今日のエントリーは長いです。
最後尾に写真と音声あり。
明日(5月19日)は、ビルマの民主化運動の指導者アウンサンスーチー氏の
65歳の誕生日である。
スーチー氏は、1989年の7月から断続的に自宅軟禁に置かれている。
過去20年で、およそ14年間は囚われの身である。
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■1989年7月20日~1995年7月10日
■2000年9月22日~2002年5月6日
■2003年9月 (5月30日:ディペーイン事件後拘束)~現在(2009年5月米国人侵入事件)
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昨年6月、NLDの中央執行委員であるウー・ウィンティンがスーチー氏に
向けてメッセージを送っている (改行あり)
ビルマ市民フォーラムより
http://pfbkatsudo.blogspot.com/2009/06/blog-post_22.html
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スーチー氏の誕生日に寄せて
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彼女の精神的資質は、「恐怖を乗り越える力」に集約されます。
これが最も偉大な面です。
加えて彼女には忍耐力、知性、勇気、責任感、規律といった能力、資質もあり、
人としてそこにとても惹き付けられます。だからこそ、政治の世界では彼女より
経験が豊かな人も、経験の浅い人同様、彼女を尊敬しますし、年配の人も若い人同様
彼女を敬愛します。
そしてそれゆえにビルマ国民のみならず世界の人々も、彼女を支持してきたのだと
私は申し上げたいのです。
このことについて、日本の俳句を模し、私はビルマ語で詩を詠みました。
「 イェー ズェー ニャン スィー ター
マチャウタヤー テーガビャー
ミーボンデーガ チャー
(勇気、忍耐、叡智、規律、責任
恐れなき教え 詩は響く
火中に咲く 睡蓮の花) 」
イェーとは、勇敢であること、とても勇気があることを意味します。
そしてズェーとは粘り強く屈しないこと、忍耐強いことを意味します。
すでに20 年余りの歳月が過ぎました。彼女はビルマのために人生を捧げ、
心血を注いできたことを表しています。
またニャンは、深い知識と智慧の持ち主であることを意味します。
私たちは皆そのことに敬意の念を抱いています。
さらにスィーとは、規律ある行動を意味します。
彼女は一貫してそれを説いてきました。
それは軍政の言う規則で縛ること、処罰することとは全く異なります。
軍政の述べる「規律ある民主主義」というのは、抑圧、制限、拘束以外の
なにものでもありません。
彼らは同じ言葉を政治囚を捕まえる手錠のように用いているのです。
スーチー氏の用いるスィーの意味はそうではありません。
彼女は1988年、シュエダゴンパゴダで演説するよりも前の会見ですでに、
「民主化を望むなら規律ある行動をとること」の重要性を語っています。
そしてターとは責任を意味します。
自らの責任について理解していることです。
軍政は規則を守ることを言います。
そして彼らは有刺鉄線を張り巡らします。
それを規律だと彼らは言います。
しかし彼らには責任を感じそれを果たす、責任をとるといった意識は全くありません。
スーチー氏はそうではありません。
彼女は規律を尊重する一方で、同様に自らの責任を知り、それを引き受け担い、
全うすることを重んじるのです。
「恐れなき教え 詩は響く」というのは、皆さんもご存知の通りです。
「恐れからの自由」と彼女が説いたのは、たんなるスローガンとは全く異なります。
それは詩のように、力強い音色で、人々の心を打ち、考えを変え、励ます響きを持つ
言葉です。
「恐れなき教え」という言葉が、いかにビルマの人々に勇気を与えたか、そのことを
表したかったのです。
最後の「火中に咲く 睡蓮の花」という表現も、お分かりいただけると思います。
ビルマはなお火の海の中にあります。人々はうなだれ、思いは打ちひしがれて灰に
帰さんばかりの状態です。
その中にあってスーチー氏こそが、睡蓮の花のような存在であるということを
申し上げたいのです。
ウー・ウィンティン
(国民民主連盟、中央執行部委員)
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その、スーチー氏はかつて、ウー・ウィンティンについて、以下のように書いている。
ちょっと古いが、引用してみる。
( 「アウンサンスーチー ビルマからの手紙 20」-「勇気の人、信念曲げず」「獄中のメンバー」
「釈放の日は遠く」、 『毎日新聞』1996年4月8日 )
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国民民主連盟(NLD)執行委員会の4人の中心人物については、すでに「ビルマからの手紙」の
読者の方々に紹介済みである。
今週は、NLD結党当初からのメンバーで、唯一、いまだに獄中に残されている人物、
ウー・ウィンティンについて特別に紹介し、日本の皆さんに知っていただきたいと思う。
ウー・アウンシュエ、ウー・チィーマウン、ウー・ティンウー、ウー・ルィンらと異なり、1930年生まれ
のウー・ウィンティンは、一度も軍隊に所属したことがない。
文筆の世界が彼の活躍の場だった。
すでに大学卒業以前から、彼は「ビルマ翻訳協会」で副編集長として働き始めていた。
54年にはあるオランダの新聞社の顧問編集者になった。
こうして長いジャーナリズムへの第一歩を踏み出し、ついにはビルマ屈指の日刊紙の一つ、
「ハンタワディ」の編集長に任命されるまでになった。
ウー・ウィンティンが「ハンタワディ」の編集長を務めていた時期は、ビルマ式社会主義が強化
される時代でもあった。自由な発言と表現に対して次第に制限が加えられていったが、少数の
作家とジャーナリストたちはひそかに知的自由の権利を守り通そうとした。
78年にビルマ式社会主義に批判的な論文が、ウー・ウィンティンを中心に行われていた
「土曜読書会」の席上で発表された。
その結果、彼は解雇され、「ハンタワディ」紙は政府当局により廃刊された。
それからの10年間、ウー・ウィンティンはフリーの物書きと翻訳家として生計を立てた。
知的自由と正義を信じる人々が、88年に始まった民主化運動先頭に立ったのはごく自然の
成り行きだった。
はじめからウー・ウィンティンは、運動の初期に登場した「作家同盟」で積極的な役割を果たした。
88年9月、彼はNLD執行委員会の書記の一人になった。
ウー・ウィンティンは、その確たる能力と意思の強さゆえに、民主主義運動に反対する人々の
格好の標的とされ、89年6月、NLDの指導者として真っ先に逮捕される一人となった。
彼に対する罪状は、逃亡犯と宣告されたある人物の父親と電話で話をしたというもので、十分な
証拠はなかった。
法律のもとでは、電話による会話はいかなる場合も証拠としては認められないのだが、ビルマの
軍事政権に異議を申し立てる者に対しては、法律もあまり保護を与えてくれない。
逮捕直後、ウー・ウィンティンは3日間、食事も睡眠も与えられず、民主化運動における彼の
活動について尋問を受けた。尋問官は彼に、彼が私の政治戦術顧問である、言葉を換えれば、
私を背後から操っている人間であると無理やり認めさせたかったらしい。
勇気と高潔の人、ウー・ウィンティンは脅しに屈服して虚偽の告白をすることはなかった。
89年10月、彼は禁固3年の判決を下された。
92年6月、刑期が満期になる2、3ヵ月前に彼はあらたに茶番めいた別の裁判を受けさせられ、
さらに11年間の拘置を言い渡された。
ウー・ウィンティンは、自分のことにつてはほとんど語りたがらない。
書記と書記長として彼と私はNLDが結成されたころからほとんど毎日のように一緒に働いたが、
彼が独り暮らしの独身者で家事雑用を自らこなしているということを私がひょんなことから知った
のは、わずか数ヶ月前のことだった。
89年に判決が出てまもなく、彼が長年住んでいた国有アパートの賃貸契約が取り消されてしまい、
友人たちがアパートから彼の所持品を運び出さねばならなかった。
ウー・ウィンティンのふるまいがすべてにわたって毅然とした印象を与えるため、彼が定期的な
治療を必要とするような心臓の状態に悩まされていることに気づく人はほとんどいない。
医療は不十分で生活条件はどん底という長年の獄中暮らしは、彼の健康をさらに悪化させた。
米国下院議員ビル・リチャードソンが94年2月に会ったときは、ウー・ウィンティンは首に添え木を
あてていた。せきつい症が彼の苦しみに追い打ちをかけたのである。
彼は歯の治療も必要としていた。しかし、彼の知性はこれまでと同じように明晰であり、その精神は
直立不動であった。自分の一言一句がすべて当局に報告されるであろうことを十分承知のうえで、
彼は国家法秩序回復評議会(SLORC)がおぜん立てしてきた国民会議について、いつもながら
辛辣な論評をくわえ、私には、力強くきっぱりとした支持の言葉を伝えてきた。
いまウー・ウィンティンは、これまでに科された二つ刑にくわえて、さらに三つめを申し渡される
ことになりそうな深刻な事態に直面している。
95年11月に彼と27人の政治犯が刑務所の規則を破った罪で告訴され、その審理が刑務所
内部で行われている。被告の家族たちは、政府の上層部と最高裁判所長官、司法長官に、法の
もとで認められた法律扶助提供が認められるよう求めている。
回答はまだ来ていない。
(訳・土佐桂子、写真・山下浩一)=次回は14日(日)に掲載します。
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2008年9月、ウー・ウィンティンは19年の獄中生活から解放された。
2010年5月、ビルマのラングーン(ヤンゴン)の某所にてそのウー・ウィンティンに
インタビューした。

その一部を、『週刊金曜日』 ( 2010年6月4日号・801号 )にて発表してます。
ちなみに、ウー・ウィンティンは、外出する際、常に青いシャツを身につけている。
これは、彼が19年間獄中身につけていた囚人の服の色である。
彼が言いたいのは、たとえ刑務所から釈放されたとしても、ビルマという国全体が自由のない
監視社会であり、まるで刑務所と同じということなのである。
ここでは、そのウー・ウィンティンによるビルマの人々に向けてのメッセージをアップしてみたい。
もちろん、アウンサンスーチー氏についての言及があります ( 「ドー・スーチー」として)
→
WinTin_People ( .wav ファイルです 2MB )
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