2010年9月アーカイブ

 
 朝7時過ぎ、ようやくHDのデータの復旧が終わった・・・ようだ。
 ちゃんと計っていなかったが6~8時間ぐらいかかったのかな?

 改めて、祈るような気持で 脱着式のHDを ThinkPad に収める。
 で、スイッチオン。
 修正プログラムが液晶画面をキュウルルと走る。
 
 で、ログイン画面が現れる。
 やった、復旧だ。

 ラップトップは、元通りになったようだ。
 無線ランやその他のプログラムが正常に作動するように確認する。
 ノキアの携帯電話も Bluetooth で繋がる。
 ふぅ、っていう感じ。

 落ち着いたところで、しめじの味噌汁を作って、腹ごしらえ。
 
 ちょいと仮眠なり。
 

 遠くで電話がいくつか鳴っている(た)
 ごめんちゃい。
 起き上がれません。
 ぐー。

 昼前、目を覚ます。
 が、目がかすんで、よく見えない。
 それに頭もぼー。
 ヤワになったんだな。

 留守番電話に着信がいくつもあり。
 ごめんちゃい。

 さ、やろうと思ったところで電話が鳴る。
 返答です。

 と、急ぎの返信メールもあり。
 ペチペチペチペチペチしながら、応答なり。

 頭が熱くなりそうだ。
 チーズトースト喰らって、冷えた麦茶で身体を冷やす。
 
 
 ビルマの民主化運動のことについて出した『自然と人間』(10月号)が届いていた。
 
しかし、最近、これだけカラーでグラビアを使えるハードな雑誌が少なくなったなあ。
 
 『自然と人間』は初めてだが、久しぶりに写真のレイアウトが上手いなあ、とも思える
 雑誌であった。
 やっぱり写真はこのように見たい。
 うん。

 
 連絡業務とメールのやりとりで一日が終わる。
 ( ゴシゴシとお風呂掃除つきだったけど )


 夜、また雨が降り出した。
 ポツポツと小雨降る中、近所のCPまで食パンと柿ピーを買いに出る。
 


- 10/3 ラテンアメリカ連帯企画 -
 
▓ 講演と写真「わたしの出会ったコロンビア先住民族」 柴田大輔さん(フォトジャーナリスト)
▓ シネミンガ(映像NGO)の紹介
▓ サパティスタ制作のドキュメント映像の紹介    
  
     2010年10月3日(日)
     ひと・まち交流館 京都 第二会議室
     京都市 河原町五条下る東側(市バス「河原町正面」) TEL 075-354-8711
     開場 13:30 開始 14:00 終了予定 16:30 参加費 700円
     主催 メキシコ先住民運動連帯関西グループ
     共催 日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(RECOM)
     INFO DQM06014@nifty.com
   
 フォトジャーナリストの柴田大輔さんは、2007年にエクアドルに暮らすアワ民族を
 中心としたコロンビア難民グループと出会い、彼らと交流を深めながら、難民として
 の困難な状況だけでなく、自分たちのアイデンティティや土地の記憶を大切にして
 「普通の生活」を望み暮らす人々の姿を丁寧に取材され続けています。

 今年の1月の講演会に続いて、77月に再訪されたときの報告とともに、コロンビア
 国内で先住民族組織を作って自分たちの土地の権利や尊厳のために闘っている
 人たちについても、写真の数々とともにお話ししていただきます。

 またコロンビアの先住民族の人たちが自ら主体となって映像を撮るシネミンガという
 グループの紹介や、メキシ コの先住民運動サパティスタの映像グループが撮った
 ドキュメント映像も併せてご紹介したいと思います。

 「『ミンガ』(ケチュア語がルーツ)は、社会を良くする為の協 働作業であり、
 共有する事であり、互いの学び合いであり、集団の屈強さを意味します。
 アメリカの『ラコタ』や沖縄の『ゆいまーる』も同様の言葉です」(シネミンガHPより)


 ビルマ僧との対話集会 ~ ビルマと日本の関係を考える ~

 
 映画「ビルマVJ 消された革命」の舞台となったラングーンでの大規模民主化デモに
 参加したアシン・ターワラ師を迎えて、対話集会を開催します。

 関西で活動しているNGOとジャーナリストによる報告もあります。
 ビルマと日本がどのように関わりをもっているのか、私たちにできることは何か--。
 ぜひ、足をお運び下さい。

 
 また、京都シネマで10月2日~8日に上映されるのにあわせて、10月3日(日)
 上映終了後にアシン・ターワラ師による舞台挨拶があります(通訳付)。
 こちらもぜひどうぞ!


 *下記はいずれも通訳付、無料です。事前申し込みは必要ありません
 が、10月2日の大阪会場は席に限りがあるため、ご容赦下さい。

 [大阪]
 日時 10月2日(土)午後6時~8時
 場所 阪南大学サテライト
   (大阪市中央区高麗橋4-2-16 大阪朝日生命館 6階)
 http://www.hannan-u.ac.jp/venture/st9plj0000001cxi.html
 京阪本線・大阪市営地下鉄御堂筋線「淀屋橋」駅12番出口下車すぐ

 [京都]
 日時 10月3日(日)午後6時30分~8時30分
 場所 キャンパスプラザ京都 第4講義室
    (京都市下京区西洞院通塩小路下る)
 http://www.consortium.or.jp/contents_detail.php?frmId=585
 近鉄・JR・京都市営地下鉄「京都駅」下車。烏丸中央口より西へ
 すぐ。ビックカメラ向かい。京都中央郵便局西側

 [講師]
 ◆アシン・ターワラ師
 1984年、イラワディ管区で農家に生まれる。2003年、ダンマサリヤの
 試験に合格するが、アウンサンスーチー氏と会ったことを理由に資格剥奪。
 2007年9月19日に結成された全ビルマ僧侶代表委員会の書記長となり、
 ラングーン市内を市民とともに行進する。

 その後、当局の追跡を逃れて国内で潜伏し、2008年1月にバングラデシュ
 国境を越えてダッカのUNHCR事務所で政治亡命を申請。
 
 現在はインド・ニューデリーを拠点に、全ビルマ僧侶代表委員会書記長
 として民主化活動を国外から支えている。

 ◆日本ビルマ救援センター(BRC-J)
 1988年からビルマ民主化と難民支援を行っている関西のNGO。
 難民の女性たちによる織物の販売をはじめ、難民キャンプへの衣類やメガネの
 提供などの支援活動、各地でバザーやイベントでの出店、セミナーを開催。
 http://www.brcj.org/

 ◆宇田有三氏
 過去18年に渡ってビルマを取材し、『閉ざされた国ビルマ―カレン民族闘争と
 民主化闘争の現場をあるく』(高文研)を出版。
 ビルマ国境地帯とビルマ国内を共に長期的に取材した経験を持つ、世界的にも
 数少ないフォト・ジャーナリスト。
 http://www.uzo.net/

 [参考]
 ◇「ビルマVJ 消された革命」
 2007年にビルマで起きた大規模民主化デモと弾圧の映像を命がけで撮影し、
 世界へ向けて発信したビデオ・ジャーナリスト(VJ)たちの奮闘が描かれる。
 アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門
 ノミネートのほか、150以上の映画祭で40以上の賞を受賞。
 http://www.burmavj.jp/

 ◇『ビルマ仏教徒 民主化蜂起の背景と弾圧の記録』
 2007年、ビルマで起きた大規模民主化蜂起における、軍事政権に対する仏教徒の
 抵抗の背景と弾圧の実態を、証言記録を基に明らかにする。
 編訳・守屋友江、翻訳協力・ビルマ情報ネットワーク、ダニエル・シーモア、
 解説・根本敬
 http://www.akashi.co.jp/book/b66133.html


 [主催・問い合わせ先]
 阪南大学 守屋友江
 大阪府松原市天美東5-4-33
 E-mail: tmoriya@hannan-u.ac.jp


 冷蔵庫がタマゴで満杯だわ ( 数えたら20数個もある )
 安売りの時に買い込みすぎた( 貧乏性だなあ・・・ )
 
 で、オムレツトーストってのを作る。
 さすがにアイスコーヒーは飲めない。
 コポコポとドリップコーヒーをいれる。

 
 さ、やりましょか。
 今日は Mr.Clone という機器を使って、ラップトップのHDのコピーを作るのだ。
 こんな小っちゃいので出来るの?っていう代物。
 別で買った2.5インチのHDは500GB(5000円を切ってるし)

 ThinkPad のHDは脱着式になっているから外すのは簡単。
 で、早速、Mr.Clone を試す。

 が、LED が点灯しない?
 なぜ?
 
 で、ここから数時間、夕方まで、悪戦苦闘となる。

 デスクトップPCや予備のモバイルHDをいくつも試すが、ダメ。
 
 夕方近く、仕方なくサポートセンターにメールを送る。
 「もしかしたら、商品がおかしいかも知れないので返送してください」と。
 あーれー、この半日、無駄になってしまった。
 疲れた。
 ネコさんに集荷をお願いする。

 HD機器を使ってのコピーはダメなら、ソフトでやってみよう。
 そこで、以前使ったことのある「HD革命」を試しにやってみる。

 元データを全部チェックするようだ。
 がやたらと時間がかかる。
 うーん、こんなことやっとれん。
 
 結局、まるまるHDのコピー制作はやめることにする。
 で、ThinkPad にHDを戻す。

 が、「HD革命」を使った時に元データがおかしくなったようだ。
 Vista が起動しない。
 う。
 何故だ。
 リカバリーも作動しない。
 真っ青。
 ひぇ。

 またまた ThinkPad からHDを外し、デスクトップPCを使ってデータのチェックと
 復旧をすることにする。

 で、DOS コマンドでデータをチェックする。
 
 と、でるわでるわ、データエラーと修復の嵐となる。
 さらにHD内の15,000,000以上のファイルをチェックし始めた。
 うわ、どれだけ時間がかかるのか・・・。
 げっそり。

 
 この間、『拉致対論』を読了。
 
 この本の題材は北朝鮮を扱っているが、メディアに関わる者として、冷静に、今、
 何を、どのように伝え、記録していかなければならないのか考えさせられる。

 ちょうど「キムジョンウン大将」のことがメディアでがあがあ言っているが、
 1970年代後半から今までの、特に現在の北朝鮮のことを知ろうとするなら、
 かつて日本が朝鮮半島で何をやってきたのかそれを学び治さねばならないと思う。

 連続性のある歴史のなかで、自分(たち)の都合の良い部分だけ取りあげ
 相手を非難し、貶めようとすることは慎まなければならない、とも思う。

 それに、自分は分かっていない、ということが分かってもそれだけでは自己満足に
 陥るだけである。

 --------------------
  だって、わかっていない人間というのは、なによりもまず自分がどれほど
 わかっていないのかということがわかっていないものだからだ。
  とすれば、自分が何をわかっていないのかもわからないし、何をわかれば
 良いのかなんて金輪際わかりっこないのである。
 --------------------
 (@オダジマン)
 

 夜、知らぬ間に雨が降り出していた。
 秋の雨はもの哀しいなぁ。


 昨日に続き、ビルマからタイの難民キャンプを経て日本にやって来たという
 カレンの人が話題になっているようなので(私の中では)、ここいらでビルマの
 「カレン」についてあれこれ書いてみたい。

 そこで、カレン(カレン人、カレン民族)のことを論じる際に、いつも加藤昌彦さん
 (現大阪大学)の「カレン人の心のふるさと」というエッセイ(『月刊民博』1997年年9月)を
 思い出さざるを得ない。
 
 以下、 その一部を書き抜きする(ウエブ用に改行)
 --------------------
 タイ側のカレンとビルマ側のカレン
 
 現在、最もふつうにカレン人というときは、二〇〇近くあるとされるカレン系諸民族のなかで
 最も大きい、スゴー・カレンとポー・カレンというふたつのグループがふくまれる。

 スゴーとポーのの割合は統計がないので分からないが、両者を合計すると三〇〇万から
 四〇〇万人いるとされる。このうち一部、数十万がタイ側に住み、残りはビルマ(ミャンマー)
 側に住んでいる。

 大半がビルマ側に住むにもかかわらず、従来、カレンについての報告はタイ側からなされる
 ことが多かった。その最たる原因はビルマ側の情勢にあるといってよいだろう。

 ビルマそのものへの入国が難しかった上に、少数民族地域への立ち入りは長い間かたく
 禁止されていたからである。とくにカレンの場合、ビルマで最大級の反政府軍を組織し、
 自治権の拡大や独立を求めて数十年にわたりビルマ政府と闘争を続けてきたため、
 カレン州やイラワジ・デルタなどカレン人口の多い地域に入ることは困難を極めた。
 
 最近ようやく変化の兆しが見えてきているものの、カレンについて知ろうとする者にとって、
 この情況は大きな足かせになってきた。いきおい、カレンの人びとについての情報や資料の
 収集はタイ側でなされることになり、それに基づいてカレン全般について語られることになる。
 
 ところが、ビルマ・タイ両国に住むカレン人全体について言及しようとするとき、タイ側での
 見聞だけに基づくのは妥当ではない。タイ側で接することのできるカレンは、カレン全体から
 見ればごく一部分にすぎないからだ。
 
 タイ側の土着カレンには、昔ながらの生活を山岳地帯で送っているひとびとが多い。
 けれども、ビルマ側に行ってみると、むしろそのようは生活をしている人に出会うのは難しく、
 逆に、平地でそれも都市部近辺で生活している人が多いのである。

 実際、カレン人全体としては、平地で暮らす人びとの方がが多数派である。
 
 わたしはタイ側の山地カレンのイメージにかたよったカレン人像の描き方を指して、次のように
 たとえることがある。まるで、奥多摩だけを見て首都東京の都市問題を論じるようなものだと。

 これまで、カレンが武装闘争を始めた経緯については、純粋な山地カレンがキリスト教宣教師
 によって知恵と反ビルマ意識を吹き込まれ、反ビルマ闘争へ立ち上がるという、いわばキリスト
 教化に過度の責任を負わせる図式で語られることが多かった。

 じつは、このステレオタイプも、全体としては多数派である平地のカレンの存在を忘れ、
 タイ側でよく見る「純粋な」カレンのイメージだけにとらわれた結果、出来上がったように
 思われてならない。
 --------------------

 加藤さんからカレン報道の現状を聞いていたこともあって、私はタイ側からカレン取材をする
 だけでなく、ラングーン(ヤンゴン)からカレン州の州都パアンに頻繁に通って取材をしていた。
 
 またそれ以上にイラワジ・デルタや平地のカレンの取材も続けていた。

 以下は、拙著『ビルマ 閉ざされて国』(高文研)を書いていた時、カレンについて述べたのだが、
 残念ながら紙幅のこともあり、割愛した部分である。
 (その後、一部修正)

 --------------------
 ビルマとタイとの国境周辺には一九八四年頃から、最大時にはおよそ一五万人近いビルマ人が、
 正確にはカレン人が難民生活を強いられている。難民キャンプには、もちろんビルマ民族・モン
 民族・ラカイン民族などの人びともいるが、実際のところ、難民の八割以上がカレン民族の人びと
 で
ある。
 
 難民キャンプには、そのほとんどがビルマ軍政の迫害から、あるいは少ないながらも経済的な
 理由でタイ側に逃げ出した人びとが日々の生活を営んでいる。タイ政府は当初、公式に彼らを
 難民として認めなかった。

 もちろんタイ政府が難民条約を批准していないのには、それなりの理由がある。
 その一方、国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)や国境なき医師団、さらにTBBC
 (タイ・ビルマ国境支援協会)などの国際的に活動するNGO(非政府組織)やカレン人たちの
 自助活動によって、不十分ではあるが、徐々にその地位が守られるようになってきた。

 また北タイや北西タイの国境地帯には、カレン人以外にもカレニー人や二〇万人規模にも達する
 シャン人たちも避難生活を余儀なくされている。
 
 日本政府は二〇〇八年、アジア諸国で初めて、紛争などで他国に逃れた難民がさらに別の国に
 移住する「第三国定住」難民の受け入れることを発表した。

 そういう動きの一環として、これらカレン人を「ミャンマー難民」として日本に受け入れることを
 表明した。もともと難民の受け入れに消極的だった日本がどうして難民を受け入れることに
 なったのか、その背景はあまり伝えられない。

 積極的に難民を保護しようという人道的な理由よりも、おそらくは、常任理事国入りを目指すための
 日本政府の動きではないか。そう説明する人もいる。


 欧米諸国が数万人規模の単位で難民を受け入れている一方、日本政府は「第三国定住」難民を、
 とりあえず初年度に三十人受け入れるという。
 そういう受け入れ数の出所やその予算規模などあまり明確ではない。
 
 ビルマ領からタイ側に逃れたカレン人の多くは、自分がミャンマー国籍を持って外国に出るという
 意識はあまりない。カレン人として生まれ、カレン人として生まれ育った彼ら彼女らを、ミャンマー
 難民として受け入れる日本側は、どれだけ現地の人の生活や生き方に配慮を払っているのだろうか。
 そもそも日本側は、ビルマに住むカレン人という民族集団をどれだけ理解してきたのだろうか。

 二〇〇九年二月、カレン人難民が多く住む国境地殻で、KNUの最高幹部の一人と話をする機会が
 あった。
 「カレン人難民を日本が受け入れる? そんな話は聞いていないよ。どうして我々にもひと声かけて
 くれないのか?」
 ↓
 以下 ▓ PDFファイル ▓ (12,000文字あまり)へと続く。


 タイのビルマ難民キャンプからカレン人難民が日本に到着した、っていうんで
 カレン人の話題がちらほら。

 そこで1998年、難民キャンプでも北にあるメラモークロー(メラモルアン)のキャンプに
 暮らしていた少年を取りあげたい。

 というのも、ちょうど、この少年のお父さんから連絡がきたからだ。

98kar001.jpg

 
 13年前の姿のこの少年、今は立派な青年に育ち、来月10月には結婚するそうだ。

 ビルマとタイの国境周辺を訪れた時、折に触れ、この少年と顔合わせをしていた。
 あの男の子が結婚か。
 ちょいと感慨深い。

 ビルマ軍の襲撃を受け、マナプロウからメラモークローに逃げてきた直後の彼の家に
 居候になったことも思い出す。

 今までも、あれからも、これからも、紛争は続いている。
 ふむ。


 本日(9月28日)、ビルマ(ミャンマー)とタイ国境の難民キャンプからカレン人難民が日本に
 やってきた。
 
 いくつかのメディアに取りあげられていた。
 
 たとえば、共同通信の47News(よんななにゅーす)は次のように報道していた(抜粋)
 http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092801000068.html
 
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 ミャンマー難民18人が来日 第三国定住第1陣、アジア初

 母国に戻れない難民を避難先以外の国が受け入れる「第三国定住制度」によるミャンマー難民の第1陣の3家族18人が28日、キャンプのあるタイから成田空港に到着した。この制度による難民受け入れはアジアで初めて。

 第三国定住制度は、難民の救済策として国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が推奨。米国やカナダなど欧米が中心となって取り組んできた。難民救済に消極的と国際的な批判を受けてきた日本政府は2008年に実施を決定。難民受け入れ“先進国”に脱皮できるかの試金石となりそうだ。
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 しかし、このタイに避難したビルマからのカレン人難民の到着に関して、ビルマ問題に取り組む
 野村民夫さんから次のような連絡が入った。

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 IOMは在日ビルマ人(大きな横断幕やプラカードを持ち、民族衣装を着たカレン民族、 
 カレンニー民族を含む)が出迎えたことを無視しました。抗議したところ

  ・多数の人をすべて書けない(新聞記者も「出迎えに来た人」という屁理屈)
  ・外務省とも調整して書いた

 ということでした。つまり、外務省、IOMUNHCRも?)は、一般の在日ビルマ人と
 接触させたがらないのです。
 
 彼らの前を歩いていたRHQ協力者のカレン人は背広(カレン風装飾あり)でした。
 (彼の名前の最初はSaw なのに名札はUです。これだけでも受け入れ側が
 「解っちゃいない」ことが明らかです。)
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 そこで、日本の外務省は、これらビルマからのカレン人難民の受け入れをどのように
 日本の人に説明しているのだろうか?
 
 外務省のHPで見てみた。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/9/0928_01.html
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 第三国定住によるミャンマー難民の来日
 平成22年9月28日

   1. 本28日(火曜日)午前,第三国定住による難民の受入れに関するパイロットケースの第一陣となるミャンマー難民(注)が来日しました。

   2. 来日した難民の方々は,今後,約180日間,政府が実施する日本語教育,生活ガイダンス,職業紹介などの総合的な定住支援プログラムを受講した後,地域社会において自立生活を営む予定です。

   3. 今般の第三国定住による我が国の難民受入れは,アジアで初となる取組であり,国際社会からも高く評価・注目されています。政府としては,難民の方々が今後,文化や習慣がまったく異なる日本社会に定着し,安定した生活を営むことが出来るよう,幅広い関係者の協力を得ながら,支援を実施していく方針です。

    (注)今年度受入れ予定の5家族27名のうち,2家族9名については,家族の体調不良のため,遅れて来日する予定。

    (参考) 第三国定住とは
    第三国定住は,自発的帰還及び第一次庇護国への定住と並ぶ難民問題の恒久的解決策の一つ。我が国は,国際貢献及び人道支援の観点から,平成20年12月の閣議了解に基づき,パイロットケースとして,タイのメーラ・キャンプに滞在するミャンマー難民を毎年約30人,3年連続して受け入れることとした。
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 とあった。
 
 そこで「ミャンマー難民」に関して、日本の外務省がこれまでどのような取り組みをしてきたか
 外務省のHP「ミャンマー連邦」のページを見てみた。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/myanmar/index.html

 すると、外務省の「ミャンマー連邦」のHPが最後に更新されたのは、今年(2010年)7月22日
 である(2010年8月28日19時確認)
 
 なんと、HPが2ヵ月以上も更新されていないのだ。
 
 どうやら外務省は、あまり日本の人に情報提供をしたくないようだ。
 (しかも、「ミャンマーの基礎ページ」になると2008年10月からHPを更新していない
 いくらなんでもこれはヒドすぎる。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/myanmar/data.html

 
 さらに、かつては外務省の「ミャンマー」のHPの中にあった「ミャンマー難民情勢 平成13年9月」が
 いつの間にか消えてなくなっている(外務省のHP内を検索してみた結果)

 どうして、かつてあったHP内の情報がなくなっているのか?
 不思議でならない。
 フム。

 「ミャンマー難民情勢」はどこに消えたのだろうか?
 「消えたミャンマー難民情勢」とググったら、出てきたりして。

 
 午前のバスに乗車、今治を後にする。

 天気予報によると、午前中は晴れだが午後から雨だとか。
 関西に戻って、雨の中、駅から歩いて帰るのはちょいと気が重いなあ。

 長距離バスの中で、『軍政ビルマの権力構造』を読む。
 ページをめくりつつ、バスの中で本著のメインであろうの5章6章までたどり着けるだろうか?
  
 あれれ、やっぱり途中休憩のサービスエリアで雨が降ってきた。
 とほほ。
 
 が、バスを降りると、まだ小降りだ。
 背中の荷物の重たさを感じながら、早足で家路を急ぐ。
 ふぅふぅ。
 で、部屋に到着する。
 ポツポツと雨に濡れた程度でした。
 ふぅ。

 が、背筋痛がぶり返す。
 ギリギリと痛みを感じる。

 国労ラーメンを喰らって、ピーナツをかじりながら、ちょいと仮眠。
 そのままぐったり、本寝入りなり。

nlm_27_09_2010.jpg
 ( ↑ 大きくなります )

 ほんと、最近の国営紙 ( 英字紙『ミャンマーの新しい灯』 )を見ると、これまで国軍幹部だった人は
 みんな軍服を脱いで民間人になりすましている。

 国を支配している実態はまったく同じで、完全な目眩ましなんだけど。

 
 朝9時前、BARIBARIさんのピックUPあり。
 大谷墓地にて長井さんのお墓参り。

 お墓にはソニー製のカメラを模った石碑あり(長井さんの映像レリーフ付)

 IMGP6746.JPG

 10時過ぎ、南光坊にて講演会のためプロジェクター等のセットアップ。
 「自転車さん」のお手伝いあり。
 
 お昼は境内でホカ弁なり。

 13時からココラットさん&私のビデオ映像と講演会始まる。

 新聞やテレビの広報がそこそこあったので、そこそこの人が集まるかな、って思ったけど、
 (主催者側とは、まあ50人くらいでしょうか、とも)
 そ、けどね、集まったのは22人ほど。
 ちょいと少ない。

 地元記者によると「長井さんの地元でもあり、ビルマ(ミャンマー)については
 関心があるのですが、長井さんが亡くなって3年も経ち、やはり『関心』にとどまって、
 もうあと一歩、動こうというところまでではなくなったのではないでしょうか」と
 いうことであった。
 
 ふむ。

 以前、自分のブログで書いたことだが(何回も)、こういう場面に出くわすと
 いつも石川文洋氏の言葉を思い出す。
 
 --------------------
 石川文洋氏は、『戦場カメラマン』(朝日文庫、1986年)に記している。
 
 「人間は孤独であると思う。人の死も、ごく近い肉親以外は、時がたてば記憶から
 うすれていく。死とは全く寂しいものだと思いながら、それなら自分に妥協しながら
 生きているということが素晴らしいのか-ベトナム仲 間の遭難にあって、私には
 人生がわからなくなるのである。
 (『週間朝日』1971年2月26日号)
 --------------------
 
 16時前、上映会&講演会終了。
 お寺の住職にご挨拶&記念撮影をば。

 
 近くのファミレスで、BARIBARさん、愛大の先生と教え子をまじえて
 茶話会なり。
 18時前、散会。

 ココラットさんは愛知に向けて「しおかぜ」にて出発なり。

 
 朝イチで講演会会場であるお寺(南光坊)でプロジェクターのセットUPの予定だったが、
 手違いで明日となる。
 ま、それはそれで。

 午後、BRBRさんの車でピックUPしてもらう。
 とりあえず南光坊を下見となる。
 お寺の本堂で講演会をするのは初めて。
 400年ぶりに姿をみせた御大師さまを拝見することもできました。

 18時前、南光坊でココラットさんと合流。
 お久しぶりです。
 
 そのままBRBRさんの車で山上のお寺で食事なり。
 精進料理をご馳走になって、ぐぴぃ。
 あ、カメラをもってくるのを忘れた。
 なんとまあ、気の緩んだことだ。

 散会後、ぐったりで即寝となる。



 やっぱり涼しい。
 さすがに窓を全開で寝ているとスースーして気持ちがいいのやら肌寒いのやら。
 どっちつかずの気候です、はい。

 作業の続きである。
 細かな修正作業とトップページの作成に取りかかる。
 
 どういうわけか、日本語でファイル名をつけてそのままサーバーにアップしている
 担当者がいるので、ウエブ表示にエラーが出てしまい、これまた困る。
 ふぅ。

 公の機関なのだから、情報発信をする際には、ある程度プロレベルの人を担当者に
 充てて欲しいんですけど。
 ペチペチペチペチペチ。

 
 さ、休む間もなく、ラップトップデータチェックである。
 いやね、明後日のお話会の準備です。
 ペチペチペチペチペチ。

 肩胛骨が割れそうなほどの痛みが走る (∋_∈)
 無理は禁物、ちょいと休憩だ。

 
 ごろんと横になり、積ンどく本から『軍政ビルマの権力構造』を取り出す。
 ようやく読み始める。
 ツン読である。
 ま、知らないことを知るこは、時に楽しい。
 自分とは異なる思考回路や問題設定にきづくこともまた楽しいなあ。
 てなもんで、大人になったモンだなー(やっと、ってか)
 ペラペラと項をめくる。
 
 
 夜は、ファースト系おかず屋さんでお腹一杯となる。
 
 知らぬ間に寝入る。
 

 
 深夜~早朝~朝、何度か目覚めるが、ウトウト気味である。
 
 寝ている間に雨が降ったようだ。
 風がまだ残っている。
 窓を開けて眼下を見下ろすと、神戸の街並みが見渡せる。
 遠くは和歌山方面まで。

 雨と風で取りはらわれたせいか、ミニチュアのような家々と建物、橋などが広く見渡せる。
 ビシッとF32でピントがあった写真のよう。
 この光景を見ていると何だか切なくなってくる。
 これで本格的な秋の到来なんだろう。

 雨が降ったせいか、冷える。
 タマゴ・レタストースト、と、今日はポコポコとドリップコーヒーとする。

 
 さ、昨日の続きである。
 肩と肩胛骨の痛みに耐えながら、机に向かう。
 ペチペチペチペチペチ。

 新しいプログラムをセットアップし、データを流し込む。
 びゅーんと画面が走る。
 お、上手くいきそうだ。
 なんとか期限に間に合うか。
 ギリギリ最後のセットアップにとりかかる。
 
 気づいたら、あ、もう18時過ぎ。
 ちょっと根を詰めたな。
 目が乾く。


 新しいURLを運用し始める。
 1GBでは足りない。
 容量を増やし、セットアップもせねば。
 
 とりあえずテストでファイルを1/3くらい、約30,000点ほどサーバにアップする。
 
 テストアップでも、さすがに時間がかかりそうだ。
 その間、ちょいと運動のため散歩に出かける。
 
 
 早足で歩いても汗をかかない。
 いよいよ秋ですなぁ。
 
 
 部屋に戻ると、まだファイル転送を続けている。
 もう少しだ。

 20時過ぎ、ようやくファイル転送を終える。
 最終的には、100,000ファイルをアップしなければならないしなあ。
 ふぅ。
 
 
 チキン焼きそばタマネギ+大盛りキャベツを喰らう。

 
 さて、と。
 ペチペチペチペチペチとプログラムを修正する。
 インターフェイスをカスタマイズ。
 あ、もう日付が変わる。


 今日(9月23日)のビルマの国営英字紙 『ミャンマーの新しい灯』
 ( "The NEW LIGHT OF MYANMAR" ) のトップページを見る。
 nlm_23_09_2010.jpg
 ( ↑ 大きくなります )
 
 と、中国大使を迎えるにあたって、タンシュエ議長(上級大将)の姿が見えない。
 数日前、ラングーン(ヤンゴン)の友人とやりとりした際、「あの人は今、
 シンガポールで入院しているから」って言ってたのは本当だったんだ。
 ↓
 「あの人」とは、ウー・ティンウーの間違いでした(9月25日追加)
 タンシュエ議長ではなかったようです。


 
 《 ドキュメンタリー上映・講演会:ビルマ(ミャンマー)と日本・今治 》

 ─2007年9月、ビルマ国軍の凶弾に倒れた日本人ジャーナリスト・長井健司さん
 の故郷・愛媛県今治市でのビルマ・イベントです─
 

 日時:2010年9月26日(日) 13:00~15:30

 13:00 開会
 13:05~14:15 ドキュメンタリー「ピュア」上映 
           制作者ココラット氏による解説
  
 14:15~15:15 スライド上映および講演「ビルマの今と日本」
          宇田有三

 15:15~15:30 質疑応答
 15:30 閉会

 会場: 第55番札所 南光坊 本堂 (今治市別宮町3-1) 

 入場無料: ご自由にお越しください。

 --------------------
  講師紹介:

  ■ココラット 氏  
  SCDBビルマ民主化支援会代表
  元全ビルマ高校学生連盟書記長

  ■宇田 有三 氏
  フォトジャーナリスト ビルマ取材18年。長井さんが殺害された直前、
  直後にもビルマで取材。著書『閉ざされた国ビルマ―カレン民族闘争と
  民主化闘争の現場をあるく』(高文研)写真集に『ビルマ軍政下の人びと』
  など。

 --------------------
 ドキュメンタリー「ピュア」紹介: 

 軍独裁政治が続くビルマから、たくさんの人が国境を越えて難民に
 なっています。
 この映像は、2010年2月、タイ-ビルマ国境のメラウン難民キャンプで
 撮影されました。
 キャンプの学校教育を中心に、難民の暮らしを取材。明るく元気な小学生、
 将来を考えは じめる中学生、世界が見えてくる高校生。ピュアな子ども
 たちの姿にカメラが向き合いました。

  企画・撮影 : ココラット
  製作 :  SCDB(ビルマ民主化支援会)
  音声 : ビルマ語、日本語
  字幕 : 日本語
  映像 : カラー、45分

  予告編はSCDBウェブサイトで視聴できます。
  http://www.scdb.org/event.html


  連絡先: 今治明徳短期大学 市川ひろみ
  hiromii@ma6.seikyou.ne.jp

  *************


 6時過ぎ起床。
 
 とっととチーズトーストとアイスコーヒー。

 朝から机の前に向かう。
 午後(夕方)から雨だという予報が嘘のように真っ青な天気。
 蒼い。

 8時過ぎから太陽光線で青い空が銀色に白く光る。

 さ、やろう。
 ペチペチペチペチペチと作業に没頭する。


 昼まえ、ビュンとTヤまでDVDを返却。
 今回は2泊の借り出しだったので、返却を忘れるところだった。
 JPに寄り、ジャンクフードを買う。

 曇り空から、またまた晴れてきた。
 なんなん?

 
 再び机に向かう。
 ペチペチペチペチペチと。
 18時過ぎ、ようやく一段落。
 肩から肩胛骨に掛けて激痛が走る。
 うう。
 涙が出るくらい (∋_∈)
 
 ちょいと休憩。
 
 引き続き机に向かおうと思うが、気力はあっても、身体がついてこない。
 ったく、ヤワになったもんだ。
 
 今月末までにこの作業を終えなければならないのに。
 ちょいと焦り気味。

 気合いを入れるために、バシャッと水浴びしてもダメだ。
 肩が引き攣っている。
 今日はヤメだな。
 とほ。


 代わりに、肩と背中を労りつつ、フィルムスキャンにとりかかる。
 PC2台で、フィルムスキャナとフラットスキャナを作動させるので、PCの
 排熱で室温がグングン上がる。
 暑っ。

 日付けが変わる前、今日の作業を終える。
 右腕が上がらない。
 ピクピク。
 ちょいと身体がボロボロ気味。

 
 朝6時過ぎから活動開始。
 目が覚めて、顔を洗って、すぐに机の前に座る。
 今日の出勤時間はほぼ8分なり。
 
 朝からビルマ情報データベース化計画、残りの2つに取りかかる。
 気になってたDBソフトが自分のレンタルサーバで動くかを、まず確認する。
 ふむ、やっぱりおかしいな、データを拾いにいかないゾ。
 ふむむ、なぜだ。
 
 午前中いっぱい、ペチペチペチペチペチとキーボードを叩き続け、ようやくDBPの
 動作確認を終える。
 このPの無償版を探さねば。
 ふむ。

 連絡業務をいくつか。

 と、ピンポ~ン、と猫さん現る。
 アマゾンから品物届く。
 追加HDのコピー機器である。
 データの転送にとても便利そう。
 
 半時間ほどお昼寝。 

 
 午後も連絡業務なり。
 キーボードを叩いていたら、肩胛骨がピリピリと痛み出す。
 キーボードを叩きすぎのTA氏は腱鞘炎になり、14,000円もするキーボードを買った、とか。
 うーん、そんな余裕ないしなあ。
 ま、無理しないことかなぁ。
 
 
 が、無理を承知で、写真スキャン、#23まで終わる。
 スクラップブック#1を終えることになる。

 
 19時前、ふぅとひと休み。
 肩と背中がバリバリと凝る。
 限界だわ。

 ごろんとしてたら、寝入ってた。

 20時過ぎ、ふと目が覚める。
 と、スカイプにMK氏から連絡有り。

 しばし地べたネタをぐっちゃら~ちゃらっ。
 お互い、ヒッキーなので、スマートフォンはそれほど必要ないんだけどね。
 でも、気になりますね。

 
 22時前、別の連絡が入ってくる。
 ほい。
 
 と、知らぬ間に、例の検事が逮捕されていたとか。
 メディアは、やっぱり自分たちのこれまでの報道に何ら触れることなく、「悪者」叩きに
 励んでいるようだ。

 
 と、twitter がおかしくなっているとか。
 web からアクセスしてない私はとりあえず無事、ってか。


 日付が変わる前(頃)・・・知らぬ間に寝入ってた。


 ここはビルマが近いタイの領メソット(メソト、メーソットとも)という町。
 昼間の人口は、ビルマ人がタイ人を凌ぐような所でもある。
 
 このメソットには、ビルマからの移住労働者(っていう表現でいいのかな?)が暮らす地区が
 いくつかある。

 安い労働力を求めて企業(工場)がいくつかある。
 
 ビルマ側から働きに来た親は、生活の糧を稼ぐのに精一杯で、子どもたちの教育にまで
 あまり目が行き届かない(自らの労働条件さえ過酷であるので)

 そのため、難民や移住労働者たちの暮らしをサポートするNGOが子どもたち
 のための学校を作った。

DSC_0036.jpg

 ( ↑ 大きくなります )

 大声を出してビルマ語の教科書を暗唱する男の子。

 
 夜、いろいろな事を考えてたら、頭が冴えて
眠れなくなった。
 
 いや、正確には1時間ほど寝て目をさまし、また寝入ってフト起きる、
 というくり返し。
 
 枕元のラップトップで、不動産情報を見たりして。
 結構、面白いな(プログラムが)
 結局4時過ぎ寝入る。


 朝7時過ぎ目をさます。
 慌ててゴミ捨てに出る。
 ふぅ、なんとか間に合った。
 
 ウトウトした頭で机の前に座る。
 とりあえず、リストに書き出した連絡先に連絡を入れる。
 ペチペチペチペチペチと必死の術でもある。

 
 あ、食パンが1枚しかない。
 なのに、目玉焼きを2つも作ってしまった。
 もぐもぐ。

 
 ひたすら連絡業務なり。
 キーボードの打ちすぎで肩が張ってくる。

 
 あっと気づいたらもう夕方か。
 背中もバリバリ張っている。
 なのに、作業が終わらない。
 
 
 と、海外とチャットが繋がった。
 でも安全のため、要件のみ。
 繋がらない、あるいはエラーメッセージの間違いが戻ってくる。

 カナブンが部屋に入り込み、コンコンと蛍光灯に当たって、気ぜわしい音を立てる。


 19時過ぎ、連絡作業が一段落する。
 ビュンと出動。
 今日が安売り最後の日のKナンへ、除湿剤を大量に買いに行く。
 帰りにTヤに寄ったりしてぇ。
 しょうもないB級スプラッターを借りたりして。
 JにてJFも。


 知り合いのオフィスのサーバーがダウンしている。
 ウエブもメールも使えないようだ。
 仕事にならんやんケ。
 大変そうだな。
 バックアップしてたのだろうか?

 
 22時過ぎ、スカイプにて打ち合わせ。
 うーん、なかなか決まりませんなー。
 ふぅ、ですわ。
 
 スプラッターを見る(タイトルを打ち込むのもはづかしい)
 


 朝一番で御影のショップへ。
 HDの在庫もナシ、HDのバックアップの Mr.clone の在庫もナシ。
 結局、欲しい商品は何一つストックしていない。
 これじゃあなあ。

 蛍光灯が切れていたので32cmと30cmのセット(648円)を買う。
 消臭剤や蚊よけなども。
 
 日曜日の安売りのスーパーへ。
 キャベツが100円、タマゴが98年。
 その他もろもろを。

 ふぅ、とひと息ついて、遅れ気味のスキャン作業を#21まで終わらせる。

 写真集を見る閑もナシ。
 ああ~あ。

 結局通販で買い物をすることに。

 朝晩は涼しくなってきたけど、昼間はまだまだ暑いなあ、30度を超えてるよ。
 


 本日(9月19日)の『ミャンマーの新しい灯』 ( "The NEW LIGHT OF MYANMAR" ) の論説です。

 相変わらずの主張で、読んでいて気が滅入ります。

 NLM.jpg
 ( ↑ 大きくなります 11MB )


 9月19日付けの『ミャンマーの新しい灯』 ( "The NEW LIGHT OF MYANMAR" )
 パイプライン関係のニュースが載ってました。

 nlm_19_09_2010-02.jpg
 ( ↑ 大きくなります :日付けは追加 )

 しっかし、エネルギー関係のニュースは、なかなかフォローできません(ハヤオさんのページを見るしかない)




 『拉致 2』を読み終える。
 こちらは、蓮池さんと池田香代子さん・鈴木邦男さん・森達也さんとの
 対話本である。
 
 3時過ぎ、しみしみしながら寝入る。

 
 あまり寝ていないはずなのに、なぜか6時ちょうどに目が覚める。
 柔らかい朝陽が差しこんでいる。
 よっこらしょ、と起き上がる。
 

 早起きすると、ルーティーンをサクサク終えることができる。
 回線が空いているからね。
 
 
 ペチペチと作業をしていたら、ピンポ~ンとチャイムが鳴った。
 ん、誰?
 って、扉を開けると、「おまわりさん」が立ってた?

 「火事や災害が起こった時に、緊急連絡をしたいので、連絡先などを
  教えてもらえますか?」と。

 またですか。
 じゃあ、と左手を挙げて軽く会釈をして、扉を閉める。

 「おまわりさん」は隣家へ。
 ドンドンと扉を叩いている。
 大きな声だから、何を言ってるのか否が応でも聞こえてくる。

 「・・・連絡先を。[/] いつからここに済んでますか? 生年月日は? 
  職業は? 携帯の番号は? ・・・・・・。」
 フムム、である。
 
 で、このことを twitter に、書き込む。
 --------------------
 「おまわりさん」の戸別訪問は、久しぶり。もしかして、
 10月1日の「平成22年国勢調査」の実施前の下準備かな?
 --------------------
 と。

 と、すぐに反応があった。
 --------------------
 調査員さんがおまわりさんに実状をたずねることも、
 おまわりさんがそれに答えることもないはずなので、
 まったく別ですなW #censusjp
 --------------------
 と。

 基本的にはそうかもしれない。
 でも、それであっても不安があるのだ。
 情報が独り歩きするのが。

 いかなるシステムも完璧ではないはず。
 もしかしたら、調査員がおまわりさんに実状をたずねることがあるかも知れない。
 また、おまわりさんがそれに答えることがあるかも知れない。
 
 何か起こった時に、人は、「想定外のことが」とか「あってはならないことが」
 とか、言う。

  ─ 実際、今日、「DV被害届 情報筒抜け 京都府警 夫の巡査部長に伝わる」
  というニュースも流れていたこともあったし。

 まあ、それはいいのだが、私が思うのには、この書き込みをした人は自分の正さを
 疑うことなく書き込みをしているように思えることだ。

 「もしかしたら・・・」という私の不安を払拭させるような書き込みではない。
 それは文末の〝W〟に現れている。
 
 きちんと返答しているようでしていない。
 〝W〟は、「いや、あれは軽いノリでかきましたよ」という感じで。
 どうころんでも、いいような終わり方。

 以前、別のエントリーで書いたが、自分の正さや善意を疑うことなく、わざわざ
 見も知らぬ人の書き込みに返答する、その人のたしなみ・節度を考えてしまう。
 
 書き込むな、黙れ、っていっているのではない。
 それなりの decency をもって欲しいということだ。
 
 
 蓮池透 太田昌国『拉致対論』を開くが、さすがに重たすぎる。
 ちょいと休憩。


 写真のスキャン #18。
 これは少ない。

 
 写真集を眺める。


 夕方、ビュンと出動。
 電車を乗り継ぎ、東大阪まで。
 
 とあるビルマの人+日本の人+赤ん坊の写真撮影である。
 パシャパシャと1時間ほど。
 で、おいとま。

 _DSC6088.JPG
 
_DSC6054.JPG
 ビルマ人のダンナは、最初は日本語で話しかけていたのだが、
 やがて知らぬ間に、ビルマ語で「息子よ・・・、息子よ・・・」と
 口に出していた。

 明るい場面なのに、どうも難民一家ぽい写真に仕上がってしまう。
 う~ん、悪い癖だ。

 
 JR東西線というものに乗る。
 京橋から乗ったのは初めて。
 電車の中ではウトウトしながら読み物あり。

 
 豆腐料理とロールキャベツを喰らう。
 
 ごろんと横になってたら、23時すぎ、うとうと。

心配ですか?

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 本日の『ミャンマーの新しい灯』の論説を読んでみると、実は軍政も選挙が
 上手くいくかどうか心配しているのが分かります。
 
 タイトルが ' I am worried ' ですからね。

 それゆえ、選挙に異議唱える者は許さないという姿勢です。
 さまざまな法律を取りあげて、今回の選挙に対してボイコットを呼び掛けている
 アウンサンスーチー氏を〝やんわりと〟避難している。
 
 前回も指摘したが、これが11月13日のスーチー氏の自宅軟禁解除を延長するため
 の布石でもあるような。

 NLM.jpg
 
( ↑ 大きくなります : 10MB )


 ビルマ(ミャンマー)の11月は熱くなりそうだ。

 7日には20年ぶりの sham の「総選挙」が予定されている。

 13日は、アウンサンスーチー氏が解放されるか注目される。

............................................................

PRESS RELEASE

September 14, Freedom Now
Countdown to freedom: Aung San Suu Kyi must be released on November 13, 2010

Washington, D.C. –Burma’s Aung San Suu Kyi, General Secretary of the National League for Democracy and the world’s only imprisoned Nobel Peace Prize Laureate, should be released immediately and unconditionally from her illegal house arrest; however, she must, under Burmese law, be released on November 13, 2010. This release will occur after the Burmesejunta’s fraudulent elections, scheduled for November 7, 2010.

This legal assessment is consistent with the January 2010 announcement by then Burmese Minister for Home Affairs Major-General Maung Oo that Suu Kyi “will be
released this November.”

Suu Kyi has spent nearly 15 of the past 21 years in illegal detention.

Her most recent series of illegal detentions began on May 30, 2003, when the junta placed Suu Kyi in “protective custody” after an assassination attempt by thugs associated with the junta-backed Union Solidarity Development Association.

The attack also left an estimated 70 of her supporters dead. Suu Kyi’s detention was executed under Burma’s draconian State Protection Law.

The United Nations Working Group on Arbitrary Detention has declared Suu Kyi’s detentions since 2003 to be arbitrary and in violation of international law on four separate occasions, including, most recently, in Opinion 12/2010 issued on June 16, 2010.

The State Protection Law under which Suu Kyi was held is unconstitutional under Burmese law as it was adopted under Article 167 of its 1974 constitution. The junta annulled the 1974 constitution when it took power in 1988 and it was later replaced by the 2008 constitution.

Further, even under its own terms, the law was illegally applied to Suu Kyi in two key respects.

First, the State Protection Law does not permit protective custody but rather, permits only the detention of an individual who might perform “any act endangering the sovereignty and security of the state or public peace and tranquility.”

Second, the State Protection Law allows for a maximum of five years of detention without charge or trial, renewable in one-year increments.

Suu Kyi, therefore, even under the junta’s illegal application of an illegal law, should have been released on May 30, 2008, five years after her initial detention.

The junta, however, claimed it had the right to detain Suu Kyi under the State Protection Law for six years.

On August 11, 2009, almost three months after she was due to be freed from her illegal house arrest of six years, Suu Kyi was sentenced to three years in prison, which was then commuted to 18 months of house arrest under Section 401(5) of the Criminal Procedure Code. According to the junta, this extension was justified by Suu Kyi’s alleged violation of the terms of her house arrest when American John Yettaw swam onto her property uninvited.

This latest illegal 18-month extension of Suu Kyi’s house arrest ends on
November 13, 2010.

Under Burmese law, the term must be counted as beginning when she was transferred to Insein prison on May 14, 2009, and detained in prison under the new charge of violating the terms of her house arrest.

The junta cannot legally renew or extend Suu Kyi’s house arrest—not only has she served one year more than the maximum five years permitted under the now unconstitutional State Protection Law, but the junta issued the 18-month term of house arrest for violating the law under a provision which is neither renewable nor extendable.

Unfortunately, if the junta were to not follow through with her release, it would not be the first time it falsely claimed Suu Kyi would be released to alleviate the international pressure surrounding her illegal detention.

In 2003-2004, then-Burmese Foreign Minister Win Aung repeatedly and publicly stated that Suu Kyi would be released. Yet, she remains under house arrest today.

The international community must therefore be vigilant and ensure that the junta meets it commitment to release Aung San Suu Kyi.

Contact: Jared Genser
jgenser@freedom-now.org
 ............................................................


 


 毎度のことながら、ここはビルマとタイ国境。
 両国を隔てる国境線の川です。

 源流は、中国のあの「怒江」と呼ばれるサルウィン河(タンルウィン河)でもある。

IMG_0002.jpg
( ↑ 大きくなります )

 川の真ん中の中州の帰属は、両国の間ではあやふやであったようです。
 だって、雨季になると沈んで見えなくなってしまうんですから。

 そのうち、ビルマ側のごり押し?で、中州はいつの間にかビルマ領土になって
 しまった(ようである)

 
 10年ほど前までは、水の水位が下がる頃になると、ビルマ側の人はさほどの
 不自由なくタイ側に渡ってきていた(もちろん、その反対もあった)

 外国人の私でも・・・。
 そういう体験をし続けると、メンツをかけた領土紛争なんて、アホらしくなる。


 ようやく『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』を読了。
 ちょっとバタバタしてて、読み終えるのに時間がかかった。
 
 しかし、毎度のことながら、お隣りの国、韓国・北朝鮮の歴史を、特に
 日清・日露戦争時の歴史をほとんど知らなかったことに唖然としてしまう。
 学校で勉強した記憶はほとんどないし。
 
 まさに知らなかったということを知るとはこのことなんだなあ、とも。

 明治維新以降の日本の体質は、1945年の敗戦を経てもほとんど変わって
 いないのではないかと思わざるを得ない。
 ふむ。


 またもや生活が乱れ気味である。
 なんとかギリギリ、まだまだ耐えている、っていう情況でもある。
 ここで踏ん張らねば。
 ウトウトと眠たい頭で机の前に座る。

 あ、やっぱりルーティーン作業は手遅れ、か。
 
 山盛りレタスのサンドイッチを喰らう。
 
 
 本棚からハイチとベトナムと米国(ボストン)の写真集を取り出す。
 いやね、たまには気分転換をせねば、と。
 フムフムと写真に見入る。

 写真を始めた頃は衝撃的だった写真が、今見直すと、それほどでもない。
 うーん、歳を取ったのをこういうので感じるのはちょいとなあ。

 写真集を見ながらフト気づいたのだが、頭が重たい眼痛気味なのは、もしかして
 この眼鏡の重たさかもしれない。
 近視・乱視と度がきつい。
 しかも分厚い硝子レンズである。
 眼鏡が重たくないはずはない。
 眼鏡を外すと、スキッとするし。
 
 でもなあ、プラスチックレンズじゃあ仕事に耐えきれんし(って、思うのは
 今のレンズを知らない、っていうことか?)

 
 オダジマンのコラムを読む。
 ケラケラと引き攣り笑い。

 『月刊FACT』のオンライン版で、「FACTAleaks――対セラーテム戦争11 真っ赤な嘘」
 を読む。
 うー、面白い。

 
 ビュンと出動。
 DVDを返却する。
 と、おもいきや、またまたTヤから半額キャンペーンのお知らせが来てる。
 何これ?
 まあ、連休用のキャンペーンだと思うけど、これじゃあ表示価格でDVDを借りるのが
 バカらしくなる。
 「消費者」にそう思わせてしまうのは、会社としてはどうなんだろうか。


 本屋で雑誌を立ち読み。
 と、『移行期的混乱』を探すが、残念ながら六甲道の書店には置いていなかった。
 アマゾンで買うか。

 蓮池透『拉致』(かもがわ出版、2009年)
 蓮池透 池田香代子 鈴木邦男 森達也『拉致 2』
 蓮池透 太田昌国『拉致対論』(太田出版、2009年)
 をゲットする。

 
 写真集を見続ける(時にメモを取りながら)
 ん?
 何してんだ。
 オイラは編集者と違うぞ、とツッコミ入れながら。

 
 ごろんと横になって『拉致』を読み始める。
 これはブックレット形式の、100ページほどの本である。
 が、内容は濃いゾ。

 第一章の冒頭でいきなり、
 --------------------
  二〇〇二年の九月一七日から、すでに七年近くがたとうとしています。この日は、
 いうまでもなく、小泉首相が訪朝し、北朝鮮が日本人拉致を認めた日です。
 --------------------
 、とあった。

 偶然にしては、びっくりおどろき、なんとまあ。
 9月17日といえば、今日ではないか!
 
 しかし、この拉致関係のニュースは全く流れていない。
 ま、菅政権の組閣があるので、仕方ないのかな。
 おい!

 と、ウエブでチェックしてみると、毎日新聞が、新組閣に関連して拉致のことを
 取りあげていた。

 --------------------
 <北朝鮮拉致>新たな生存情報、中井担当相が示唆
 毎日新聞 9月17日(金)13時27分配信
 
 中井洽・拉致問題担当相は17日の閣議後会見で、北朝鮮による拉致問題に
 ついて触れ、「幾人かの方々のほぼ間違いない生存状況も確認がされつつある」
 と述べ、拉致被害者に関する新たな生存情報を得ていることを示唆した。
 具体名や人数には言及しなかった。

 中井氏はまた、こうした情報を先週、岡田克也外相に伝えたことも明らかにした。

 北朝鮮が日本人拉致を認めた日朝首脳会談から丸8年たったことについては
 「就任して1年、過去7年間の空白を埋めるべく情報収集等に全力を挙げた」
 と述べた。【合田月美】
 --------------------
 
 が、蓮池氏の『拉致』によると、この中井大臣は全く評価されていない。
 その理由もちゃんと述べられている。

 
 この2002年秋~といえば、個人的なバタバタもあり、またビルマに長期滞在して
 こともあり、この拉致問題情報にはあまり接することがなかった。
 
 今回初めて、北朝鮮の拉致に関してまともな書物を紐解いたことになる。
 しかし、日清・日露戦争と同じように、知らないことばかりであった。
 「救う会」と「家族会」の違いも分かったし。

 面白くなって、引き続き『拉致 2』も読了してしまう。

 しかし、メディアの責任は大きいな、って熟々思う。
 個人としての記者はいい人なんだが・・・っていうのは言い訳に過ぎないな、とも。
 例外はいくつかあるとしても、マスコミの大勢は会社員としての保身が強いと
 感じざるを得ない。

 蓮池氏は、
 --------------------
  日朝交渉の膠着を打開する上で、最近、大事だと感じる問題があります。
 それは、日本による過去の植民地支配の問題をどうとらえるのかということです。
 --------------------
 、という。

 ここで、「過去の植民地支配」を第二次世界大戦時だけにかぎっては不十分だろう。
 
 ちょうど直前に、『NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う』を読んでいて
 よかったと思う。

 朝鮮の問題を考える際は、最低限、明治維新直後からの日清・日露戦争が起こった
 当時の、日本による朝鮮侵略の歴史を学んでおかなければならないと思うのだが。
 そう考えると「坂上の雲」を放映したNHKは、極めて罪深い。

 なんか文句タラタラばかりの書き込みは、実際、イヤになるのだが(でも、なあ)
 
 
 ウトウト・・・(こういうときは、ラップトップをつけっぱなしで寝入ることが多い)

 


 ビルマ国営英字紙 『ミャンマーの新しい灯』 ( "The NEW LIGHT OF MYANMAR" )
 
のデータベース(主にPDF版)の案内です。

 以下、『ミャンマーの新しい灯』のサンプルページをアップしています。

 http://www.uzo.net/nlmexp/

 の [ 登録全データ ] で、数字 4 をクリックしてみてください。
  
 裁判関連のページだけ抜き出してみました。
 10MB近くありますので・・・。

 本体の『ミャンマーの新しい灯』("The NEW LIGHT OF MYANMAR")の
 ページ
には約12年分のPDFファイルをデータベース化しています。

 データベース使用料として、IDとPW の取得には料金(5~10万円が必要です)

 _DSC3148.jpg
( ↑ 大きくなります )
 
 ヤンゴン大学の前にやって来た。
 
 おお、偶然。
 今日は2010年度の卒業式であった。
 まさに、晴れの日である。

 
 無理して今日という日を着飾った人もいるようだ。
 父母の期待を一身に背負った若者もいるようだ。

 ビルマの将来は、ある意味、君たちの頑張りにかかっているんだから、
 って、無責任に思ったりする次第である。

 
 深夜3時過ぎ頃?、豪雨と雷のドッ~ンという衝撃音で目が覚める。
 窓が全開。
 大粒の雨が降り込んでいた。
 慌てて窓を閉める(もちろん、倉庫部屋も)

 と、気づくと枕元のラップトップがスリープモードのまま。
 知らぬ間に寝入っていたらしい。
 ペチペチペチペチペチ・・・しながら再度、寝入る。

 目が覚めたら昼過ぎ。
 爆睡状態。
 やっぱりお腹いっぱいになって寝入るとダメだわ。

 
 ちょいと焦り気味に時差のルーティーンに取りかかるが、あ、やっぱり、逃した。
 それでも、最低限のことは終わらせる。

 いくつか電話があったようだ。
 それも朝早く。
 慌てて返信をいくつか。

 
 こんな引きこもり気味、マイペースの私にでも仕事が入ってくるのが、イヤ、不思議。
 ほんと。
 だからこそ、過剰なサービスをしてしまう。
 お得ですよ(笑)


 9月の半ばにさしかかると、まあ、人の動きも激しくなるようで。
 辞職・退職・異動と、遠くはビルマやタイからも連絡(噂を含む)が入ってくる。
 それぞれの生活・生き方、各々方、さまざまですね。
 また、再会の予感X2もあったり。
 私もそんなお知らせを連絡できるようになりたい(4月1日じゃなくて・・・はは)


 写真スキャンに精を出す。
 今日は3本ばかりなり。

 
 ビルマでの20年ぶりの総選挙や「第三国定住」についてのニュースや情報が
 駆け巡る。

 で、ちょっと個人的な(って、公にしてるけど)メモ書きをしてみる。
 
 --------------------

 < 現場に居ることの自分(現場至上主義)を戒めるために >

 紛争 (紛争地) について、その現象を一括りできないのに、ひと言でまとめようとする。
 ビルマに行ってさえいないのに、自分の立場からのみビルマを語ろうとする。
 取材さえしていないのに、そのことについて報告しようとする。
 
 それもクリスタルクリア(これを見え見えだと評するのか?)に分かり易く。
 
 それほど今のビルマを知らない(と私は思うのだが)はずなのに・・・ビルマにおける
 紛争についての実際の現場を知らないのに、ビルマ社会やビルマ軍政の複雑さについて、
 その場の空気を知らない人が堂々と反論のできないような主張を展開できるのか
 不思議なのである。

 何だか捉えどころのない現象が起こっている。
 違和感を感じるのだな。

 というのも、私自身、18年間ビルマに通い続け取材を続けていながらも、
 ビルマについて、紛争(地)について、取材やメディアについてきっぱりと
 言い切るのに非常に(常に強い)ためらいを感じているからだ。
 
 どうして、それほどはっきりと言い切れるのか、私には不思議でならないのである。
 
 こう決めつけてしまっては失礼になるかもしれないが、彼ら彼女たちは正義の人、
 善意の人だからであろうか。
 
 もっとも自分自身は、比較的長期にビルマに関わっているから、他の者は
 黙れ!って言っているのではない。
 ただ、知りたいのである、どうしてそこまで言い切れるのか、と。

 その人の側からの基準 (スタンダード) からすれば、ビルマ国内の出来事や社会の
 あり方は、その基準に外れることばかりである。
 もちろんその人は、自分の側のスタンダートは国際基準、現時点では普遍的なであって
 (ちょっと矛盾しているが)、ビルマ軍政の対応は間違っている、と言いたいのであろうか。

 もちろん軍政は改善修正改めなければならないところはたくさんある。
 が、軍政の主張は一体どういうものなのか、落としどころはあるのか、彼・彼女の
 主張からは、そういう態度は全く見えない。
 
 彼らがそういう態度を取ることは、一体何を意味するのか分からない。
 現実を伝えたいから?
 よりよい社会を目指したいから? ─  ビルマ社会の現実(生活)を変えたいために?
 どれも薄っぺらい主張や態度に思えてならない。
 
 具体的にはビルマの問題について、どのように関わるべきなのか。
 その人はどうしてそこまで自信をもてるのだろうか。
 そういう躊躇がないような態度や主張には、私は同意できない。
 だから違和感を覚えてしまう。
 
 だからといって、現場に行っていないものは黙れ、といっているのではない
 ( 現場に行った人も、実は、輪を掛けて同じような主張をしているし )
 ビルマに関して何も言うな、といっているのではない。
 その主張の正しさのゆえに、ビルマの現実を変えるというより、その主張の広がりこそが
 目的化しているようにも感じるのである。
 いわゆる《少数派》の中であっても、やはり声の大きな人が幅をきかせている。
 
 取材者として、自分の意識のあり方や行動を再点検するにはどうすればいいのか、
 今になってもそのメカニズムをずっと検討しているのでR。
 
 これはビルマに関するだけの問題ではない。
 現場至上主義を戒めるには、さて、どういうアプローチがあるのだろうか。
 考え込んでしまう。
 ま、ここまでか。

 で、ちょいと混乱気味だし。
 ふむ。
 
 これ以上書くと、差し障りがあるし(笑)

 --------------------
 
 実は、混乱してる原因が分かっているだけに、ま、気が楽かな。
 そろそろギアチェンジが必要なんですね。
 うん。

 
 10日に「気になる記事(9月10日)」とエントリー記事を書いたのだが、
 http://blog.uzo.net/2010/09/post-3643.html

 
 VOAのビルマ語バージョンも気になっていたようだ。

 ASIA:Deadly Crime Story Emerges as Flash Point in Burma
  という記事を配信していた。

 http://www.voanews.com/english/news/asia/Deadly-Crime-Story-Emerges-as-Flash-Point-in-Burma-102619479.html?ref=nf'
 

 

いざ出動

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 地方都市における近場での移動手段は、足は、まだまだサイカー
 (サイドカー付き自転車タクシー)頼りである。
 
 DSCF0366.JPG

 いざ出動。

 朝早く、悪路をものともせず、お客が集まる四つ辻に向かうサイカーの運転手。


 朝のルーティーンを終え、ホッとする間もなく 連絡・調整・事務作業が続く。
 ぼやぼや。
 あたふた。
 
 あっと、気づくと、もう夕方。
 
 ついついボヤキモードに陥ってしまう。
 が、よく考えると、自分の好きな仕事(ちゅうかやりたいこと)で多忙を極める、
 ってのは仕合わせなことなんだなあ。
 
 やりたくないことで神経をすり減らすよりも、やりたいことでピキピキになる方が
 ずっとよい。

 
 と、高田渡の歌詞を読んでいたら、山之口獏の詩が唄になってた。
 「告別式」というタイトルである。
 
 う~ん、とこの詩は、もう一つ自分のテイストに合わない。
 
 で、このクソ忙しいのに山之口獏の『僕は文明をかなしんだ』(彌生書房、1997年)を
 取り出してしまう。

 パラパラ。
 あれ、あの詩はどこだと探してしまう。
 
 あ、あった。
 有名すぎる 「自己紹介」 という短い詩である。
 その昔、今の仕事を始めて、にっちもさっちも行かない時に出会った詩だけに衝撃だった。
 あれ以来、へこたれることが少なくなった。

 詩といえば、やはり北原白秋を忘れてはならない、と思う。
 彼の思想的な背景はトンと知らないが、その作品のひとつは確実に私の胸を打った。
 
 ウエブからコピペしました。

 --------------------

 
落葉松

 一
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 からまつをしみじみと見き。
 
 からまつはさびしかりけり。
 
 たびゆくはさびしかりけり。


 二
                 
 からまつの林を出でて、
 
 からまつの林に入りぬ。
 
 からまつの林に入りて、
 
 また細く道はつづけり。


 三
 
 からまつの林の奥も
 
 わが通る道はありけり。
 
 霧雨のかかる道なり。
 
 山風のかよふ道なり。


 四
 
 からまつの林の道は、
 
 われのみか、ひともかよひぬ。
 
 ほそぼそと通ふ道なり。
 
 さびさびといそぐ道なり。


 五
 
 からまつの林を過ぎて、
 
 ゆゑしらず歩みひそめつ。
 
 からまつはさびしかりけり、
 
 からまつとささやきにけり。


 六

 からまつの林を出でて、

 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。
 
 からまつのまたそのうへに。


 七
 
 からまつの林の雨は
 
 さびしけどいよよしづけし。
 
 かんこ鳥鳴けるのみなる。
 
 からまつの濡るるのみなる。


 八
 
 世の中よ、あはれなりけり。
 
 常なれどうれしかりけり。
 
 山川に山がはの音、
 
 からまつにからまつのかぜ。

 --------------------

 私がこの詩を知ったのは、中学2年生(14歳)の時であった。
 
 この詩が含む深い意味は理解できなかったが、国語担当の小林先生が口に出して
 読みあげる唐松(からまつ)というこの詩に、なぜか惹かれてしまった(ませたガキだったし)

 また、小林先生の詠み方・唄い方が極めて巧かった。
 リズムがあったし。

 信じられないことに、この唐松に刺戟を受けてしまって、自分でも詩を書いたことを
 不覚にも思い出してしまった。

 このあいだニューヨークの Keukmi さんが「詩の朗読って面白いっておもったよ」と
 いう通りである。

 
 写真を撮りながら、苛酷な現場であってもこんな詩のリズムでシャッターを切っている
 自分に、今振り返っていることに、気づく。
 
 
 夜、ワカメだけの夕食を喰らう。
 
 
 "A Thousand Years of Good Prayers" を見る。
 う、思ったよりなかなかの出来栄え。
 役者の腕を見せられた。

 忙しい時は詩に触れて、唸る映画を見終えて、ほっこりしながらウトウト。


 〝うに〟さんが9月14日のエントリー「空飛ぶ提灯」で、
 「チャイニーズ・ランタンが空を漂うところを見たことのあるかたはいらっしゃいますか?」
 http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/

 と問いかけられてましたので、写真で答えを。
 DSC_0207.JPG
 ( ↑ 大きくなります )

DSC_0205.JPG
( ↑ 大きくなります )

 これは北タイチェンマイの郊外のロイクラトンの風景です。
 
 (きっと)空や環境を汚しますけど、その幻想的な風景に心が洗われました。
 やっぱり人間の勝手かな・・・トホ。


 DSC_0027.JPG

 カレン州のパアン郊外の溜め池です。
 
 魚捕りに励んでいる女性です。

 ふと、その影を見ると、なんだか杵を搗いているようにも見えました。

 
 朝7時過ぎ起きる。
 ちょっと乱れた生活をすると、ついつい朝起きるのがつらい。

 PDFのゲラ修正。
 今日が締め切りの月刊誌。
 久しぶりにウンと納得のいく画面構成である。

 ちなみにPDFが出来てからチェックが楽になった。
 この数年でPDFファイルが一般化してきたなあ。
 写真でいえば、フィルムカメラ→「デジカメ」っていう感じだな。
 ま、これもアドビの掌の上にのっているのも癪だが。
 うむ。

 10時過ぎ、ゲラを返信し、ホッとひと息。

 朝のルーティーン作業を終え、これもひと息。
 ホッ。

 朝イチからCRTの画面を見続けていると、それもいつもより集中度を
 上げて頑張ると、やっぱり目がジンジンと疲れる。
 やたらと眼が重たい、疲れる。
 困ったわい。

 
 出動しよう。
 あ、今日はタマゴの安売り日じゃなかった。
 しゃないなあ。
 レタスが再び値下がりしてしている。
 JFX2と食パン、牛乳などを買って、ビュンと戻る。


 ちょっと焦り気味になるけど、身体の不調ばかりは仕方ない。
 それでも、ごろんとなりながら、積んでいる本をツン読する。
 パラパラ。


 今日もキャベツをきざんで夕食なり。
 お腹いっぱい。
 ごろり。

 『誰も守ってくれない』を見る。
 お、なかなかの内容と展開と画面作り。
 日本映画で久しぶりに凝った画面構成を見た感じ。
 タイトル以外はほとんどオーケー。

 ウトウトしたり寝入ったり。
 生活の乱れが・・・キワキワだよ。

 
 《 拙著『閉ざされた国 ビルマ』(高文研)について 》

 本稿146項の部分、
 --------------------------------------------------
 「日本政府は80年代、ビルマの自立化に向けて、農業機械・軽車両・電気電子製品・トラックバスの国産化を目論んだ「四工業プロジェクト」に数百億円規模を超える援助資金をつぎ込んでいた。そのプロジェクトを進めていたビルマの重工業公社の当時の総裁は、現在の軍政のトップであるタンシュエ議長でもある。タンシュエ議長が実験を握る背景に日本の援助は完全になかったと言い切れるのだろうか」(p.164)
 --------------------------------------------------
 に関して読者の方から、

 「当時の重工業公社の総裁は、重工業公社三代目の総裁 Than Shwe 中佐」で、現在の軍政トップのタンシュエ上級大将ではないとの指摘がありました。

 私が当該箇所を書く際に参考にした書籍の著者に確認をしますと、「タンシュエ」は、現ビルマ軍政のトップ「タンシュエ」ではない、との返信を受けました。

 そこで、「そのプロジェクトを進めていたビルマの重工業公社の当時の総裁は、現在の軍政のトップであるタンシュエ議長でもある。タンシュエ議長が実験を握る背景に日本の援助は完全になかったと言い切れるのだろうか」 の部分を削除したいと思います。
 
 ただ、「四工業プロジェクト」そのものは実際に実施されておりましたので、前段の、「日本政府は80年代、ビルマの自立化に向けて、農業機械・軽車両・電気電子製品・トラックバスの国産化を目論んだ「四工業プロジェクト」に数百億円規模を超える援助資金をつぎ込んでいた。」の箇所は、そのままとします。

午後はオフ

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 今朝は久しぶりに夜更かしで、ネットサーフィング(死語?)
 深夜に早めの朝食を喰らう。

 9時過ぎ起きる。
 ちょっと胃が重たい。
 
 今日も暑い。
 葦簀代わりのシーツ、毛布などを(冬に向けて)干していく。

 テレ朝のサンデーなんちゃらという番組(小宮さん司会)をラジオで聞く。
 と、この1週間の題材を「数字で表して」番組を作っていた。
 と、直近のオダジマンのコラムを思い出した。

 --------------------
  何かを数値に置き換える時には、多かれ少なかれ単純化という作業が
 介在する。数値化に伴って、数字になじまない要素が省略されることに
 なるのである。
 と、ある段階から、数字は、その数字の生みの親であるところの当事者に
 とって、他人行儀なものになる。不愉快で無神経で乱暴な、単なる結果と
 しての記号に。
 --------------------
 
 ウトウトしながら最低限のルーティーン作業を終える。
 目の前の締め切りは13日(月)のひとつだけになった。
 ここいらでちょいと休憩。
 今日は休みにしよう。
 うん。

 
 運動不足のため、歩いて出動。
 テクテク。
 やっぱり暑い。

 JPNにてアーモンド・チョコレート+ α などを買う。
 チョコを買うのは久しぶり。
 
 CDの無料券が2枚あるので、これまた久しぶりにCDを物色。
 棚に目をやると、ふと、高田渡の名前が目についた。
 高田渡の曲を、実は聴いたことがない。
 で、2枚借りる。

 DVDを物色。
 いやね、半額なので。
 『誰も守ってくれない』、"A Thousand Years of Good Prayers"
 "BUTTERFLY ON A WHEEL"  を借りる。

 汗だくで部屋に戻る。
 水シャワー。
 9月も半ばになろうというのにこの暑さは何なんだぁ。


 早速、高田渡の曲を聴く。
 うーん、自分のテイストには合わないかな。
 でも、60~70年代を歌う曲のようだな。
 ビートが打ち破れて、優しさの時代を代表するような。
 うむむ。

 
 "A Thousand Years of Good Prayers"
 
 "BUTTERFLY ON A WHEEL" を見るが。
 不倫だけでここまでするかのう。

 話の奥行きに無理があるような。
 撮影は凝っていたが、うむ。

 

 
 DASSK_003_1996.jpg
 U Kyi Maung (ウー・チーマウン)のイメージを見つける(1996年撮影)

 国民民主連盟(NLD)の副議長だった人ですね(2004年8月19日逝去)
 
 ウー・ティンウー ( U Tin Oo ) やウー・ウィンティン ( U Win Tin ) と共に、
 アウンサンスーチー氏の信頼が篤かった人物です。

 
 朝7時前に起きる。

 朝食はレタスいっぱいのチーズトーストとアイスコーヒー。
 いつも通り。

 とりあえず朝のルーティーン作業を終える。
 今日の太陽がギンギンギラギラだ。
 葦簀代わりの毛布を干す。
 これも昨日と同じ。

 
 原稿を書き始めるためにエンジンをかけなければ。
 どうもどん詰まり。猿人並の脳みそかな。

 エンジンにドライブをかけるための参考図書をパラパラ開く。
 このパターンで書くか。
 ようやく机の前に座って、キーボードを叩く。
 ペチペチペチペチペチ。
 下書きがようやく一段落。
 
 昼過ぎ、ふぅ、と休憩。
 
 
 頭を切り替えて、原稿用の写真を選ぶ。
 下書き原稿を修正ペチペチペチペチペチ。

 ちょいと身体を動かす。
 テクテク歩いて近くのCPへ。
 JFを2点ほど買う。
 テクテク歩いて帰る。
 ちょっと動くだけで汗だく。

 
 写真スキャン作業をフィルム1本分だけ。
 まだ#14か。
 
 
 原稿、最後の修正。
 集中力を高めて、何度もペチペチペチペチペチ。
 ふぅ、これでなんとか整った(なぁ)
 ビュンと送信。


 気合いを入れて追加カレーを作る。
 茄子と大蒜をたっぷり入れる。
 
 
 今週はいろいろ頑張った。
 原稿を仕上げたところで、自分へのご褒美をあげましょう。
 オダジマンの『我が心はICにあらず』を開く。
 何度読んでも飽きない本だ。

 カラカラ笑いながら読み続ける。
 と、途中で笑えないその内容に怖くなった。
 この本が書かれたのは今から20年ほど前。
 なんとまあ、今と同じじゃないか。
 というか、今を予言していたかのようだ。

 --------------------
  「パーソナルパブリッシング」を「テクノロジーの進歩によって、社内文書の
 ようなものを印刷やの手を煩わせることなく簡便に作れるようになること」ぐらい
 に限定すれば、話は簡単なのだが、これを直訳して「個人的な出版事業」という
 ふうに考えると、これはちょいとヤバい。
 pp.73-74

  「高度情報社会」という言葉が使われる場所では、情報はより多くてより
 流動性が高いほど良いみたいに言われることになっている。なぜかといえば、
 その方が電通が儲かるからだ。
 pp.75-76

  結局のところ、テレビというものは「マス」のものなのであって、コンピュータ
 は「パソ」のものだ。なんだかわけの分からない理屈だがとにかくそういうことだ。
  仮にコンピュータがマスのものになったらこれはおそろしいことになるに違いない。
 p.85

 --------------------

 今、パソコンはマスのモノになった。
 恐ろしいことになっている。

 で、この本を、ケラケラと笑いながら、と同時に、顔を引き攣らせながら読み続ける。
 わはは、はは。
 ううぅ。


 昔のフィルムをツラツラ眺めていたら、思いがけないイメージが続々と見つかって、
 いや~、面白いのなんの。
 
Yangon_0008.jpg

( ↑ 大きくなります )

 これはヤンゴン港から見たラングーン(ヤンゴン)の光景。
 左に見えるはシュエダゴン・パゴダ。
 右に見えるはスーレー・パゴダ。
 
 今となっては、ヤンゴンを代表するこの2つのパゴダを同時に見ることが、果たして
 できるのかどうか。
 
 1990年代~2000年と2001年~2010年を比べると、後者の
 10年間における都市開発のスピードは加速度的に進んでいるようだ。
 ふむ。


 本日(9月10日)の『ミャンマーの新しい灯』 ("The NEW LIGHT OF MYANMAR" )
 にまたまた気になる記事が出てました。

 選挙関連です。

 NLM.jpg
 ( ↑ 大きくなります 9MB )

 'Let's vote to choose reliabel reprsentatives' というような、
 ビルマ軍政下で、不公正な選挙体制を民主主義の根幹だといっている。

 気になったのは、この部分。
 --------------------
 Whoever is found guilty of disturbing the People from casting vote
 in elections may face a one -year prison term or a fine of 100,000 kyats
 or both.

 --------------------
 
 これってアウンサンスーチー氏を自宅軟禁を延長するための布石?
 そうならなければいいんだが。
 ふむ。


 もうひとつ気になった記事が。

 NLM.jpg
 ( ↑ 大きくなります )
 
 ここまで大きな記事として取りあげるとは。
 何か表沙汰に出来ない複雑な背景があるのではないかと勘ぐってしまう。
 ふむ。

 
 6時過ぎ、目を覚ます。
 
 今朝から朝食に大量のパリパリの新鮮レタスを加える。
 で、いつものチーズトーストとアイスコーヒーとタバスコをドバッ。
 
 原稿の第一の締め切りは今日だが・・・どうも乗らない。
 困ったなあ。
 で、連絡一報、明日に延ばしてもらう。

 
 さ、そろそろ処分態勢に入るか。
 まずは、15年間お世話になった 100cc のスクーターにさようならをする。 
 汗をかきかき、ちかくのバイク屋に持ち込む。
 バイク屋までは下り坂だったから、自転車感覚で。
 しかし、スクーターをいえども 100cc は車体が重たい。
 実は、ヒィヒィいいました。
 処分料1500円を払って、はい、バイバイ。
 テクテク歩いて部屋に戻って、汗だく X3

 汗が乾く間もなく、ビュンと図書館へ。
 借りていた本をカウンターで返却し、そのまま引き続き借り出す。
 (この2冊、予約が入らないんだな~、っと)
 
 安売りローファット牛乳2本とJFを買って帰る。

 水浴びして、ホッと身体を休める。
 
 
 で、作業をいつもの作業を続ける。
 写真選び、ようやく第一バッチの終わりが見えてきた。
 いろいろと面白い写真が出てきて、びっくり。
 
 拡大したら、お、いろいろな映像が出て来た。
 
 おぉ、U Kyi Maung (ウー・チーマウン)のイメージもあった。
 国民民主連盟(NLD)の副議長だった人ですね。
 アウンサンスーチー氏の信任も厚かった人です。
 
 写真選びと写真スキャナを同時に進める。
 フラット・スキャナとフィルムスキャナを同時に作動させてると、ただでさえ
 暑い部屋の気温がますます上がってくる( PCは VistaXP の2台だし)


 Twitter(2) をのぞくと、うわ、『週刊金曜日』の「風速計」にて、
 安川氏が佐高信さんから批判されている(敵から見たら(佐高 信) 2010/9/10)
 http://www.kinyobi.co.jp/backnum/data/fusokukei/data_fusokukei_kiji.php?no=1354

 ちょうど、中塚明/安川寿之輔/醍醐聰『「坂の上の雲」の歴史認識を問う』(高文研)の、
 安川センセ担当の章を読み終えたところなので、その coincident にびっくりしてしまった。

 福田諭吉や丸山真男を、時代を抜きにしてその思想と行動(生活)を見るのではなく、
 歴史的な文脈の中に、特に日清戦争・日露戦争という時代に当てはめて考えると面白い
 と思うのだが。

 ま、この方面、あまり詳しくないし、機会があれば勉強しなければなあ、と。

 
 焼き肉とシメジ・ワカメ・ジャガイモ・エノキの味噌汁でお腹いっぱい。

 22時過ぎ、ウトウト。
 

 
 ヒンヤリとした秋風で目覚めるのはホント心地よい。
 窓の外を見ると、遠くは関空~和歌山方面まで見える。
 この地を離れ難いなぁ、ってふとつぶやく。

 チーズトーストとアイスコーヒー&タバスコをドボドボ。

 朝からフィルムの見直し作業を始める。
 
1996年分である。
 おお!
 これは見おとしていた、っていうイメージをいくつか発見。

 さて、これはフラットスキャナで取り込むか。
 それともフィルムスキャナにするか。
 ちょいと迷う。

 スキャナをしながら写真選びをしていたら、作業が捗らな~い。

 
 あっという間に昼だ。
 
 冷やしウドンを喰らう。

 午後遅く、買い物へビュン。

 若布やお肉、円高還元グレープフルーツ、食パン、JFなど。
 茄子が安くなっている。

 
 JFを喰らいながら、午後の作業に取りかかる。
 そろそろと目がしょぼつき始める。

 
 原稿の締め切りは、明日だよ、って自分に言い聞かせたりして。
 
 
 18時過ぎ、作業手を止める。
 予定の半分しか進まなかった。
 がっくり。

 
 ネットで情報収集。
 で、ふと思いつく。

 インターネットを使って、自分が興味のある情報をそこそこ仕入れていると、
 なんだか自分がその筋に精通しているように感じる。

 が、そんな思い上がりは取材現場に出ると、いかにあまっちょろい認識だったと
 いつも思い知らされる。

 そう体感するうちは、まだ自分のまともさを信じられる。
 なぁ。


 21時過ぎ、ごろり。
 うとうと。


 1996年6月撮影のフィルムをチェックしていて、ふと気づいた。
 
 YCDC ( Yangon City Development Committee ) の正面に掲げられた
 USDA ( Union Solidarity and Development Association ) の看板を見つけたのだよ。
 USDA_1996.jpg
 
 USDAの設立が
1993年だったから、このビルマ軍事政権の傀儡団体ができてから約3年後の
 ことだな。

 この時はあまりUSDAの正体に関してあまりヤイヤイ追求されていなかった。
 が、当時の写真を見てみると、やっぱり政府と一体となった団体だったことは一目瞭然である。
 なにせYCDCという市庁舎に堂々と看板が掲げられていたんだから。
 
 USDAは今、USDP ( Union Solidarity and Development Party ) と名前を変えて、
 見せかけだけの「総選挙」にのぞもうとしているんだな。


 ビルマ北部、カチン州の山の奥を訪れる(結構、山奥)

 村の中でも大きな家に招かれる。
 その夜はその家で泊まりとなる。

 と、家の入口には狩りで仕留めた(であろう)猿の頭蓋骨が2つ。
 DSC_3340.jpg

 何かのおまじない?
 それとも単なる飾り?

 ひとつは縦置き、ひとつは横向き。
 飾りにしては意図的だなあ。

 何かこの地域(ラワン族)で言い伝えのあるやり方なんだろう。
 そのうちビルマの人が調べるだろう・・・(きっと)

 
 台風一過の秋晴れとは行かないが、エアコンなしで過ごせる日になりそうだ。

 チーズトーストとアイスコーヒーをとったあと、すぐに机の前に座る。

 まずは写真選びから。
 今日は2002-2003年のポジである。
 ライトボックスをセットした後、無理をせずにと自分に言い聞かせながら、
 ルーペをのぞいていく。

 
 11時半、ひと休み。
 冷やしウドンを喰らう。

 ちょいと休憩して、昼の部に取りかかる。

 
 写真を選びながら、結構、スキャンの必要な写真を見つける。
 2002年にビルマを訪問したOKY氏のポジ写真が出てきたりして。
 ほぉ。

 また、スキャンのうちでもフィルムスキャナが必要な物もいくつか。
 ふぅ、である。

 
 東京の編集部から電話あり。
 PDFでゲラ送りますから、と。

 と、ゲラを確認。
 連絡がないと思っていたが、想像以上に見せる誌面展開ですね。
 久しぶりに、ほぉ、って感じた画面構成とデザインですねー。
 ちょいと冷やしてチェックを入れよう。


 15時半過ぎ、写真選びの今日の分を終える。
  

 さ、出動だ。
 台風が通り過ぎた後、生ぬるい風の中、早足で歩く。
 近場だけにしようと思っていたが、結局、駅前まで足を延ばしてしまう。

 
 駅前の本屋で立ち読み。
 週刊誌・月刊誌をパラパラ。
 "COURRIE Japon"(『クーリエ・ジャポン』)っていう月刊誌を手に取る。
 と、ビルマに関しての短信が出てた。
 
 イラワジやベンからの引用も散りばめてるけど、それだけ。
 お話にならないまとめよう。
 チョコチョコッとインターネットで検索して+αを加えると、大学生でも書ける
 内容だな・・・。
 
 が、インドのマオイストの転載記事があったので、ま、手に取った甲斐があった
 という感じ、かな。
 なかなかこういう記事は日本の雑誌ではお目にかかることがない。
 こういう特集に特化すれば、部数は出ないけれど固定読者がつくんではないかな、
 と思うのは雑誌発行に関して、素人の考え?(きっと)

 
 スーパーに寄る。
 スーパー内の鮮魚店が廃業していたのにはびっくり。
 
 元鮮魚店があったコーナーだけが、ガラッと空洞。
 改めて日本経済の厳しさを実感する。
 米国の1985年前後、っていう感じかな。

 新鮮なレタスとしめじ、野菜餃子などを買る。
 帰り道、八百屋スーパーにてジャガイモを買う。
 新鮮ぽい土の付いた6個入り100円。
 デイ・パックがずしりと重たくなる。


 汗だくになって部屋に戻り、水シャワーを浴びる。
 ああ、気持がよい。

 
 ひと息ついて、スキャナ作業に取りかかる。
 今日は2本分はできそうだ。

 
 ▓▓ 新聞からコチョコチョ、っと電話インタビューぽいものがある。
 コチョコチョ、っと答える。

 
 " INVICTUS " (『負けざる者たち』)を見る。
 マット・デイモンだもの。

 画面の展開がぶつ切り気味。
 編集がもひとつ。
 南アフリカの歴史がキチンと描かれていないようで、話の盛り上がりに
 もひとつ欠ける。
 テレビ映画でもよかったのでは、と思った次第。


 枕元に飲み物を置いて、窓を全開にして寝入る。
 ぐー。

 
 ちょいと寝過ごして7時過ぎ目が覚める。
 疲労感はやや回復気味。
 それでも、よっこらしょ、っていう感じ。

 チーズトースト・ダブルを喰らう。
 
 台風が近づいているせいか、風が強い。

 時間を逆算。
 あ、『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』を返さねば。
 しかし、「不愉快」にさせる本だったなぁ。
 が、この本の目的がそれだったなら、まんまとそれに嵌ってしまった
 ことになる。
 不愉快に感じるそのこと自体の意味を考える必要があるんだが。
  くっ。

 最新版1日借り出しの "SURVEILANCE" を返却。
 
 で、汗だくでノロリと移動。
 ミッション、ってか。
 
 急ぎ部屋に戻り、身体を休める。
 とりあえず元気にならねば何も出来ない。
 もうひと寝入り。
 くー。

 18時過ぎからようやく動き始める。

 ゴマ鯖と山盛りのキャベツの千切りを喰らう。
 ああ、早く秋刀魚を食べないなあ。
 
 しっかし、キャベツを刻んでいる時、邪念が飛び無色透明、無心に
 なれるのがイイな。
 ふぅ。

 昨日の午後からニュースに接していない。
 また日々動きの速いニュースを追いかける気分にもなれない。
 ツイートも、見たまんまの画面から始めることにする。
 それよりも、ま、とりあえず、寝よう。
 うん。



 本日(9月7日)の『ミャンマーの新しい灯』 ( The NEW LIGHT OF MYANMAR ) です。
 nlm_07_09_2010.jpg
 ( ↑ 大きくなります )

 「大和総研ホールディングス」の経営者陣が、ビルマ軍政の高官と会ってますね。
 
 日本政府の高官が軍政幹部と会えないのに比べて、民間は活発に動いているような。

 というより、もしかしたら日本政府は既に、総選挙後に向けて、実は色々な手を打っているとか。
 
 というのも、ビルマというリスクの大きい国に関して、民間だけで独自に動くというのも考えられ
 ないからね。

 ちなみに、今回の記事中、大和総研の社長の名前が、Takashi Fukai ではなく
 Takashi Fukia って綴りが間違ってますけど。
 お茶目だね。

MOUSTACHE BROTHERS

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 マンダレーの喜劇団、マスターシェ・ブラザース ( MOUSTACHE BROTHERS ) の
 ウー・パパレイ兄弟です。

 DSC_9512.jpg
 後ろが PAR PARLAY、前に LU ZAW、写真に写ってませんが、もう一人、いとこの LU MAW が
 います。

 いつ訪れても暖かく迎えてくれます。

 総選挙を前に、さて、どんなアイロニーを披露しているのだろうか。
 政府批判をするには、やっぱり笑いが一番ですから。
 うん。



 昨日、オンラインでニュースを見ていたら、冬虫夏草の話題が出ていた。

 私もビルマ(ミャンマー)最北のカチン州で手にしました。
 
 これですね。
 DSCF2480.jpg

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 「冬虫夏草」金属粉塗り重量増、中国で悪徳商法
  ─読売新聞 9月5日(日)19時28分配信
 
 【北京=佐伯聡士】日本でも人気がある漢方薬の材料
 「冬虫夏草(とうちゅうかそう)」をより高く売るため、
 金属粉を塗りつけたり液を注入したりして重さを増やす
 悪徳商法が中国で横行していることがわかった。

 5日付中国紙「北京青年報」が伝えた。

 冬虫夏草は投機対象にもなっており、現在1グラム当たり
 約600元(約7400円)で、30年前の1000倍
 以上の高価格。

 ・・・・・・。

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 ラングーン(ヤンゴン)の下町を歩くと、街角に "VISIT MYANMAR YEAR 1996"
 ( 「ミャンマー観光年 1996 」 ) の看板を見ることができる。

 DSC_0683.jpg
 
 今から15年前の観光キャンペーンである。
 当時、年間の観光客50万人を目指していた。

 ビルマ(ミャンマー)に入国する観光客は現在、年間およそ20万人をこえる
 くらいだろうか。

 
 

 
 朝5時半に目を覚ます。
 
 今朝は5枚切り食パンを3枚喰らい、アイスコーヒーをぐぴぃと飲む。

 
 6時には作業仕事を始める。
 9時過ぎ、NHKラジオで管 VS 小沢の討論を聞く。
 うーん、引き算でしか考えられないなあ。

 昼過ぎ、前日のカレーを喰らう。
 うめぇ。


 14時過ぎ、ひと休み。


 ビュンと出動。
 JJとGCをはしご。
 大安売りの青箱石鹸と下着を買う。
 空っぽの冷蔵庫のため、チーズやローファット牛乳など最低限の食料を買い込む。
 
 Tに寄ると誘惑ばかりなり。
 "SURVEILANCE""THE DESCENT -PART2""Clean""INVICTUS" などを
 借りてしまう。
 "INVICTUS" は、マット・デイモンだよね。

 
 電話を一本かける。
 と、いきなり、相手側は "メイ" (「はい」) ってカレン語で返事をしてきた。
 たった一言だけど、久しぶりのカレン語だ。
 いきなり現実感が甦ってきたよ。
 で、情報求む、と。


 写真スキャンは11まで終了。
 ようやく1/10っていうところか
 こういうのは1年かけて、コツコツするしかないなあ。
 今日はしっかりと仕事が捗ったなあ。

 
 "SURVEILANCE" はなかなか巧く出来ている。
 米国らしく、暴力とポルノが合体ですけど。
 Jennifer Lynch が監督ですな。
 David Lynch の娘ですか。
 親子鷹っていうわけか。
 
 ウトウト。


 本日(9月5日)の『ミャンマーの新しい灯』の論説です。
 "Reaching the Marginalized: Empowering women with literacy" ってある。

 が、
 
果たしてビルマ(ミャンマー)の国家予算のどのくらいが教育や医療に割り当て
 られているのか。
 
 そのことを書かないで、エジプトやネパールの例を出しても、全く説得力がない。

 NLM.jpg
 ( ↑ 12MBあります)


 ビルマとタイの国境をまたぐ「友好橋」 ( Friendship Bridge ) が本格的に造り始め
 られたのは1995年頃だった。
 
 両国の国境線の川は、ビルマ語では、タウンジン河 ( Thaungyin River ) といい、
 タイ語ではモエイ河 ( Moei River ) と呼ばれる。
 IMG_95_3.jpg


 現在、援助や取材の拠点となるメソットの町から一番近い難民キャンプといえば
 メラ(ベクロー)キャンプである。
 
 バンコクから夜行バスで約8時間ほどのタイ西北部に位置する。

 そのメラキャンプ内には、ビルマから逃れたカレン人たちが多く暮らす。
 もっとも、ビルマ難民といえども、「カレン人」である。
 そこは、メソットから車で(あるいはソンテウで半時間ほどだろうか)

 もっとも、2000年前後まで、キャンプといえば、ホイックローキャンプ
 ( Huay Ka Lok <Wangka> refugee camp ) であった。
 
 何せメソットから近かった。
 バイクで10分ほどだったから。
 
 もちろん、キャンプからメソットに買い物や出稼ぎにくるカレン人も多かった。
 その頃、メソットにはビルマ人よりもカレン人の方が、もちろん多かったし。

 
 ホイックロー・キャンプは1984年に出来た、公になったキャンプとしては、最も古い
 キャンプでもあった。
 IMG_0004.jpg
 
 ホイックロー・キャンプで学ぶ男の子。
 学校の施設は十分ではなく、いったん雨が降ると地面はビチャビチャになり、
 多くの子どもたちが泥だらけの足元で走る回ることになる。

 
 5時過ぎに目が覚める。
 久しぶりに爆睡。
 
 お腹がペコペコにすいている。
 そりゃそうだ。
 前日の昼前、11時半頃に昼食を食べて以来、胃に何も入れていなかった。
 
 お腹がくぅ~ってなっている。
 よしよし。

 
 チーズトーストとアイスコーヒーを胃に流し込んで、今日も一日が始まる。

 シーツを干す。
 これも昨日と同じ。


 ライトボックスをセットし、写真のセレクトを始める。
 自分で撮影した写真ながら、なかなか面白い。
 っていうか、例えば15年ほど前の撮影時と今とでは、もちろん写真の見方が
 違っているのである。
 それが面白い。
 自分の意識の変化が如実に画像に現れている。
 
 また、あ、こんなイメージを撮していたのか、っていう驚きもあり。


 ちょっと味の濃い目の野菜炒めを喰らう。
 半時間ほどごろり。

 
 写真のセレクト、午後の部である。
 夕方まで目を酷使かな。
 今日はフィルムスキャンはできないな。
 
 
 ブロッコリーカレーを作る。
 暑い時はカレーにかぎるな、うん。
 
 19時過ぎ、ゴロリとなってたら眠気が襲ってきた。
  
 今日は布団なしで、22時前には寝る。


 ビルマ東部カレン州とタイ西北部ターク県メソット間の国境ゲートは、まだ閉じられて
 いるようだ。
 
 国境貿易に多大な影響が起きているようです。
 閉鎖の理由はいろいろと取り沙汰されているようだが。
 
 ま、それはさておき、1997年も同じ所で国境問題が起こっていた。
 
 雨季がくるたびに、両国の国境線の川でもあったモエイ河 ( Moei River:タイ語 )
 =タウンジン河 ( Thaungyin River:ビルマ語 ) が氾濫し、毎年のように国境線が
 変わっていた。

 そこで、タイ側が護岸工事を始めた。

 そこで自国の領土への侵食をおそれたビルマ政府は抗議し、戦車(だったかな?)
 まで出してタイ側の護岸工事を阻止しようとした。

 結局、両国共々、河の流れが自国の領土に食いこまないように工事を始めること
 になった。

 国際的なニュースでは緊張感ピリピリの両国であった。
 が、実際はのどかなもので、写真にあるように(タイ側からビルマ側をのぞむ)
 ビルマ側からジャブジャブと川の中を歩いてタイ側にやってくるビルマ人も
 多かった。
 IMG_0003.jpg
 ( ↑ 大きくなります :タイ側の護岸工事に従事するビルマ人たち )

 しかも、
 タイ側の護岸工事で仕事に従事しているのは、タイ人ではなくビルマ人である。
 えっ、なんで?

 現場の監督に聞いてみると、
 「そりゃ、当たり前だろ。ビルマ人の方が労賃が安いんだから」
 と。

 国境線を確定するような問題であっても、やっぱりお金の事は国境を越えるんだ。
 な~んだ、ということであった。

 
 

雨水で水浴び

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 ビルマの雨季は半端じゃない。
 半端じゃないのは雨の降り方である。

 時に激しい雨が叩きつける。
 或いは、急な降雨もある。

 パタパタと大きな雨粒が落ちてきたと思ったら、5秒後、ザーァという
 音を伴った豪雨。
 慌てて店の軒下に走り込んだと思ったら、あ、もう止んだ。
 15秒ほどの走り雨。
 びっくりした。

cu00635.jpg

 
 雨が降り続き、数分もすると樋から雨水が溢れ出る。
 その水で水浴びをするのだ(マンダレー)
 気持ちよさそうでもある。
 うん。

 
 深夜、いきなり右足のふくらはぎが攣る。
 いわゆる「こむら返り」である。
 うう、痛い (∋_∈)
 約半時間ほど、七転八倒、唸る。
 
 と、ほどなく寝入ってた。
 
 
 6時過ぎ、目が覚める。
 左足の甲にひっかき傷と生傷が。
 うっすらと血がにじんでいる。
 
 どうやら半分寝ぼけ眼で、こむら返りの痛みを耐えるために
 自分でかきむしったようだ。
 あれま。

 
 タバスコぎんぎんのチーズトーストを喰らい、アイスコーヒーを飲む。

 
 朝のルーティーンをちゃっちゃと終え、写真のセレクトに取りかかる。
 
 ひたすらライトボックスのスライド写真をチェックする。
 或いはモノクロ写真のコンタクトシート(ベタ焼き)を眺める。
 
 時に、あっ、こんな写真を撮ってたんだと自分でもびっくり。
 記録されたものだけが記憶される(@宮本)というのを実感。

 しかも、この言葉に、今起こっていることを「伝える」という役割をどう付け
 加えればよいのか。
 フムムと考える。

 
 昼は野菜餃子とカレーコロッケを喰らう。
 

 午後は、相変わらず写真のスキャン作業。
 単調だなぁ。

 
 午後5時過ぎ、作業の手を止めてゴロリ。
 知らぬ間に寝入ってた。

 
 夜、いくつか電話あり。
 ぼんやり頭で応答する。
 
 ラップトップを立ち上げるが、そのまま寝入る。

 背中にゴツゴツ当ってちょい痛い孟宗竹シーツ上で熟睡なり。
 


 本日 ( 9月3日 ) の『ミャンマーの新しい灯』のトップは日本関連記事。
 なぜか最近、日本についての記事が目につくような。
 
 もっとも、軍政ビルマ(ミャンマー)の本丸、首都ネピドーの政治とは
 無縁のような気もするが。
 ふむ。
 NLM_03_09_2010.jpg


 ( ↑ 大きくなります )


 写真のスキャン作業をしていて、ファイルから紙片が ハラリと落ちた。
 
 読める人には読める。
 うん。

 KTL.jpg


 ビルマ(ミャンマー)の旧首都ラングーン(ヤンゴン)では新しい
 ショッピングセンターがあちこちに見かけるようになってきた。
 
 そんな一方、第2の都市マンダレーの旧式市場は、なにかと頑張っている。

 そんな旧式の市場に商品を卸すため、人びとは仕事に励む。
 タイヤを再利用して履き物を作る男たち。
 DSC_7024.jpg


 ちょいと睡眠不足気味だが、朝6時前には目が覚める。
 いそいそと起きだし、まずはゴミ捨て。
 ちょっとずつ、不要な物(まずは可燃物から)を処分し始めねば。
 
 チーズトーストを喰らう。
 刺激物のタバスコをペッペッと振りかけて。
 そいやこの前、"ORIENT EXPRSS" を見ていたら、タバスコが画面に出ていた。
 今とまったく同じ銘柄。

 マヨネーズなどは数社から異なったブランドの商品が売られているが、
 このタバスコだけは、一社が独占販売しているような。
 参入が難しいのかな?
 それとも利益率が低い?
 
 
 朝のルーティーン作業を終える。
 ふぅ。

 葦簀よしず代わりのシーツを干す。

 
 さ、写真選び、今日から次の段階だ。
 押し入れから半透明の化粧ケース4つを引っ張り出す。
 あたふた。
 ふぅ、それだけで汗だく。
 
 化粧ケースの中には、除湿剤が入ったスライドフィルムがドンと入っている。
 
 まずは北中米分とアジア分を分ける。
 アジア分からビルマとカレンのスライドケースとファイルを引っこ抜く。
 マウント分のスライドだから、結構重たい。
 エアコンがかかっているのに、汗だく。

 ひと息入れて、机の上にライトボックスとルーペを用意する。
 さ、やろか。
 コツコツとスライドフィルムを一枚一枚、ルーペで見ていく。
 目が、パシパシ(◎_◎)


 昼は茄子&野菜スパゲッチィ。
 うっ、食べ過ぎた。

 しばしゴロリ。

 さ、スライドチェックの続きだ。
 
 15時過ぎ出動。
 大阪のAPのオフィスへ。
 
 オヤジさんは相変わらず忙しそう。

 で、その前に、電子出版の担当者と意見交換と今後の展望について打ち合わせ。
 

 うーん、そうなんですね。
 そんなに簡単じゃあないんですね。
 紙媒体をそのまま iPad に移せばいいというものではないんですね。
 お気軽な電子出版はすぐに淘汰されるのは目に見えている。

 じゃあ、どうすれば?
 そこが難しい。
 
 iPad さえ持ってない・使いこなしていない自分自身でさえもが写真を
 メインにした電子出版を考えること自体、どこかおかしいのである。
 
 ま、お気軽だから。
 
 そっ、twitter みたいに。

 Twitter を万能のように歓喜する人もいるが、ちょいと違うなあ。
 もちろん、有用なツールであるが、何をどう、誰に発信するのか、使っている
 人が分かっていない。
 
 印象として、切れのよい「刃物」を手に入れた原始人みたい。
 何かしらそれで、浮ついているような気がしているんじゃないか?

 
 一種類の刃物で、魚・野菜・肉、紙も木も、なんでも一緒くたに切り刻んで
 いるような。
 鉈で刺身のつまを作ろうと、ダイコンのかつらむきをしているかのよう。
 
 武器を手にして喜んでいる原人だな。
 あの有名な映画の冒頭のシーンみたいに。

 確かに非常時には、一種類の刃物で全てを賄うのが理想である。
 
 でもね。
 これだけ細分化・専門化された社会で、たったひとつの刃物であれこれしようと
 するには無理がある。

 Twitter を使っているようで、実は twitter を含む今のネットメディアに
 使われている(操作されている)っていうことに気づいていないよ。
 特に、ある種、一部のメディア関係者たちは。

 
 ネットで写真雑誌を配信するには、それなりのクオリティー(質じゃないよ)
 が必要なんだな。
 
 
 オヤジ氏を含めて次の打ち合わせ。
 うーん、こちらはもっとややこしい。
 さて、どうすべ?
 あれこれぐっちゃら。

 20時半、ま、そういうことで散会。


 久しぶりの打ち合わせでぐったり疲れる。
 駅まで歩いて行くときも、なぜかフラフラ。
 地に足がついていない。

 駅のプラットフォームでも電車待ちするのにも、列の先頭に立つのは
 ちょいと怖い。
 それほどフ~ラフラ。
 
 
 部屋に戻って、まずは水シャワー。
 ひと息したところで、電話がいくつもあり。
 ふむふむ。

 あれこれいくつもの囁きあり。
 

 22時過ぎ、知らぬ間に、寝入ってしまう。
 


 今日(9月2日)の『ミャンマーの新しい灯』のトップページの写真を見て、
 ん?(こればっかりですけどー)
 って感じた。
 NLM_02_09_2010-01.jpg
 
 これです( ↑ 大きくなります )

 大広間にがん首揃えてます。
 
 ま、それはそれとして。
 気になったのは、机の上のPCの液晶と机の下に並んだPC群。
 
 なんで、ランで結ばないで、一台一台が独立してんだ?
 もしかしてセキュリティーの関係で?(まさか)
 
 一見すると、PCを使って先端模様の会議をしているようだが、実は、
 思っているほど通信のネットワークは進んでないということがわかるんですが
 (地方では光ケーブルを埋設しているというのに・・・)


  今日(9月2日)の『ミャンマーの新しい灯』を見てみると、
  日緬(ビルマ)両国は観光産業の促進するんだって。
 
  じゃあ、観光ビザもすんなりと出してね。
  選挙に関係なく(笑)・・・じゃあ、観光ビザで取材するなっ、ってか?(自爆)

 NLM_02_09_2010-02.jpg


    
    ビルマ(ミャンマー)政府による人権報告書が10月に出るそうな。

 NLM_01_09_2010.jpg
    (日付けは合成)

   以前から気になっていて、一度読んでみたいのだが、ヤンゴン市内の書店で
   手に入るのかな。
 
   どないなもんだ?

 
 今日も酷暑。
 寝起きがつらい。
 やっぱりエアコンは身体が鈍ってしまう。

 チーズトーストを喰らって、朝のルーティーン作業を終わらせる。
 机の前に座るだけでエネルギーを使ってしまうのだ。

 
 訳あって、ビュンと裏の大学の図書館へ。
 うわ、今日は休館ですかぁ。
 それだけでぐったり。

 
 訳あって、新幹線の駅ターミナルまで。
 時間までモールのコンプレックスを散策しようにも、ほとんどの店の
 営業開始は11時から。

 暑い中、外でソフトクリームをベロリと食べながら時間つぶし。
 ついでに、スーパーでキャベツなどを買う。
 月初めの安売りで、1コ98円也。

 
 いつもの店で韓国ランチを喰らう。
 うー、美味しい。
 お腹いっぱいになってしまう。
 
 
 部屋に戻ると、ごろんと昼寝モードへ。
 が、お腹いっぱいになりすぎで眠られず。
 かといって、集中した仕事ができず。
 
 フィルムスキャンに精を出す。
 今日はモノクロ分 「ナンバー7」 まで終わり。
 35年前のビルマの貴重な様子を眺めながらスキャナを動かす。
 
 で、ようやく眠気が襲ってくる。
 再度ごろり。
 
 極めて低調な仕事モード。
 ま、頑張りもほどほどにせな(お互いに、ね)

 
 最近、ビルマ(ミャンマー)でもようやくインターネット・ビジネスが個人レベルで
 行われるようになってきたようだ。

 ビルマからダイレクトでホスティング業務やウエブ制作などのスパムメールが
 来るようになった (喜ぶべきか?、悩ましいところ )
 
 で、この日のためにドメインをいくつか(も)取得しておいたんだ。

 が、やっぱり個人レベルのビジネスはビルマ民族が多く、各諸民族の人びとは
 もう少し待たねばならない情況のようだ。
 地方でのインターネットインフラは整備されていないのが感覚としても分かる。
 うん。

水浴びしたい

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 日本は(関西)9月に入っても猛暑が続きます。
 こんな日々は、汗かいて水浴びして、ごろんと昼寝をしたいものです。

 ビルマ・シャン州の水牛は、陽が暮れる寸前まで水の中で身体を冷やしておりまする。
 
 ああ、羨ましい。
 ADSCN0028.JPG

2011年6月

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