2011年1月アーカイブ
朝9時過ぎ起床。
やっぱり真冬の到来を感じるなぁ。
今日も寒いぃ。
ンでも太陽光線は眩しい。
とりあえず敷き布団を干す。
チーズトーストとレタス、コーヒーの朝食をとる。
相変わらず右肩と肩胛骨、背筋が痛い痛い。
(∋_∈)
朝からフィルムスキャンを開始する。
ギィギィとスキャナが動く。
#62~”#64と頑張って3本実施。
ふぅ。
昼はネギ納豆と豆腐。
なんか豆ばっかり。
身体を動かすためにテクテク散歩に出る。
ふぅ~、寒い。
Tヤにて、『重力ピエロ』と『イズ・エー [ is A. ] 』を借りる。
ま、たまには日本映画も見なくちゃね。
と、ついでに "BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD"(『その土曜日、7時58分』)
を借りる。
Jにて食パンと、あ、やっぱりJFを買う。
今回はちょいと大きめ。
テクテク歩く。
いつもの心臓破りの丘をはぁはぁいいながら上る。
今日は足が動いて35歩で上りきる。
はぁあ~。
『環境のリスク学』を読み続ける。
本のその内容よりも、考え方や手法の組み立て方を学ぶ。
うーん、と唸りながら。
豚肉の脂抜きとカイワレを喰らう。
スキャンの続行。
ラジオでサッカーを聴きながら#65・#66。
一日5本のスキャンは初めてだ。
なんとか今月中に、(あ、あと2日だ)#71まで終えたいし。
ふぅ。
サッカーアジアカップ、日本が優勝ですね。
内田君評判悪いけど(笑)、よく頑張った。
鹿島出身のプレイヤーは応援したいんだよね。
うん。
昨夜、"STOP-LOSS" ( 『ストップ・ロス/戦火の逃亡者』 ) というハリウッドを見て
改めて「国旗」という存在を考えさせられた。
映画の内容は、イラク戦争の現場から米国テキサスに一時休暇で戻った
米国兵士にまつわるものだ。
現場で生死を共にした兵士のうち、主人公はそのまま兵役を終え除隊することになっていた。
だが、「戦場の兵士不足を解消するために政府が兵士たちの兵役期間を強制的に
延長できる“ストップ・ロス”という制度を適用された兵士」が、その制度に抵抗し、
脱走兵(AWOL)となる。
主人公の友人たちは、戦場での後遺症のため酒浸りになり、休暇元の故郷の田舎町で
いろいろとトラブルを起こし、その中の一人は、新婚直後だというのに、ついに自分で
自分の命を絶つところまでになってしまった。
自殺した兵士の葬式は、もちろん軍隊式の埋葬だった。
その際、友人の兵士の一人が棺桶を覆っていた星条旗を、軍隊式の方法で胸に抱え込むことが
できるほどの大きさの三角形にたたみ、未亡人になってしまった新妻に渡す場面場ある。
確かその際、友人の兵士が彼女にかけた言葉が、「これは彼の形見である・・・」だったか
(かなりうろ覚えであるが・・・)
星条旗は、つまり国旗は命の代償、それを象徴するものであった。
ちょっとがびぃ~んという場面であった。
ちょうど今日は、君が代訴訟裁判で、東京高裁で「日の丸・君が代通達」を合憲とし、
都教職員側に逆転敗訴を言い渡す判決があった。
う~んである。
『毎日新聞』によると、
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「都築裁判長は同種訴訟で合憲判断を示した最高裁判決(07年2月)を踏襲。
国旗掲揚と国歌斉唱について「個人に自身の歴史観や世界観を否定する行為を
強制するものではない」と判断した。
「従来、全国の公立高校の式典で広く実施されている」とも指摘した。
また、教職員が地方公務員であることのほか、国旗国歌法や「国旗掲揚・国歌斉唱を
指導する」と規定した学習指導要領の存在もふまえ、「通達の目的・内容は不合理とは
言えない」と結論付けた。
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だとか。
国旗という国家を象徴するシンボルの掲揚は、しかもその実際の運営上の強制は、
個人の歴史観や世界観を否定するものだと思うのだが。
教職員は、地方公務員である前に、ひとつの思想や価値観を持った国民である。
また、学習指導要領の通達は、あくまでも通達であって法律でもないし。
ここで一番違和感を感じるのは、もし日本国を象徴する国旗に敬意を払おうとするならば
それは、自然な感情の発露であって、強制をもってまでしなければならないのか。
一つの国家の中には、いろいろな考え方や価値観を持った人が暮らしている。
そんな人びとを含んだ国家は、異なる価値観を強制しないことによって、より深い
敬意を、その集団のさまざまな人から得ることが出来るのではないだろうか。
もし立場が代われば、自分たちが少数派の異なる意見を持つことになるかも
知れないという発想がそこにはないようだ。
敬意は、強制することによって逆に損なわれるのだと思うのだが。
布団に入ってウツラウツラとラップトップで昔のテレビ番組を見る ( もちろん YouTube で )
小田実・野坂昭如 VS 石原慎太郎・浜田幸一の討論番組だった。
1984年だったか。
田原総一朗の若いこと。
4時過ぎ寝入る。
10時過ぎ起きる。
パンを切らしてるので、豆腐の煮物が朝ご飯。
ルーティーンワークをするにも、今日はビルマのサーバーが重たいよね。
13時過ぎ、出動。
さぶいなアァ。
大阪着でソフマップで会員カードの切り替え。
地下鉄で106のオフィスへ。
ちょうど14時到着なり。
オフィスにて密談とぐっちゃらと打ち合わせ。
なぜか拍手されたりして・・・ははは。
いやね、いろいろとありまして。
16時過ぎ、おいとま。
テクテク歩いてJR大阪駅へ。
巨大書店が見つからず、今日は諦め。
JR大阪駅北口からみると、おお、駅の様子が変わってるではないか。
驚きっぺ。
車中、田口ランディ『生きる意味を教えてください』を読む。
鷲田清一さんとの対話部分。
中西準子『環境のリスク学』(日本評論社、2004年)をゲット。
牛乳・チーズ・食パン・豚肉などを買って、ビュンと部屋に戻る。
しかし最近は、肉や魚よりも若布や野菜の方が値段が安いしなぁ。
ルーティーンを終わらせひと息。
と、うたた寝。
肩こり・肩胛骨凝りがアゴ・歯痛へと広がってる。
マウスが持てんよね。
映画 "STOP-LOSS" を見る。
しかし、イラクの人びとはやっぱり名前のない民衆としてだけ描かれているし。
ふむむ。
映画の中での、星条旗の象徴性を考えてしまった。
またまたボロマンションの工事が始まるのか。
外壁の塗装だからそれほどうるさくはないと思うが・・・。
工事は8時半ではなく、9時からにしてね。
写真の編集、ようやく先が見えてきたよん。
郵便受けからガスの使用料金のペロリと入ってた。
うわ、べらぼうに高い。
ま、ほぼ毎日、24時間、自宅で生活してるからだからしかたないか。
塩サバ・豆腐・久しぶりに玉子が安売りだ(L玉-10個-88円)・JFなどを買う。
古本屋でビルマ(ミャンマー)関係の資料を集めていてちょいと面白いものを見つけた。
ちょいと昔の『毎日グラフ』である ( 一冊、50円だよ! )
1960年4月発売だから今から50年も前のグラフ誌である。
表紙は「シャン族の踊り子」である。
この号の特集は「これがアメリカだ」と銘打ち、「ホワイトハウス写真記者会のコンテストから」の
写真を載せている。
その他、巻頭に「ハチマキとベレー」という見出しで「三井三池炭鉱」の争議の写真が6ページに
わたって掲載されている。
どの写真も迫力がある。
50年前の写真なのに。
いや、50年前だから、なのか。
ウムムと唸りながらページを捲っていると、さて、50年前と今とでは写真に関して
報道の仕方(誌面作り)はそれほど変わっていないのだな、という思いに襲われる。
というのも、自分では自分の写真を結構イケているんだと思っていても、このような
半世紀前の写真を見ていくと、実は、それほどでもないんだな、と改めて思わざるを
得ない。
特に今という時代にあって、写真(映像)は消費される傾向にあるんだな、とも。
写真でもって、今を伝えること、或いは記録することをもう少し冷たく突き放して
客観的に見るようにしなければ、とも思うんだが。
もう一つ手に入れた。
こちらは、タイ・バンコクの古本屋で見つけた。
小川忠博『ゲリラの朝』(ポルトガル領アフリカ"解放区"ルポ)である。

1975年の発売の、モザンビーク解放区とギニア・ビサウ解放区を取材した
350ページを超えるルポルタージュである。
35年前のアフリカを舞台にしたこの本に目を通しながら、やはりウムムと考えざるを得ない。
もちろんアフリカのこともそうだが、取材・発表し・記録するという行為そのものについてである。
いや、こういうかつての記録を前にして、なぜ、考え込むようなことになるのか。
そのことについて考えてしまうのである。
もちろん、今、伝えなければならいことは最優先しなければならない。
しかし、現場で取材した報告も、メディアが発達した現代ではすぐに記録になってしまう。
取材者としての自分自身が、独りよがりの現場主義に陥りがちなのをどうやって諫めれば
良いのか、このような時代を経た記録集を目に前にして考えるのである。
いや、何度も繰り返すが、なぜ考えるのか、実はそのこと自体を考えるのである。
ふむむ。
先日、ビルマ(ミャンマー)の国営放送(MRTV3)でやけに日本の話題が
取りあげられていると指摘したばかり。
ん?
そう、、今日(24日)は国営英字紙『ミャンマーの新しい灯』
( "The NEW LIGHT OF MYANMAR" ) である。
約2年かけてマラソンとヨットで地球一周する「ア-スマラソン」を
21日に達成した間寛平さん(61)の記事が出てた。

しかも、紙面の扱いも大きいんですよ。
ほらこの通り。

これにはびっくり、アヘアヘ。
ビルマ軍事政権も寛平氏の活躍に注目しているのか?
ふむ。
ちなみにビルマ語版の紙面にはこの話題は載ってませんでした。
ふむむ。
『王様は裸だと言った子供はその後どうなったのか』を読了。
なかなか手が込んでいるが、何やらちょいと編集者好みのまとめ方。
読後感は、なにらや後出しジャンケンっていう印象がする
(悪い意味ではないのだがこう表現するしかない)
と、目が覚めたら、うわ、10時過ぎだ。
いつ、目覚まし時計を止めたのだろう。
やっぱり夜更かしはあかんなぁ。
10時半過ぎ、ビュンと出動。
久しぶりの三宮である。
待ち合わせの前に、薬局へ。
喉のイガイガ解消のため、のど飴を買うのだ。
11時過ぎ、駅の中央改札で東京からのKK氏と再会。
おお、リバウンドですな(笑)
こっちの方が健康的でいいですよ。
地下の食堂街へ。
久しぶりに とんかつKYK である。
近況交換をしつつ、密談なり。
ま、あんまり公に出来ませんが。
ぐっちゃら。
と、いつの間にかお客さんが並んでました。
お店にとっては迷惑なお客でした。
すんません。
で、相変わらずごっTZあんです。
河岸を変えて どとぉる でコーヒーである。
と、調子に乗って久しぶりに「ウダ節」を回してしまう。
すんませんねぇ、偉そうにグッチャラ話につきあってもらって。
14時過ぎ、散会。
KK氏はそのまま,超有名某大学教授の退官記念最終講義へ、と。
( わざわざ東京から駆けつける師匠思いのお弟子さん )
久しぶりに J堂 へ。
買いたい本があったけど、あっ、図書カードを持ってくるのを忘れたわい。
ビュンと六甲の麓へ、っと。
あ、Tヤが営業方針を変えて旧作を100円で貸し出しを始めた。
ちょっと寄ってみるか。
あ、やっぱり店に来ると映画を借りてしまうわ。
"STOP LOSS""Diary of the Dead""GONEBABYGONE""NEWSMAKERS"
を借りてしまう。
と、急にお腹がグルグル唸りだした。
のど飴の舐めすぎ?
まさか。
お腹をこわした。
便所へ4回ほど走る。
さらに右肩・肩胛骨・背筋痛に加えて腰に重たさを感じる。
うう。
特に肩こりから眼痛・頭痛へとひどくなる。
寝よう。
夜21時過ぎ目が覚める。
お腹の嵐は治まった感じ。
でもちょいとユルいなぁ。
映画でも見るか。
"Diary of the Dead" はジョージ・A・ロメロ監督なので期待してた。
が、期待はずれだな。
役者が下手だな。
それに画面がぶつ切りで全体的にリズムがなかった。
話の筋も無理がありすぎ、っていう感じ。
うー、消化不足だ。
ということで、あまり期待していなかった "GONEBABYGONE" を見る。
と、思いがけず、秀作だな、これは。
俳優陣のキャストも申し分がない。
ま、ボストンが舞台というのも由である。
そして、ラストはなかなか考えさせられた。
正解のない問、というか、正しい選択がない状態でひとはどのように振る舞えばいいのか。
ふむ。
特典映像に、もう一つのラストシーンみたいなモノがあった。
(エンディング ロング・バージョン)
個人的には未公開部分のラストのモノローグが断然気に入ったのだがなぁ。
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僕は間違っていた
人間を形作るのは ──
自ら選んだ道や ──
犯した過ち そして ──
人の別れだ
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うん、全くその通り。
人は時に、出会いよりも別れを糧にその後を生きて行くのだ。
ふと考えると、「 タイガーマスク 」 の最終回を見ていない。
YouTube で探してみる。
やっぱり、あったよ。
あ、こんな終わりだったのか。
かなりうろ覚えだったけど、改めて最終回を見た自分を思い出した。
しかし、最終回を見て、あの時代(1970年代)、飛行気に乗って外国に行く
のは、ある意味お別れだったのか。
時代の変遷を感じてしまう。
続き、「デビルマン」「マジンガーZ」などの最終回も見てしまう。
と、ウエブをツラ見していたら、原子力関係の動画に突き当たった。
「エネルギー庁主催シンポジウム 高レベル放射性廃物をめぐる論争」である。
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昨年11月20日、岡山市で高レベル放射性廃物をめぐって
エネルギー庁主催のシンポジウムが開かれました。
私は行政のアリバイつくりのシンポジウムや委員会には出席しないことに
してきましたが、1対1での公平な討論を保証するとのことで、出席しました。
また、シンポジウムはすべて公開すると言うのが、私が付けた条件でした。
その条件をエネルギー庁が受け、当日の配布資料や動画が以下のURLに
公開されました。
長時間にわたる動画で見るのも疲れそうですが、ご興味がある方はご覧ください。
http://www.dousuru-hlw.jp/okayama.html
2011/1/19 小出 裕章
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はい、興味は有ります、である。
特に第2部 「 なぜ、東京に地層処分施設を作ろうとしないのか? 」 は、
ガビィ~ンとショックであった。
上記の問に対して、小出裕章氏は次のように答える。
「原子力は差別の上にしか成り立たない」
「自分は利益を得、危険は他者にしわ寄せることは、いかなる理由でも認めない」
こうやって、改めて指摘されると、ぐっとくる。
原子力に限らず、差別の上にしか成り立たないシステムは、あたりを見回して
みると、あちらこちらにあるように感じる。
そのような印象を、さて、どうやって自分として深めていくことができるのか。
自分に突きつけられた課題でもある。
ふむ。
朝、今日もピーカン気味の冷たい冬の空。
さて、どうしよう。
ぐっすり寝ると、右肩・肩胛骨・背筋の痛みはちょっと和らぐ。
でも、ビビビと背筋に電気が走ると頭痛がするよ。
困ったななぁ。
電話あり。
さて、と。
もう一つ電話あり。
そうですか、と。
朝から立て続けに電話があるとはなぁ。
いよいよ忙しくなるのかなぁ、とも。
とほ。
寝よう(寝るなよな)
寝起きでルーティーンを終わらせる。
テクテク出動。
やっぱり寒い。
食パンとJFを買う。
うわ、JFはこんなにカロリーがあったのか。
昨日、 YouTube で復活していた『俺たちの旅』を何本か見たのだが、
よく考えると、中学1年生の時、オリジナルの番組はもう30年近く前になるのか。
「 ひと昔 」 っていうには、簡単すぎるほど以前の話なのだなあ。
この番組の中で時々挿入されている、中村雅俊の唄う 「 夢の旅路は~♪ 」 は、
知らぬ間に口ずさむほどに記憶に刷り込まれているし。
番組の中でやたらと煙草を吸うシーンと「男を強調する」部分以外は
なんだかタイムスリップしたように、今という時代に通じるような感じがする。
どう生きるのか、とか、
男と女の関係、とか、
人を傷つけ、人に傷つけられ、とか ( 前者が多いけど・・・はい、反省です )
社会にどのように関わっていくのか、とか。
かなり、というか、極めて自分勝手に生きてきた一人として、ふと回りを
見渡してみると、ほとんどの友人知人は、結婚して家庭を築いたり、
あるいは定期収入のある仕事に就いたりしている。
なんだなんだ、どうしたんだ。
あの時のままで留まっているのは自分だったのか、と。
本来なら、不安を覚えなければならないのだろう。
良い悪いじゃないけど、そんなことになっていた。
30年というのはあっという間だな。
そう考えると、20代30代の人は、まだまだ好きに生きていいんだよ。
覚悟さえ決めれば。
45歳以上の人は・・・うむむ。
そろそろ自分をふり返りましょう(自戒を込めて、うん)
"JAW LANGCHYI" は、ビルマの北方カチン州の州都ミッチーナ (Myitkyina) 郊外にある。
この展望台に上るとミッチーナ市内を一望できる。
しかも、なにか曰くのありそうな銅像も建ってるし。
一瞬、ピーターパンかと思ったよ。
台座になにやらジンポー語(カチン語)で説明があるけど、一緒にいたビルマ人は読めんかった。
ウエブで "JAW LANGCHYI" をググるといくつか情報が出てくる。
ここは、ミッチーナの隠れた観光地なのだろうか?
今日(19日付け)のビルマ(ミャンマー)の国営英字紙(『ミャンマーの新しい灯』)の紙面です。
国際ニュース面には、もちろんチュニジアの政変のニュースはありません。
と、今日の紙面には北朝鮮・韓国・中国の記事がそれぞれ載ってました。
北朝鮮関連のニュースが載るのは久しぶりですね(たぶん)
<こちらは北朝鮮関連の記事>
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<こちらは韓国の記事>
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紙面での記事の大きさはほぼ同じですが、韓国の扱いは、ビルマ側の対応者が
U Htay Oo (Minister for Argiculture and Irrigation ) という大臣に対し、
北朝鮮側は、Vice-Presidents of the Uion f Myanmar Federation of
Chambers of Commerce and Industry and officials というように、
名前の出ない政府関係者で、やや格落ちか?
ちなみに U Htay Oo は USDA のトップでもありますね。
彼の名前は記憶しておくべき。
と、これら朝鮮半島の両国に対し、やっぱり中国の扱いは破格。
このように全面ですから。
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と、これは別件ですが、最近、国営放送 (MRTV-3) では日本関連のニュースが目立つような気がします。
鳩山前首相のインド訪問なども取りあげているのですから。
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Former Japanese Prime Minister Yukio Hato-yama, who is on a brief visit to India, met chief of Delhi, Sheila Dik-shit in New Delhi on Sunday. During his visit, he will stay in Delhi for two days and then proceed to Mumbai for a day. Hatoyama's visit to India is regarding the three day India -Japan Global Partnership Summit 2011, to be held on September 5 this year. The summit is aimed at strengthening economic ties, greater regional integration and multilateral trade. This year it will focus on enhancing socio-economic, cultural and spiritual bonding between the two nations.
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ビルマ政府内で日本に対しての対応に何か変化が出ているのかな?
ふむ。
ぶらぶらとラングーン(ヤンゴン)の町中を歩いてみる。
中華街までやってきました。
おぉ、さすが。
ここは何でもありますね。
と、バイク屋を見つけた ( 珍しいでしょ )
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店主と話をしてみる。
詳しい値段は忘れたが、日本円にして、1台10万円弱ほどだったか。
で、ここで買ったバイクはヤンゴン(ラングーン)市内では乗れるの?
もちろんダメ。
インセインでは?
X。
タケタでは?
X。
やっぱりね。
ラングーン市内では、バイクに乗ることができるのは政府関係者のみ。
特にオレンジ色のバイクは要注意だよね。
公安(警察)関係者が乗ってるからね。
ほら、観光客として怪しい行動(?)をしていると尾行されるからね。
んもう、やめて ♪ ~ ♪
今日は震災から16年目の日であった。
深夜、あの揺れを感じたその時間を迎えるべく、早朝5時過ぎまで頑張っていたのだが、
ううぅ、根性なしのため、知らぬ間に寝入ってしまっていた。
そこでだ。
先日、『パース エクスプレス』用に書いた一文に、ちょこっとだけ追加してみた。
(本文そのものは、2年前のブログにも書いたものを修正)
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2011年の年初めは日本で過ごすことになった。
1月の神戸といえば、必ず17日の大震災のことが思い起こされる。
1995年1月17日午前5時46分のことである。
あれから16年が経ったのだ。
1周年 5周年 10周年 15周年という切りの良い数字では、あの地震のことは
イベント的に思い起こされるかもしれない。
だが、被災者にとっては新しい年を迎える1月は、毎年の思い出でもある。
もっとも、あの震災を、忘れまじと思う人や忘れたいと思う人と、さまざまな人が
いることであろう。
「自然災害」が起こるのも世の常である。
自然災害の被災者は、もちろん地震だけではない。
誰が何時どのような情況でどのような自然災害に遭うのか分からない。
また、交通事故や火事・火災など、世にある災害には、自然による被災者に限らず、
人為的な被害者もいる。それ故、私自身、神戸の地震 ( 正式には、阪神淡路大震災と
呼ぶようだが ) の被災者という立場を特権化するつもりはない。
また、被災体験と記憶は、もちろん個々人によって異なる。
なのにメディアは、甚大な被害を受けたその大きさに重点を置いて16年前の震災を
記憶(記録)しているように思える。
避難所での"美談"が語り継がれ、人々の助け合いやその後の頑張り、或いは
復興という文字の光と影などが共同の記憶として、被災者にもそうでない人にも
刷り込まれていっている。
そこには、人間性の負の部分を晒す、眉をひそめるような振る舞いが、あたかも
存在しなかったかのようにも語り継がれるようだ。
当時の記録とそれに連なる報道が、そこだけに留まっているようにも思える。
忘れてはならないことは、震災の直後の話ではない。
実は、その後のことである。
我々は、どのような記憶を選び取り、どのような記憶を忘れ去る選択をすることによって
今ある共同の記憶を持ったのか。
そのことをどこまで意識的になることができるのか、だ。
ドンと突き上げる衝撃を感じた。
瞬時に、ゴォー(ごぉぉおぉー)という衝撃と揺れ続いた。
14階建てのマンションの最上階14階の部屋だった。
揺れるに揺れた。
マンションが、一瞬、あっ、倒れるか、と思った。
同時に、あ、これは夢か、とも。
長かったような、短かったような。
実際、どのくらいの間揺れがあったのか覚えていない。
数十秒の揺れの後、すぐに脅威は去ったと理解できた。
とりあえず逃げなければ。
近くの公園へ避難する。
近辺を歩いてみる。
地面が割れて、地中から砂が吹き上げた後を見つけた。
これが(後で知る)液状化現象だった。
さ、起こったことは仕方ない。
部屋に戻って片付けを始めた。
散らかった食器を片付け始めた。
後は、淡々とした数時間が流れるだけだった。
この時の体験は、その後ずっと身体に染みついている。
例えば、今のフリーランスのフォトジャーナリストという仕事をしていて、
時々、どんなことが起こっても、なぜだか頭は冷静に保っていることが
できると感じることだ。
非常時にアドレナリンが想像以上に身体の中を駆けめぐっていても、
何が安全かそうでないか判断し、本能的に身の安全を確保しようとすることだ。
というような16年前の出来事を、新年を迎えるに当たって思い出しても
仕方のないことなのだろうか。
いや、そうでもないのだ。
ちなみに、新聞の切り抜きを始めて25年以上経つが、メディアに関わる人間として、 これまで日本で目にした最高の新聞記事が、この震災関連の記事で出稿されたことを
改めて思い出すからである。
意識して新聞を読み始めて30年間。私が最高の新聞記事と思うのがこれである。
見開き一面が名前で埋まっている。震災で亡くなった人びとの氏名である。

1995年1月20日付けの朝刊(『朝日新聞』)
衝撃的な紙面である。
この紙面の前も、後も、名前でいっぱいなのだ。警察発表を元にしているとはいえ、
ただ単なる文字ではない。
ひとり一人の暮らしがあったんだ。そう思うと、胸が詰まる。

『読売新聞』(1995年4月26日)も同じである。
こちらの方は、紙面編集を担当した木村未来記者が一文を添えている。
どうか安らかに
一月十七日の震災の震災から百日。
瓦礫(がれき)が残る被災地にも春風が吹き、街が、人が
再建に頑張っています。
震災直後から、お亡くなりになった方々の名前を確認する
担当となりました。そのお名前は、五千五百一人にのぼりました。
一人ひとりが生きた証(あかし)と無念さを感じ、人生に思いを
はせました。
それぞれの夢が一瞬にして奪われた事実を、この悲しい紙面が
物語っているのです。
「息子夫婦が阪神大震災の犠牲になったことを、子孫に
伝えたい。記憶を薄れさせないことが、私たちの努めです」。
淡々と語る母親の声が、今も耳に焼きついています。
冬から春へ。五千五百一人のさまざまな思い出と付き合って
きたような気がします。どうか安らかに、力強く立ち上がる者の
歩みを見守っていただきたいと切に思います。
(木村未来記者)
あるコラムで「新聞とは、見開きの完結したメディア」だと書いていたのを思いだす。
確かに新聞は、見開きのメディアであり、完結したメディアである。
それゆえ、この震災直後の紙面に、紙という形をもったメディアに(デジタルデータではない
印刷された)数え切れない名前を前に、いつも圧倒される。
そこにあるのは、文字の羅列という事実だ。
だが、単なる事実ではない名前の連続である。
今後、こんな新聞紙面を見ることは、ないであろう(そうあって欲しい)
2010年11月7日(日)、ビルマ(ミャンマーともいう)で20年ぶりに総選挙が行われた。
ビクビク取材で各地区の投票所を撮影し、官憲の目を逃れ、大慌てで大通りに出る。
ふむ、タクシーが来ない。
うぅ、困った。
途方に暮れて、歩道から車道に身を乗り出していると、後部座席に若い男女を乗せた
タクシーが停まった。
ん?
「お兄さん、どこまでいくの?」
「 XXXX ] まで。
若い運転手が、助手席を空けてくれた。
乗っていいの?
ほぉ。
信号待ちで止まって後部座席をよく見ると、先客の若い男女が何やら着飾っているではないか。
ん?
「オシャレだね? どこへ?」
「友だちのミンガラサウン(結婚式)です」
道理で綺麗だね。
"あははは、は。"
「選挙は? 投票には行った?」
"あははは、は。・・・。"、ってか。
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最近ブログの内容が変わったようですか、って?
まあ、そうですね。
日々の雑感、というか日記風の記録がありません。
いやね、特に意図的なことはないのです。
ただ、twitter や facebook もあるし、めんどくさいだけです。
ちょいとずぼらです。
ま、気分が乗れば日々の出来事 ( 一応、メモ書きはしてますし ) をUPしていくつもりです。
ちょいとお休みっていう感じです。
はい。
これも旧聞に属するネタですが。
まあ、一応、記録ということで。
ビルマ(ミャンマー)で 2010年11月13日(土) 午後5時過ぎ、
同国の民主化指導者であるアウンサンスーチー氏がおよそ7年半ぶりに、
自宅軟禁から「解放」されました。
13日と14日の様子をアップしました( 撮影は、これも難易度が高かったです )
今回の取材でとても嬉しかったのは、スーチー氏を支える支持者たちが、
私の撮したスーチー氏の写真 ( 1996年撮影 ) を印刷したり、絵に描いたりして
集まって来たのを目にしたことです。
うん。
このおじさんが手に持っている絵はこれですね。

こちらからですね。
http://www.uzo.net/asia/burma/burma001/burma_001/bub1004.htm
スーチー氏の解放に駆けつけたお兄さん。彼の自転車の前に掲げている写真はこちらですね。

http://www.uzo.net/asia/burma/burma001/burma_001/bub0001.htm
胸につけているのはNLDのバッヂですね。
![]()
( ↑ 大きくなります )
もう旧聞に属するネタですが。
まあ、一応、記録ということで。
ビルマ(ミャンマー)で2010年11月7日(日)、20年ぶりの総選挙が行われました。
その当日の投票所の様子です(撮影は、やや難易度が高かったです・・・笑)
この日はヤンゴン市内を動き回りました。

アウンサンスーチーさんに大接近してしまいました。
いやね、わざとじゃないですよ。
カメラを構えてたら、後ろからズンズン押されてもんで、
自然と前に出る羽目になってしまって。
その距離、約50センチもありませんでした。
あは。
後で確認してみると、レンズの焦点距離は19mmでしたわ。
普通の撮影では、絶対にこんなに近くにはよれませんね(畏れ多くて)
ホールインワン、ってか








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