<暗殺の眞相への推測(1)>

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 2月14日に発生した、カレン民族同盟(KNU)の書記長
 パドォー・マンシャ氏暗殺への問い合わせが複数ある
 (3つほどだけど)
で、自分なりにメモ書きで考えてみる。
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 14日のマンシャ書記長の暗殺も、簡単にSPDCやDKBA
 だとは言い切れない裏があるようだ。
 
 それはこの数年のメソット(ビルマとタイの国境の様子を
 感じれば自ずと分かる)という町の雰囲気も変わり始めて
 いることからも推測できる(カレン→ビルマ)
 
 今回のマンシャの暗殺は、2003年12月のボーミャ元議長
 によるSPDCとの和平交渉を端に発すると思える(というか、
 延長)

 
 その頃から、KNU内部では、いわゆる抗戦派と和平推進派
  の間で、「静かに」綱引きが始まっていた(マンシャを最右翼
 とするとティンマウンは最左翼かな)


 その綱引きに、外国のNGOの影響力(財政的な支援と国際
 世論)が加わった(外国はタイを含めた欧米)


 2007年1月に第7旅団の旅団長ティンマウン(将軍)による、
 (これまた当然の)単独和平交渉開始は、ボーミヤ以後の
 KNUに衝撃を加えた。

 ティンマウンの甥ラムーが襲われたのも(時間差はあるが)
 この頃である。

 KNUは元々、SPDCに対する抵抗組織という性格からKNU
 の軍事組織KNLA(カレン民族解放軍)が一番影響力をもって
 いた。

 だが、ボーミヤ元議長が引退する頃から、KNU内部では
 政治部へとその力のバランスがシフトし始めていた。


 2008年1月31日のKNUの「革命記念日」も異様であった。
 「革命記念日」は完全に、政治部の影響下でセレモニーが
 進められていた。

 しかもその政治部の中でも、SPDCに対して○○を主張する
 グループが主導権を握っていた。その○○グループに対する
 もう一報のグループは誰一人として式典に公に参加していな
 かった。

 これは驚くべきことであった。実態としてKNUは完全に分裂
 しているではないか・・・(これに関して、そうではないと言う
 理由をあげることはできるが、それは完全に後付の理由で
 しかない)

 そう、この式典の前の月には、ラムー氏もまた殺されていた
 のだ。

 もともとメソットで殺人事件が起こる場合には、 メソットと
 いう町の成り立ちを考えるとそれは政治的な理由よりも
 経済的な利権争いが発端になることが多い(と思う)
 
 ラムー氏の事件もその一部だと考えられる。

 
 私の個人的な印象では、メソットは従来、「タイとKNU」の
 支配力が強かった。だが、この十年ほど、KNUの力が弱く
 なるにつれ、相対的にタイ(の商工業者)の力が強くなり、
 ビルマ人活動家の流入も増え、「タイとビルマ人」の町へと
 変貌しつつある。

 簡単に結論を出すのは早急だが、今回のマンシャ氏の暗殺
 は、簡単にSPDCとDKBAの策略、KNUの内部分裂といった
 ものより(もちろんそれらを加えて)、タイ側の動きをも含めた
 別の要因があるように思える。
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 が、それらはちょいと複雑で話す方もちょいつらいね。
 さて??

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