夢うつつの中で新聞が投かんされる音が聞こえる。
あ、れは、新聞がビニール袋に入れられている音だな。
と、いうことは雨が降ってんだ。
しかし、いつの頃からだろう、雨の日には新聞がビニール袋に
入れられて配達されるようになったのは。
その昔、私が新聞を配達している時にはそんなことはしなかったし。
目が覚めたら8時半過ぎ、どうやら雨はやんだようだ。
が、ラジオの天気予報は今日、雨のち曇りだと告げているし。
ニューヨークで研究生活に入ったSセンセが現地からの便りを
更新している。
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選択的聴力というものがある。
ベビーシッターは、どんなにうるさい音がしても熟睡できるが、
赤ん坊の泣き声がきこえると、ぱっと目を覚ます。概して人間は
自分にとって意味のある音だけを選択的に聞いているのである。
NYの人たちは、こと車の音に関してはたいへん鈍感である。
というか、彼らの耳には車の音は聞こえないらしい。
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だそうだ。
ニューヨークに限らず、バンコクやラングーン(ヤンゴン)も騒音に
対して鈍感なような気がする(というか、日本の人が敏感すぎるの
かもしれない)
んでも、日本にも町中の物売りは昔からあって、結構うるさいけど。
それに最近は、物品販売や不要品回収の軽トラックがスピーカーで
がなり立ててて、この静かな地区にも回ってくるけど。
そいや、オダジマンも、コミュニケーションの手段である口や目は
「閉じる」ことができるけど、耳だけは閉じることができない。
それには何か理由があるに違いないと書いていた。
耳は閉じることができない。
何でだろうか?
とある研究会で、そのことを、その筋の専門家に質問してみると、
やっぱり、自分にとって必要な音かどうか、そうでないかは、脳で
判断して音を遮断するのだそうだ。
じゃあ、初めから身体に、耳フタをつけりゃあいいのに、と考えて
しまう。
そこまで脳に負担をかけなくてもいいのに。
前日に続いて、こんなどうでもいいことを、なんで考えてしまうのか。
暇だから?
何かからの逃避?
たぶん後者だけど、きっと、どうでもいいことは、無駄だからである。
無駄なことに労力を注ぐ自分に呆れながらも、どこか自己満足を感じて
いるのである<アホか?
とりあえず締め切りの早い英文の文書とCDを仕上げる。
ふぅ、これは、4年ぶりだな。
雨が降ったりやんだり。
こういう雨を何というのだろうか。
『雨の名前』を開く。
久雨(きゅうう)だろうか。
こし雨だろうか。
地雨だろうか。
小糠雨だろうか。
とりたててペダンテックにはなりたくないが、新しい言葉を知るのは
楽しいものである。
冷蔵庫が空っぽ。
テクテク歩いて出動。
小麦粉の値段が下がったせいか、どこのスーパーも食パンが安い。
しかも連休最後の、雨の日、ということもあって、半額セールだ。
嬉しい。
輸入品の、ちょっと危なっかしいブロッコリーも安いし。
バナナを一房(17本)を198円で買う。
これもお買い得かな。
ちょっと青いけど、ま、しばらく置いていたら熟してくるだろう。
料理用のバナナじゃないのが残念。
本屋で雑誌を立ち読みする気力なし。
もうかえろう。
あ、雨が降ってきた。
ちょいとだけ濡れ帰る。
あ、連絡するの忘れた。
山は越してないのに、ちょっと気が抜けている感じだ。
あともうひと息。
夜、DVDを見てたら、あ、今回の『羊たちの沈黙』は、あ、
『レッド・ドラゴン』 ("Red Dragon") だった。
ドラゴン?
また竜か?
いい加減にしておくれ。
ちょっと何かに取り憑かれているようだ。

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