「〈 ビルマ 〉と〈 ミャンマー 〉 から 〈 ビルマ 〉か〈 ミャンマー 〉か」へ
どうして私が、〈 ミャンマー 〉という一つの言葉ではなく、「ビルマ(ミャンマー)」
あるいは 「ミャンマー(ビルマ)」と2つの呼称を併記して使い続けるのか。
今後、〈 ビルマ 〉という国名は世界の中で、これまで以上に〈 ミャンマー 〉とだけ
単独で呼ばれることになるだろうに・・・。
◆結論を先取りすればこういうことである。
時代や社会の移り変わり、その時々の政治勢力によって国や地域の呼称が
変わるのも当然であろう。
政治的な意味合いを含めないとしたらその流れには抗えないであろう。
私がこの国の名前にあえて〈 ビルマ 〉と余分な呼称をつけるのは、1989年当時の
ビルマ(ミャンマー)軍政(「国家法秩序回復評議会」)が、いくつかの歴史的な事実の
書き換えを行い、日本政府と日本のメディアはそのことに対して疑問を差し挟むことなく、
「日本語」の国名表記の変更を当然としてきた事実を記しておきたかったからである。
結果的に、当時の軍事政権を支える言動が繰り返されてきた事実を消してはならない
のである。
◆以下、説明が長くなるがその理由を説明したい。
東南アジア最後の軍事独裁政権国家「ビルマ(ミャンマー)」が2011年「民政移管」を
果たした。
全国紙で唯一「ビルマ」表記をしていた『朝日新聞』 が2012年に入り、これまでの
「ミャンマー(ビルマ)」という表記から(ビルマ)を取り去り、「ミャンマー」とだけ表記し
始めた。
それと同時に、「アウン・サン・スー・チー」という表記を「アウンサンスーチー」と変更した。
ビルマ(ミャンマー)の問題にあまり詳しくない人には、この国をどう呼ぶ(表記する)
のかということについて、それほど関心がないのかもしれない。
この国の呼称の混乱の事の発端は、1989年に時のビルマ軍事政権(「国家法秩序回復
評議会」=SLORC)が、対外的な「英語の呼称」を〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉に変えた
ことである。
国連は、クーデター政権であろうと、事実上ビルマを「実効支配」しているのは軍事政権で
あったため、その呼称変更を受け入れた。
日本ではこれ以降、〈 ビルマ 〉よりも〈 ミャンマー 〉という呼び方が一般的になっている。
◆〈 ビルマ 〉と〈 ミャンマー 〉は語源が同じ同じ言葉
もともと〈 ビルマ 〉と〈 ミャンマー 〉は「ムランマー」という同じ語源の言葉で、
文語(書き言葉)で〈 ミャンマー 〉、口語(話し言葉)で〈バマー(ビルマ)〉という使い分け
があったことに留意しておかねばならない。
軍政に反対するから〈 ビルマ 〉、軍政を認めているから〈 ミャンマー 〉と呼ぶということ
ではない。
また、この国名の呼び方について単純に、「英語読み〈 ビルマ 〉」か「現地語読み
〈 ミャンマー 〉」かという問題でもない。
◆〈 ビルマ 〉と呼ぶか〈 ミャンマー 〉と呼ぶかには、大まかに言って2つの立場がある。
<1>ビルマ語を使う、ビルマの人の立場
<2>ビルマ語を使わないビルマ以外の人びと(私たち)
<1>ビルマの人の立場(主に民主化活動家)
ビルマの人は、国の名前を変えた当時のビルマ軍事政権が選挙を経ずに武力で政権を
奪取したクーデター政権であるため、正当性を持たない政権が国名を勝手に変えたことを
認めたくないという。
<2>ビルマの人以外の立場
日本語を使うわれわれは<2>である。
日本では従来、映画では「ビルマの竪琴」という小説もあるし、オランダ語から入った
〈 ビルマ 〉という国の呼び方は定着していた。
それをなぜ、英語読みの〈 ミャンマー 〉に変更しなければならないのだろうか?
(1)もともとビルマ語には書き言葉(文語)と話し言葉(口語)とがあり、ビルマ(バマー)と
いう語は「ムランマー」という言葉から派生し、(2)多くのビルマ人は文語では「ミャンマー」、
口語では「バマー(ビルマ)」と使い分けてきた。
(3)実は「ビルマ」にしろ「ミャンマー」にしろ、本来的な意味ではこの2つの語はどちらも
「ビルマ族」を意味してきた。
◆〈 ビルマ 〉に政治的な意味づけ
ややこしいのはこれからである。
(4)英国からの独立を闘った1930年代のビルマの人は、諸民族を全て含めた統一国家を
示す意味で「ビルマ」という語を使った。
※独立の志士たちはここで、政治的には中立であった「ビルマ」という単語に「諸民族を
含めた一つの国民」という意味を「付け加え」た。
このように説明する研究者もいる。
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ところで、ビルマ政府は、1989年6月18日の法律によって、英語の対外呼称を Burma から Myanmar に変更しました。
これに従って、日本でも、ビルマをミャンマーと呼ぶことが多くなりました。
これについては、どちらの呼称を使うべきかについて様々な議論があります。
実を言うと、ビルマ語の現地音を尊重するという意味においては、「ミャンマー」を
用いたほうが良いのです。
ビルマ語ではビルマのことを[ミャ(ン)マー]あるいは[バマー]と発音します。
日本語の「ビルマ」は、、[バマー]の古音に基づくヨーロッパ語(おそらくオランダ語)
から江戸末期に入ったもので、発音としては現代ビルマ語の
[ミャ(ン)マー]とも[バマー]とも大きく異なります。
ですから、現地音を尊重するという意味では、ビルマよりミャンマーを用いたほうが
良いと思われますが、日本語の学術用語としては「ビルマ」のほうが
定着している等の理由により、このHPでは「ビルマ」を用いています。
ではなぜミャンマーを使わないかというと、ビルマ政府が、ビルマ語の[ミャンマー]は
国内に住むすべての民族を含む呼称であるかのように説明しているからです。
この説明は嘘なのです。本当は、[ミャンマー]という呼称はビルマ族のことしか指しません。
[ミャ(ン)マー]と[バマー]は、前者が文語的、後者が口語的という違いくらいしかないので
あって、両方ともビルマ族を指す言葉です。
政治史的には逆に[バマー]をビルマ国内のすべての民族を指す呼称として用いようと
する動きさえありました。ところがビルマ政府は、
ビルマ語にビルマ族を指す言葉が2つあったのを良いことに、他民族国家の呼称
としては Myanmar のほうがふさわしいですよ、と説明したのです。
この主張は、少数民族の立場を考えると受け入れがたいものです。もしここで、
日本語のビルマをわざわざミャンマーに変更するなら、我々はビルマ政府の無理な
主張を受け入れることになってしまいます。
それならばむしろ、従来の日本語としての「ビルマ」を、現地音とは違うという憾(うら)みは
ありますが、使っていこうじゃないかということなのです。
そもそも、ビルマ政府が変更したのは英語呼称の Burma なのですから。
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◆〈 ミャンマー 〉に政治的な意味づけ
ビルマは1948年に英国から独立する。
その前年、1947年にできた憲法は『ミャンマー連邦』=Pyihtaunsu Myanma Naingan であり、
「ミャンマー」という言葉を(もちろん文語なので)使っている。
1962年、ネウィン将軍がクーデターを起こし、この時からビルマは軍事政権が始まる。
1974年、新しい憲法が作られる。
その1974年憲法では、これも文書であるので、『ミャンマー連邦社会主義共和国』=
Pyihtaunsu Hsoshelit Thanmata Myanma Nainganto とした。
日本ではこの憲法を「日本語」で『ビルマ連邦』『ビルマ連邦社会主義共和国』と表記した。
1988年、ビルマではネウィン将軍によるビルマ式社会主義が行き詰まり、大規模な
民主化デモが起った。
この時、ビルマ国軍がクーデーターを起こし、国内の騒乱状態を収集するという理由で、
あくまでも「暫定政権」という意味で、「国家法秩序回復評議会(=SLORC:
State Law and Order Restoration Council)」と名乗った
翌1989年「国家法秩序回復評議会」が対外的な「英語呼称」を「ビルマ」から
「ミャンマー」へと変更した。
※※「国家法秩序回復評議会」はこの時、1930年代の独立の志士たちが
意味づけしたこととは反対のことを主張した。
「ビルマ」という語は「ビルマ族」だけを意味し、「ミャンマー」は「ビルマ族を含む
諸民族全てを含む」言葉として適当であると。
〈 ビルマ 〉 と 〈 ミャンマー 〉 という単語に、どのように意味づけをするのかは歴史的な
文脈を無視して語ることは出来ない。
この場合も、1930年代の独立の志士と1989年のクーデターを起こした軍部の
どちらの主張が、より正しいかは判断できない。
◆呼称変更は地域名にも
もう少しみてみよう。
1989年に国名を「ビルマ」から「ミャンマー」へと対外的な英語呼称を変えた際、
「国家法秩序回復評議会」は同時に、国内の地名の変更も行っている。
主に英国の植民地時代の「英語表記」を「ビルマ語」に変更した。
「ラングーン(Rangoo)」→「ヤンゴン(Yangon)」
「ペグー(Pegu)」→「バゴー(Bago)」
「モルメイン/モールメイン(Moulmein)」→「モウラミャイン(Mawlamyaing/Mawlamyine)
「アラカン州(Arakan State)」→「ラカイン州(Rakhaing/Rakhine State)」
「カレン州(Karen State)」→「カイン州(Kyin State)」
「シポー(Hsipaw)」→「ティボー(Thibaw)」
「ケントン( Kengtung)」→「チャイントン(Kyaingtong)」
など他にもまだある。
「国家法秩序回復評議会」はこの時、「ビルマ」から「ミャンマー」への英語の呼称変更の
理由として、ミャンマーは「ビルマ族を含む諸民族全てを含む」言葉として適当であると
していた。
だが、地名変更を見てみると、例えば、シャン州の「シポー(Hsipaw)」や「ケントン( Kengtung)」は
「ティボー(Thibaw)」や「チャイントン(Kyaingtong)」など、本来はシャン語に
近い英語表記からビルマ語読みに変わっている。
ビルマ語はr音がy音に変わる。
よって「カレン」が「カイン」に変わる。
だが、「ラカイン」は「ヤカイン」に変わらず「ラカイン」のままである(ビルマ人はヤカインと
呼ぶが、政府の表記では「ラカイン」である。
実際、ラカインを表す場合、「アラカン」「ラカイン」「ヤカイン」と3つもある)
諸民族の立場を尊重しようとするなら、地名の変更をそれぞれの民族語に近い
呼び方のまま残すのが適当ではないだろうか。
1974年の憲法では「公用語としてビルマ語を用いることにする。必要な場合、
当該の土着民族語を用いることができる」という規定を1989年の軍政は
無視している。これこそが、各民族の人びとにとっては、当時のビルマ軍政の
進めてきた少数民族の文化を認めない「汎ビルマ主義」に見えてしまうのである。
〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉への国名変更で、ビルマ国内に暮らす諸民族の
位置を尊重しようと主張していた当時の軍政「国家法秩序回復評議会」(SLORC)の
説明は、実は地名の変更をみると無理がある。
また「国家法秩序回復評議会」は国名の英語呼称の変化に伴って次のような変更を
行っている。
1988年までビルマは「ビルマ社会主義計画党(BSPP:Burma Socialist Programme Party)」が国を支配していた。
それまでこれまで「ビルマ社会主義計画党」を英語で表す際、" BSPP" と表記していたのが、
"MSPP"(Myanmar Socialist Programme Party) と表記するようになった。
「国家法秩序回復評議会」は、歴史的に事実としてあった「ビルマ(Burma)」という
呼称をすべて「ミャンマー(Myanmar)」に変えることで英語の呼称 〈 ビルマ (Burma) 〉 を
消し去ろうとしているようである。
このような歴史的な表記までさかのぼって変更することは果たして可能なのだろうか。
歴史的な事実の書き換えである。
まるで『ビルマの竪琴』を『ミャンマーの竪琴』とするようなものである。
1989年における「ビルマ」から「ミャンマー」への英語の呼称の変更は、同時に
史実の書き換えがあり、諸民族の存在を弱めるような変更あったとしたら、その
主張─「ビルマはビルマ族だけを指し、ミャンマーは諸民族を含めた言葉である」
はどこまで受け入れる事ができるのであろうか。
1988年のクーデター政権「国家法秩序回復評議会」は、この英語の対外呼称変更の
一年前、1988年の大規模な民主化運動で国内が騒乱状態に陥った当初、あくまでも
「暫定政権」という意味で、国家法秩序回復評議会(=SLORC:State Law and Order Restoration Council)と名乗っていた。
ところが同じ軍政は10年後の1997年、その「暫定政権」という意味を捨て、これからも
政権を担う意図で、自らを国家平和発展評議会(=SPDC:State Peace and Development Council)と名前を変えた。
軍事政権の動きを見ると、〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉という呼称変更は、単に
名前の変更だけでなく、そこには必ず、公にはされない隠された政策の変更がある
ということを見落としてはならない。
そこにはビルマの歴史、国民の意思や法を無視して、史実を書き換えてまで自らの
政権の正当性を強調しようとするための名称変更だからだ。
確かに〈 ビルマ 〉や〈 ミャンマー 〉という単語自体に政治的な意味はなかった。
ビルマの場合、例えば国名表記の際には、1930年代に、その後1947年、74年、
89年と後づけで政治的な意味が歴史的に付与されてきた。
つまり、「〈 ビルマ 〉と〈 ミャンマー 〉から〈 ビルマ 〉か〈 ミャンマー 〉か」へと
位相が変わったのである。
特に89年の英語の呼称変更の後、国名の変更に加えて「事実の書き換え」があった。
それゆえ、当時の軍政の主張をそのまま受け入れるのは、ビルマの人であれ
ビルマの人以外であれ、受け入れがたいのである。
◆新政権の態度 ─ 〈 ビルマ 〉と呼ぶか〈 ミャンマー 〉と呼ぶか
ビルマは2011年3月、「民政移管」を果たした。
新政府首脳の多くが、軍服から平服に着替えただけの元軍部出身ということはあるが、
形の上では軍事政権体制は終わった。
新政府は、国際会議などにおいて、自らの国を英語で〈 ミャンマー 〉で呼ぶように
求めている。
2010年11月に自宅軟禁から「解放」された民主化運動家のアウンサンスーチー氏は、
新しい政府のもと、自ら率いる国民民主連盟(NLD)の政党再登録を済まし、議会選挙の
補欠選挙に参加しようとしている。
スーチー氏は、テインセイン大統領と信頼関係を結ぶことによって、ある程度、
新政権を認めている。だからと言って、スーチー氏は新政権の主張を丸呑みして
いるわけではない。
たとえば、スーチー氏は、ビルマを表現する際、ビルマ語では〈 ミャンマー 〉と
言っているが、英語では「バーマ(Burma)」と言っている。
2012年2月現在も、前の軍事政権の英語による呼称変更を受け入れていない。
さてここで、日本の新聞が〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉へと変えた頃の紙面を見てみよう。
『朝日新聞』『北海道新聞』『毎日新聞』『読売新聞』『中日新聞』である。
主に1989年の「ビルマ」か「らミャンマー」へと呼称を変えた頃を中心に。
< 続く >
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