宮本常一『宮本常一』を読み続ける。
本人が書いたのだから、まあ、面白い。
いろいろと考えさせられる。
文字も覚えるし。
新しい語句も覚えるし。
江戸時代から明治時代に変わる時代の転換期を庶民の暮らしの
面から捉えるとこんな風になるんだ。
「御一新のあとさき 抄」は面白い。
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嘉永六(1853)年六月三日ペリーはアメリカの軍艦四隻を
ひきいて日本の浦賀を訪れた。
(P.318)
・・・
・・・
・・・
ペルリの来航による衝撃と、それによって村人が急に学問など
はじめようとしたのも、敏感さの故であろう。
(P.391)
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ん?
章の冒頭で、ペリーと書いていたのを、最後でペルリとなっている。
なぜだ?
ウィキペディアで調べてみると。
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来航当時の幕府はオランダ語通訳を使用していたため、
当時の文書にはオランダ風発音の「ペルリ(漢字では彼理)」で
表記された。
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そうなんだ。
オランダ風の発音だったんだ。
で、気になった。
ペルリ(蘭)がペリー(英)という発音に変わった。
その昔、日本文の表記には、「ー」がなかったように思える。
この「ー」表記は、いつ頃からどのような経緯で生まれてきた
のだろうか。
たとえば、アウンサンスーチーという名前表記でも「ー」が
2つも使われている。
う~ん、う~ん、と考えてみる。
また、ビルマ語には、キャ・キュ・キョという発音がない。
アウンサンスーチーはローマ字表記をすると、
Aung San Suu Kyi
となる。
だから、アウンサンスーチーさんの事を知らな人は、文字通り、
「あうん・さん・すー・きぃー」と発音してしまう。
その昔、日本軍がビルマに侵攻した時、
ミッチーナ(Mytikyna)はミィトキー
と
メッティーラ(Meiktila)はメイテクラ
などと発音・表記された。
だから、ビルマの人は、東京(Tokyo)を発音するのに、「トーチョー」
と発音した。
またその昔、日本では「チャ・チッ・チュ・チョ」のなかの小さな
「ゃ、っ、ゅ、ょ」を発音できない人が多かったという(出典は忘れ
たが)
ま、日本の人が英語の L と R の発音の区別が苦手なのも似たような
ものか。
異なった国・地域・民族、あるいは同じ地域や人びとの間でも、ある事象
を指すのに発音や表記が異なるのは、ま、不思議でも何でもない。
それにしても、「ー」というのばす表記の出典を知りたい。
なぜ、こんなことにこだわっているのかというと、こういう言葉による
コミュニケーションを映像(静止画である写真)に置き換えることは
できないのだろうかと考えている。
物の見方、記録の仕方、提示の仕方も改めて再検討する必要が
あるのではないかと考えている。
う~ん、う~ん、頭に血が上ってきた。
(抜粋)

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