差別の構造とは

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 おかしな話で、海外に出ると普段書かない日記を細かく
 
書きがちだと思うんだが、私の場合は反対で、
 あまりモノを書かなくなる(仕事の部分をのぞいて)

 あれ、昨日、ダッカ(バングラデシュ)の食堂で何を食べたっけ?
 いくら払ったっけ? 給仕をしてくれる人はどんな人だったっけ?
 食堂はどんなつくりだったっけ?
 なかなか思い出せない。

 数日経つと、すっかりと日々の出来事が頭の中からすっぽりと
 ぬけてしまう。
 困ったものだ。

 どうしてこんなことになってしまうのか。
 何故なんだろうかと考えて見ると、フムと思い当たることがある。

 いったん取材モードに入ってしまうと、身体の感覚や自動的に
 別の次元に入ってしまい、ピッピッピッと別の感性アンテナが
 立ってくるんだろうと思う。

 いつもとは違った感覚で事物を見るようになってくるんだと
 思う。
 取材対象を目にしたときなどそれを強く感じる。

 取材対象にカメラを向けたとき、カメラを持っている自分を
 自分自身が第三者的な目で冷たくその場を眺めていることに
 気づく。
 
 もちろん撮影モードのアドレナリンはドクドク出ているんだが、
 どこかで冷めた自分がいる。

 日常モードから取材モードに入った瞬間に、ペン先が鈍く
 なるものなんだな。
 
 で、「ロヒンギャ」についても頭を悩ませている。
 とりあえず行き着いた中途半端な結論としては、ロヒンギャの
 人たちはロヒンギャだから差別されているんではなくて、
 人間の持つ哀しい差別意識が具体化された所に、ポコッと
 当てはめられてしまっているのではないか、と。

 つまりは彼ら彼女たちは、ロヒンギャだから差別されているん
 ではなく、その対象は誰でもいいんだが、人間の性(サガ)として
 常に誰かを差別する排除する抑え込まれる、その対象とされて
 しまったのではないかと。

 そう考えても今の「ロヒンギャ」の状況が良くなるわけでは
 ないが、良くなって欲しいと思うからいろいろと考えている
 んだが。

 フム。

 昨日は「ロヒンギャ」について話す。
 「気になる」出席者あり。
 そろそろ追手?・・・最近、パラノイア気味。

 で、その後、懇親会でトウフチゲ鍋など。
 お腹いっぱい。
 
 寒いし、眠たいし。
 

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