レンズ装置としての皇室、ってか

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 9時前目を覚ます。
 おねおね、ぐずぐず。

 レタスとブロッコリー、それにチーズトーストを喰らって、腹をおこす。
 ふぅ。
 
 
 10時過ぎ、ビュンと出動。
 あ、薬を飲むのを忘れた。
 急ぎ、部屋に戻る。


 今日はポカポカ天気だね。
 新しいプロジェクトのため、京都方面へ出動。
 新快速は速いね。

 祝日だというのに、秋の京都行きとは違って、それほど混んでいない。

 
 駅に着く。
 オフィスにて荷物を預けて、テクテク歩き回る。
 
 ファーストフード系を喰らって、ひと息。
 あとは車で回る。
 いよいよか、っていう感じ。

 15時半過ぎ、京都駅構内の喫茶でひと休み。

 今日も神戸線は遅れが出ていた。
 ま、数分だけど。

 部屋に戻ってグッタリ。
 
 遅くなったけどルーティーンを終わらせる。
 毎日の作業は息を抜けない。

 
 写真の編集をチョコッと。
 マグウェ管区の写真を選びだす。
 なぜかこの管区の写真が少ないのだ。
 ふむ。

 

 『地の底の笑い話』『雅子さま論争』からの抜き書き終了。
 って、そんなに多くなかったけど。
 
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  皇室への敬意は、たとえば私がイチローや王貞治や
 夏目漱石に対して抱いている敬意とは本質的に違っていて、
 「尊敬すべき存在だから尊敬する」といった形の、同語反復
 みたいな構造を孕んでいる。感情というより義務に近い。

  結局、皇室は、国民の平明な視線を敬意に向けて屈折させる
 レンズみたいな装置としてわれわれの前にある。
 だから、皇室を前にした瞬間、われわれのすべての所作は
 ぎこちないもおにならざるを得ない。
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ちょいと前、彼の名前は忘れたが、とある社会学者が、

 「天皇(天皇制)というのは、その存在を疑問に思うことさえ憚れる存在なのだ」

 といっていた。
 
 
考えることさえできない、思考停止にさせられる存在は、いったいなんなのだ。

 そいや今日は、天皇誕生日でした。
 NHKを聴いていると、トップニュースはこれでしたね。
 
 『地の底の笑い話』にあった、
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 しかし、部落民なるがゆえの差別は、単に納屋や便所や浴場の
 区分にとどまらない。明治中期ころまでは部落民を炭鉱作業に
 従事させないヤマさえあったという。ヤマが穢れるという理由からだ。
 
 もとよりこれは日本の炭鉱の歴史を一貫する意識的な差別政策の
 露骨な現れであったとしても、同時にまた民衆の内部に根深い無知と
 偏見がその政策を支える柱となっていたことは否定しがたい。

 ともに地底の闇に閉じこめられた「下罪人」として、生きた「ガンヅメ」
 として働きながら、なおかつ「特殊」の存在として「ガンヅメ」の蔑みに
 蔑みに堪えなければならなかった人々の屈辱は重たい。
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 という部分は、民衆を単なる被害者として位置づけていない。
 彼ら彼女たちをある意味、加害者側、差別する側として捉えている。
 差別の再生産は、無知と偏見にある。
 またそれを生み出す原因はなんなのだろうか、と思う。

 ビルマのロヒンギャ問題を考える際に、何かヒントとなりそうだ。
 ふむ。

 日付けが変わって布団に入る。

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