写真展で展示しましたプリントをオンラインで販売します。
1枚=10,000円
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1440X1440 dpi 以上のプリンターをお持ちでしたら
高解像度写真をご自宅でプリントできます。
300dpi 44cm X 29cm (5190 pixel X 3455 pixel):
A3ノビサイズ
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1ファイル当たり:30MB~75MB
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(1)

アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)、1996年
(2)

アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)、1996年
(3)

アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)、1996年
(4)

アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)、1996年
(5)

アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)、1996年
(6)
アウンサンスーチー氏が書記長を努める国民民主連盟
(NLD)党の本部前。
6月19日はスーチー氏の誕生日である。
民主化活動家とスーチー氏の支持者はこの日(2007年)、
軍事政権側の嫌がらせにも拘わらず、NLD党本部に集まった。
完全に抑え込まれているように報道されているビルマの
民主化活動であるが、自らの正しいと信じる所に従って
行動する人は、軍事政権下の暴力の下にも存在している。
そんな彼ら彼女たちの存在を忘れてはならない。
(7)
2007年9月の「サフラン革命」の際、アウンサンスーチー氏の
自宅へ通じる道は閉鎖された。
(8)
(9)
ビルマ(ミャンマー)の第2の都市マンダレーはかつて、
ビルマ王国の中心地であった。王宮を巡る堀の四方に
かつての反映の面影を忍ばせる。今はその影の向こうに
衛星放送のアンテナが姿を現す。
(10)
イラワジ河(エーヤワディ川)、2003年
(11)
パガン(バガン)の夜明け、2003年 (Pagan/Bagan)
(12)
(タニンダイー管区、2003年)
(13)
カレン人の心のふるさと、ズゥエカビン山。
(カレン州、2005年)
(14)
夜明け間、朝食の揚げパンを買いに開いたばかりの食堂へ
向かう女の子。熱帯のイメージがあるビルマであるが、
中央から北の高原ビルマでの気温は低く、朝霧が立ちこめる
ことも多い。
(シャン州、2006年)
(15)
カチン州、2007年
(16)
ビルマ最北の村(タフンダン村)へ近づくにつれ、雪を頂いた
山々を臨むことができる。
(カチン州、2007年)
(17)
日本の約1.8倍の広さを持つビルマ。
その広い国土を北から南に貫く川は、3つある。
イラワジ河(エーヤワディ河)、サルウィン河(タンルウィン河)、
チンドウィン河である。
チンドウィン河やイラワジ河の名前は、第2次大戦時の日本に
よるビルマ侵攻の歴史を振り返るとたびたび眼にする。
当時の日本軍の壊滅に繋がったインパール作戦の失敗時の
ことだ。
当時の激戦の面影は今は全くなく、現地の人の静かな暮らし
がある。
(18)

イラワジ河の支流の一つの河口。
夜明け直後、人びとが手こぎの通船に乗って動き出す。
(2007年)
(19)
ビルマ国内で政治に関わる行動をすることは危険である。
庶民の暮らしの苦しさを訴えるだけでも軍事政権から弾圧の
対象となる。人びとは声を潜めて日々の不平不満を晴らす
しかない。
その中でも、例えばウー・パパレイ(マンダレー在住)という
コメディアンは、当局者の警告にも関わらず、軍事政権を
笑いの種にして庶民の代弁者となっている。
ウー・パパレイ(パパレー)はこれまで何度となく逮捕・拘束され、
獄中の人となっている。
(20)
ビルマ新年、2007年
(21)
パオー民族のシンピュー式、2007年
(22)
宗教の違い、民族の違い、それ以外に生活形態の違いが
社会の中に存在する。
仏教徒の新年を迎える「水かけ祭り」(ダジャン/ティンジャン)が
表なら、庶民の生活に根ざした精霊信仰「ナッ神」を祀る
「タウンビョンの祭り」は裏の存在である。
その「タウンビョン祭り」の中心の司祭(ナッカード)の多くは今、
同性愛者が努める。
(マンダレー管区、2007年)
(23)
みずかけ祭り(ティンジャン/ダジャン)、2007年
(24)
カレンニー軍の記念日に集まったカレー民族戦線の兵士たち。
(カヤー州/カレンニー州/カレニー州、2007年)
(25)
ヒンズー教徒の火祭り、モン州・2003年
(26)
ラングーン(ヤンゴン)のムスリム、2005年
(27)
ビルマは英国の植民地であったことは知られている。
その英国の植民以前に、ビルマの南方はポルトガルの
支配下にも置かれていた。
その後、ビルマ人とポルトガル人の末裔がマンダレーの
郊外に移り住んだ。
その末裔の村を訪れると、青い眼や緑の眼をしたビルマ人に
会うことができる。
(ザガイン管区、2007年)
(28)
ビルマは40~135もの民族が暮らす多民族国家だと
されているが、その分類の中にさえ含まれない人びとも
存在する。
ビルマ最北の地に暮らすタロン民族のダウェさん(55歳)が
ラワン民族の子どもたちに囲まれる。
ダウェさんは、東南アジアでも珍しい、極めて背の低い
民族(ピグミー)である。
歴史的・文化的な背景から、現存するタロン民族はダウェさんと
その姉妹の3名のみになってしまった。
この3人がいなくなると純粋なタロン族はこの地球上から
滅んでしまう。
(カチン州、2007年)
(29)
村の教会にて、2007年・カチン州
(30)

キャラバン隊、カチン州・2007年
(31)

公式発表では1984年以来、ビルマとタイの難民キャンプには
軍事政権の迫害から逃れた、主に「少数民族」のカレン人たちが
住む。
その難民数はこの20年以上、増えることはあっても減ることは
ない(2008年現在、国外避難民は約14~20万人)
夜明け直後の難民キャンプ。朝餉の準備の音にまじって、
子どもたちの暗唱する声があちこちから聞こえてくる。
少女が一人、家の端にしゃがみ込んで学習内容を暗唱していた。
(クレコー難民キャンプ:ビルマ-タイ国境、1993年)
(32)

日が沈む前、合図をしたわけではないのに、それぞれの
家から一斉に水くみに出かける人びと。
水瓶の形から、隣国バングラディシュと国境を接する
ラカイン州(ヤカイン州)だと分かる。
(ラカイン州、2003年)
(33)

田舎に暮らす者は誰もが働き手の一人。
夕暮れが近づき、男の子が一人小川から水をくんで
帰り道を急ぐ。
(カチン州、2007年)
(34)

僧院への帰りを急ぐ幼い僧。
2003年、イラワジ管区(エーヤワディー管区)
(35)

炎天下での稲刈り。
顔にはビルマ(ミャンマー)特有の「タナカ」を塗る。
(36)

ビルマの民族衣装ともいえる巻きスカートを「ロンジー」という。
男性用は「パソウ」、女性用は「タメイン」とも呼ぶ。

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