ビルマとミャンマーに吹く風、ってか

| トラックバック(0)

 
 DSC7345.jpg
( ↑ 大きくなります )

 2012年1月4日、64回目の独立記念日に国民民主連盟(NLD)の本部にてスピーチする
 アウンサンスーチー氏

 ビルマ(ミャンマー)は今日(1月4日)、64度目の独立記念日を迎えた。
 この日に合わせて、たぶん、おそらく、きっと・・・、この春頃には出版されると思う。

 ビルマに関する2冊目の写真集に向けて、序文みたいなものをまとめてみました(ちょっと
 
長いですけど)
 

--------------------

 『 ビルマとミャンマーに吹く風―東南アジアの最後のフロンティアを <歩く・見る・撮る> 』

 半世紀近く続いてきた東南アジア最後の軍事独裁国家ビルマ(ミャンマー)が2011年3月、
 
「民政移管」を果たした。それ以来、ビルマ国内では立て続けに大きな変化が起こっている。

 果たしてこの変化は本物なのか。あるいは軍部が生き残りのために行っている改革なのか。
 正直分からない。
 ビルマを強権的に支配をしてきた軍部がそんなにたやすく権力を手放すのか。
 不安や疑問が頭をよぎる。
 もっとも、最大都市ヤンゴン(ラングーン)で、明るくなった人びとの表情を見ると、
 今回の変化はもう後戻りできない一線を超えたと感じざるを得ない。
 この流れは、果たして、地方にも及ぶのか。
 

 ビルマでの取材・撮影は、今年2012年で20年目を迎えた。
 取材者として入国が難しい軍事政権国家によくもこれだけの長期間、継続取材できた
 ものだと、今ふりかえっても信じられないくらいである。
 この間、拘束されかかったことも何度かあり、ビルマへの再入国はもうダメになったと、
 何度も諦めた。
 また、タイ国境が近い「辺境」地域の戦闘を撮影した際、知らないうちに
 地雷原に迷い込み、冷や汗をかいたことも数知れない。
 
 最終的に、ビルマ全土の7州7管区(全14行政区)を訪れることができたのは、
 2007年夏のことであった。
 この間、中国国境が近いビルマ最北の村や最北の家にまで足を運び、
 タイ国境が迫るビルマ最南端の村にも入った。
 東はタイ国境、西はバングラデシュ国境からも撮影を続けた。
 それは地理的にも政治的にも困難な取材であった。
 
 撮影者は、そこに行かなければ記録することができない。
 そんな単純なことがいつも大きな壁になっていた。
 さらに、軍事政権下での行動は極めて困難であった。
 だがしかし、今、記録しておかねば、永遠にその存在は忘れられていく人びとや
 出来事がある。そういう思いが絶えずあった。
 

 もちろん、この間の行動は私一人の能力で続けることはできない。
 数え切れない現地ビルマ人の協力を得たからである。
 まさにビルマの人びとの間に混じって息を潜め、時には空気のような存在となって
 きた人びとの間をすり抜けてきたからだ。
 
 そのうち、自分がビルマの人の間を吹き抜ける風になることができればいいな、
 と思うようになっていった。
 そうすれば、もっと自由に動きまわることができるのに、と。
 
 自分自身の存在を消して、風になりたい。
 その存在は残らないが、爽やかに、でも時に、暖かく・冷たく・熱く人びとの間を吹き抜けたいと。
 
 風は何を運ぶのか。
 
 春先には、これから訪れるであろう芽吹く草木を想像へ思いを至らせる、
 気持の良い陽光を含んだ、ゆっくりとした空気だろうか。
 
 夏の山の頂では、冷たく勢いの強い、つむじ風のような厳しさか。
 熱風を受けると、誰もがあまり良い気分がしない。
 だが、例えば、「上ビルマ」のマンダレー郊外の乾燥地帯での熱い風は、
 降り注ぐ太陽光線よりも温度が低いため、それが砂を含んでいなければ、
 思いもよらず気持がいい。
 身体全体が生暖かい空気に包まれるのだ。
 
 人びとの間に交じって取材し、シャッターを切り、人知れずその場を吹き抜ける。
 その場で感じた雰囲気を、地域を跨ぎ、時間を超えて運びたい。
 そんなヤツがいたんだ。
 ああ、そんなことがあったんだ、と。
 
 風には、触ることのできるような実体はない。
 通り過ぎて初めて気づく。
 後になって思い起こすとそれを知る、そんな存在でありたい。
 その前も後も。
 人びとの間を、気づかれず吹け抜ける風でありたい。
 囁きにも似た風でありたい。 
 
 空気が動いて風となる。
 動かなければ風とならない。
 どう動くのか。
 どのように吹くか。
 そう思ってビルマで撮影を続けてきた。
 
 この写真集は、なによりもまずビルマに暮らす人びとに見て欲しいと思う。
 おそらくここには、これまでに見たことのないビルマの人びとの実際が
 あるからである。
 
 日本ではこの間、ビルマという国名よりもミャンマーという呼び方が
 一般化してきた。
 当時のビルマ軍事政権が対外的なアピールとして行った国名の呼称変更を、
 日本側が何ら疑問を差し挟むことなく受け入れた結果である。
 
 当時のビルマ軍事政権は、国名や地名、または歴史的な事実の書き換えを
 行ってきた。
 「ミャンマー」はビルマ族だけを指し、「ビルマ」は多種多様な民族を含む呼び方が
 長らくあったのに、である。
 やがて、ビルマの人びと自身も、かつては口語でバマー(ビルマ)と言い習わしていた
 のを「ミャンマー」と呼ぶようになってきた。
 
 今後、「ビルマ」という国名は世界の中で、これまで以上に「ミャンマー」と
 呼ばれることになるだろう。
 時代や社会の移り変わり、その時々の政治勢力によって呼称も変わるのも当然かも
 しれない。
 政治的な意味合いを含めないとしたらその流れには抗えないであろう。


 今回の出版に関して、国名にあえて「ビルマ」とつけたのは、過去、事実の
 書き換えがあり、それを当然としてきた流れがあったことを記しておきたかった
 からである。
 結果的に、当時の軍事政権を支える言動が繰り返されてきた事実は消されない
 のである。
 
 ビルマであろうがミャンマーであろうが、そこに吹く風には変わりない。
 
 
 《謝辞》

 《/謝辞》

 
 2012年1月4日 ビルマ独立記念64年目の日、ヤンゴン(ラングーン)にて
                                       

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.uzo.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/4376

2012年1月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

アーカイブ

Twitter

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.02