ビルマと中米とポルトガル

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 朝8時過ぎ、ゴミ収集車の音で目覚める。
 うう、ゴミ出し行けない。
 急激な寒さではない。
 単なるずぼら。
 てへ。
 
 今日も良い天気。
 布団干し(なんぼ程、干すねん・・・羽毛布団欲しい
 <こればっかり)

 肩こり。
 やっぱり深夜に打ち込み作業をするものではない。
 うう。

 TA氏のページを見に行くと、お、トウモロコシの話、ですか。
 理由は分からないけど、ピン、ときた。

 ウイキペディアで「トウモロコシ」を読んでみる。
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 起源
 トウモロコシは他のイネ科穀物と違い、祖先野生種が
 見つかっていない。トウモロコシの起源には2つの主要な
 説があるが、どちらにせよ、作物化は他のイネ科穀物よりは
 困難だったと思われる。

 メキシコからグアテマラにかけての地域に自生していた
 テオシント(英名:teocinte ブタモロコシ、Euchlaena mexicana)が
 起源だとする説。ただし、テオシントは食用にならない小さな実が
 10個程度生るのみで、外見もトウモロコシとは明らかに違う。

 2つの種を交配させて作り出されたとする説。祖先の
 候補としては、絶滅した祖先野生種とトリプサクム属 (Tripsacum)、
 トリプサクム属とテオシントなどがある。
 紀元前5000年ごろまでには大規模に栽培されるようになり、
 南北アメリカ大陸の主要農産物となっていた(ただし、
 キャッサバを主食としたアマゾンを除く)。
 マヤ文明、アステカ文明でもトウモロコシの記述がある。
 
 伝来
 ヨーロッパには大航海時代に伝わり、アフリカ大陸には
 16~17世紀に伝わった。また、アジアには16世紀初めに
 伝わった。

 日本には1579年にポルトガル人から長崎または四国に
 フリント種が伝わった。本格的に栽培されるようになったのは、
 明治初期にアメリカから北海道にスイートコーン、
 デントコーンが導入されてからである。
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 うむ。
 以前から気になっていた、植民地時代のポルトガル人の移動
 のことである。

 中国に近い北ビルマの山中でもトウモロコシを食べる。
 ラワン人であろうが、チベット人であろうが、トウモロコシを
 つくって食べる。

 「トウモロコシ」という食から見ると、民族の違いという
 ラワン人やチベット人という区別でなく、「山の人」として
 括ることができるのでは。

 で、北ビルマにどうやってトウモロコシが入っていったのか。

 インド→チベット→北ビルマ
 中国→ビルマ北部
 下ビルマ→ビルマ北部
 タイ→ビルマ北部(シャン人は食べない?)
 インド→ネパール→インド 北ビルマ
 うむ。

 で、トウモロコシの食用方法も、北ビルマとラングーン(ヤンゴン)
 では異なっている。
 
 ラングーン(ヤンゴン)では、トウモロコシの調理方法は、焼くか、
 蒸すかである。
  DSC_1933.jpg
 が、ここ北ビルマでは、ポップコーンにするか、粉にするか、である。
 ビルマで常食としてのポップコーンに出会ったのは、プータオ以北
 だけである。

 で、この地域には、トウモロコシの「はったい粉」もあるのだ。

 再び、ウイキペディアである。
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 はったい粉(?粉、?粉、はったいこ)は、オオムギを炒って
 挽いた粉。別名は麦焦がし(むぎこがし)、煎り麦(いりむぎ)、
 香煎(こうせん)。
 方言名として、煎り粉(いりこ)、御粉(おこ)、散らし(ちらし)、
 香ばし(こばし)、香粉(こうこ、こんこ、ここ)、はね粉(はねこ)、
 麦粉(むぎこ)などがある。
 色や香りは、大豆から作られる「きな粉」と混同されやすい。
 焙煎してあることにより、消化しやすく、香ばしさがある。
 保存性がありながら、いつでも食べられる簡便食、携行食として
 重宝されている。
 チベットでは類似のものをツァンパと呼び、主食としている。
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 「はったい粉」とは、チベットが発祥の地か。
 ということは、トウモロコシもチベットからか。
  DSC_1820.jpg
 ビルマ最北村のタフンダン村にて。

 で、北ビルマにも「はったい粉」がある。
 ビルマ国内で、この「はったい粉」にであったのは、この地域だけ
 である。

  DSCF2421.JPG
 
食べ方は、粉を口に含んで、お茶か水で飲み込むのである。
 お腹が膨れるそうだ。
 食物に貧していた山の民の知恵なのか。

 横にある豆も、同じような食べ方をする。
 村々を訪れると、もてなしとして、トウモロコシ、はったい粉、
 緑豆を出される。
 
 訪問者と地元の人は、これらを口に含みながら、囲炉裏を
 囲んで時間を忘れて談笑するのである。
  DSC_4425.jpg
 (これはラワン人のポーターたち)
 
 ホント、人の移動が極めて難しい山中での訪問者は貴重である。
 
 初めて出会う人たちやなじみの人が再会した時、談笑する間を
 持たすための食べ物として、トウモロコシや豆、はったい粉を
 出していたのかも。

 う~ん、何が言いたかったのか。

 そう、ポルトガルである。
 
http://blog.uzo.net/2008/10/post-2588.html
 でアップしたように、ビルマにもポルトガル人の影響があるのだ。
 (モン州だったけど)
 植民ポルトガルは、その後、グル~ト巡って日本に来ることになる。

 日本とビルマとポルトガル。
 ポルトガルと中米とビルマ
 中米とビルマがどう繋がるか?
 
 時代と地域を越えて、「人の動き」と「食の動き」、なんだな。
 
 う~ん、何かが繋がりそうな気がするのだが(こじつけか?)
 う~ん、う~ん。
 
 
 時間を忘れて考えていた。
 
 写真の編集の追加。
 うう、まだまだ残っていた。
 
 20時過ぎ出動。
 ううう、さぶい。
 スーパーを2軒ハシゴして、自衛的超節約買い物なり。
 
 ジャンクフード2点を夕食とする。
 
 新メニュー「シャビー飯」を開発。
 うう。

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このページは、Yuzoが2008年11月20日 23:33に書いたブログ記事です。

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