「ら」族の正体を

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 さ、書かねば。
 原稿の続きを書いていくが、これまた止まってしまう。
 考えが走りすぎて、まとまらない。
 それに、トルコで撮した写真のデーターが出てこないし。
 困ったなあ。
 頭の中を、? ? ? ? ? ? の虫が走り回る。
 トホホ。

 で、S号さんのエッセイを読み続けて気分を落ち着ける。
 ほっ。
 で、再びペチペチペチペチペチと書き始める。

 朝刊が来た。
 で、ツラツラと目を通す。
 「首相動静」(12日分)を読んで、
 ん?
 と思う。
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 午後6時42分、、東京・大手町の大手町ファーストスクエア
 ウエストタワー。タワー内の料理店「トップ オブ ザ スクエア
 宴」で渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長ら報道関係者と会食。
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 とある。
 で、気になったのは、「ら」である。
 他の報道関係者は、一体、どの社の誰だったんだろう。
 
 ネットで検索しても、これ以上の情報は載っていなかった。
 もともと、記事の元が通信社の情報なんだろうか(きっと)

 しかし、この「ら」族をハダカにして欲しい。

 6時過ぎ、寝入る。

 10時過ぎ、起きる。
 おお、布団干しの日だ。

 原稿に再度目を通して、ビュンと送信。
 ほっ。

 ジュリアノ・メール・ハミス監督のドキュメンタリー映画、
 "Arna's Children"(『アルナの子どもたち』)を見る。
 期待値が高かったせいか、それほどではないという印象。

 映画を見ながら、カレンで出会った子どもたちのことを思い出して
 しまった。
 ( ↓ 拡大します )
  ka98020b.jpg
 
http://www.uzo.net/asia/karen/karen002/karen002.htm
 KNU(カレン民族同盟)の司令部マナプローが陥落した1995年、
 メラモルワン(メラモクロー)に新しい難民キャンプができた。
 そのキャンプに、外国人として初めて入った。

 そこには、命からがらビルマからタイに逃げ出したその先でも、
 必死に勉強する子どもたちの姿があった(写真は98年)
 
 写真の男の子とは2008年初め、タイ・バンコクで出会った。
 立派な青年に育っていた(この子とは定期的に会っている)

 バンコクの学校を出た後、今はビルマとタイの国境周辺に戻り、
 難民キャンプの学校で教えている。
 今は彼女も出来て、それなりの生活をおくっている。
 
 カレンの地(コートレイ Kawthoolei) では確かに、銃を持って
 戦闘に参加する子もいた。
 その善し悪しは問わない。

 しかし、ビルマのカレンでこの16年、いろんな生き方を見て
 きた。

 『アルナの子どもたち』を見ながら、取材地で出会ってきた
 いろいろな人の姿を思い出す。
 ぐず。

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