少々ややこしい日々を過ごす。
んー、と。
やっぱり、昼夜逆転気味だな。
かといって生産性のある仕事をしているわけではない。
ひたすら、耐えている、っていう感じ。
時間との闘いかな。
考えても考えても答えが出ないし。
んー、と。
知的な部分ではなく、いわば感性というような、違う部分を稼働させねば、って
少々焦り気味。
写真民俗誌/写真民族誌ってのを考えて、さて、何を基準に写真選びをしようと
しているのだろう。
うむ。
例えば、ニュートンは木から林檎が落ちるのを見て万有引力の法則を発見した
という逸話があるが、じゃあ、どうして他の人ではなく、ニュートンだけが
そういうことができたのか。
写真でいうと、ジェームズ・ナクトウェイは天才で、サルガドは秀才的な写真の
撮り方をする。
誰もが努力すればサルガドにはなれるが、決して、ジェームズ・ナクトウェイ
にはなることはできない。
どうして、ナクトウェイは天才的な photo eyes があったのか。
んー、と。
ニュートンやナクトウェイには、どんな能力や天才的な閃きがあったのか。
ずっと考えているんだな。
彼らは何故、天才的なんだ、と。
で、いや、そういう考え方じゃなく、ひと捻り半(@平川)しなければ
ならないんだな、ということに気づき始めた。
彼らには可能で、どうしてわれわれ(私)にはできないんだ、と。
そうではないんだ。
彼らの方を見ていてはダメなんだ。
冷徹な目で我の内を見直さなければならないんだな、と。
そうやって考えているうちに、ついつい、昔のことを考えてしまう。
そうだから、自分で昔撮った写真を連続的に見てしまう。
昔、読んだ本を読み直してしまう。
例えば、岡村昭彦などを。
彼は言う。
「文字を書くのがダメだからカメラマンになるというような人は写真を
やめた方がいいのではないか。文字がダメな人はまず写真もダメだ」
とか。
「伝達の方法には、文字も、音も、写真もあります。この文字と写真と
いう伝達の記号がお互いに共存し、それぞれの欠点を補いながら進んで
いくのが理想の伝達の方法ではないかと、私自身は考えています。
文字の可能性の限界というものを、とことんまで追求するということは、
即、写真の可能性な限界を追求することになります。」
とも。
いま、どん詰まりなのは、技術的なものではない事は判る。
ではナンなんだろう。
単なる写真家 ( photographer ) を目指していたわけではないはず。
歴史観と時代背景を見る力が決定的に不足しているのだろうなあ。
一見すると、ヒューマニズム的な、目の前の現象だけに振り回されすぎて
いるではないか。
考え過ぎているのかなあ。
とほ。
英国より電話あり。
了解です、と。
オリバー・ストーン監督の "EARTH & HEAVEN" (『天と地』)を見る。
何度見ても、美しい映像だなあ。
計算され尽くしている。
うむむ。
おね(くのじてんおおがえし)と時間を潰してしまう。
よっこらしょ、と。
ようやく写真の選別にとりかかる。
やっとだよ。
とりあえずは2010年度分から。
ああ、この先、大変だ。
TヤにてDVDを返す。
おバカなホラーだった。
がっくり。

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