行きつ戻りつ

| コメント(0) | トラックバック(0)


 ぐにゅうぅ~と捻った腰が芳しくない。
 こりゃ、よくないゾ。
 そろりそろりとしか動けない。
 
 やっぱり歳か?
 それともエアコンの部屋に籠もりすぎで身体が硬くなってしまったか。
 いずれにしろ、あんじょうせな。
 とほほ。
 グキッ。

 
 夜、腰の痛みで目が覚める。
 と、眠られなくなる。
 困ったなあ。

 で、ウエブでラジオを聴く。
 ウエブラジオは便利だ。
 今まで聞く機会がなかった関東の番組まで聴くことができるんだからなあ。
 
 と、佐野眞一へのインタビューをやっていた。
 なかなか興味深い。

 佐野っチの話を聴きながら、自分の頭の中でモヤモヤしていたのが徐々に
 晴れてくるようでもある。

 それは、写真の事である。

 この間、ニュートンと林檎の話で、「どうして天才ニュートンは林檎が木から落ちるのを
 見て万有引力の法則を見つけた」というのではなくて、「どうして凡人はニュートンの
 ような思考が出来なかったのか?」と、その内容を、ひと捻り半させた。

 
 自分自身、写真にこだわりすぎだよ、とよく言われる。
 どうしてビデオに転向しないのか、とも囁かれる。

 ビデオは、動きもあり音も出て、「伝える手段(道具)」としては写真に比べて何倍も効果的
 なんだから、と。

 それは重々承知である。
 例えば事件・事故の当事者や被害者を記録する場合、ビデオを回して、当人の語りを
 記録し発表するのは、写真と文字で発表するのとは格段に見ている人に訴える力に差が
 出る。

 はい、判ってますよ。

 佐野ッチの話を聴きながら、あ、そうか、と思った。
 じゃあ、反対に写真に出来てビデオに出来ないことはなんだろうか?

 静止画として時間を止めること。
 音もない。
 動きもない。
 だからこちら側から働きかけるしかない。

 そこで、2次元の映像として写真は、それを見る人にじっくりと考えさせ、想像力を喚起させる
 映像情報を提供できるのではないか、と。

 ビデオは、見る人が「前のめり」にならなくて受け身であっても、情報は向こうからやってくる。
 
 が、写真はこちらから働きかけねば、何もいってくれない。
 ある意味、こちらが、「行間を読む」と似ているんではなかろうか。

 見ている人に、自分とその写真の間で「物語」を創らせるような写真もアリかな。

 で、もう一つ考えると、実は写真には写っていないモノこそを写真に込める事も可能なんじゃ
 ななかろうか。
 
 写真に写らない背景や情況を写真に写し込むって?
 そりゃどういう意味だ?

 
 実際に現場にでる取材者は、できるだけ自己撞着の「写真論」にこだわるべきではないが、
 それでも自分の撮す写真が「現場に立っただけの証拠写真」の地位から跳躍するには、
 時には伝える・記録する写真そのものを考えて見るのもよいかな。
 うん。

 行きつ戻りつ、写真の事やメディアのこと、取材のことや現場でのことなど、ツラツラ考える。
 で、ウトウト寝入る。

 
 怖々と椅子に座って、写真選びとスキャンを続ける。
 PC2台に繋いだフラットスキャナとフィルムスキャナが同時に動く。
 こんな時は、高性能のパソコンが欲しくなる。
 ううぅ。

 納豆づくしの朝夕食なり。

 しかし、やっぱり日中は暑い。
 もう禁句だな、この言葉。

 
 『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』を読み続ける。
 

 アマゾンの古本で買った『地図にない国からの報告』(晩聲社、1982年)
 が届く。
 こちらは写真集ではなく、完全なルポである。
 以前から気にはなっていたのだが、自分の書くルポの内容がこの本に引きずられ
 そうだったので読むのを控えていたのである。
 
 で、いよいよいうことで読み始めるのである。
 うん。
 うん。

 "THE WAVE" を見る。
 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.uzo.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/3762

コメントする

2010年8月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

アーカイブ

Twitter

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.02