブログで代用してください、と。

 ・・・・・。
 ・・・・・。
 
 14時過ぎ、とあるビルマ政府系のオフィスへ。
 とある「身分証明」を取得するため。
 もう顔なじみになってるし、身分も写真家だとばれている。
 (ジャーナリストではないことになってるけど)

 で、オフィスの彼ら彼女たちから、またディレクターから
 「写真には気をつけてね。こんなときだから」と優しい忠告を受ける。
 って、みなさん政府の人でしょ・・・。
 なんとまあ。

 ・・・・・。
 ちょこっとだけ写真撮影。
 びくびく。
 両替はちょこっと40ドル分(レートは1340K)

 
 しばらくしてMT現る。
 仕事は全部キャンセルだったと。
 まあ、仕方ないしね。
 で、ヒソヒソと密談。
 約一時間で散会。

 うたたね。

 ビデオをチェックして、原稿の手直しして、
 さ、次の原稿の用意か。
 何でここまで来て・・・。
 
 夜、ソーウィン首相の死去のニュース(2度目だぞ)が流れる。
 ソーウィン首相と言えばディペイン虐殺事件(アウンサンスーチー氏
 暗殺未遂事件)の指揮者だったはず。
 
 そいやこの間、そのディペイン(ザガイン州)に行ってきたところだ。
 普通の田舎町だけど、2003年5月、ここでアウンサンスーチー氏
 一行の数十人もの人が殺されたのだ。
  IMGP5787.jpg
 しっかし、よくこんな「危ない場所」にまで行ったもんだ。
 我ながら無謀だけど。

 (かなり抜粋)


 シュエダゴン・パゴダ(南口下)で兵士の撤収が
 始まったようです。
 木枠で組んだ車止めをトラックに積み込んでます。
 R0011730.jpg
 車がひっきりなしに走るので、やっぱり隠し撮りだとうまく
 いきません。これ以上近づけないし。
 町中には武装兵士の姿を見かけることは、もうほとんど
 ありません。
 
 もしかして、例の建築中のビルを根城としている兵士たちも
 いなくなったのかな。明日、一度、確認しにいってみよう。
 危ないかな?
 さて?

<現場>

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 10月8日(月)、東京では長井さんの葬儀が行われた
 ようである(ホテルの衛星放送を見ていました)


 と、ここビルマのラングーン(ヤンゴン)では何か
 あるのだろうか?

 そう思って、長井さんがビルマ軍兵士の凶弾に倒れた
 現場に行ってみた。

 何もない。
 普段どおりの日常だった。
 この現場は、ラングーンでも(ということはビルマ国内で)
 最も交通量が激しい場所。

 いつものように人と車が行き交う。
 R0011710.jpg
 オレンジ色の発電機の陰には武装した警官が3人座っている
 のでこの位置からでしか写真が撮れないのである。

 写真を撮る自由もないのだ(って、ここはタンシュエの
 軍事独裁政権国家だった)
 困ったものだ。
 

2008年12月

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