2010年8月アーカイブ

 
 
今朝は6時過ぎに目が覚める。
 で、いそいそとカイワレを洗い、チーズトーストをこしらえる。
 もちろんアイスコーヒーも忘れずに。

 
 修正原稿を手直し、ペチペチペチペチペチ。
 フゥと完成、ビュンと送信。
 締め切り前なのに・・・、あんじょういきすぎて却って心配してしまう。

 
 ひと息ついて、写真のセレクトに取りかかる。
 「デジカメ」分の2002年度まで到達。
 目がパシパシ気味。


 昼は「そばメシ」をジャージャー作って、ガツガツ喰らう。
 うっ。
 お腹いっぱい。

 
 ビュンとはるばる街中の役所まで出動。
 あー、あれだけ証明書は折らずにA4のままで下さい、と言っておいたのに。
 見事に三つ折りされている。
 ふぅ。
 で、新しい証明書を出してもらう。
 
 
 ビュンと駅へ。
 所用があり関西を訪れているK(ツイッターでもお馴染みですがー)と
 久しぶりに再会。
 改札横のスパゲッチ屋さんへ。
 
 近況交換をしつつ、ぐっちゃらと密会話なり。
 ボストン時代からの付き合いだから、かれこれもう20年を超えるなあ。
 お互い表に出せない脛キズも多々有りですけど、ははは。
 さすがにそれはチョメチョメですねー。

 河岸を変えてぐっちゃらを続ける。
 やっぱり主題は、フリーランス・写真・メディア(のことはちょっとだけ)
 など話しあう。
 フリーランスの悲哀はさておき、ま、やるしかないんだけどね-。

 IMGP6718.jpg
 いつもながらおどけるKです。

 17時半、散会。
 ビュンと南へ。
 またまた別件で合流。
 
 暑いです-。

 買い物を済まして、部屋に戻って水浴びバッシャ。
 嗚呼気持ちいい。

 「47ニュース」をチェックしていると、うわっ、ビルマ情報が流れてました。

 “ミャンマー軍政トップ不出馬確定 民政移管後、引退の観測も”だとか。
 あれまー。
 やっぱり原稿をまたまた書き直さねば。
 げっそっり。

 あー、今日で8月も終わりだなー。

 

 
 
ここはビルマが近いタイの町メソット。
 ビルマからの移住労働者が暮らす地区である。
 
 2004年当時、移住労働者の問題はさほど取りあげられることはなかった。


 子どもたちは援助支援者たちの苦労の甲斐あって、学びの舎で元気いっぱい
 の声を出していた。

 暑い。
 DSC_0103.jpg
 
 で、勉強の間に男の子がリフレッシュのため、水道の水で顔を洗う。
 水道の水・・・ですよ。
 うん。


 朝から原稿書き。
 ペチペチペチペチペチ。

 ぐにゅぅうの腰はだいぶよくなった。
 無理は禁物だが、ま、今週中に回復かなっと。
 うん。

 原稿につける写真8点を編集して、ビュンと送信。

 と、改めて気づいたのだが、ニコン専用の画像ブラウザで
 写真を見ているのだが、どうもおかしい。

 よくよく考えて見るとフォトショップ形式 (psd) のファイルは
 読み込めないんだ。
 道理で探している写真が見つからないんだ。

 ようやくフジで撮した画像のチェックに入る。
 いよいよデジタル分、第一回目のチェックが終わりそう。
 次にはいよいよフィルム編が待ってる。


 冷やしウドンが美味しいゾ。
 

 原稿の下書き終わり。
 ホッ。
 暫く冷やそう。

 
 ビュンと出動。
 駅の改札前で待ち合わせ。
 と、改札前で出店している移動古本屋の本棚をツラツラ眺める。
 と、『最悪の戦場に奇蹟はなかった』(光人社)を見つける。
 インパール戦を扱った手記。
 ま、300円だし、いいか。

 
 ミスタードーナツにてぐちゃら。
 あ、もう18時だ。
 タマゴを買って部屋に戻る。

 暑い。

 冷やした原稿の手直し。
 うーん、やっぱりどうも最後の収まりが悪い。
 ペチペチペチペチペチと修正。
 
 きゃべついっぱい、カリカリのお好み焼き(牛)を喰らって、満腹なり。
 

 23時前、今日は早めにお休み。

豊かな自然

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 ビルマ(ミャンマー)については、もちろん軍事政権ということもあり、政治的な文脈で
 語られることが多い。
 
 が、現地に暮らすビルマの人が、何を食べ、どういう暮らし向きをしているのか伝え
 られることは少ない。

 例えばヤンゴン川を超えてフラインタヤーの市場にいってみると、そこには人口的な
 産業の成果は少ないが、豊かな自然の恵みが並べられている。
 果物好きにはたまらんよね。
 cu03916.jpg

映える夕焼け

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 時間が経つと、判ってきた。
 どうやら腰の左の部分に痛みが集中しているようだ。
 そこに力をかけないようにすれば、屈むこともできるんだ。
 うっ、いテッ。

 午前中いっぱいかけて写真選び。
 2010年→2003年の8年の「デジカメ」分で、ニコンのカメラで約900点あまりを選ぶ

 次にフジのカメラで撮影分をチェックしなければならない。
 

 写真をスキャンしていて、30年まえのタムラ・ボーのイメージが出てきたゾ。
 キリリとしてハンサム。
 びっくりである。
 
 
 午前中で力を使い果たしてしまった。
 原稿を書かねばならぬのに。
 
 まずは身体を元に戻さねば。
 無理は禁物。
 で、ごろり。

 あ、夕方だ。

 
 ビュンと出動。
 夕焼けが美しい。
 久しぶりに見る映える神戸の夕焼けだ。

 確か2000年の9月10日だったかな。 
 910_00_10.jpg
 ( ↑ 大きくなります )

 この時期、関西ではとんでもない夕焼けを見ることができる。

 DVDを返却する。
 8月最後の日曜日とあって、Tヤは人いきれムンムン。

 なぜか、スーパーはガラガラ。
 ふむ。

 『僕が2ちゃんねる・・・』を読み続ける。
 軽いことを言ってそうで、気になる言い回しもあり、やっぱり"ん?"ってな箇所もあり。

 焼きそばをお腹いっぱい食べたら、眠気が襲ってきた。

お坊さんも

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 ビルマ(ミャンマー)のお坊さんもバイクに乗ります。
 cu02499.JPG


 お坊さんもミシン掛けに励みます。

cu02514.JPG 

 僧侶たちがは自らが集団生活を行う上で、自分たちだけでしなければならないことは、
 もちろん自分たちでするのです。
 
 
それがサンガの存在理由のひとつでもあるのかも。
 それは、上座仏教だからこそかもしれません。
 ふむ。

行きつ戻りつ

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 ぐにゅうぅ~と捻った腰が芳しくない。
 こりゃ、よくないゾ。
 そろりそろりとしか動けない。
 
 やっぱり歳か?
 それともエアコンの部屋に籠もりすぎで身体が硬くなってしまったか。
 いずれにしろ、あんじょうせな。
 とほほ。
 グキッ。

 
 夜、腰の痛みで目が覚める。
 と、眠られなくなる。
 困ったなあ。

 で、ウエブでラジオを聴く。
 ウエブラジオは便利だ。
 今まで聞く機会がなかった関東の番組まで聴くことができるんだからなあ。
 
 と、佐野眞一へのインタビューをやっていた。
 なかなか興味深い。

 佐野っチの話を聴きながら、自分の頭の中でモヤモヤしていたのが徐々に
 晴れてくるようでもある。

 それは、写真の事である。

 この間、ニュートンと林檎の話で、「どうして天才ニュートンは林檎が木から落ちるのを
 見て万有引力の法則を見つけた」というのではなくて、「どうして凡人はニュートンの
 ような思考が出来なかったのか?」と、その内容を、ひと捻り半させた。

 
 自分自身、写真にこだわりすぎだよ、とよく言われる。
 どうしてビデオに転向しないのか、とも囁かれる。

 ビデオは、動きもあり音も出て、「伝える手段(道具)」としては写真に比べて何倍も効果的
 なんだから、と。

 それは重々承知である。
 例えば事件・事故の当事者や被害者を記録する場合、ビデオを回して、当人の語りを
 記録し発表するのは、写真と文字で発表するのとは格段に見ている人に訴える力に差が
 出る。

 はい、判ってますよ。

 佐野ッチの話を聴きながら、あ、そうか、と思った。
 じゃあ、反対に写真に出来てビデオに出来ないことはなんだろうか?

 静止画として時間を止めること。
 音もない。
 動きもない。
 だからこちら側から働きかけるしかない。

 そこで、2次元の映像として写真は、それを見る人にじっくりと考えさせ、想像力を喚起させる
 映像情報を提供できるのではないか、と。

 ビデオは、見る人が「前のめり」にならなくて受け身であっても、情報は向こうからやってくる。
 
 が、写真はこちらから働きかけねば、何もいってくれない。
 ある意味、こちらが、「行間を読む」と似ているんではなかろうか。

 見ている人に、自分とその写真の間で「物語」を創らせるような写真もアリかな。

 で、もう一つ考えると、実は写真には写っていないモノこそを写真に込める事も可能なんじゃ
 ななかろうか。
 
 写真に写らない背景や情況を写真に写し込むって?
 そりゃどういう意味だ?

 
 実際に現場にでる取材者は、できるだけ自己撞着の「写真論」にこだわるべきではないが、
 それでも自分の撮す写真が「現場に立っただけの証拠写真」の地位から跳躍するには、
 時には伝える・記録する写真そのものを考えて見るのもよいかな。
 うん。

 行きつ戻りつ、写真の事やメディアのこと、取材のことや現場でのことなど、ツラツラ考える。
 で、ウトウト寝入る。

 
 怖々と椅子に座って、写真選びとスキャンを続ける。
 PC2台に繋いだフラットスキャナとフィルムスキャナが同時に動く。
 こんな時は、高性能のパソコンが欲しくなる。
 ううぅ。

 納豆づくしの朝夕食なり。

 しかし、やっぱり日中は暑い。
 もう禁句だな、この言葉。

 
 『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』を読み続ける。
 

 アマゾンの古本で買った『地図にない国からの報告』(晩聲社、1982年)
 が届く。
 こちらは写真集ではなく、完全なルポである。
 以前から気にはなっていたのだが、自分の書くルポの内容がこの本に引きずられ
 そうだったので読むのを控えていたのである。
 
 で、いよいよいうことで読み始めるのである。
 うん。
 うん。

 "THE WAVE" を見る。
 


 ビルマ南西部のデルタ地域ミャウンミャです。
 
 ビルマでは海の魚よりも淡水魚を好んで食べられます。

 えいっ、と網を投げます。
 DSCF0270.jpg
 
 


 ビルマの町ミャワディー (Myawaddy) です。
 寄進のためにお寺の前で踊る女性。 
 DSC_0046.JPG

 asking for the contributions to a temple、っていう訳か。


 ラップトップを再起動していたら、そのまま寝入っていた。
 朝方目が覚める。
 と、あれま、枕元のスタンド電気も点いたまま。
 
 朝、ラジオをつけると、いきなり、「小沢一郎」への悪口(というような感じ)を
 があがあがなり立てる元アナウンサー。

 自分で取材もしていないのに、また、自らがイノセントな庶民の代表という感じで
 がなり立てている。
 うんざり。
 うむむ。

 番組が変わって、ラジオのパーソナリティーが変わっても同じ調子で番組が始まる。
 これまた同じ調子で小沢一郎を責め立てている、がぁがぁ、と。
 「政治と金の追求」を金科玉条として。

 メディアスクラムのバッシングみたい。
 もっとまともで建設的な追求にして欲しい。
 今日はラジオを聴くのはヤメにしよう。
 
 と、布団を畳むために中途半端に、斜めにかがんだら、ぐにゅぅう、と腰をひねって
 しまった。
 うう、痛い。
 もう少しでえらいことになるところだった、やっべぇ。
 
 ちょっとば、腰に電気がビリビリと走ったわい。
 おお、怖ぁ。

 写真の選択。
 目がパシパシ。

 
 夕方になると暑さが和らぎ、エアコンのスイッチをオフにする。
 と、蚊が2匹、ぶぅ~んと部屋に入ってきた。
 トホホ。

 水ものばかりを摂っていたら、うわ、お腹がゴロゴロ唸りだした。
 久しぶりだなゴロゴロは。
 で、イモディアムを飲む。


 AGASA CHRISTI'S "MURDER ON THE ORIENT EXPRESS"  を見る。
 またもや、やってしまった、これ前見たことあるわ-。
 

 夜、ビルマの独裁者タンシュエ議長(上級大将)が軍を辞任というニュースが
 入ってきた。

 選挙後の民間大統領(という体裁作りに)悪ぢえをしぼったという訳ですね。

 

ガンダムが

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 今日の『ミャンマーの新しい灯』 ( "The NEW LIGHT OF MYANMAR" )
 にガンダムについての記事が出てました。
 
 私の頭の中は「マジンガーZ」で止まっており、ガンダムに関しては
 ほとんど知りませんが・・・。

 ま、一応。

 nlm_27_08_2010.jpg

日の出る頃に

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 托鉢中の僧侶たち。

 やがて日の出る頃になると、人びとがせわしなく動き始める。
 DSCN0113.JPG
 
 バゴーにて。


 写真選び作業。
 2004年まで終了。
 
 スキャン。
 2本終了でナンバー3まで。
 先は長すぎる・・・。

 学習会の準備。

 大阪でのビルマ学習会。
 今日のトピックは、ウー・ウィンティンにインタビュー(の裏話など)
 久しぶりに BRC-J と顔合わせ。
 どういう訳か、皆さんお疲れ気味(かな?)
 とりあえずこの暑さと苦境(苦笑)を乗り切りましょう。

 今日の学習会は早めに終了。
 今宵は5名で打ちあげ会(N氏はお疲れで欠席)
 
 いつものコリア居酒屋にて、ぐっちゃらと近況報告+諸々話に華が咲く。
 おお、もうこんな時間だ。
 
 日付けが変わる前に部屋に戻る。
 
 水浴びをして、ふぅ、とひと息なり。


DSC_7895.jpg

 
 このタイプの干し魚(ンガーチャウ)は、主にラカイン州でしかお目にかかることはできない。

 しっかし、でっかくて迫力あるなあ。


 他の都市では、例えばバゴーやヤンゴンでは、こんな形となる。
 DSC_5650.jpg

 どちらも、立派な保存食ですね。
 
 実は、ビルマに通いはじめて18年、このンガーチャウを喰らったことがないのだ。
 
 さて、どんな味がするんだろうか?

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 昨夜も例によって、いろいろと考え事をしていたら、1時間ほど寝入った後、
 すっかり頭が冴えて、眠られなくなってしまった。
 こう見えても結構、デリケートなんですよね。

 ウトウトとした寝不足のまま起き上がる。
 朝一番でぶっかけ飯をくらい、ルーティーンを終わらせる。

 
 写真のセレクトを続ける。
 RAW ファイル分は2007年まで終わる。
 フジのカメラは別のフォーマットだから後回し。

 13時過ぎ、ひと休み。

 HHさんに朗報あり、とか。
 おめでとぅ。
 頑張ってくだされ。


 昨晩、東京から送られてきた段ボールの中味を再度、点検する。
 1977年~1990年までにビルマ・カレンで撮影された
 ネガ、ポジ類である。

 と、カレンだけでなく、シャンやパオ、カチンのイメージもある。
 撮影者は、あのKHさんである。

 KHさんの撮影したフィルムをデジタル化しようと思っている。
 でないと、もったいないじゃないか、と思って。


 KHさんの出版した『地図にない国 コートレイ Kawthoolei』は、主にKNUを
 中心とした1970年代の国境地帯のカレンの生活が記録されているのである。

 Karen.jpg

 自分の取材とも絡めて、「今だけ」を見るのではなく、「今ままで」もキチンと
 押さえておこうと思って、それにデジタル化しておけば、それだけカレンの
 人たちにも映像を提供できるのではないかと思ったりして。

 
 スキャンはフラット・スキャナとフィルムスキャナを併用する予定だ。
 しかし、思いの他、大量にあるなあ・・・。
 2ヵ月ほどの計画だったが、ま、このフィルムの量があれば、完全に無理だな~。

 
 午後遅く、ようやく飛脚さん訪れる。
 フラットスキャナのセットアップは簡単。
 繋ぐだけ。

 しかし全てのイメージを高解像度でスキャンするわけにも行かず・・・。
 さて、どうやれば一番効率的に作業を進めることが出来るのか。

 グゥォーン、グゥォーンとフィルムスキャナが動き出す。
 フィルムスキャナはもうニコンの一機種をのぞいて発売されていないし、新製品の
 開発も販売もされないだろう。
 
 今あるフィルムスキャナが壊れれば、一巻の終わりだな。

 必死で試行錯誤なり。
 23時前、なんとか作業手順が決まった。
 さ、本格的な作業はこれからだな。
 ふぅ。

 


 リキシャ (力車) に乗り、難民キャンプ外へと出かけようとする
 ロヒンギャー難民たちの母と子たち。
 _DSC1364.JPG

 

 
 朝2時過ぎに目が覚める。
 2度寝をする余裕もなく(?)、そのまま机の前に座る。
 
 写真選びに取りかかる。

 というより、不備のあったバックアップ写真の再チェック。
 気づいていて良かった。
 
 危うく、知らないままに大量の写真を削除してしまうところだった。
 これがデジタル写真の怖いところだよね。
 ふぅ、である。

 生パンを喰らい、毎度のアイスコーヒーを飲む。
 
 午前中いっぱいかかって、なんとかデータのバックアップを終了。
 70GBの転送に40分もかかるしー。

 茄子カレーの残りを喰らう。
 肉を買う代わりに、ラッキョを買っていたのだ。

 
 ネコさん来ない。
 うーん、どうして?
 今日は荷物はなし?
 
 待ちきれずに、ビュンと出動。


 図書館へ本の返却。
 そのまま同じモノを借り出すことに。
 
 暑い。
 黒いシートが灼けている。
 
 スーパーをはしご。
 と、昨日なら、1パックが68円だったのかー。
 キャベツがやや値崩れ、158円也。
 おお、カレールーも100円で大安売り。
 
 
 A3ファイルを買いにK南に行くが、適当な厚さのモノがない。
 

 午後遅く、冷やしウドンを喰らう。
 

 と、記者を退職直前の ▓ ▓ 氏から電話がはいる。
 しばし、ぐっちゃらと長電話なり。

 
 写真選びに集中する。
 ようやく2010年から→2008年度まで終わる。
 まだまだ15年分ぐらいあるんだよな。
 ふぅ。

 
 茎若布とトウフとエノキのヘルシー夕食。
 お腹いっぱい。


 と、またまた電話が3件も。
 珍しいなあ。
 と、新しいプロジェクトやるんですかぁ??
 ぐっちゃら、と。

 
 ひろゆき『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』(扶桑社新書、2009年)
 をパラパラと読み始める。

 22時前、ピンポ~ン。
 ああ、やっと来た。
 こんな時間に・・・。
 遅くまで大変だと思うけど・・・ちょっとこれはないでしょう。
 ネコさん、最近、ちょっとおかしいよね。

 大口の荷物が2個口なり。
 中にはたくさんのフィルムが入ってます。
 

 眠たいなあ。

 ウトウトと、半分居眠りしながら、"DEATHTRAP" を観る。
 強い後悔・・・。


 _DSC0417.JPG
 仏像に向かって手を合わせるラカイン人の僧侶である。
 
 ラカイン人(ヤカイン民族とも、アラカン人とも)とは、
 主に西ビルマ・ラカイン州が出自の人びとである。
 
 が、ここはイスラームが優勢のバングラデシュ。
 仏教徒ラカイン人は、絶対的な少数者である。
 
 ビルマ国内では、キリスト教徒やムスリムが少数派である。
 
 「異なる民族や宗教」 と簡単に言ってしまうが、そこに生活に裏打ち
 された表現が伴わないと、単に違いを言っているにすぎない・・・って、
 上手く説明できない。

 
 8時過ぎ、目覚まし時計で目が覚める。
 なんとかゴミ捨ての時間に間に合う。
 (と、最近、ゴミ収集の時間が遅くなってるし)

 今日から昼夜再逆転の生活に再々々・・・トライである。

 生パンを喰らいつつ、まずは午前中のルーティーンを終わらせ、ひと息。
 
 昼は、茄子カレー。

 
 さ、やろう。
 まずは2010年度の写真からだ。
 が、早速問題発生。

 最新版の ViewNX2 をダウンロードして、使い始めたのだが、画像を
 閲覧中にソフトが何度も落ちる。

 うー、いらつくやん。
 画像が重たすぎる?
 たかだか数十GBだぞぉ。
 
 いったんアンインストールした前のバージョンに戻るわけにもいかず。
 やっぱり最新版はこなれるまで使うなっていうITの鉄則か。

 
 日本通信がシムを売り出した。
 興味アリ。
 いよいよPHSともお別れか?
 ま、そうはいっても、来年だけど。
 最新版にはご注意だよね。

 
 画像を閲覧していて、おっとびっくり。
 バックアップしていると思っていたロヒンギャー画像の保存が中途半端の
 ままであった。
 おお、危ない危ない。

 初日にしては頑張った。
 液晶画面に8時間ほど集中なり。
 ふぅ。

 
 内田センセの新著『街場のメディア論』(光文社新書、2010年)を開く。
 やっぱりジャーナリストの端くれとしては、一応、読んでおかねばね。
 安いし。

 ま、今まで読んだこととほぼ同じかな。
 文面に半して、もうちょっと社員記者を叱ってくれるかなと思ってたん
 だけど・・・。
 優しいなあ、とも。
 で、パラパラと読了。

 
 で、そう。
 私もテレビは見ずに、もっぱらラジオだけ。
 が、最近のラジオも広告のやり方がえげつない。
 
 パーソナリティーが広告に毒されすぎ。
 それに広告自体も、例えば、「カメラの ▓▓▓▓ 」などは最悪だな。
 
 宣伝の出だしに(よくある手ですけど)、電話の呼び出し音を鳴らして
 聴取者の気を引き、それから広告を垂れ流す。
 
 聴き手としては、一瞬、アッと思うのだが、後に残るのは不快感のみ。
 この不快感が後を引き、カメラのキタムラでは買い物をしたくなくなる。
 目先の効果だけを主眼とした、悪例。

 ラジオもなんだかこんな広告宣伝の風潮に毒されつつあるような気も
 します。
 うむ。

 今日は早めに22時半にごろんとなる。
 うとうと。

水かけ祭りで

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 今年の水かけ祭り(ティンジャン/ダジャン)ですね。
 水をかけられ、踊り回っています。
 
 気持ちよさそうですね。
 R0012649.jpg

ヤンゴン川で

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 今年の酷暑は日本もビルマも同じ。
 
 ヤンゴン川で泳ぐ男の子たち。
 気持ちよさそうだなぁ ( ちょっと濁ってるけど・・・ )
 _DSC3448.JPG

 

斜光を頼りに

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 ロヒンギャー難民の家屋には、もちろん電気はない。
 目がなれないうちは、真っ暗闇に感じる部屋の中。
 
 写真撮影には、屋根や扉のすき間から差し込む斜光だけが頼りになる。
 DSC_5155.jpg

 あ、食事中にすいません。
 笑ってますけど・・・。


  


 昨日に続き、その昔撮影したボストンの街並みです。

 BOSTON_11.jpg
 ( ↑ 大きくなります )

BOSTON_28.jpg
( ↑ 大きくなります )

おねおねと

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 少々ややこしい日々を過ごす。
 んー、と。
 やっぱり、昼夜逆転気味だな。

 かといって生産性のある仕事をしているわけではない。
 ひたすら、耐えている、っていう感じ。
 時間との闘いかな。

 考えても考えても答えが出ないし。
 んー、と。
 知的な部分ではなく、いわば感性というような、違う部分を稼働させねば、って
 少々焦り気味。

 
 写真民俗誌/写真民族誌ってのを考えて、さて、何を基準に写真選びをしようと 
 しているのだろう。
 うむ。
 

 例えば、ニュートンは木から林檎が落ちるのを見て万有引力の法則を発見した
 という逸話があるが、じゃあ、どうして他の人ではなく、ニュートンだけが
 そういうことができたのか。

 写真でいうと、ジェームズ・ナクトウェイは天才で、サルガドは秀才的な写真の
 撮り方をする。

 誰もが努力すればサルガドにはなれるが、決して、ジェームズ・ナクトウェイ
 にはなることはできない。
 
 どうして、ナクトウェイは天才的な photo eyes があったのか。
 んー、と。
 
 ニュートンやナクトウェイには、どんな能力や天才的な閃きがあったのか。
 ずっと考えているんだな。
 彼らは何故、天才的なんだ、と。

 
 で、いや、そういう考え方じゃなく、ひと捻り半(@平川)しなければ
 ならないんだな、ということに気づき始めた。
 
 彼らには可能で、どうしてわれわれ(私)にはできないんだ、と。
 そうではないんだ。

 彼らの方を見ていてはダメなんだ。
 冷徹な目で我の内を見直さなければならないんだな、と。
 
 そうやって考えているうちに、ついつい、昔のことを考えてしまう。
 そうだから、自分で昔撮った写真を連続的に見てしまう。
 昔、読んだ本を読み直してしまう。
 例えば、岡村昭彦などを。
 
 彼は言う。
 
 「文字を書くのがダメだからカメラマンになるというような人は写真を
  やめた方がいいのではないか。文字がダメな人はまず写真もダメだ」
  
 とか。
 
 「伝達の方法には、文字も、音も、写真もあります。この文字と写真と
  いう伝達の記号がお互いに共存し、それぞれの欠点を補いながら進んで
  いくのが理想の伝達の方法ではないかと、私自身は考えています。
  
  文字の可能性の限界というものを、とことんまで追求するということは、
  即、写真の可能性な限界を追求することになります。」

  とも。

 
いま、どん詰まりなのは、技術的なものではない事は判る。
 ではナンなんだろう。

 単なる写真家 ( photographer ) を目指していたわけではないはず。

 歴史観と時代背景を見る力が決定的に不足しているのだろうなあ。
 一見すると、ヒューマニズム的な、目の前の現象だけに振り回されすぎて
 いるではないか。


 考え過ぎているのかなあ。
 とほ。


 英国より電話あり。
 了解です、と。

 
 オリバー・ストーン監督の "EARTH & HEAVEN" (『天と地』)を見る。
 何度見ても、美しい映像だなあ。
 計算され尽くしている。
 うむむ。

 
 おね(くのじてんおおがえし)と時間を潰してしまう。
 よっこらしょ、と。

 ようやく写真の選別にとりかかる。
 やっとだよ。
 とりあえずは2010年度分から。
 ああ、この先、大変だ。

 
 TヤにてDVDを返す。
 おバカなホラーだった。
 がっくり。
 


 写真ファイルを整理していて、ついつい現実逃避気味になる。

 本当は、ビルマで撮影した写真群の整理に没頭しなければならないのにぃ。
 
 "GOOD WILL HUNTING" を見ていて、映像にボストンのチャールズ川が出ていた。
 そこで、思い出した。

 以前、チャールズ川に映った燃えるような夕陽を撮ったんだ。

BOSTON_29.jpg

BOSTON_16.jpg
 
 マサチューセッツ・アベニュー(Massachusetts Avenue) からの撮影です。

 
 先日、ちょいとした知り合いから、面白い連絡がきた。

 私が、「実は、本当は軍政側のスパイではないか」との問い合わせが、その知人の所に
 届いたそうである。

 うーん、である。
 苦笑せざるを得なかった。

 でも、この数年、そんな話を私も、ちらほら聞き及んでいたからだ。


 ビルマ軍政のMIや公安からは直接、面と向かって、"Are you a Japanese intelligence?"
 
って尋ねられたり。

 カレン民族同盟(KNU)に関する取材が長いせいか、KNUのシンパだとも思われたり。

 全く反対に、DKBAのトップであるスザーナ僧正やマウンチィットゥー ( Col Chit Thu )
 会ったことがあるので、KNUの支援者からも疑いの目で見られたり。

 チェンマイに事務所を置くビルマ民主化の支援団体を訪れた時は、冗談っぽく、「ああ、スパイが
 来たぞ」なんぞとからかわれたり。
 
 私自身は、自分の仕事として、可能な限り現場を見て、当事者に会って、彼らの話を聞こうとして
 いるだけなんだがなあ。
 
 取材者として当然のことをしてるんですが。
 
 が、しかし、ビルマは噂社会っていうことは十分認識しているので、これでも自重して動いている
 と思っている。

 
 それよりも、「あいつはスパイだ」という噂を流すことによって、誰かが私の取材活動を妨害して
 いると(パラノイア的に)思わざるを得ない(また、いつもの妄想かな?)

 だって、こんな生活しているスパイがいたら、それこそ小説にでもなりそうなんだが。

  確かに、ビルマに関しては情報統制がなされており、何が本当なことか判りにくくなっている。
 そのせいもあって、ある種の人たちは、自分の見たいことだけ、聞きたいことだけを一方的に
 信じ切って、物事を判断しがちである。

 すぐに、「アイツは敵だ」「アイツは味方だ」という基準で行動しているようでもある。

 なんかやりにくいなあ。

 
 ビルマ軍事政権の国営テレビのひとつ "MYANMAR TV3" を見ていて
 気づいたことがある。
 
  "MYANMAR TV3" はこの春、局の機構改革をしたせいか、番組内容の
 作りも変わった。

 特に国際ニュースに力を入れている。
 
 例えば今日(22日)の国際ニュースでは、日本に関するニュースを流している。
 --------------------
 Japanese Foreign Minister Katsuya Okada, who is on a two-day visit
  to India, called on Prime Minister Manmohan Singh on the 21st of
 August, to discuss civil nuclear cooperation.

 The nuclear pact with India will allow Japan to export nuclear power
 generation technology and equipment to India. The talks between
 Krishna and Okada will prepare the agenda for Singh's visit to Tokyo
 towards the end of October.
 --------------------

 で、"MYANMAR TV3" で気づいたことは、"Headline News" が報道される
 際の地図である。
 
 自己中心的なビルマ軍政だから、ビルマという国も地図の中心にあると
 思っていたが、実はそうではない。
 
 DSCF0423.jpg

 昔のまま、たぶん英国植民地からの続きで、英国が地図の中心にあるのだ。
 ん?
 あれほど植民地主義が嫌いなタンシュエ議長なのに。
 なぜ?

 おそらくは無意識的に、ビルマ軍政の幹部連中の頭の中には、よほどかつての
 植民地主義のままの世界情勢が、今も組み込まれているのだろう。
 もちろん今、ビルマ軍政(SPDC)が最も嫌いなのは米国であるが。

 この地図を見ながら感じたのは、世界に喧嘩を売っているSPDCは、実は
 自分たちの世界観を図らずも露呈してしまっているのではないか。

 世界はわれわれをどう見ているのか、実はかなり気にしているのでは、と。


 昨夜、Matt Damon 主演の "GOOD WILL HUNTING"  を久しぶりに見た。
 3
度目かな。
 
 今回改めて見直してびっくりしたのが、この映画の脚本をマット・デイモンが書いたんだ。
 共著みたいだけど。
 それも2年以上含み置いてあたためた内容だとか。

 で、私にとって、しみじみと思い出すこと、多々アリである。
 昔懐かしいボストンが舞台だし。
 
 っていうか、映画自体は、対岸のケンブリッジ(MITがあるところ)がメインだけど、
 マット・デイモンが暮らす南ボストンに通じるレッド・ライン(電車)が度々、登場するし。

 ボストンには2年弱ほどしか暮らさなかったが、遅すぎた青春の街(@OKY)でも
 
あるので、映画の画面のあちこちに目をやってしまう。

 でもって、もっとびっくりしたのが、映画の最後の最後、エンド・クレジットが終わって、
 画面が終わる寸前に、次のような文字が現れた。 

IN MEMORY OF
ALLEN GINSBERG & WILLIAM S. BURROUGHS

 

 えっ、もしかして、マット・デイモンもビートニクスだったのか?
 で、彼は、自分と似たもの同士かな、と(勝手に思い込んだりして)
 
 その昔、ウイリアム・バロウズが逝った時、エッセイを書いた覚えがある。

 
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 世代を越えて ─  2人のビートニクスの死 ─

  2日(1997年8月)、アメリカの小説家 ウィリアム・バロウズがこの世を去った。
 彼は詩人のアレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらと共に、新世代が旧世代に
 反旗を掲げた1950年代のビート運動を先導した。

 この連載のタイトル「オン・ザ・ロード」は、実はケルアックの小説名からいただいたものだ。
  国境を越えて世界中に広がったビートニクスたちの生き方は、閉塞感に押しつぶされそう
 な現代の若者に、世代を越えたメッセージを残しているように思える。

 個人の感受性や体験を大切にする生き方。一人ひとりのエネルギーは大きくなかったが、
 時代の動きとともに反戦・平和運動などにも結びついた。
 
 ギンズバーグ死去の知らせがとどいたのは4月だった。
 その日、私は久々に彼の詩集 『吠える』 を手に取った。
 表紙をめくると、彼の直筆サインがぎこちなく躍っていた。

  91年年春、小さな書店のサイン会に現れた彼に「小粋なスーツ姿のあなたの姿なんて、
 想像もしていなかった」と言ってしまった。

 彼はただにやりと笑っただけだったが、「人間は外観じゃないんだよ」と言いたげな表情が
 印象的だった。
 
  いつの時代も、旧(ふる)い世代の人たちは、新しい世代に、社会の進むべき方向性を
 示せないままでいる。命の大切さを謳いながら戦争は続き、平等を説きながら差別は
 根深く進行する。

 個人の大切さをいいながら「マス」の効率を追求する。
 
  「ビート世代」の若者は、そのような偽善性に抗い、自分の感性に正直な生き方を
 追求した。
 
 今の日本の若者も、豊かに見える社会を嘘っぽいと受け止め、表面上は繁栄した世界を
 ありのままに受け入れることができないでいる。

 いつの時代も若者たちは、時代の性格を正確に、しかも厳しく嗅ぎ取っている。
 彼らは、親の世代が必死に努力して作り上げた世の中を欺瞞だと感じている。

 旧世代の者が努力して築き上げた世の中なんて、この程度か、と。
 
  今では物わかりのよくなった前の世代の人たちも、かつては世の中の不条理に反発し、
 さまざまな形で激しい抗議の声を上げた。

 若者たちは、前の世代から時代を超えるメッセージを受け継ごうとしている。

 それだけに、「あのころのあんたたちのエネルギーはどこへ行ったんだ」と、詰め寄りたい
 気分なのだ。
 
 純粋に生きようとするエネルギーにあふれた若者の中には、何とかして自分の生き方に
 突破口を見つけ出そうとする者も出てくる。

 親の心配をよそに、子供たちはしなやかに生き抜く知恵を身につけている。
 
 そりゃ、大人たちにとって、今まで努力して築き上げたものが否定されるのはいい気分が
 しない。

 心配は無用。
 親の世代が現在の息の詰まった社会に反発できないその分、「私たちがやってあげましょう」
 とばかりに、国家や民族、思想という既成の枠から飛び出していく。

 少なくとも、私はそんな若者たちを何人も知っている。
 
 それに比べて、彼らをおおらかに見守れる大人はどれだけいるのだろうか。
 本当に心配なのは、余裕にない大人たちではないのか。
 
 かつて若者の心を揺り動かしたビートニクスの死は、私にそんなことを思い起こさせた。
 --------------------
 (『朝日新聞』大阪本社版夕刊、1997年8月14日)


 profile_9.jpg

 1991年、ボストンにて
アレン・ギンズバーグを撮しました。

 
 ショクロー・キャンプがメラキャンプ(ベクロ・キャンプ)にビルマ国軍に支援された
 DKBA軍がキャンプを襲撃した後、ショクロー・キャンプは閉鎖された。

 あの頃、海外の支援団体はキャンプ内に活動拠点を置いており、例えばMSF
 (国境なき医師団)などもショクロー・キャンプ内で援助活動を続けていた。
 
 確か、フランソワ医師もそこで働いていたなぁ。
 93kar152.jpg
 
 ショクロー・キャンプ内では、今と比べものにならないくらい「粗末」な作りの学校で
 子どもたちが学んでいた。
 うん。

 
 ビルマ(ミャンマー)の部分だけ抜き出してみました。

 岡田大臣会見記録(要旨)
 《平成22年8月20日(金曜日)12時25分~ 於:本省会見室》

 【主な項目】
 ○冒頭発言-(3)ミャンマー情勢について


 (3)ミャンマー情勢について

 【大臣】
 3番目はミャンマー情勢について、この前の会見の日にミャンマーのことについて
 十分触れることができなかったのですが、13日にミャンマー政府は総選挙を11月7日に
 実施することを発表したわけであります。

 この件に関して、ミャンマー政府がアウン・サン・スー・チー女史を含む政治犯の釈放を
 行わないまま総選挙を実施するということであれば、我が国を含む国際社会がこれまで
 求めてきた自由公正で開かれた総選挙の実施とは異なるものであり、遺憾であります。
 
 引き続きアウン・サン・スー・チー女史を含む政治犯の早期釈放及び同女史との実質的
 対話の速やかな実施などを通じて、すべての関係者を含む形での総選挙の実施を強く
 求めるということであります。
 
 なお、今、私(大臣)が申し上げた点につきましては、昨日、フラ・ミン在京ミャンマー大使を
 通じ、今、申し上げた考え方をミャンマー政府に伝えたところであります。部長が大使に
 伝えたということでございます。


 ○ミャンマー情勢

 【朝日新聞 山尾記者】
 冒頭仰ったミャンマーの総選挙の件ですが、総選挙が現状のまま実施された場合なのですが、
 その選挙結果は認められるとお考えでしょうか。

 【大臣】
 選挙結果を認める、認めないという話と、それが開かれた公正な選挙だったかどうかというのは
 別の話であります。

 どの国も選挙そのものが全て無効であるというのはよほどの場合でないとそういう表現は
 使われないというように思いますが、我々としては未だ時間もありますから、開かれた公正な
 選挙が行われることを期待するわけであります。
 あとは選挙が行われた結果、どういう選挙が行われたかを見て、我々の考え方をその時
 判断するということだと思います。
 ただ無効というのは、よほどのことがない限り他国が言うべき言葉ではないと思います。

 【フリーランス 上出氏】
 1990年のアウン・サン・スーチーさんが大勝利した選挙を取材したものです。
 その頃建設的関与ということで、外務省は少し米国とは違う立場でやっていたのですが、
 今回、最初言われた、国際的な要望には沿わない形でミャンマー政府がやっていると。
 実際にどのようにそれを変えていくために何がやれるのか、何をしていかなければならないのか、
 日本としての役割としてどういうように考えているか具体的に教えて頂ければと思います。

 【大臣】
 今までいろいろなことをやってまいりました。外相とも3回ですか、かなり時間を取って議論を
 致しましたし、ミャンマーの首相が日本にお見えになった時にも、鳩山総理にもお話し頂き
 ましたが、私も表敬をして、かなり長い時間、自由で開かれた選挙について様々意見交換を
 させて頂いた訳であります。
 あとは、大使を通じて日本の考え方というものも伝えて参りました。そういういろいろな努力
 をしてきたにもかかわらず、全く顧みられない今回の発表については、先ほど申し上げたように、
 大変遺憾なこと考えております。今後どういうことが出来るのか、もちろん大使館を通じて日本
 政府の考え方を伝えて参りますが、それ以上にどういうことが出来るのかというと、
 あまり出来る余地は少ないかもしれません。
 しかし最後まで粘り強くやっていきたいというように思っております。

 
 今日(21日)の国営英字紙(『ミャンマーの新しい灯』)の最終項を見ると
 気になる記事が。
 NLM_21_08_2010.jpg
 ( ↑ 大きくなります )

 一般市民の不平の種でもあるボロボロになった紙幣を新札に交換しようというのである
 (ヤンゴンだけだけど)
 
 ん?
 
 穿った見方をすると、選挙前の宣伝?ってか。

 実際、触るだけでボロボロに崩れてしまう(ような)紙幣をお釣りにもらうこともある。

bill.jpg 

 小額紙幣そのものがないときは、お釣りに飴ちゃんやキャンディーをもらうこともある。
 とほ。

 
 あと上の記事を見ると判るのだが、ビルマは度量衡のひとつとして、 インチ を使ってんだ。

 


 高岩仁さんとお会いしたきっかけは、よく覚えていない。
 自分のメールの記録を繰ると、2002年の初夏だったようだ。
 
 私はあの頃、初めて訪れたフィリピンと韓国取材から戻って来た直後でもあった。
 
 何がきっかけだったのだろう。
 高岩さんの『教えられなかった戦争・沖縄編─ 阿波根昌鴻・伊江島のたたかい』を
 知ることになった。
 
 その映画は1998年度、キネマ旬報ベストテン、文化映画一位という授賞作品に
 輝いたのだ。
 
 だが、マスコミでほとんど紹介されることがなかった。250人もの記者に試写会の
 招待状を送ったが、誰一人として見に来なかった。
 
 なんということか。
 で、どうしてもその制作者の高岩さんに、直接会いたかった。
 
 というのも、2002年当時、自分自身、モヤモヤしたものを
 抱えていたからである(仕事でもプライベートでも)

 フィリピンでは「スモーキー・バレー」を取材していたが、実際、現地で取材してみた
 感想として、なにかいつも「可哀想な子ども」というパターン化した報告ばかりを目に
 してた。
 
 また韓国では、元「従軍慰安婦」のハルモニたちが共同生活をしていた「ナヌムの家」に、
 男の日本人取材者として初めて、一週間泊まり込む取材を終え、これまた何煮え
 切らないものが残っていた。

 
 ただ単に、高岩さんに会うだけではもったいなく、また、その評価された映画が
 マスコミには、あまり顧みられなかったことに何故か憤りを感じていた
 (このあたり、ちょっとあやふや)

 日本では、ほとんど自分の取材・報告をしない私ではあるが、この時ばかりは
 『週刊金曜日』にお願いして、『金曜日で逢いましょう』に高岩さん紹介の誌面を
 都合してもらった。

 MVC00001.jpg
 

 以下、誌面とは少々異なるかも知れないが、こんな原稿を出した。
 
 --------------------

 「高岩仁さん─資本主義の闇に迫る孤高のカメラマン─」
 (「『金曜日』で逢いましょう」、『週刊金曜日』2002年8月23日424号)

 高岩仁さんはフリーの記録映画カメラマンである。
 「普通のマスコミでは伝えられないことを伝えたい」
 そんな思いから、東映の撮影部員を経てフリーの身となった。

 46年間のカメラマン人生で最近の15年間は、自分が大切だと思った
 ことを、なんの制約もなく撮り続けている。

 「そのせいかこの間、金になる仕事は、何一つしてませんね」
  覚悟を決めているのか、語り口は飄々としている。
 
 一つの作品に約3の年月を費やした「教えられなかった戦争シリーズ」の
 3作品は、高岩さんのそんな「志」の根幹をなしている。

 これら一連の作品の中で、戦争はなぜ起こったのか、さらにどうして今も
 起こっているのか、その本質を世に問い続ける。
 
 80年代半ば、旧日本軍によるアジア侵略の後を追ってマレーシアに入った。
 現地の人から、「日本の侵略は一九四五年で終わったのではない。今も
 『第二の侵略』は続いているのだ」と言われた。

 それは、「かつて日本が経済的、軍事的に侵略したアジアの国々で、
 現在はアメリカの軍事力を背景に展開されている日本の経済活動や開発援助。

 その影で深刻な環境破壊や人権侵害がもたらされており、今もなお自国の
 経済発展を最優先させる日本の社会構造は変わっていない」、ということだった。

 人を踏みつぶす社会構造は、全く変わっていなかった。
 誰が戦争を欲し、侵略を始めたのか。
 そこに見えたのは、まさに資本主義体制そのものであった。
 高岩さんは、そう思い至る。

 また、アジアにおけるアメリカ軍の最前線は、沖縄の基地である。
 日本は無関係であるはずがない。
 
 日本国内ではこれまで、戦争が引き起こす悲惨な面だけが報道されてきた。
 だが、なぜ、戦争はおこるのか。
 その本質はほとんど伝えられこなかった。
 高岩さんは、「マスコミ自身に限界があるのだ」という。
 
 たとえば、シリーズ3作目の『教えられなかった戦争・沖縄編』─
  阿波根昌鴻・伊江島のたたかい─は、九八年度キネマ旬報ベストテン、
 文化映画一位授賞作品に輝いた。

 だが、マスコミでほとんど紹介されることがなかった。
 250人もの記者に試写会の招待状を送ったが、誰一人として見に来なかった。
 それは、なぜか。
 
 阿波根さんの平和運動の大きな訴えのひとつ ─ 沖縄から基地をなくし、
 自分たちの土地を取り戻しただけでは平和はおとずれない。

 富を平等に分配する社会構造を世界中に広める必要がある、と描かかれて
 いるからである。
 資本主義への批判である。

 フィリピンのごみ捨て場で働く人びとを、「悲惨な状況の中でも、人間らしく
 生きている。

 そして、その中で子供達の目が輝いている」と作品にまとめれば、日本の
 マスコミは簡単に紹介記事を書く。

 しかし、「貧しい人が存在するのは、日本や、アメリカの企業が環境を破壊し、
 土地を取り上げ、人権を無視して働かせ、それを維持させるために暴力を使う」
 とすると、無視される。

 現象だけを追っても何も解決しないのに。
 物事の本質に迫るという取材者・報告者としての姿勢は、戦争に限ったこと
 ではない。

 基地・環境・公害・教育、どれをとっても、行き着くところは資本家が背後に
 存在する社会構造に触れざるを得ない。

 高岩さんは、知り合いの映画監督から強い忠告を受けたそうだ。
 戦争の原因である社会構造批判をはずさなければ、マスコミでは作品紹介は
 されないぞ、と。

 自主制作の映画製作として、作品紹介がされなければ制作資金の回収も困難に
 なり、次の作品づくりにも影響がでてきている。

 実際、苦しい状況は続く。だが、「きちんと伝えていきたいという人が全国の
 どこかにいるから。

 この記録映画を上映したいという人がいるから、続いています」と、思いを
 込めて語る。

 たかいわじん 1935年生まれ
 映像作品に、『教えられなかった戦争』
 -侵略マレー編-
 -フィリピン編-侵略・「開発」・抵抗|、
 -沖縄編、『日の丸と君が代』、
 『アジアと有効のために』-高嶋伸欣さんの教育実践記録-他。
 ブックレットに『戦争案内』など。
 問い合わせは映像文化協会 電話 045─981─XXXX
 
 --------------------

 高岩さんが亡くなったという知らせを2008年1月、取材先のビルマとタイの国境で
 知ることになった。

 高岩さんからいくつかの資料を頂いていた。
 直接会ってから9年が経っている。
 
 今、その資料を深夜に読み返してみて、高岩さんが追求しようとしていた
 構造は、より深くより見えなくなって日本を覆っているようにも思える。
 (その一方で、それに抵抗する力も見え隠れするのが救いでもある))

 
 
戒律の厳しいビルマ(ミャンマー)の僧侶は「修行一筋」って思われているけど、
 もちろん、そういう僧侶ばっかりではない。

 日本の人の頭に浮かぶ「ビルマの僧侶」はたぶん、サンガ組織法で認められた
 9つの宗派のうちの「シュエジン派」ではなかろうか。

 上座部仏教だからといって、皆が皆、日々厳しい修行だけを行っている訳では
 ないのだぁと、ビルマに暮らしていたとき感じたものである。

 さてこれは、新しいパゴダの建設に汗を流す僧侶です。
 
 熔接中のお坊さんを見たのは初めてでした。
 しかもおまけに、ラジカセで音楽を聴いてたりして。
 DSC_0290.jpg


 で、DKBAのカレン人たちが何を考えているのか。
 
 まずは、その生活をみてみよう。

 で、ミャンジングーに行ってみました。
 ( ビルマの国営紙は Myainggyingu、イラワジは Myaing Gyi Nyu と  表記して
  るけど )

 パアンから車で数時間です。
 舗装されたアスファルト道にびっくりしました。

 DSCN0208.jpg
 ここはミャンジングーの船着き場。
 
 
 もちろん、「999」の司令部にも行ってみました。
 IMGP0010.jpg
 ま、一応、記念撮影。

 で、中に入って(ちょっと怖々)、DKBAの幹部にインタビュー。
 cu02071.jpg


 
 で、いそいそと隠密移動を続ける。
 

 が
、うわっ、やっぱり見つかった。
 密かに(笑)行動してたのに・・・誰かにチクられたようだ。

 途中でビルマ政府の当局側に見つかり、いろいろと聞かれる羽目に。
 拘束されないように、のらりくらり。
 事務所に連れて行かれたら一巻の終わり。
 のらりくらり戦法です。
 
 DSCN0252.jpg
 
 サルウィン河に浮かぶことになっても・・・ま、別にいいけど
 
 が、ここは冷静に、やっぱり観念せざるを得ません。
 のぉらぁりぃ~、くぅらぁりぃ~、で身分証をチェックされる。
 
 厳しかったね。
 ここでは、どこの空港から入ったかをチェックしてました。
 うむむ。

 うう、やばすぎる。
 いったん出国かなぁ。

 で、やっぱりシュエココ(Shwe Ko Ko)も見ておかねば、と。
 DSC_0124.jpg

 一応、DKBAの最高司令官のマウンチィットゥー ( Col Chit Thu ) にも会ったりして。
 「万一」を考え、一緒に記念撮影なども(これは、部外秘だよ)

 ふぅ、である。


 PC内のファイルを整理していたら、思いがけない写真ファイルが出てきた。
 taki_3.jpg
 
 これは今から11年前の7月23日、とある内輪的な講座で撮影したもの。
 あの『戦争論』の多木浩二さんである。

 確か、「カンボジアのポルポト政権下で、どうして人びとは組織的な抵抗運動を
 せずに、あのような形で虐殺されてしまったのか?」ってなような質問をして
 答えを待っている所だったかな?

 個人的な好みだけど、ネガフィルムのザラザラ感がちょいとイイね。



 
  


 カレン民族の大義を掲げて(?)、カレン民族同盟(KNU)から袂を
 分かったのが1995年だった。

 で、やっぱりか。
 最後はビルマ軍政の旗の下、BGF (Border Guard Forces) として
 活動することとなった。
 
 DKBA(DKBO)の拠点であるミャンジングー (Myainggyingu) から
 カレン州の州都パアンに向かうDKBAの兵士たち。

DSCN0065.JPG


 


 首都ネピドーにて8月17日、 "The Special Projects Implementation Committee
 が開かれました。

 ここで、改めて国営紙『ミャンマーの新しい灯』 ( "THE NEW LIGHT OF MYANMAR"  )
 使って、ビルマ(ミャンマー)軍事政権の序列を確認しておきましょう。

(1)Chairman of the Special Projects Implementation Committee
   Chairman of the State Peace and Development Council Commander-in-Chief of
   Defence Services Senior General Than Shwe (タンシュエ)


(2)Vice-Chairman of the committee Vice-Chairman of SPDC Deputy
   Commander-in-Chief of Defence Services
   Commander-in-Chief (Army) Vice-Senior General Maung Aye (マウンエイ)


(3)Committee members SPDC member General Thura Shwe Mann (シュエマン)


(4)Prime Minister U Thein Sein, Secretary of the committee Secretary-1 of     
   SPDC General Thein Sein (テインセイン首相)


(5)Prime Minister U Thein Sein, Secretary of the committee Secretary-1 of
   SPDC General Thiha Thura Tin Aung Myint Oo


NLM18_08_2010.jpg

 
 ああ、いつもながら曜日の感覚がなくなる。
 毎日が日曜日。
 
 イヤ違う。
 毎日がブルーな月曜でもある。

 
 お腹いっぱいになって寝入るとなぜか寝起きが悪い。
 胃が重たいのよね。
 学ぶ人ではないから、毎回、苦労する。

 
 今朝のルーティーンは間に合わなかった。
 しばし惰眠をむさぼる。
 ま、いいか。

 電話が鳴っている(ようだ)
 ウチの電話は呼び出し音が鳴らない(うるさいからね)
 ピコピコと着信のオレンジ色のLEDが点くだけ。
 ごめんなしゃい。

 
 ズルズルと起き出す。
 やっぱり暑い。
 異様な暑さだ。
 この5月、ビルマ(ミャンマー)で45度という気温を経験したが、
 いや、それでもたまらん(って、部屋の中でエアコンかけてますが)


 ファイルの整理が山場だ。
 PCのデータとの突き合わせ。
 後は、自分の記憶を頼りに過去のデータを思い出す(それがなかなか難いのよね)
 

 と、昔使っていたメールのソフト WeMail32 とかいうのを立ち上げる。
 と、昔やりとりしていたメールがざっくざっく。
 あの頃も、「うだしゃん」 と呼ばれてたのですね。
 
 そいや、メールは1992年くらいから、パソコン通信で使ってた。
 あの頃は WTerm というソフトを使ってましたね。
 いやいや懐かしい。

 液晶画面に向かってひたすらデータの照合作業なり。
 ふぅ。
 ひと休み。

 夕方、ナスビカレーを作る。
 体力をつけようと大蒜いっぱい。
 ふぅ。
 また、食べ過ぎた。
 ほんと、学ばない人である。

 ごろんとなって、気がつくと、あ、留守電にメッセージがありました。
 あれま、英国行きの途中、成田空港からの電話でした。

 
 ビルマ語は、日本の人から見れば、丸文字である。

 02_00783.JPG

 日本語でいうと、漢字は凹凸があり、カクカクしているのだが

 ビルマ語は、まるまるが続き、どちらかといえば柔らかいひらがな
 っぽいともいえなくはない。
 うん。


 ビルマの選挙日が11月7日と決まった。

 さて、今後、ビルマに関して、どんな報道が日本でなされるのやら。
 それを思うとちょっと気が重い。

 その私の気分をまさに代弁してくれている本があった。
 永井浩『アジアはどう報道されてきたか』(筑摩書房、1998年)である。
 
 永井氏の著作から、ちょっと長いが、その内容を書き抜きしてみた。
 ( 縦書きを横書きに。また、ウエブで読み易いように改行した )
 
 本文中に、私の知り合いの記者氏の名前も出ていた。
 個人的な友人ではあるが、仕事はまた別の話と言うことで、もちろん、
 そのまま引用した。

 
 永井氏がこの本を書いてから、ゆうに10年以上が経った。
 
 だが、ビルマを巡る情況は変わっていない。
 もちろんビルマに関する報道も、ほとんど変わっていない。

 私自身、在バンコク大手メディアの特派員氏に知り合いもたくさんいる。
 ( その多くの記者は当然、大体3年ほどで日本に戻ってしまうけど・・・。 )
 その仕事振りも、じっくりではないが、いくつか見てきた。 
 
 そこでやっぱり、この抜き書きした部分が、まだまだ当てはまるんだなあ
 と思った次第である。
 
 もちろん、以下の文章は、自分自身の取材についても突きつけられたことである。



 民主派 VS 軍事政権─対立のポイント

 以上の経過をみただけでも、軍事政権がいかに国民の民意を反映しない政権であるかは
 はっきりしている。

 にもかかわらず、NHKの番組は、この政治的合法性を欠いた政権とそれに近いひとにぎりの
 エリートのみによって、軍事政権の経済政策をひあすらバラ色に描きあげようとする。

 「民主化なくしては健全な経済発展はありえない」というアウンサンスーチーさんの主張や、
 彼女たちの民主化運動を支持する圧倒的多数の国民が軍事政権の自画自賛する
 経済開発の成果をどのように受けとめているかは黙殺される。

 だがこのような偏向報道は、NHKの「開かれた黄金郷」だけに限らない。この番組に
 みられるような基本姿勢はほかのメディアのビルマ報道にも、濃淡の差はあっても一本の
 赤い糸のようにつらぬかれているのだが、それを検証する前に、民主化勢力と軍事政権の
 主張にもういちど耳をかたむけておこう。

 
 両者の最大の対立点は、経済発展と民主化・人権の関係である。
 
 私がアウンサンスーチーさんの口から直接、民主化陣営の考えを聞いたのは、彼女が
 自宅軟禁を解かれてから二ヵ月後の一九九五年九月のことだった。

 彼女はひさしぶりに見聞したヤンゴン市内の様子についての感想などをまじえながら、
 「経済発展には民主化が不可欠」という持論をあらためて強調した。

 「国民の生活は苦しく、人々は政治にさまざまな不満をいだいています。でもそれを自由に
 口に出すことはできない。そのような政権のもとでは、国民は政府に対して受け身の協力
 しかしようとしません。政治への信頼が確立されなければ安定した経済発展は望めません。
 最大の課題は、民主主義を回復し、国民の政治への信頼をとりもどすことです。軍人が
 政権の座につくまでのビルマは、東南アジアでもっとも発展する国でした」

 
 これに対して軍事政権は、ビルマの最優先課題は経済開発であって、民主主義は二の次
 だと主張する。しかもその舵取りができるのは、軍人だけである。ほかのアジア諸国も
 
そうやって現在の経済発展を達成してきた。

 アウンサンスーチーは自国の現実を知らずに民主主義という欧米の価値観を直訳的に
 適用しようとする外国の手先、国歌の破壊分子である。軍事政権はこうした理屈をならべて
 彼女の政治活動を封じ込めるために、自宅軟禁という強硬措置にでたのである。


 メディアはNLD弾圧をどう報道したか

 では、「開かれた黄金郷」以外の日本のメディアは、このようなビルマの現実をどんな
 視点から報道しているだろうか。

 軍事政権と民主化勢力との攻防を公正・中立な立場から客観的に伝えているだろうか。
 答えは、すでにふれたように、ほとんどのメディアもNHKと基本的にかわらない。

 まず、軍事政権の誇示する「めざましい経済発展」をなんの疑いもない既定事実として
 うけいれる。

 そして民主化運動弾圧に問題がないわけではないが、軍事政権は経済発展や少数民族
 との和平交渉ではそれなりの成果をあげていて、しだいに国民の支持を得つつあるという
 ものだ。

 一九九六年五月のNLD議員らの一斉逮捕をめぐってビルマ情勢があらためて大きく
 取りあげられたときが、その典型だった。


 読売新聞は、「民主化・安定・発展の三者を同時にかつバランスよく追求することは、
 ミャンマーのように軍部が権力を握る国では、難しい課題」であると書いた。

 TBS『ブロードキャスター』の嶌信彦キャスターは「フィリピンが民主化するとASEANで
 いちばん経済が遅れてしまったのに対して、ほかのASEAN諸国は独裁的な手法で経済を
 発展させた」と強権政治を肯定した。

 そしてこうした主張の裏付けとして、「開かれた黄金郷」と同じような軍事政権の成果が
 あげられる。


 だから、軍事政権の強硬姿勢の背景には「順調な経済発展」への自信(読売新聞)が
 あるとされる。「強気の裏に経済成長」(朝日新聞)「市長経済で民主化封じに自信
 (毎日新聞)と各紙とも同じような見方だ。

 テレビも「経済的にそこそこ上向きになって安定したことに対する軍事政権の自信」
 (TBS・福島功男キャスター)

 「スーチーさん批判が出てきたことも事実」(NHK「クローズアップ現代」原正年バンコク
 特派員)「弾圧を知った一般市民が、安定を捨ててまで、ふたたび立ち上がるでしょうか」
 (日本テレビ・庭野めぐみバンコク特派員)といった調子である。

 
 経済発展によって国民の政治離れがすすみ、民主化運動の中核だった学生もノンポリ化
 してきたという解釈なのである。だが本当にそういえるのだろうか。
 

 ビルマ現地の声を聞く

 たしかに、「開かれた黄金郷」でも放映されたように、ヤンゴンにはホテルやオフィスビル
 などの高層ビルがつぎつぎに建設されている。政府発表によれば、一九九三年以来の
 国内総生産は年間五~一〇パーセントの高さを示している。

 
外国からの投資も順調に伸びているとされる。ディスコに通う若者がいるし、外国のブランド
 製品をあつかう店も生まれた。

 だが問題は、一般市民の大半がそれによって豊かさを実感できず、現在のビルマが「黄金郷」
 だと思っていなければ、軍事政権を支持していないという事実である。

 ・・・・・・。

 軍事政権のたびかさなる民主化勢力への弾圧は、けっして「順調な経済発展」への自信の
 あらわれではなく、逆に悪化する経済への国民の不満の高まりと、それが民主化運動に
 結びつくことをおそれての結果にすぎない、と私は理解している。

 私の知るかぎり、日本以外の世界のメディアもほとんどそのように報道している。


 日本の報道がいかに的外れであるかは、日本の新聞・テレビによれば経済が発展して
 政治離れがすすんできたはずの学生が、その報道の数ヵ月後の十月から数度にわたって
 反軍政をさけんで街頭デモをくりひろげたことでも証明された。

 一般市民のなかにも、学生たちを直接間接に支援する動きが見られたという。


 ビルマの事情に精通したある外国人ビジネスマンは私に、「もしいま、秘密が保障された
 公正な選挙が行われれば、やはりNLDが勝利するのはまちがいないだろう」と断言した。


 もちろん、日本の新聞やテレビのビルマ報道がすべて偏向しているわけではない。
 すぐれた報道や解説もないわけではない。

 テレビ朝日の末延吉正記者の『ニュースステーション』でのリポートは、軍事政権による
 一連の民主化運動弾圧を「本格的な民主化の動きを軍事政権がおそれた」ものととらえ、
 それを裏打ちする数々の事実を精力的な取材と躍動感あふれる映像で伝えた。

 「生存権さえ保障されていない」ビルマ民衆の声を拾い集め、日本の対ビルマ政策の変更を
 せまった毎日新聞の大野俊記者の「記者の目」も印象に残った。

 高坂正堯・京大教授はあるテレビ番組で、軍事政権をしきりに擁護するタレント政治学者の
 桝添要一氏に対して、軍の政治への大幅な関与を明記した新憲法草案の内容などを指摘
 して「こんな政権は現在の国際社会には通用しない」と反論していた。

 ビルマ研究者による的確な解説もときおりは登場する。


 だが大手メディアの基本的なスタンスは、いまみたとおりである。

 ではなぜ、ビルマの現実からかけ離れた情報がこうも堂々とまかり通るのだろうか。

 それは、多くの記者たちが、自分の足と耳と目をたよりに、現場でさまざまな事実をたんねんに
 拾い上げていくなかでビルマの現実を判断していく、というジャーナリストとしての基本作業を怠り、
 日本人特有のステレオタイプな見方に基づいて取材対象をつごうよく裁断しようとするためでは
 ないかと思われる。


 「開発独裁」というステレオタイプ

 ・・・・・・。

 そもそもビルマ国民の多くは軍事政権の市場経済化政策を、国民を豊かにするためのもの
 とはみていない。彼らからみれば、軍事政権は一九八八年に登場したのではなく、一九六二年
 以来ずっとつづいているのである。

 そして軍人に経済運営の能力がないことも証明ずみである。

 にもかかわらず彼らが経済発展を旗印にかかげはじめたのは、政治的合法性を欠いている
 ために、なんとかそれをカバーして国民の支持をつなぎとめる手段が必要だったからにすぎない。

 つまり自らの延命のためである。そしてそれは同時に、軍人たち特権層のふところも肥やして
 くれる。一石二鳥なのだ。

 (PP.107-118)


 
 映画を見ると、ついつい夜更かし気味になるんだな、これが。

 布団に入って、枕元でラップトップをいぢってたら、あら、寝入っていた。
 
 
 暑い。
 汗びっしょりで起きる。
 でも、久々に熟睡爆睡惰眠気味。
 てへ。

 が、なんとか朝一番でルーティーンを終える。
 ふぅ。

 
 早速、ファイルの整理作業に取りかかる。
 
 
 昼過ぎ、国労支援ラーメンを喰らう。


 午後はひたすら、今度はPCの中のファイル整理を始める。
 特に、CVを作成するための下準備でもある ( いつの日か、きっと役立つだろう、
 と期待を込めて )
 
 しかし、よくもここまで放っておいたもんだ。
 新聞・雑誌などの発表物がぐっちゃぐちゃ。
 
 まずは、年代別に並べなければ。
 それだけで頭の痛いコツコツ作業となる(苦手だわ)
 
 液晶画面を見続けてると、目が乾くしなあ。
 眼痛から頭痛を引き起こしてもあかんしなあ。
 適当に休みをいれてゴロン。
 
 とりあえず7年分が終わった。
 約1/3ほどか。
 ふぅ。

 根本百合子『祖国を戦場にされて ビルマのささやき』(石風社、2000年)が
 届いていた。


 20時過ぎ、ビュンと買い物へ。
 おお、今日は売り場に野菜がたくさん残っている。
 まずは、オクラ・ニンジン・ナスビ・青梗菜をゲット。
 脂肪分のないチキンも。
 
 今夜は久しぶりに、まともな夕食となりそうだ。
 ぐぴぃ。


 1996年は「ミャンマー観光年」であった。
 
 ビルマ軍政は、外貨稼ぎのため、各地の観光地の整備を急いでいた。
 
 ビルマでも有数の観光地であるチャイトー山の「チャイティーヨ」は、
 そう、あの「ゴールデン・ロック」で有名な所である。

 1996年の雨季、観光客が一人もいないチャイトー山へ登ってみた。
 道路は封鎖されていた。
 工事用のトラックに同乗して、山の頂上まで行ってみた。

 黄金の仏塔(パゴダ)が、しっとりと雨に濡れていた。

 翌朝、朝5時半過ぎから人が働く様子がうかがえた。
 仏塔に通じる参道を整備するする人たちが、激しい雨の中、レンガ運びを
 続けていた。

 96bur039.jpg

 女の子も、雨に濡れながら、レンガを運んでいた。
 
 そんな苦労もあって、観光地が整備されてきたということもある。

 
 今日もファイル整理。
 押し入れ分は、第1回目、ほぼ終了。
 本棚のファイルにとりかかる。
 
 と、思いがけず昔の(1988年前後)のフィルムが出てきてびっくり。
 なんか意味なく、やばいなぁ、と思いつつ。
 
 そいやあの頃、今の仕事についているなんて想像もしなかった。
 もっと自由に生きていると思ってた(これ以上勝手に?)

 水風呂に入る。
 が、汗だく。
 室温が33度を超えたところでエアコンのスイッチを入れる。
 

 20時過ぎ、整理の手を止める。
 
 この2日間、ずっと屈み気味で作業をしてたので、腰と背中が痛い。
 ちょっと運動しよう。
 で、出動する。
 R駅までテクテクと早足で歩く。

 スーパーに寄ると、盆休みのせいか食パンが売り切れ。
 Jでも買うか。
 
 DVDの返却。
 
 別スーパーに寄り、牛乳とおうどんとKPなどを買って、
 これまた早歩きで
帰る。
 
 ふくらはぎの筋肉がピクピクとはります。
 またまた汗だく。
 部屋に戻って、緩いめの水で汗を流す。
 
 
 今日はご褒美。
 マット・デイモンの "THE BOURNE ULTIMATUM" を見る。
 この人、"GOOD WILL HUNTING"なんかも好きです。
 でも、コメディーぽいものは、最近では"The Informant" などはもひとつ
 なんだがなあ。

 久しぶりの夜更かし気味。
 
でも、すぐにウトウト。



 「白象」について続報がありました。


 NLM.jpg

 NLM 2010 8 15.pdf ( 8 MB )



 


 今日は65年目の敗戦記念日。
 
 『東京新聞』では、「全国戦没者追悼式における横路衆議院議長追悼の辞」を
 載せているとか。
 
 で、他の全国紙は、何をやってるんだろ。
 
 
 今日もまた、ファイル整理を続ける。

 これまで手つかずだった、『パースエクスプレス』 で連載している " On the Road"
 整理し始める。
 そいやこれも、かれこれ10年以上も連載を続けているんだ。
 
 毎月のことだから、重複があるといえ、120本以上の原稿を書いている。
 冊子をクリアファイルに入れ、ページを一つひとつファイリング。
 紙の媒体は、量が増えると結構重たい。
 よっこらしょと運ぶ。
 
 本棚のファイルも気にかかるなぁ。
 こちらも整理してみるか・・・。
 ああ、大変なことになりそうだ。

 と、本棚の奥から、『岡村昭彦研究 シャッター以前(2)』が出てきた。
 思わず手を止めて読み入ってしまう。
 
 米沢慧氏が、岡村氏の言葉を借りて、説明してくれている。
 フリーランスと所属記者との違い、とか。
 ううぅ、厳しい。
 

 吉田敏浩さんも『世界史のしっぽと戦略村』という一文を寄せている。
 この人も息が長い。
 同年代の他の人に比べて、格段にジャーナリストとして肺活量がありすぎる。
 うむむ。

 水泳には、自由形・バタフライ・平泳ぎなどいろいろな形の泳法があるように、
 ジャーナリストにもいろんな形があってもよいとおもう。

 でもね。
 プール(や海)に入らずに、プールサイドから評論家のように水泳を語る
 ジャーナリストもどきがいるのも、これまた事実。

 浮き輪をつけてパチャパチャと水遊びをしているのを、これまた競泳していると
 言っているような人もいる。

 そしてまた、現場を経ずに、その場をやりすごしてきたかつての取材者は、自分と
 同じような狢に親近感があるのだろうか、(若くして?)デスクワークをするように
 なっても、取材成果の何たるかが判らず、現場から上がる上っ面だけの報告を
 ただ垂れ流す。

 絶えず、今という時代を考えながら、自分の取材方法や発表のやり方を点検し続ける。
 もちろん、失ってはならないモノを保持しつつ。
 
 前回、東京に行った時、時間を見つけて ▓ ▓ と話をした際も、同じような話になった。
 私たちは、見てますよ、と。


 
 今朝も午前中はルーティーン。

 生パンを囓りながらアイスコーヒーをぐびぐび。

 昼は納豆メシ。

 午後から昨日に続き、事務作業とファイリングの打ち込み作業。
 あー、エンドレスだわ。

 21時前、ビュンと買い物へ。
 お盆のせいか、やっぱり人出が少ないようだ。
 売れ残り商品ばかりなり。

 
ムンムンと湿度が高い。
 不快指数もうなぎ上りっていう感じ。

 夜は冷やしウドンと柿ピーなり。

 デザートに
「ガリガリ君」でもあれば、それこそ満点なんだがなあ。

 最近、国営紙(『ミャンマーの新しい灯』)は、白象 ( The Whilte Elephants ) の
 話題で持ちきりである。

 軍政が強行仕しようしている20年ぶりの総選挙にもかけて、良い前兆だと
 論説で謳ってるし。
 
 テレビや写真で見る白象を、「白くない-!」って思う方もいらっしゃるようですが、
 「白象」とされるにはいくつかの規定があるようです。

 それを今日の国営英字紙が説明してくれてます。


 NLM.jpg
 NLM 2010 8 14.pdf ( 9 MB )

 しかし、占星術好きの軍幹部でいらっしゃいますが、そこまで政治に絡めないで
 いいとも思うんですが。

 
 8月12日のエントリーに続いて、少々 making face 気味の
 アウンサンスーチーさんです。
 
 96bur006_1.jpg

 そりゃ、13日に選挙日程が発表されたら、ウムム(と勝手に想像して)と
 ならざるを得ませんね。

 しかし、いつも軍政の発表物に右往左往させられるなあ。
 これじゃあ、それこそ独裁者タンシュエ議長の思う壺じゃないか。
 
 
 本当のところ、軍事政権や独裁者に振り回されないよう、一体何が大切なのか
 それを考えてビルマ問題に取り組まねばならないと思う次第です。

 
 8月13日の国営放送で Breaking News が流され、選挙日程等が報道された。

 が、その日の画面をよく見てみると。
 朝の通常ニュースと Breaking News の画面がちょっと違う。
 
 ニュースを読んでいるのは、いつもの Maria Abril さんなのだが、実は服装が違う。

 IMGP6715.JPG
 こちらは今朝(13日)の通常ニュース。

 IMGP6716.JPG
 こちらは ( 同日に流れた ) Breaking News

 ということは、この Breaking News はあらかじめ録画されていたと思われる。

 ここしばらく、軍政のトップタンシュエ議長の姿が見えないが、この選挙日程(と発表)について
 いろいろと策を考えていたと穿った見方をしているのだが ( 重病説も流れているが・・・ )
 
 さて?

総選挙告知

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 総選挙が告知されました。

The Union Election Commission issued the Notification No.89/2010 on the13th of August.

The Union Election Commission exercising the Duties and Powers contained in the Article 8 of the Union Election Commission announces that it will hold the multiparty democracy general elections for the respective Hluttaws on the 1st waxing day of Tazaungmone 1372 ME which falls on Sunday of 7 November 2010 in accordance with the Article 34 C of the respective Hltuttaw Election Laws and Rules16 (a).


It was signed by order Thein Soe Chairman of the Union Election Commission.

 *********************************  

 The Union Election Commission also issued the Notification No. 90/2010 on the 13th of August.

The Union Election Commission exercising the powers contained in Election Rules 16 of the respective Hluttaws announced the following dates:


(a) The first date for submission of the list of the name of candidates for the constituencies of the respective Hluttaws it on the 6th Waxing of Wagaung 1372 ME which falls on the 16th August 2010


(b) The final date for submission of the list of the names of candidates for the constituencies of the respective Hluttaws it on the 5th Waning of Wagaung 1372 ME which falls on the 30th August of this year


(c) The date to scrutinize the applications on the list of the names of Hluttaw candidates it from 12th Waning of Wagaung 1372 ME to 2nd Waxing of Tawthalln 1372 ME which from 6th September to 10th September of this year


(d) The final date to withdraw the applications on the list of the names of Hluttaw candidates if there is any wish to do so 9th Waning of Wagaung 1372 ME which falls on the 3rd September 2010


It was signed by order Thein Soe Chairman of the Union Election Commission.

 

 

 


 朝はルーティーン。
 
 午後からは、文書ファイルをひっくり返し、掲載モノの整理に取り組む。
 これを機会に、事務作業とファイリング作業と打ち込み作業を始めたりして。

 夜、"INGLOURIOUS BASTERS" を観る。
 ふぅ~む、という感想ですな。
 
 で、判ったよ。
 何がって?
 映画館で映画を見なくなった理由が、である。

 
 一時期、時間を見つけては映画館に通っていた時期があった。
 あの頃は、映画舘で時間がつぶせてたし(今みたいに、毎回の入れ替えなんてのも
 なかった)、深夜映画で朝まで、っていうもありだった。

 そのうち、気になり出したのである。
 何がって?
 そう、映画が始まる前の宣伝が、である。
 
 大きなスクリーンに映し出されるコマーシャルとガンガン音は、たまったものではない。
 
 こちとら、逃げ場がないんだし。
 家で見るDVD映画なら、早送りするなりして・・・って、もともとDVDには一般の
 コマーシャルは入ってないやん。

 が、まさに今から映画が始まろうとする映画館じゃあ、どうすることもできない。
 
 なんでお金を払ってまで、広告を見せられなければならないんだ。
 
 
 "INGLOURIOUS BASTERS" を見ていてると、(まあ、ナチス関係の映画だが)、
 この映画の中で、「ナチスの戦争を褒め称える映画」を上映する場面があった。
 
 で、"INGLOURIOUS BASTERS" の中で、「褒め称え映画」が始まると、
 タイトルが現れる前に、第三帝国を賛美する宣伝文句が流れ出した。
 まあ、その時の政治体制や王制を賛美するための文句や音楽ではある。

 これは、現在のタイでもビルマにもある。
 例えば今、タイで映画館に入ると、映画が始まる前に国歌や諸々が映画の
 冒頭に流れる。
 と、観客はみんな起立するのだし。

 
 じゃあ日本の、映画の前に流れる宣伝は、というと、明らかにコマーシャリズム
 体制を謳っているのじゃないか、って僻み気味に思ってしまうのである。
 やっぱり消費資本主義は王様か、って。
 
 ったく。
  は、日々の暮らしの中で、文句ばっかり言っている我が身に対してでもある。
 

上ビルマにて

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 それぞれに国で、各地域をそれぞれの呼び方があるのが面白い。

 北日本南日本とか、西日本東日本とか、表日本裏日本(←はやめた方がいいらしい)とか。
 
 ちなみにビルマは、「上ビルマ」とか「下ビルマ」とかいう呼び方が一般的である。

 ラングーン(ヤンゴン)を中心に下ビルマ、マンダレーを中心に上ビルマ とか。

 上ビルマは、雨季の期間であってもそれほど降水量は多くない乾燥地。
 
 ここは上ビルマの“メッティーラ”。
 荒れた土地に鍬を入れるビルマの女性たち。
 
98bur049.jpg

 
 台風(4号)一過の今朝、すっきりとしたピーカン空とはいえないですね。
 ちょいと曇り気味。

 まだまだお湿り模様で、高校野球は1時間遅れで開始、とか。


 朝イチでルーティーンを終え(やっぱり、朝はサーバーが空いているわ、
 サクサク動く)、生パンとアイスコーヒーで朝食。

 
 APN用の原稿と写真を準備する。
 こういうのって、毎回、キチンとしてれば2度手間が省けるんだがなぁ。
 ペチペチペチペチペチ。

 
 昼は山盛り茎ワカメとトウフのお味噌汁。
 ぱくぱく。
 
 よくよく考えたら、この2日半、誰とも話をしていない。
 うーん、これってちょっとマズいんではないか。
 以前は、一週間っていうのもあったけど。

 CVの準備の準備。
 これを機会にちょいとまとめるとするか。


 郵便局にてDVDの発送。
 はい、普通で。
 (あ、口きいた)


 街へビュンと出動。
 何故か人が多い。
 お盆休みって、もしかして今日から?

 
 14時半、R氏と合流。
 今日は「かき氷の会」である。
 うーん、普段はよく見かける「氷」の旗が見あたらない。
 テクテク歩いて元町方面まで。

 あ、ということで「王様の冠」に入る。
 14時から開始の時間限定のメニューで、ここにありました。
 で、早速注文。

 IMGP6714.jpg

 やっぱり抹茶ですね。

 近況を交換しつつ、ぐっちゃら、ケラケラ。
 ビルマに居た時、飽きもせずスイカばかりを喰らってた話にもなる。
 果物が安かったからねえ。

 で、そういう按配に進んで[/]か。
 今時の人ですねぇ。
 ま、そういうことは一回切りですし、ま、ごちそうさま、ということで。

 ああ、久しぶりにお喋りして笑って、アゴが痛い。
 18時、散会。

 ビュンとスーパーを4軒はしご。
 Kナンでは、除湿剤とパイプクリーナーとコーヒードロップなどを買う。

 帰りにTヤに寄る。
 お盆で半額キャンペーンなり。
 時々、おバカな映画を見たくなる。
 で、
 "DOMESDAY""The Informant""INGLOURIOUS BASTERS" と、
 "36 QUAI DES ORFEVRES" などを借りる。

 水シャワーは気持ちいい。
 ちょいと遅い夕食を食べて、竹シーツの上にゴロリとなってひと休み。
 さ、焼きそば喰らって、映画を見るか。
 
 


 関東在住の若者から質問がきた。

 めずらしく、きちんと自分の身分と名前を名乗っていた。
 それゆえ、私もできる限り自分の感じる所を答えてみた。
 ( 本人の承諾を得て、名前などは ▓▓ としてオープンしました )
 


 
 名前:YY
 タイトル:【質問】フォトジャーナリストの限界、転職時の思い等に関して

 初めまして。
 ▓▓ 大学 ▓▓ 部3年に所属しております、YYと申します。
 いつもblogを楽しく拝読させて頂いております。

 今回は、誠に恐縮ですが、フォトジャーナリストという職業に関して
 質問をさせて頂きたく当フォームを利用しメールを送信させて頂きました。
 長文となってしまいますが、お時間のある際にでもお読み頂けると幸いです。
 ( <相談の前にー>
のエントリーは読ませて頂きました。)


 私は「貧困に喘ぐ人々を救うために尽力したい」という青臭い動機のもと、
 大衆を喚起するジャーナリズムのレバレッジ的な働きと、ヴィジュアルで
 受け手のリテラシーに関わらず鮮明に訴えることのできる写真の効果の
 融合に感銘を受け、フォトジャーナリストという進路を将来の指針の一つ
 として考えています。
 また、写真が好き、海外が好き、という志向も多分に影響しております。

 そして、そのために大学のゼミでは開発経済学を学び、またglobalな
 コミュニケーションスキルを身につけるべく、学部レベルでの日本よりも
 相対的に専門度が高いジャーナリズムを学ぶべく、学内の交換留学制度を
 利用し今秋より ▓▓ のUniversity of ▓▓ への一年間の留学を予定しております。

 このように、私はフォトジャーナリストを目指して活動してきました。
 しかし、▓▓ でのボランティア等を通じて現場で活躍する方々の声を聞く中で、
 フォトジャーナリズムの影響力の限界を感じたのも事実です。

 また、多くの意見を聞けば聞く程、フォトジャーナリズムや現地での
 ボランティア等の草の根活動によるbottom up的な開発援助では大きな
 影響力を与えるのは難しいのではないか、とも案じるようになりました。

 また、思慮を巡らせた結果、"写真を通じて大衆を喚起しよう"という私の
 考えは、援助を他人任せにし、自分は海外の貧困地域へ行って写真を撮る
 という一種の"かっこよさ"による自己実現を目指していたのではないか、
 とも自覚しています。

 そこで、二つの他のアプローチについて考えています。

 一点目は、top down的な開発援助です。例えば、政府規模での円借款による
 開発援助もしくは大手商社や鉄鋼企業の社員として、現地でプラントや
 インフラを建築することで雇用創出を達成することです。

 二点目は、非営利セクターで大規模な援助を展開することです。
 やや抽象的な議論となってしまいますが、top downとbottom upの双方の
 利点を活かし、また双方の欠点を改善したマネジメント手法を考えています。
 世間一般では社会起業家、NPOという区分かと思います。
 
 そして、この点がフォトジャーナリストとして活躍することと同様に将来を
 考える際の軸となっています。

 以上の論理から、今後は非営利セクターの組織においても大きな影響力を
 与えることのできるスキルを身につけるべくビジネスライクな学習にも
 励みながら、自身のフォトジャーナリストへの志望度を再確認しようと
 考えています。具体的には、留学先のアメリカでは学業に勤しむ一方で
 規模の大きなNPOでのインターンにも挑戦し、留学を終えた後は、アフリカ
 中東南米をカメラと共に数ヶ月間周遊し、フォトジャーナリストの疑似体験を
 行おうと考えております。


 さて、ここまで読んでの私(宇田)の感想です。
 --------------------
 | フォトジャーナリストになりたという動機は、全然、青臭くないです。
 | むしろ現実や現場を知るに連れ、失われていってしまう意気込みですので、
 | 是非、このような動機を持ち続けて欲しいと思います。
 
 |「▓▓ でのボランティア等を通じて現場で活躍する方々の声を聞く中で、
 | フォトジャーナリズムの影響力の限界を感じたのも事実です。」という
 | 文面から、実際に自分の意思や計画で現場に出ていないうちから、どうして
 | このような判断に至ったのか、全く理解できませんでした。
  
 | あと、「二つの他のアプローチについて」ですが。
 | これらは、現地の人が望んでいることに基づいての判断なのでしょうか?
 | どうも、言葉が悪いですが、「上からの視点」が感じられます。
 
 | 現地の人は、自分の希望や夢を叶えるための舞台ではありません。
 | アフガニスタンに関わる中村哲さんの《事実を伝えることさえ「売れる商品」
 | に仕立てる風潮の中で》《「現地は外国人の活躍の場ではなく、ともにあゆむ
 | 協力の現場である」》という言葉を、ジャーナリストは噛みしめるべきだと
 | 思ったりします。
 --------------------

 
 以上が私が現在抱える問題意識と今後の展望です。
 そこで、宇田様に以下の点に関して伺いたいと思います。

 1)実際に現場で活動されていて、上記で述べたような"フォトジャーナリズムの
 影響力の限界"というものを感じることはありますでしょうか。
 
 | フォトジャーナリズムという仕事だけでなく、人間の営みには
 | ほとんど全てに限界を感じることがあると思います。
 | “だから何?”っていうのが正直な気持ちです。

 | 影響力が出るのは、運が良ければすぐに、そうでなければ数十年を
 | 待たなければならないかもしれません。
 | 即効性のある結果は、人間の営みには少ないのではないでしょうか。
   
 | 自分が取材した成果の「発表を目標」とするのなら、また別の話かも
 | 知れませんが。

 | 「世の中を変える」というのは、思いとしてはよいかも知れませんが、
 | 私自身はそこまで思い至りません。
 | だからこそ、自分のウエブのトップページにはこのように記しています。
  --------------------
 | Abbas says, "Some people think that photojournalists can change
 | the world with their pictures, but the only thing we can do is to 
 |   show why the world must be changed...."
      --------------------

 
 また、実際に宇田様の撮影された写真によって、一時的な同情ではなく、
 実際の行動を誘発できた具体的な経験がありましたらお教え頂きたいです。
 もしくは、そもそもこの考え方自体が誤りでしょうか。

 | 
質問は答えを限定します。この質問はその例にもれません。
 | 自分自身、「この考え方自体が誤りなのでしょうか」という自問を
 | しているところから、答えは分かっているのではないでしょうか。
 | なのに、それでも質問するのはどうしてだろうか、と思いました。

 | 質問へのお答えは、イエスでありノーです。
 | その具体例は、実際に自分でその成果を目の前にできない(体験できない)
 | という素晴らしさです。


 2)教員という地位を捨ててまでフォトジャーナリストとなった過去から
 推測するに、並々ならぬ情熱があったのかと思います。しかし、スタートが
 遅れた原因はどこにあるのでしょうか。教員就任当初は諦めかけたが、
 やはり情熱が消えることはなかったということでしょうか。

 もしそうでしたら、教員就職時の思い、転職時の思い、をお教え頂けますで
 しょうか。

 | 「教員という地位」(?)を「捨てる」(?)という意味が分かりませんでした。

 | あと、それ以上に、この質問の意味自体が理解できませんでした。
 | YYさんが目指そうとしている(?)フォトジャーナリストへの進路と、
 | 私(宇田)の経歴がどういう風に重なるのか?

 | また、私自身「スタートが遅れた」とも正直思っていません。
   
 | 個人的に、実際にYYさんがフォトジャーナリストとして仕事をするように
 | なってからこの質問をしてもらえれば答えることができると思います。


 私も現時点で最良の選択肢を採択できなければ将来宇田様と同様に進路変更に
 悩む時期が来てしまうのではないか、と考えています。

 | 「最良の選択肢」とは?
 | どうやら、自分の進路選択に間違うこと、それ自体に躊躇をしている感じがします。
  
 | 間違ったと思ったら、その時点でやり直せばいいと思うんですが。
 | おかしいな、と思ったら、修正すればいいんじゃないですか。
 | そんなこと指摘されなければならないこと自体、おかしいんじゃないですか。
  
 | 私は教員を辞める時には、周りに迷惑をかけて申し訳ないという部分を
 | 除いて、特に悩んだ覚えはありません。
 | 自分がやりたいと思っていることをするのに、どうして悩むのでしょうか?
 
  
 3)上記の通り、"フォトジャーナリストの疑似体験をする"という計画があり、
 所詮学生という弛緩した身分ではありますが、その際には特にフォトジャーナリスト
 ならではの苦しみ、やりがいを体感したい考えております。

 | "フォトジャーナリストの疑似体験をする"の「疑似体験」とは?
 | なにやら「逃げ道」らしきものを作っておくのは、(これもきつい言い方かも
 | 知れませんが)おかしいです。
  
 | もし、実際に現場に出て取材活動をするようになれば、現地の人は自分の
 | 取材体験の材料ではないのですから。

  
 そこで、宇田様の経験から、「フォトジャーナリストになりたいならこれくらいは
 経験しておいたほうがいい」というような事例がありましたらお教え頂きたいです。
 
 | たくさん間違えて、たくさん失敗して、周りに迷惑をかけて恥じ入って、
 | そこから学ぶ取る姿勢を身に付けておくことでしょうか。
  
 | また、健康な身体を維持するためにはどうすればいいのか、時に考えて
 | みることでしょうか(自らの反省も含めて


 | 思うに、YYさんは、自分が仕事を選ぶという意識があるようですが、
 | 私の経験から思うに、実際には、仕事の方が私を選ぶ
ということです。
 
| 仕事に自分を(私を)選んでもらえなければ、どうにもなりません。

 
 ご多忙中かとは思いますが、また浅薄な学生による退屈な質問かとは思いますが、
 よろしければお時間のある際に簡潔にでもお答え頂けると幸いです。

 | 
頑張ってください。



 
 時折、いくつかメールで質問が寄せられる。
 だが、その多くが、答えようのないモノばかりである。
 名前がない、連絡先がない、題名がないなど。
 そのようなお気軽メールは原則、私の目には触れません。


 
 ビルマの民主化指導者であるアウンサンスーチー氏の写真の多くは、
 笑顔か、柔和な感じか、無表情のイメージが多い。

 で、ちょとばかりクロップしましたが、making face 気味の氏の写真を
 アップすることにしました。

 96bur010.jpg
 
 アウンサンスーチー氏、51歳の時の写真である。


 
 晴れ時々、曇り。
 少々湿っぽい天気。
 台風のためだね。

 タマゴとカイワレのサンドイッチ。

 朝一番のルーティーン作業をとっとと終わらせる。

 DVD焼きをいくつか。


 昨夜、ウエブ情報で仕入れたフィルムスキャナのセットアップを試すことにする。

 機種は、コニカミノルタの DIMAGE Scan Elite 5400 である。
 問題は、ドライバがXPにまで対応していないのだ。
 
 が、どうやら最新のドライバではなく、製品に梱包されていた古いバージョンの
 ドライバなら Vista でも作動するかも、と。
 いや、反対に、最新のドライバなら動くかも、と。
 噂がいろいろ。

 ちょっと脇に追いやっていたフィルムスキャナを取り出し、早速、Vista マシンに 
 つなげてみる。
 もちろん、ドライバはあらかじめインストールして。

 で、スイッチオン。
 が、やっぱり Vista マシンはフィルムスキャナを認識しない。
 何度もドライバを入れ直してもダメ。
 
 一度だけ、途中まで動き出した。
 フォルダにセットしたポジフィルムを読み込み始めた。
 だが、ICCプロファイルが読み込めません、とハングアップ。
 やっぱり無理なのかなぁ。

 もちろんメーカーのウエブページは、生産終了の製品のため、めっきり素っ気ない。
 
 で、改めてウエブで情報収集。
 と、なにやら、VueScan という米国生まれのソフトがあるそうな。
 http://www.hamrick.com/index_jp.html
 
 昨年には日本語版が発売されたとか。
 何だか良さげである。
 早速、ダウンロードして試してみる。

 が、どういう訳かこのソフトも DIMAGE Scan Elite 5400 のドライバと
 コンフリクトを起こしているようで作動しない。

 なんどか元ある Elite 5400 のドライバを削除、再起動を繰り返し、
 改めて、初めから VueScan をインストールして見る。
 
 と、グゥゥーンとフィルムスキャナが動き始めた。
 あれ?
 Vista でも動くじゃないか。
 試しに、スリーブのポジフィルムをスキャンしてみる。
 おお、動く。
 それもXPマシンに比べて滑らかで速い。

 が、スキャン後のイメージは、ウオーターマークが入っている。
 ま、そりゃそうだな。

 で、VueScan のページを確認してみると、
 これはお試し版。
 実際に使おうと思えば79.95ドルが必要だとか。
 ま、今は円高だし、これがなければ Vista でフィルムスキャナが使えない。
 で、プロ版をオンラインで購入。 
 
 いろいろチェックしてみると、キズや埃除去も自動でやってくれそうだ。
 また RAW スキャンというのもできるとか。
 ま、とりあえずこれでフィルムスキャナの方は、なんとかなった。

 フィルムスキャナのセットアップのためだけに半日が潰れてしまったわい。
 
 じっさい、それよりも問題は、フラットスキャナである。
 エプソンかキャノンか。
 デジタル機器は最新版を狙え、というのに従うべきか。
 ふむむぅ。

 ごろり。
 窓を開けて台風のぬるい風を受けていたら、ついでに蚊が部屋に入ってきた。
 うー、3箇所も刺される。
 かゆいのである。

 名取洋之助 『写真の読み方』(岩波新書 E81)を開く。
 
 
 今日の夕食は久々に、ET氏からの書き込みがあったせいか、ちょいとま
 シャビィぽかった。

近頃の市場

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 ラングーン(ヤンゴン)市内ではショッピング・モールの建設が花盛りである。
 誰がそこに行って買うのかって?
 まあ、その辺のことは置いておいて (置くなって?)
 _DSC5826.JPG
 
 ここもオープンしたてのモールのせいか店内はきれいだし、エスカレーターも
 (たぶん発電機の自家発電で)問題なく動いている。

 さ、果たして3年後、このモールがこのままの状態で維持されているかどうか、
 そこが問題なのである。

 ちなみに外国人観光客の多くは、ビルマのエキゾチックさを求めて、そのほとんどが
 「アウンサン市場」や地元の市場に足を運ぶようである。
 ビルマに来てわざわざファッショナブルなモールに行くなんて、なんですって。
 

 
 台風4号 Dianmu(ディアンムー)が近づいているせいか、大気の状態が不安定。
 4時過ぎに目が覚める。
 う、体が痛い。
 
 で、2度寝とする。

 
 寝起きにパワーをつけるため、今日も朝カレーを喰らう。
 (昨日の残りだけど、これがまた美味しい)


 原稿の修正にウンウン唸る。
 日本の戦後民主主義について・・・。
 ちょっと考えすぎだし、あ、もう昼過ぎだ。
 時間切れだな。
 ビュンと送信。

 と、入れ違いで編集長氏から、まだですか? との問い合わせあり。
 毎回ながら、ギリギリの入稿だなあ。

 
 何故かエネルギーが非常にロー状態。
 困ったなあ。
 
 
 これからのことを考え、EX予約の会員になる。
 しかし、なんだこの複雑な登録システムは。
 利用者のことを考えてないやん。

 ごろり。

 
 知り合いに朗報あり。
 おめでとう!
 
 
 ようやく次の次のプロジェクトに取りかかる気力を絞り出す。
 メールで問い合わせを発信。
 いよいよ後戻りできませんなあ。
 
 これにはスキャナが必要なんで、とりあえずエプソンとキヤノンの
 商品カタログをツラツラみる。
 EPSON GT-970  と CanonScan 9000F を比べる。
 デジタル機器は新しい方が良いってのは幻想なのかな。

 さすがに手持ちのフィルムスキャナ、コニカミノルタの
 DiMAGE Scan Elite 5400 では間に合わない(だろう)
 しかも、
 --------------------
 ※弊社は、2006年3月末にてカメラ事業を終了いたしております。
 Microsoft Windows VistaTM operating system および、今後発売される
 新規パソコンOSの対応予定はございません。
 お客様のご理解を賜りますよう、お願いいたします。
 (2007.4.**)
 --------------------
 理解してくれって・・・これだからなあ。
 せっかく Vista マシンでメモリもたくさん積んだのは意味ない、っていう
 ことですね。

 フィルムのデジタル化は今、思い立った時にやっておかねば後が大変だ。
 

 色々な問い合わせの返信がある。
 ああ、どうも皆様ありがとうございます。

 私も、いろいろと回答せねば。
 うむ。
 

 
 ここはビルマ(ミャンマー)と隣国の国境地帯。
 ビルマの軍事政権に抵抗する、とある組織のとある事務所。 
 _DSC0126.JPG
 
 最近の抵抗運動も、ある意味情報戦でもある。
 インターネットを使って、情報発信である。
 もちろん隣国の法律に抵触するわけにはいかない。
 
 生の情報をビルマ国内から「持ち帰っ」て、ここからビルマの
 最新情報をいろんな方面に発信するのである。

 

 
 蒸し蒸し。
 ちょっと休憩のつもりで、ごろんと横になったら、机下の扇風機をつけたまま
 寝入ってた。
 電気の無駄づかいをしてしまった。

 朝7時前、ちょっとプンと臭う生ゴミを捨てに行く。
 うう。
 鼻がもげそうだ。

 カイワレのサンドイッチを喰らいながら、原稿の下書きの続きに集中する。
 ペチペチペチペチペチ。


 間合いを見て、事務作業なり。
 英国での写真展企画のサンプル写真をセレクトする。
 40~45点の候補写真とのことだったが、やっぱりオーバー。
 62点となる。

 ビュンと自分のサーバーへアップ。


 事務手続き。
 どうしても書類が出てこない。
 自分の事務能力のなさにいつもトホホである。
 とほ。
 
 住所整理や書類の分類、メモ書きのなど、「後でやる」と思ったらダメ。
 あっ、と気づいたらその場でやる癖をつけないと。
 分かっちゃいるがなあ。
 

 昼はカレー。
 

 原稿を見直し、ちょこちょこっと修正する。
 どうも収まりがわるい。
 リズムがないんだなぁ。

 連絡業務を延々。

 郵便局へ。
 JへJ.
 雨に降られて帰る。
 あ、葦簀代わりに架けていたシーツがびしょ濡れだ。

 
 それでも水シャワーを浴びて頭をすっきりさせる。
 原稿に手を入れる。
 やっぱり最後が落ちない、収まりが悪い。
 ホト。
 ペチペチペチペチペチ。

 
 気分転換のためキャベツをジャキジャキと刻む。
 で、キャベツ焼きなどを作って、一人でむしゃむしゃと喰らう。


 佐野眞一『失われた昭和』を再読する(何度目だろう?)
 やっぱり、取りあげられている宮本氏の写真が面白いからだろうか。
 ふむ。
 
 うとうと。

 
 ビルマとバングラディシュの国境地帯にあるロヒンギャーの難民キャンプ。
 キャンプ内の小っちゃな市場で男の子が薪を売っていた。
 _DSC2224.jpg

 誰が買うのだろうか?
 やっぱり買い手はいるのだろう。
 もちろん、人の生活するところに「市」ありである。
 現金は、やっぱりキャンプ外の畑や田んぼで働いて手に入れるのだろう。
 
 とりあえず食住は確保されている。
 が、それだけでヒトは生きていくわけではない。

 と、自分の思い入れや思い込みだけで写真を撮るのが時に嫌になる。
 (だったら、やめれば だって?)

 
 夜明け前から活動開始。
 ん?
 気のせい、夜、雨降ったのか?


 今日は「8888の日」である。
 1988年8月8日のビルマでのデモを記念した日。
 東京では「ミャンマー大使館」前を中心にデモがあるとか。
 が、私は行けない。
 いっぱい写真撮りたいのになあ。
 こういうときは東京に住んでいたいと思う。

 2年前の20周年目の「8888」は、ラングーン(ヤンゴン)で実際に
 取材撮影していたなあ。

 あ、2年前の8月8日といえば、北京オリンピックの開会式だったんだ。
 なんか月日の経つ日が早いなあ。


 スキャナのカタログをツラツラ見る。
 必要だけど、どうも機能とソフトがなぁ。


 小田実『ひとりでもやる ひとりでもやめる」をツン読気味に再読する。
 

 冷蔵庫が空っぽ気味。
 ビュンとMへ買い物。
 やっぱり日曜日だけあって買い物客でいっぱい。
 
 野菜は高いが背に腹は代えられない。
 キャベツ・ナス・モヤシ(は安い)・カイワレ(も安い)などを買う。
 石鹸も安いやん。
 
 夜はコトコトとナスカレーを煮る。


 さ、ヤロウ。
 集中して原稿書きに取りかかる。
 大上段に、とりあえず「日本の民主主義」というタイトルとする。
 ペチペチペチペチペチ。


 文字通り、インド洋 ( というか、ベンガル湾 ) に日が沈む、である。
 DSC_4507.jpg

もっと勉強を

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 夜の暑さは徐々に和らいでいるようだ。
 そや、季節の上では今日は立秋だし。

 窓を全開にして寝ることができる。
 それでも、最階上の部屋は照りつける太陽で昼間、屋上が熱せられているから
 イヤ大変。
 
 陽が暮れて涼しい風が吹き始めても、屋上→天井と熱が伝わってくる。
 部屋の中に2層の空気の層ができる。
 

 タマゴ2個のサンドイッチ。

 午前中はルーティーン作業。

 12時かっきりに手を止めて、昼食はそば飯を喰らう。

 
 昼からは澤地久枝『密約』(外務省機密漏洩事件)の書き抜き。
 この“事件”に関して、誤解していた部分がかなりあった。
 
 いつのまにかどんよりと灰色の曇り空。
 
 テクテクと散歩に出る。
 やっぱり歩いて有酸素運動ですか、ってか。


 Tヤに寄ってDVDの返却。
 図書館に寄って、本の返却。
 D、Jに寄って、牛乳とウドンとJFを買う。

 ふぅ、やっぱり帰りは汗だくだ。
 水風呂に入って、さっぱり。
 
 『写真・日記集成』を読み続ける。
 1949年2月まで目を通す。
 しかし、自分のモノの知らなさに愕然。

 写真を撮り続けるためにも、もっと勉強せねば。
 目の前の現象を撮るだけなら、それほどの苦労は要らないんだが。
 あれれ。

 勢いづいて、未来社の宮本シリーズをツン読する。
 『甘藷の歴史』『開拓の歴史』『海に生きる人びと』『村のなりたち』など。
 いずれも50年前に出版された本である。
 知識はもちろんのこと、どのような視点で対象を見て、分析しているのか。
 
 例えば、「十四世紀の終わりごろ、倭寇が朝鮮半島をおかしはじめたころ」と
 この頃からあの土地へ侵攻していたことなど(ちょっとこだわりすぎ?)

 
 昨日の広島原爆の日に関して、どうもモヤモヤがある。

 なので、
 小田実の『ひとりでもやる ひとりでもやめる』(筑摩書房)を開く。
 
 日本の人、朝鮮の人が原爆の犠牲者になったのはよく知られている。
 
 だが、
 
 「もう今は周知の事実となっているようですが、終戦後、広島の原爆の犠牲者の
  なかに捕虜の『米兵』がいたという話を、まさに噂話として聞きました。」
 
 「長崎の場合には、アメリカ合州国の政府は明白に連合軍の捕虜の存在を知って
  いました。『米兵』の捕虜がいたかどうかはいまだにはっきりされていないよう
  ですが、『英兵』『豪州兵』などの捕虜の存在は明瞭でした」

 「現地の司令部はワシントンの米軍本拠に、長崎には捕虜収容所があるが原爆を
  投下していいか、というおうかがいをたてています。答えは、投下してよい、
  です。」

 「死者には日本人やアメリカ合州国人ばかりではありません。中国人もいたし、
  東南アジアの人もいたし、・・・・・・。」

 そう、○○人という区分け自体がおかしいのである。
 、と思う。

 
 ネギ焼きを喰らってごろり。
 本棚から適当に本を抜き出して、ツン読しながら寝入る。

喜捨はあれど

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 ここはチン州のとある村。

 孤児院を併設した僧院を訪れてみた。
 身寄りのない子どもたちが30人ほど暮らす。
 ご飯(お米)は喜捨によって賄っている。
 
 規模の大きくないこの村では、その喜捨の量も限界があり、お米の質もあまりよくない。
 
 bu00469.jpg

 米粒から雑じり物をより分ける男の子。


 今日は<広島原爆の日>
 あの日も今年のように「あつい日」だったのだろう。

 産経は、まあいいとして、『読売新聞』の社説、
 --------------------
 しかし、一方で北朝鮮は核開発を続けている。北朝鮮の核の脅威や中国の軍事大国化という現実を見れば、日本にとって米国の「核の傘」は不可欠だ。

 広島市の秋葉忠利市長が式典で行う平和宣言は、「核の傘」からの離脱や非核三原則の法制化を日本政府に求めるという。現実を踏まえた議論とは到底言い難い。

 米国の核抑止力を機能させるためには、非核三原則の「持ち込ませず」についても、核搭載艦船の寄港・通過などは認めることを検討すべきだろう。
 --------------------
 とは、さすがに唖然としてしまう。
 
 まあ、そういう体質の新聞になったのは今更ながら、ではないですが。

 この社には、個人的に何人も知り合いの記者がいるが、こういう主張を支持している
 とは思えない人ばかりなんだが。
 ふむ。

 米国ではB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の元機長の息子が 《 「原爆投下で戦争終結が早まり、
 多数の命が救われた。我々は正しいことをした」との父の生前の主張を述べた。》
 というのがまだまだ一般的なようだ。
 
 こんな主張を取り上げる傾向がまだまだあるだろうが、もうちょっと違った次元での
 報道ができないのかと今更ながら思う。

 時代も世代も人も国家間も安全保障観(ごっちゃごちゃだけど)も変わったというのに。
 いまだに冷戦時代の思考を引きずっているメディアの中の、主流派の限界か。

 
 頭が働かないので、とりあえず洗濯にとりかかる。
 ぼんやりしながら、とりあえずはデータベースへの入力作業。
 ペチペチペチペチペチ。
 
 焼きそばを作ろうと冷蔵庫からお肉を取り出すと。
 ん?
 ちょっと異様。
 肉の色が変わっている。
 これくらいなら大丈夫かな?
 
 におってみる。
 プン、とやや危ない感じ。
 ふむ。
 これまで危ない肉はたくさん食べてきた経験から、これは火を通してもダメだな
 と、第六感が囁く。
 で、泣く泣くお肉を諦める。
 
 
 ごろんと横になる。
 エアコンの効いた部屋で、竹シーツにゴロンと横になり、
 分厚い宮本常一『写真・日記集成』を開く。
 重たい本だ。
 さすがに普通のブックスタンドはこの大著を支えきれない。
 CARL のブックスタンドを使うことにする。

 1947年の1月から読み始める。
 
 宮本氏のある部分の思想は個人的には好きになれないが、その生き方や方法論は
 とても参考になる。

 宮本氏を見つめるのではなく、宮本氏が向けていた「その視線の先」を見つめ
 ようと思う。
 実は、そちらの方が大変だけど。

 1948年の1月末まで読む。

 ん?
 “<福島原発>プルサーマル計画受け入れ 佐藤知事が正式表明”か。
 今日という日に。
 ったく。

 マイルス・デイビスの自伝、"Miles" を取り出す。
 確か村上春樹氏が(うろ憶え)、これだけは翻訳ではなく原文で読むべきだ、と
 言っていた本だ。

 いきなり 4 letter words がバンバン。
 なんだかこれは、じっと坐って読む本ではなく、旅行に出て電車の中かどこかで
 読む本だなぁ。
 とりあえずそれまで、おあずけ。

 
 雲の流れが早い。
 曇ってきた。
 空気の暑さも和らいできた。
 散歩にでも行くか・・・。


 James Woods 主演の映画 "CITIZEN COHN" を見る。
 HBO制作の映画。
 DVDではない、VHSだ。
 人気がないのかな。

 私の好きなフレーズが出ている映画である。
 そう、"decency"(節度) という言葉が決め手である。
 
 また、英語を外国語として学ぶ自分にとって、この James Woods のしゃべり方が
 (というかリズムが)好きなのである。

 外国語を学ぶということは、ある程度、口まねモノマネのところが多分にあるが、
 ああ、こんな風なリズムで英語を話してみたい、というのが J.Woods にはある。
 
 息をつかず、流れるように、しかも時にねちっこい口調は先代の桂文枝のようでも
 ある。
 
 話の内容ばかりでなく、その話し方にも注目させるのは、それはそれでひとつの芸で
 あると思う。
 うん。

 しうまいと納豆を喰らう。
 
 夜、急で激しい通り雨。
 空気が冷たくなったり、ムンムンと蒸し暑くなったり。

 今夜は窓を全開にして、夜空を見上げながら寝入る。
 

 
 
 選挙、政党登録状況(8月5日現在)-ミャンマー国営TVより

The Union Election Commission has been granting the application
and registration of political parties. On the 5th of August, it, granted
the formation of the Multi-Nationalities Unity and Development Party
(Kayah State). To date, the UEC has granted the formation of 46
political parties. Forty political parties have already been registered,
eleven of which have submitted their member party lists to the UEC.
The UEC is still accepting applications for registration as well as
member party lists from political parties for the upcoming elections.



 

気になる写真

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 昨日(8月5日)の『ミャンマーの新しい灯』 ("The NEW LIGHT OF MYANMAR")
 最終ページを見てちょっと気になった写真があった。

 NLM20100805.jpg
 畑の中で働く人とそれを見る政府関係者(?)である3人の位置がどうも不自然な
 感じがするのだ。
 まあ、思い過ごしだと思うけど。
 それにしても、視線の位置とかがおかしいんだがなあ。

 国営紙だし、まさか作為はないと思うんだが(きっと、たぶん・・・)

 


 ココラットさんから案内が届きました。

 --------------------

 ビルマ難民ドキュメンタリー 『ピュア』 上映  広島

 とき : 8月22日(日) 15:00~17:30
 ところ: はすがおか幼稚園  清風メモリアルホール
            (広島市安佐北区口田2丁目1-2)
            http://hasugaoka-kids.jp/annai/index.html


 ●映画上映45分 / ココラットさんのお話45分 / 質疑

 協力券 : 1000円 (高校生以下無料)
 主催 : ビルマの僧侶と連帯する仏教徒の会
 http://www.burma-buddhist.com/
       メラウーキャンプ教育支援の会
       SCDB( ビルマ民主化支援会)

 協賛 : 沼田組・教蓮寺・アムネスティーひろしま・海と風と光の会
       広島部落解放研究所宗教部会・真宗遺族会広島地方支部
       念仏者九条の会・備後靖念会・甘露の会

 問い合わせ ココラット info@scdb.org  小武正教 mail@saizenji.com
 ======================================
 ドキュメンタリー
 『 ピュア ビルマ難民キャンプの子どもたち 』
 ======================================
 長きにわたって軍事独裁政治が続くビルマ。
 多くの人々が国境を越えて難民になっています。
 この映像は、2010年2月、タイ-ビルマ国境の
 メラウン難民キャンプで撮影されました。
 
 キャンプの学校教育を中心に、難民の暮らしを取材。
 外界から閉ざされた山中で、苦しい状況にありながら、
 素直で純粋な子どもたちの表情。明るく元気な小学生、
 将来を考えはじめる中学生、世界が見えてくる高校生。
 ピュアな子どもたちの姿にカメラが向き合いました。
 
 企画・撮影 : ココラット
 製作 :  SCDB(ビルマ民主化支援会)
 音声 : ビルマ語、日本語
 字幕 : 日本語
 映像 : カラー、45分

 ドキュメンタリーの予告編をSCDBウェブサイトから
 ご覧いただけます。 http://www.scdb.org/event.html

 ========================================
 ビルマ民主化支援会(SCDB)
 http://www.scdb.org/  
 info@scdb.org
 〒460-8691 名古屋中郵便局 郵便私書箱174号 SCDB           
             
==================================================

 
 8時半前、着。
 予定より10分ほど早い。
 太陽は、ギンギンのピカ照りだわ。
 
 ビュンとスーパーへ。
 う、早すぎた。開店までしばらくある。
 駅前の改札前で倫を読む。

 9時5分過ぎ、開店早々のスーパへ。
 が、商品の陳列が・・・、客を迎える態勢になっていない。

 おそらくはここで働くパートの人たちは、開店前ギリギリからの就業なんだろう。
 人件費を削るためか。
 でも、開店直後に買い物に来たお客は、その陳列棚を見てガックリしてしまう。
 こうやって、この店での購買意欲を失っていくのだ。
 頼むよ、GC さん。
 

 朝から水浴び。
 が、ぬるい水。

 仮眠なり。
 やっぱり強行軍は後が大変。
 身体がえらい。
 今日一日は何にもできないなぁ。
 とほ。

 ぼぉ~っとした頭のままDVDを見る。
 "Burma After Reading"
 まともな状態のまま見てたら後悔してたなあ、これは。
 内容はともかく、映像的な表現や画面構成は、巧い。
 
 トホホ状態で竹シーツにゴロリ。
 

斜光の陰で

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 ここはチン州の村。
 顔に刺青が入った女性もちらほら見受ける。

 薄暗い家の中に斜光が差し込む。
 そっと写真を撮る。

 bu00439.JPG

 


 ロヒンギャー難民の暮らすクトゥパロンの公式キャンプ。
 
 陽だまりの中で女性が投網を手入れしていた。

 DSC_4781.jpg

 ため池?
 近くの川?
 
 キャンプを出て、果たしてどこで漁をするのだろうか。
 そこまでは追っかけなかったなあ。

刺青屋さん

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 ほどほどの規模の仏塔祭り(寺院祭り)の際、必ず見かけるのは、
 露店に交じって路上の店を開いている刺青屋さんである。

 この日はインセイン地区の「カレン新年際」だ。
 やっぱり、刺青屋さんが店を開いておりました。

bu00227.jpg


 若い男性が、あらかじめ用意された(レディメイド)の図柄から
 気に入った模様を選んで、機械式の刺青にかかっていた。

 最近の刺青は、ここビルマでも、何かの印(シンボル)というよりも
 ファッションという感じである。

 
 朝からムンムンと異様な暑さ。
 熱せられた空気に茹でられるという感じだ。
 
 ルーティーン作業。

 メールフォルダーの整理と滞っていた返信作業に取りかかる。
 あ~ら、要返信のメールをいくつも発見。
 ふぅ。

 とりあえず7月分のメールを整理し(つまりは読んだことにして)、ひと息つく。
 メールサーバは1ヵ月に1度の整理整頓なのである。
 PC2台、ラップトップ1台にメールの保存を確認して、7月分のメールを
 ざっくりと削除する。
 

 折を見て、Facebook のお友達を申請する。

 
 ウエブでビルマ関連のニュースに目を通す。
 が、なんか情報だけに流され、本質が見えなくなっているような気がして、
 ちょいとウッとしてしまう。

 
 差し入れタマネギとジャガイモを使ってカレーを使う。
 お肉はジワッとフライパンで焦げ目をつけておく。
 
 野菜の高値が続くが、(たぶん)プラント育ちのカイワレは値段が安定して
 しかも手頃な価格である。
 うん。

 "ENRON: THE SMARTEST GUYS IN THE ROOM" (『エンロン』)を見る。
 うーん、日本社会もこの後を追っているような気がしてしまう。
 が、責任追及は米国の足元には及ばないんじゃないかと根拠なく感じる。


 早めにゴロリ。
 写真集を30冊近くをツラツラ見る。
 ああ、昔ほどの感動がないんだな、これが。
 この間、いろんな経験をし、いびつに年を取ったということか。
 うとうと。


 ここは、ラングーン(ヤンゴン)の中心部が近いシュエダゴン・パゴダの裏通り。
 (West Shwe Gon Thaing Rd.)

 ユザナホテル (Yuzana Hotel) から西へ数分歩くと国民民主連盟(NLD)の本部が
 右手に見えてくる。

 NLDで催しがあると、通りの反対側には軍政の当局者 (MI=Military Intelligence)
 治安(公安)関係者が監視にあたる。

 誰がそのNLDの催しに参加しているのかデジカメやビデオカメラで記録するためである。
 DSC_8144.jpg

 私は、その監視者を記録しようとデジカメを構える。

 と、やっぱり、向こうもこちらの姿をキチンと撮るのである。
 ああ怖わぁ。

 
 今朝も5時半頃に目が醒める。
 今日は休日とする。
 何がどうあってもだ。
 
 ま、とりあえず、ルーティーンワークだけは終えておこう。


 で、
 澤地久枝『密約』を読み続ける。
 果たしてこの書は、どういう分類とされるのだろうか?
 というのも、被告人の描写に沿って、著者である澤地さん自身の生い立ちらしきも
 記述されているからだ。
 
 ウエブで、ちょっと来歴を見てみる。
 うわぁ、なんとまあすごい人だ。
 ちょいと驚きを胸にペラペラと読み続ける。

 
 午後から出動。
 JにてJFを買う。

 半額キャンペーン中のTヤに寄り、『エンロン』 "DAY ZERO" "BURN AFTER READING" を
 借りる。
 
 
 ちょいと気になり、携帯電話 NOKIA を充電する。
 と、ピッピッピッと電子音が鳴り、誤作動気味。
 どうしたんだろ?
 またROMソフトがおかしくなったのか?
 4月末に、ヤンゴンで再インストールしたばかりなのになあ。
 やっぱり毎日使っておかねばならないか。


 食糧の買い出し。
 今日はスーパーDでは「一の市」だが、うーん、それほどのお得感はない感じ。
 
 
 『エンロン』を見始めたとたん猛烈な睡魔が襲う。
 孟宗竹シーツの上にゴロンとなってたら、寝入っていた。
 


 昨日(7月31日)付けの『ミャンマーの新しい灯』を見て、びっくり。

 ビルマ(ミャンマー)軍政独裁者であるタンシュエ議長がマハトマ・ガンジーの碑に
 花輪を捧げているではないか。

NLM20100731.jpg
 ( ↑ 大きくなります )

 インドとビルマ両国の友好を演出する政治的パフォーマンスとしては仕方のない
 ことなのか。
 
 ガンジーは、果たしてこんなことを許しただろうか?

 

尾行をまく

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 現場を離れ、急いでタクシーに飛び乗る。
 後ろからバイクがついてくるのが分かる。
 
 ちょっと緊張気味の私の雰囲気を察してか、運転手が「どうした?」って話かけてきた。

 「いやね、後ろがね・・・」
 「なに?」
 「後ろに 例の人たち がついてきてるんだ」
 
 運転手はルームミラーを見やり、再度、声を掛けてきた。

 「何かしたの?」
 「何も。何とできる?」
 「オーケー、ガッテン! まかしとけって」

 力強い声を返し、やたら張り切りだした運転手は町の中心へタクシーを向けた。
 
 私はチラリチラリとタクシーのバックミラーを見る。 DSC_8286.jpg 
 と、やっぱり尾行者は、こちらを伺っているようだ。

 「止めて」
 タクシーの運転手に告げる。

 いったん、尾行者のバイクをやり過ごすのだ。
 
 バイクはちらりとこちらに目をやり(私は後部座席で身をかがめるようにしたまま
 足元へずり落ち加減の状態のままである)、私の乗ったタクシーを追い越した。

 
 今度は、タクシーがバイクを追う形となる。 DSC_8287.jpg

 次に、バイクを撒くための準備にとりかかる。
 
  さ、今だ・・・。
 
 それから半時間後、ふぅ、とひと息つく。
 心臓がパクパクである。
 これは、はい、6月の事でした(えっ?)

 [ ラングーン(ヤンゴン)の中心部では、基本的に民間人はバイクには乗ることができない。
  バイク(特に今はオレンジ色)に乗っている人を見たら要注意。彼らの多くは政府関係者
  (治安関係者)であるからだ。これは、ビルマ (ミャンマー) 取材のイロハである ]

 *訳あって、写真を一部修正してます。

2010年9月

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