7時前に目が覚める。
生活を立て直すために、そのまま起きる。
うう、寒い。
とりあえず布団の中で新聞をじっくり読む。
曇りのち雨という予報なのに、天気が良いぞ。
うわ、シカゴ・トリビューンが、「連邦破産法11条(日本の
民事再生法に相当)の適用を申請し事実上、経営破綻(はたん)
した。」と!
うむむ。
コーヒーをコポコポ入れて、初メニュー:マスタードトーストを
試してみる。
資料読みを始める。
どうして宮本常一氏が評価されなかったのか。
時代の背景を考えながら読み込む。
宮本さんの本を読みながら、自分の体験に照らし合わして、
思わずにやけてしまう。
面白い。
アッと思う。
そうか、そうやって自分の体験・経験を具体的に読み取っていけば
良いのだな。
その昔、英文を読んでいて、ある日、アッと驚くほど簡単に、
苦労なく意味を読み取ることが出来た、あの感覚である。
確かに、階段を一段上がった手応えである。
写真と繋がるようだ、やっと、ていう感じ。
そう考えると、ビルマで滞在した日々の全てを見直して良いような。
資料を読みながら、ようやく巨大すぎる宮本常一氏の軛から逃れる
ことができて、安心する。
ひと息呼吸できたようだ。
聞き書きでもない、言葉を通じない人びととレンズを通して
会話をしてきたという自負があるからである。これは、誰でもない
自分しか出来なかったという自負がちょっとだけでもあるからである。
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聞き取りも大事ですが、その聞き取りを聞き取りだけでなく、
見たり体験することのできる伝承が、これから先の民俗学では
大切になるのではありませんか。
・・・・・。
それらがその人たちとどう関わるのかとか
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宮本氏のこういう考え方を土台に、聞き取りではなく、
では写真は、というと。
写真は写真だけで独立して立っているのではなく、そこに人間が
写っていれば、被写体の住む時代・地域・社会経済制度・家族関係・
共同体との関係、さらには撮影者の視点、撮影者との関係、また、
それらとは全く関係のない第3者をも巻き込む「人間の科学として」
の写真を考える必要があるのか。
これもまた一つ、写真民俗誌 / 写真民族誌への手がかりへの、
第一歩か。
う~ん、ちょいと支離滅裂で、大袈裟で大仰すぎるか?
ま、たまには大風呂敷もええか。
チキンカレーを作る。
チキンの皮は、別にカリカリに焼いておく。
ぶっ太いニンジンをぶった切り。
ウップ、食べ過ぎた。
資料読みを続けながら考えをまとめていく。
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