一人用のキムチ鍋

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 3時前、目が覚める。
 うう、早寝早起きが過ぎるんだな、これが。

 ツラツラとウエブを回る。
 TA氏のエントリーを読んで、物乞いをする人に対する
 自分自身の態度について書いたことがあった。

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 「居心地の悪さ」

 外国でよく目にして、現在の日本では、ほとんど目にする
 ことのない光景がある。

 それは何か、物乞いの姿である。

 彼ら彼女達の姿は、ビルマに限らず、いわゆる途上国一般に
 存在している。
 いや、まして世界で一番金持ちの国、米国でも多くお目に
 かかるのだ。

 いわゆる先進国では「路上生活者」として一つにくくられ、
 競争社会からの脱落した、あるいは降りた人として見られる
 ことが多い。
 
 米国で最初、女性の路上生活者を目にした時には、驚いた。
 最近、日本でも女性の路上生活者を見るようになった。
 日本はまさに、米国の後追いをしている。

 そういう路上生活者を目にする時、「先進国」と「途上国」の
 間に、大きな違いがある。
 先進国の「路上生活者」はほとんどが成人である。
 
 だが、途上国の路上生活者は、幼い子どもであったり、
 母親と子であったり、身体に障害を持った人であったり、
 「お坊さん」であったりもする。

 さらに、「物乞いの人」と「路上生活者」は違う。
 前者はこちらに迫ってくるのだ。

 タイでのこと。
 屋台や食堂で食事をしていると、ふと見ると真横に子どもが
 立っている。

 「あっ、来た」と意識する間もなく、その子どもは手を差し出してくる。
 ビルマでは、何気なく町を歩いていると、行く手をふさぐように手を
 出してくる子供がいる。

 ビルマで2003年の1月1日、お寺に新年の参拝に行った。
 寺の前には、ずらりと物乞いの人が並んでいた。
 彼ら彼女達の差し出す手を無視し、時にはその存在さえを横目で
 見ながら、見なかったことにしていた。

 その度に、おそらくは多くの人と同じように、なぜか、 罪悪感を
 感じてしまう。
 
 罪悪感といっては、言い過ぎかもしれない。
 居心地の悪さである。
 さらにその居心地の悪さの原因がよく分からない。

 この不安定な感情はどこからくるのか。
 「ノーブレス・オブリージェ」に反しているからだろうか。
 いいや、そんな身分でもないし、簡単なことではないだろう。

 喉を潤すために飲むジュース1回を我慢すればいいこと。
 そうすれば彼らの期待にこたえることができる。
 毎日の無駄遣いから、ほんの少し分かち合うことをすれば
 いいのに。
 
 居心地の悪さはおそらく、自分の普段言っていることと、
 行動が一致しないからだ。
 自分の財布からお金を出さないことによって、その場で自分の
 不誠実さを正直に告白しているからだ。

  -自分一人が「施し」をしたとしても何も解決しない。
  -彼らの中には、経済的に困っているわけではなく、
   職業として物乞  いをしている人もいる。
  -自分たちも日々苦労して稼ぎだし、生きているのだ。
  -彼ら自身、自助努力をしないで、どうする。

 「しない」という言い訳は、山ほど思いつく。
 だがしかし、「しない」ということにぴったりとする理由を
 思いつくたびに、それに比例して居心地の悪さが増幅する。
 目の前の困っている人を何ともしないで、何でシャカイセイギの
 実現なのだろうか。

 自分は、自分の持てるものを放り出すほどの篤志家には
 なり得ない。
 
 失うモノはないといいつつ、それでも何かを守ろうとする
 心の闇(?)をどこかで肯定しいるからだろう、か。
 全てを放り出す必要はない、ほんの少しの分かち合いだけで
 いい。
 それは分かっている。

 彼らの息づかいを感じるほど近づいて写真を撮る時、
 その息づかいがカミソリのように自分のその闇を切り裂いている。

 自分だって、寒さはイヤだし、イイもの食べたいし、ぐっすり
 眠りたいし、お金も欲しいし、楽したいし。
 それは否定しない。
 だから、他人に対してシャカイセイギの実現を強く求めないし、
 自分の許されない心を和らげる範囲において、行動するしか
 ないだろうなあ。

 そう、さらに、こうやって、このことを書くことでさえ、
 居心地の悪さの言い訳に使おうとしている。
 そんな自分がいるのがどこかで許せないのだが。
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http://www.theperthexpress.com.au/
 第72回「居心地の悪さ」 より


 アウンサンスーチー/大石幹夫訳『希望の声』(岩波書店)を
 読み始めるが、どうも頭に入らない。
 うう。
 で、こういう時のためにオダジマン先生がいるのだ。
 『日本問題外論』(朝日新聞社)を取り出し、パラパラとページ
 を捲る。

 う~ん、こういう風に考えればいいのか。
 そうか、こんな風に書けばいいのか。
 ゲラゲラ笑う。

 と、もう朝だ。

 生パンを囓りつつゴロゴロする。

 しばしウトウト。
 
 買い物へ。
 JPNとDエをハシゴ。
 今日はキムチ鍋だ。
 
 昼前に起きだし、写真展用の追加写真を5枚プリントする。
 先週、苦労して色感覚を取り戻していたので、サクサクプリント
 となる。
 それでも、ふぅ~。
 
 夕方、写真プリントとキャプションプリント終了。
 ふぅ~。

 ジャンクフードを食べながら、シュワシュワを口にしながら
 キムチ鍋を作る。
 ちょいと濃い目のスープだぞ。
 豚肉はちょいとだけ。豆腐と野菜をたっぷり入れる。
 おお、美味なり。
 お腹いっぱい。
 
 んでも、一人用の土鍋でコトコトと湯気をあげる豆腐・・・
 ちょいと侘びしい?
 
 写真民族誌についてのファイルが見つかる。
 ふぅ。
 
 21時過ぎ、お腹がゴロゴロし始める。
 うわ、キムチの辛子がキツすぎた?
 せっかく食べたのに。

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このページは、Yuzoが2008年10月13日 23:35に書いたブログ記事です。

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