2012年2月アーカイブ

春の息吹、ってか

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 朝から原稿書きに勤しむ。
 ペチペチペチペチペチ。
 3200字という文字数はあっという間。
 ダラダラと書くのは得意(特異?)なのだが。
 しかし、締め切り日だからキチンとまとめなあきまへん。
 
 
 「秀丸」に印刷用のプラグインを入れる。
 おお、なんと高機能なんだ。
 これならもうワープロソフトと変わらんやん。

 プリントアウトした原稿を2度3度見直し、午後、ビュンと送信。
 
 
 暖かい日だ。
 春の息吹を感じます。
 出動しよう。
 テクテク歩いてB→Eへ。
 
 久しぶりにバイクのエンジンもかけよう。
 ギュン。
 
 オークションで買ったMP3がもう届く。
 早い。
 動作をチェックする余裕がない。


 海老の皮をむいて青梗菜やモヤシと炒める。
 
 
 

 
 久しぶりによく寝たようだ(きっと)
 なにやら悪い夢を見たようだが(たぶん)

 
 
 朝食の野菜を切らした。
 自パンとジャム(ブルーベリー、メイプル)2種類のみ。
 
 
 さ、原稿を書かねば。
 ピシッと締まった短いモノは苦手なのである。
 ダラダラとなら書けるのだがなあ。
 まずは資料読みから。
 

 と、久方ぶりに遠方より電話あり。
 そうです、failed したプロジェクト関係でした。
 コミュニケーション不足であっても、それはないでしょ、と。
 で、一応、編集者にもご連絡ということで。
 
 推薦状を書いて頂いた先生にも一報を。
 ふぅ。
 こりごり。


 資料読みを続行。

 また電話あり。
 今度は吉報ですか、まあ。

 NTTの固定電話に立て続けに電話があるのは珍しい。
 この1年、一ヶ月に一度使えばよいほうだったのに。

 
 資料読みを続行。
 まあ、大体の枠組みはできました。

 テクテク歩いて出動なり。
 銀行~スーパーとハシゴです。
 
 部屋に戻って集中集中。
 ペチペチペチペチペチ。


 
 
 

  
 朝4時までPCの前で写真整理なり。
 ペチペチペチペチペチ。
 ふぅ。
 まあ、これでなんとかなりましょうか。

 とりあえず仮眠。
 8時半過ぎ、起きる。
 
 
 いそいそといつもの朝食を終え、机の前でスタンバイ。

 
 スカイプを使ってやりとり。
 いやね、プロジェクト相談、ということで。
 昼過ぎ、なんとかまとまります。
 ビュンと送信、ですか。


 焼きそばを喰らって、ちょいくら仮眠なり。

 
 
 グラビアゲラをチェック。
 修正をして、ビュン、と送信。
 

 寒いなあ。
 戻り寒波ですなあ。
 ブルブル。


 原稿の下書きを始めるが集中できない。
 うーんと、うーんと。
 資料読みをしようにも。あきまへん。

 困った時のDVDである。
 独映画でも見るか。
 " REVOLUTION 6 " 

 早めに寝入る。
 グー。


コメダ珈琲、ってか

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 うー、昨夜は久しぶりにノー味噌を使った。
 
 いやね、ダラダラと長いものを書くのは苦にならないのだが、
 ビシッと締まった短いのは、実は苦手だったりして。


 うー、寝不足だ。
 で、グルゥグルゥと唸りながら起きる。
 
 
 ちょいと遅い朝食なり。

 
 企画書を見直し、ビュンと送信。
 さて?


 14時前、出動。
 今日もテクテク歩くなり。
 うー、昨日とは打って変わって、空気が冷たい。
 鼻水ズルズル。

 
 ほどなく打ち合わせ場所に到着なり。
 はぁ~、そうですか。
 半時間ほどで基礎チェック終了。


 さて、今日のまとめの打ち合わせ&腹ごしらえです。
 以前から行きたかったコメダ珈琲店に入るのである。

 
Komeda_26022012-02.jpg
 まだまだ新しい店内。
 木の香りがします。

 
Komeda_26022012-03.jpg
 と、こちらはバカでかいフィレオフィッシュバーガーなり。
 でかいですね。
 キャベツ山盛り、新鮮だし。
 
 日曜日の午後とあって、ちょいと満席気味でした。

 大カップのブレンドコーヒーを頼む。

 お腹いっぱい。
 コーヒーもまずまず美味しかったです。


 
 空気が冷たい。
 ブルブル寒い。


 部屋に戻ると、うわっ、書き直しのメールが届いてました。
 くぅ~。
 ペチペチペチペチペチとノー味噌を絞るのである。

 
 ひと息ついて、夜は野菜焼きそばを作るのである。
 ああ、お腹いっぱい。


 書き直した企画書(案)をもう一度修正し、ビュンと送信なり。
 さて、どうなりましょうか?


 

 ビルマ(ミャンマー)の国営英字紙『ミャンマーの新しい灯』 (" The NEW LIGHT OF MYANMAR" )
 
から(2月26日)

 ま、「国内改革」が進んでいると国連のお墨付きをもらった、ってか。


 nlm19022026.png



 久しぶりに近くのTヤからキャンペーンのお知らせ有り。
 BBにてクーポンをゲット。
 
 
 15時過ぎ、テクテク歩いてTヤへ。
 "Entre les murs" "REVOLUTION6" "ADJUSTMENT BUREAU"
などを
 借りる。
 おろっ、久しぶりに無料クーポン券をいただく。

 
 そのままテクテク歩いてスーパーへ。
 ま、コピーが必要なので。
 100均店のコピーは1枚5円だし。
 セコイかな?

 
 今夜はお寿司としよう。
 でも、パックだけど。
 ま、別に鯖寿司を買ったりして。
 
 テクテク歩いて帰るのである。


 夜、新しいプロジェクトの企画書に取りかかる。
 ま、今度は大丈夫かな・・・O.K.の確率は高そうだけど。
 ペチペチペチペチペチ。
 
 久しぶりにスカイプで打ち合わせ、とか。

 
 あ、米国ともつながった。


 
 良い天気だ。
 そろそろ春の気配がチラッと感じられます。

 自パンにチーズ、レタスにジャム、紅茶なり。

 ルーティーンを終わらせ、企画書の補助資料をまとめる。
 いやねいろいろと動いてもらっているので。
 急に忙しくなってきました。
 
 ペチペチペチペチペチとテキストを打ち、写真をまとめる。
 あ、掲載紙のコピーをせねば。

 とりあえずサンプルということで。
 これは確か、ビルマ(ミャンマー)東部のカレン州に入った際のルポである。
 2003年当時、国内避難民をきちんと報告したものがなかったので、
 『バンコクポスト』も一面で取りあげてくれた。

 
 DSC6045.jpg
 ( ↑ 大きくなります )

 ペチペチペチペチペチと企画をまとめていく。
 昼過ぎ、なんとかまとまる。


 残り物の汁で野菜雑炊を作る。

 今日は暖かいなあ。

 15時過ぎ、布団を取り入れる。
 で、テクテク歩いて出動である。

 銀行と薬屋に寄る。
 
 空気は冷たいけど、ポカポカ暖かい陽気である。
 土手に犬を連れたじいさんばあさんの姿がいつもより多い。
 初めて使う iriver 製のMP3もまあまあの使い心地である。
 テクテク歩く。

 『戦争犯罪の構造』を読み続ける。
 いやね、ビルマ(ミャンマー)編があったもので。
 ま、ほとんどが雲南省の記述だけど。
 
 しかし、人間ここまで堕ちるかなと思うほどに、旧日本軍兵士による拷問の酷さよ。
 うぷぅ。

 
 野菜マカロニを作る。
 ピリッとタバスコの辛さがききます。
 
 
 大阪府の府立高校で「君が代条例」施行後、初の卒業式が行われた、とか。
 不起立する先生は少なくなるだろうなあ。
 
 夕刊を読んで、起立する先生の理由を知る。
 
 「今回は形式的に起立するだけ。他にも自分の思いを表す場はある。おかしいことは
  おかしいと訴えていく」
 「教師はみんなおかしいと思っている。起立、不起立以前の問題。排他的な空気が
  蔓延し処分が当たり前になるのは怖い」
 「学習指導要領でも起立斉唱は定められており、条例ができたからといって特に変化は
  ない。公務員として法令に従うのは当然で、思想良心の自由とは別問題」

 など。

 ちょうど、『戦争犯罪の構造』を読んで、旧日本軍の性格を考えていただけに、
 やっぱり日本は過去の戦争から大切なことを学んでいないのだなと改めて思う。

 大阪府・大阪市の行政組織は、上意下達を優先する軍隊の組織へ向かっている
 ような気がする。
 
 「少数者が無謀な判断をし、多数はそれに追随するだけの組織は、破局に至る
 まで訂正不能である。」
 という言葉が重い。

 また、

 「日本軍は初年兵への抑圧が徹底していた。・・・、軍隊のいじめの前で初めて、
 等しく非人間的に扱われる平等を感じた。暴力の下での平等主義であった。」

 行政の長の抑圧的な管理の下で、ねじれた平等に進んで身を投げ出そうとする人
 たちの姿が重なる。

 「生活がかかってる」
 と、権力者に逆らうのを怖がることもある。
 確かに処分は怖い。
 今の生活を守ろうとしたい気持は分かる。
 だからこのような「恐怖からの自由」の難しさは、ここ日本では隠蔽されているのだな。
 まあ、それじゃあ、生活を投げうってまで訴えている人びとの、足を引っ張ること
 ぐらいはやめたらいいのに。
 
 せめて無言の抵抗ぐらいはしたいと思う。
 その抵抗も、程度によってはあちらに荷担することになるかも知れないなぁ。
 ふむ。

 

 
 ウトウトと、うねりながら起き[/]。
 久方ぶりの熟睡ですね。
 嬉しや。

 あ・ひる(朝昼兼用)ご飯なり。
 といっても、いつもの自パンメニューだが。

 
 あたふた。
 11時過ぎ、ポツポツ雨のなか出動。
 
 
 部屋の配置換え。
 結構、時間をとられます。

 銀行へ。

 Yバシへ。
 いやね、MP3の新しいのを物色中なので。
 聴く・録音する。
 バッテリーの持ちが良い。
 それだけが一番重要なのです。
 やっぱりこれですか。
 ポイントで支払い。

 
 ぽつりと雨が☂降ってきた。

 スーパーに寄って、バナナ、マカロニ、ゴボウ天などを買う。


 17時過ぎ、部屋に戻る。
 ちょいとお腹がすきました。
 バナナと羊羹一粒なり。

 餃子と焼売、野菜汁を喰らう。

 と、東京から電話あり。
 一つのプロジェクトがペンディングなら、新しいプロジェクトの予感なり。
 まだどう転ぶか分かりませんが。
 ふむ。
 

 田中利幸編『戦争犯罪の構造』(大月書店)
 野田正彰 『戦争と贖罪』(岩波書店)
 をゲットなり。

 

 
 暖かい朝だ。
 目覚まし時計が電子音をならす前に目が覚める。
 うー、ズルズルと身体をくねらせ snuggle 。
 
 シャワーを浴びてぱしっ。
 朝食抜きで出動。
 テクテク歩く。

 3ヵ月に一度の点検なり。
 いつもながら財布の中身が気づかぬうちに減っているのであった。
 
 スーパーに寄って食糧の買い出し。
 
 ヌルッとした天気だ。
 今宵は雨だろうなあ。

 JFの嵐なり。
 ゲプゥ。


 今日もデータ整理なり。
 特にバックアップをもう一度。
 2度と戻らぬ ♪ データは要注意ですし。

 DBのデータ更新。
 ふぅ。

 18時前くらいから雨が降り出した。
 シトシト。

 ☂なり。

 



RFA、ってか

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 RFA ( Radio Free Asia )ビルマ(ミャンマー)参りですね。
 
 
 nlm19022021.png

 


 晴れてます。
 窓の外を見ると、昨日までの雪がまだ残っている。
 まだまだ寒そうだなあ。
 
 ズルズル起きだし、自パンにチーズ、トマト、ジャム2種類とマスタード。
 紅茶なり。

 
 今日もデータ整理である。

 ひと息ついて、読み残しの徐京植『在日朝鮮人ってどんな人』を一気読みする。
 

 昼過ぎ、出動。
 今日はお迎えあり。


 駅前のofficeで打ち合わせと読み合わせ。
 ふぅ。
 眠たくなった。


 暖かい。
 スーパーまでテクテク歩いて、コピー用紙などを買ってテクテク歩いて帰る。


 金富子/中野敏男『歴史と責任』(青弓社)を開く。
 いやね、必要な所だけ。

 日本の戦前・戦中・戦後処理を考えるなら、やっぱり植民地主義にまで考える必要があるのだな。
 うん。
 今更、植民地主義、ってか?
 いやね、中米(ラ米)を訪れた時に感じさせられたのは、500年以上経ても植民地主義の
 影響が社会の中に差別の構造として残っていることだ。
 特に暴力の。
 ということで、やっぱりラ米(アフリカもそうだと思うけど)の社会を経験していたことが
 今更ながら役立っているのだ。
 
 寝不足気味です。



 外務省のホームページ(1月16日)に「平成23年12月25日-26日 玄葉外務大臣の
 ミャンマー訪問」てのがあった。

 http://www.youtube.com/watch?v=iYxe_AfvhXI&feature=player_embedded
 
 ちょっと見てみる。
 
 ▍2011年12月26日に「日・ミャンマー外相会談」
  主な議題
   ●日・ミャンマー関係
   ●ミャンマーの民主化・国民和解
   ●4分野の施策
    ・人的交流
    ・経済協力
    ・経済
    ・文化交流
   ●他の議題(長井健司氏死亡事件・朝鮮半島情勢)
   →その他の議題は映像では触れず

 ▍テイン・セイン大統領表敬
  主な議題
   ●日・ミャンマー関係
   ●民主化・国民和解
   ●4分野の施策
    (人的交流、経済協力、経済、文化交流)

 ▍スー・チー女史との会談
  主な議題
   ●民主化・国民和解
   ●日・ミャンマー関係の強化
 

 こんな日程だったようだ。

 ▍12月25日(日)
 18:40 ヤンゴン着
 20:00 日系企業関係者との懇談

 ▍12月26日(月)
 09:00 日・ミャンマー外相会談
 10:15 テー・ウー連邦連帯開発党(USDP)総書記と
       の会談
 11:00 テインセイン大統領表敬
 17:30 スー・チー女史との会談及び共同記者発表
 19:40 ヤンゴン発


 大きく気になることが2つ。

(1)外相会談では「長井健司氏死亡事件」のことにどれだけ深く
   言及したのだろうか。
   テインセイン大統領とは、会談ではなく、表敬訪問だった
   ため長井氏の件には触れずじまいだったか。
 
   ビデオを見て気になったこと。
   長井氏が撃たれた場所からそれほど遠くないところを、
   玄葉外務大臣の乗った車が通り過ぎるのである。
   
   あれ、何も起こらない。
   玄葉氏は日本の外務大臣としてせめて車を止めて、花輪
   でも手向けて欲しかった(日系企業関係者との懇談はしてる
   のだが)

(2)外務省のビデオにもかかわらず、「スー・チー女史」と
   キャプションを書いてます。
   
   あまりにも省略しすぎでいい加減な表記では。
   きちんと「アウンサンスーチー氏」とすべきではなかろうか。

 

 ビルマ(ミャンマー)の国営英字紙『ミャンマーの新しい灯』 (" The NEW LIGHT OF MYANMAR" )
 から(2月19日)

 ウー・ガンビラ(ウ・ガンビラ Gambhira <Gambira> )に関して大きな記事が出て
 おりました。


 nlm19022012.png
 
 さて、今後の動き、処遇は如何に。
 

 

 2時半過ぎ、階下の物音で目を覚ます。
 寝付けなくなり、そのまま起きてしまう。
 ちょっと神経質?

 

 『和解のために』を読み終え、『植民地主義の暴力』を再読する。
 2冊を比べながら読む。
 で、思わず、アマゾンでもう一冊、歴史認識関係の本を注文してしまう。
 
 『和解のために』には「教科書・慰安婦・靖国・独島」の4つの章からなる。
 個人的にはとっつきやすい「慰安婦」の章から読み始めた。
 そこで読後に強い違和感を感じた。
 その理由は分からなかった。

 次に「靖国」の章を読む。
 今度はなぜか、フムフムとその内容がすんなりと頭に入った。
 この違いはなぜ起きたのだろうか。

 ツラツラと考える。
 そいやこの前、ネットでこんなことを読んだ。


 --------------------

 予断が先にあり、それを証明するために材料を繋ぎあわせて

 ニュースをつくることは、検察であれば、先に有罪無罪の

 ストーリーを決めて、それに都合のいい証 拠だけを選んで

 並べるのと同じである。

 それが検察であれ、学者であれ、一般人の日常的な判断であれ、 

 このようなことを繰り返すものに信用は生まれない。
 
 --------------------

 なぜか納得。 

 そうか、そうなんだ、と気づく。

 「慰安婦」の章では元慰安婦(ハルモニ)への直接インタビューがあった。
 そのハルモニは、「水曜集会」に積極的に参加しない人だった。
 そのハルモニの話だけを取りあげて、まさにハルモニの全てを代表するような書き
 方(読まれ方?)だったのだ。

 ハルモニにもいろんな立場や考え方がある。
 なのに、筆者の主張に合わせるような形でのインタビューからの引用だった
 気がする。

 自分の主張があり、「それを証明するために材料を繋ぎあわせて・・・」
 という印象だった。
 ふむ。


 5時過ぎ、朝刊を読んで寝入る。
 8時半過ぎ、ズルズル起きる。

 真っ青な空。
 でも、寒そぅっ。
 ブルブル。

 自パンにチーズ、ジャム2種類と粒マスタードとレタス。

 9時半過ぎ、出動。
 ブルッ。
 寒い。
 テクテク歩いてスーパーへ。
 ま、ボディガードみたいなものかな。
 とりあえず銀行へ。
 
 懐を暖かくして、テクテク歩いて安売りスーパーへ。
 ﹆鯖など買う。
 1時間半歩く。
 ちょっと運動をした気分。
 故にJFを喰らう也。

 
 写真データの編集とキャプション付け。
 ペチペチペチペチペチ。

 
 遅い昼食。
 ご飯スパゲッチートマトソース。
 ウプ。


 写真編集をしながらPCで国会中継を見る。
 ペチペチペチペチペチ。
 フムフム。
 はぁ~。

 
 カレンダーと睨めっこ。
 そろそろ次のスケジュールを組もうかな。

 
 魚とナメコとジャガイモと大根。


 
 うとうと起きる。
 自パンとチーズとレタスと、新入りジャムはメープルシロップ系なり。

 
 DBのデータをアップなり。
 これもチマチマとやっておかねば、すぐにデータが溢れてしまう。
 

 
 久しぶりにポカポカ陽気ですね。
 部屋の中から窓の外を見ると、あっ~たか~・・・。

 やっぱりこんな日は、ビュンとバイクで出動なり。
 と、後輪がふにゃぁ。
 ちょいと空気が抜け気味ですね。
 ガソリンスタンドで、あぶら入れて、空気いれて、ビュン。
 
 
 領収書などのややこし書類の整理をせねば。
 
 ま、昨年度分は、それほど多くない分量の書類だわ。
 ま、それだけ "" に出かけていた、ということかな。
 ま、その分、実入りは多くなかったけど。
 ま、好きな仕事だし、それに好きに時間を使えるのだから、ゼイタクは言わま。

 
 
 『ポケットに名言を』をパラパラと読了。
 これはっ_!っていうのはあまりなかったなあ。
  

 昨年12月~今年1月の撮影写真をまとめる。
 ちまちまとキャプションを付けて、ウエブに上げはじめる。
 まあ、これも退屈な作業なのだが、きちんとやっておかねばならない。
 うん。
 ペチペチペチペチペチ。

 スパゲッチーを・・・って思ったら、袋に残りがないやんケ。
 ったく。
 急きょ、白飯にぶっかけおかずとする。
 
 
 ゲラを読み、朱を入れる。


 『和解のために』を読み続ける。
 

 
 8時半過ぎ、ぐずりながら目をさます。
 ズルズル。
 ようやく起きる。

 曇り空。
 今にもひと雨きそうな空模様。
 
 
 自パンにチーズ、レタスにトマト、紅茶なり。

 
 朝刊に目を通して、机の前に座る。
 ルーティーンをしてたら、あ、もうお昼。

 
 ニコンの新製品 D800 D800E についてぐぐってみる。
 思ったほどではないなあ。
 高画質だが、高感度についてはD700と同じほどか。
 D700とは別物カメラのようだ。
 一番の優先は、頑丈さだし。
 D4系の子分が出るのを期待するか。


 急にお好み焼きを作るなり。
 

憲法再読、ってか

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 ズルズル起きる。
 独パンにチーズ、レタスにトマト、紅茶なり。

 8時35分にはジュリと出動。
 ポツポツと冷たい ☂ だわ。
 雪に変わりそうですね。
 寒い。

 部屋に戻って珈琲を啜りながらお堅い文書を広げる。
 憲法に目を通すって、あら大変。
 なんでこういう大切なものって退屈なのかな。
 トホ。

 
 残り物のお味噌汁で軽いお昼とする。
 ぱくぱく。


 午後もずっと憲法読み。
 退屈なので、やっぱりツン読の飛ばし読みになるなあ。
 ははは。

 
 なんとか一応、目を通しました。
 思い込みやあやふやだった部分もかなりありました。

 別の書類に目を通す。
 うんうん。
 
 
 出動なり。
 スーパーで買いものをして、ピックアップ。


 夜、領収書の整理にとりかかる。
 うわぁ~、こりゃ大変だぁ。
 

称号、ってか

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 ビルマ(ミャンマー)の新大統領ウー・テインセインに最近、称号がつき始めたようですな。

 この称号を付けて大統領のことが報じられるのは、例えば「連邦記念日」などの特別な場合かな。
 
 President U Thein Sein

 ☟

 Agga Maha Thayay Sithu, Agga Maha Thiri Thudhamma U Thein Sein,
 President of the Republic of the Union of Myanmar

 
 それにしても、個人を褒め称え(すぎ)るようなことは、この国あって、ちょっと不安だわい。



 Sパンとレタスと紅茶なり。

 ズルズル起きだす。
 
 掃除機がけなり。


 バックアップした後のスキャンイメージを再確認。
 しかし一つひとつ修正するにはファイルが重たすぎるなあ。
 さて、どないしょ。

 肥大化し始めたデータをどのように有効活用していくのか、ちょっと真剣に考えなければ
 ならないはあ。
 ペチペチペチペチペチ。


 19時前、出動。
 スーパーに寄って、駅に寄って、部屋に戻る。

 
 いそいそとエビをむいて吸い物を作って喰らう。
 やっぱり汁モンですね。
 じゅるじゅる。


 8時時過ぎに目が覚めるのだが、ちょいとウトウト気味。
 ピンポ~ン ♪ とネコさん来る。
 して、2度寝である。

 ほどなく、またもやピンポ~ン ♪ 今度は、速達だ。
 して、3度寝である。
 至福である。
 
 フリーランスは毎日が日曜日なのである。
 実はこれは困った事なのである。
 
 仕事がないってことやんけ。
 〳〵〳〵〳〵〳〵・・・って笑い事とちゃいまっせ。

 
 ちょいと冷やした官僚的な文書の仕上げにかかる。
 どうも上手く表現できないなあ。

 寺山修司『ポケットに名言を』(角川文庫クラシックス)が届く。


 ETV特集(録画)を見る。
 1998年放映だから、今から約15年前だ。
 ビルマ(ミャンマー)とタイの国境で武装抵抗闘争を続けていたビルマの元学生たちの話。
 
 
 ドイツパンを喰らいまくる。
 美味しいもんでパクパク喰らってたら、ほどなくお腹がはち切れそうになる。
 うー、やっぱり後でドンとくるわ。
 うぷぅ。


 たまったDB用のファイルの整理をば。

 ウエブの写真を整理。
 ウエブに写真をアップしようとするが、う、なぜかエラーメッセージ。
 「有効なトークンが見つかりません」と。
 うへ、またなんで?
 原因分からず。
 困った。

 
 ジャストシステムからソフトの予約特典のタオルがついてきたのだ。
 特別タオル、速乾性。
 Ichitaro_2012.jpg
 汚れが目立たない白以外もあればよかったのにね。
 
 
 NHK特集を見る。
 こちらは1988年放映分だから、今から25年前の番組だ。
 あの吉田敏浩さんの「回想のジャングル」である。
 うーん、今見ても新鮮だ。
 吉田さんの取材の深さにはいつも驚嘆させられる。

 取材者の先人たちは内容の濃い取材と報告を残しているなあ。

 
 こちらも刺激を受けて、企画の追加の資料をビュンと送信。


 今夜もカレーを喰らう也。

 米国のドB級スプラッター映画を見る。
 " S...S "
 うへぇ。
 


 
 今日は健康診断のため朝食抜きなのである。
 お腹ペコです。

 ササッとシャワーを浴びて、フィルムがどっさり入った宅急便のパッケージを
 持って(重たっ)、ジュリと出動。
 
 
 青い空、冷たい空気。

 
 年に一回の健康診断の日。
 初めて行く医院でした。 
 予約してたのに、しばし待たされる。
 検尿と採血と身体測定。
 ちょいと太ったかな。
 ポチ。

 しかし、2人ならんでの測定とわっ。

 お医者さん、問診票を読んでないやん。
 こちらから話を主導。
 ま、無料の検診ですから・・・。
 結果は一ヶ月後ですか、ってか。

 
 帰りにネコさんに寄り、段ボールを発送。
 ふぅ、これで一段落だわ。

 
 部屋に戻ると、不在票がぺろり。
 やっぱり10分違いで飛脚さん来てはった。
 「一太郎 2012 承」ですね、たぶん。


 ペコペコお腹をチーズSパンとしなびたレタスで満たす。
 

 さ、やろか。
 ペチペチペチペチペチと誌面用の写真キャプションを書く。
 
 と、2002年の写真が出てきました。
 02kor022.jpg

 朴玉蓮(パク・オンリョン:1919-2011)さん。
 昨年5月15日、なくなった。
 享年93歳。
 ラバウルでの経験など、元「慰安婦」時代のことを一番たくさん話してくれた。
 

 で、2011年12月の「水曜集会」と「ナヌムの家」の写真キャプションを書き上げ、
 ビュンと送信。


 企画書の仕上げにとりかかる。
 まずは、突然の、急ぎの分。
 ペチペチペチペチペチ。
 集中(@o@)!

 
 と、飛脚さん現る。
 一太郎の最新版、「2012 承」を受け取る。
 さて、どうするか。
 最新のソフトは不具合が多いしなあ。
 ま、その時はその時。
 で、早速、インストール。
 とりあえずはATOKが使い易くなればいいんでね。

 
 企画書の下書きを仕上げて、ビュン、と送信。
 
 さ、次だ。
 書きかけの申請書を読み直し、修正。
 こちらはちょいと冷やす。


 で、ちょいと気になってた、〈 ビルマ 〉か 〈 ミャンマー 〉かについてまとめる。
 個人的にはあまりこだわりがないのだが(ほんま?)、ま、キチンと記録に残しておきたいので。
 
 本来は "〈 ビルマ 〉 〈 ミャンマー 〉" だったのが、そのうち "〈 ビルマ 〉
〈 ミャンマー 〉 "
 なってしまったのだ。
 要はそういうこと。
 その時々によって、解釈が変わる、ということだ。

 ペチペチペチペチペチ。

 
 カレーを作って喰らう。
 前菜は、ホコホコの大根である。
 美味である。

 

 さて、ここで冒頭に戻ろう。
 
 <1>ビルマ語を使う、ビルマの人の立場

 <2>ビルマ語を使わないビルマ以外の人びと(私たち)


 
 <2>の立場である。

 「ビルマ(ミャンマー)」新政権には、軍服を脱いで平服となった元軍政の幹部が

 多い(テインセイン大統領も元大将)。



 繰り返すが、新政権は国際会議の場で、他国に対して、自らの国を

 英語呼称を〈ビルマ (Burma)〉でなく〈ミャンマー(Myanmar)過去と呼ぶように

求めている。

 
 だが、果たして、外国の報道機関にまで敢えて〈 ミャンマー 〉表記を求めているのだろうか。
 

 実は、2012年1月末、新政権のテインセイン大統領に初の単独会見を行った初の

 外国の報道機関、米国の『ワシントン・ポスト』は、その報告記事の中で〈ミャンマー(Myanmar)〉を

 使わず、〈ビルマ(Burma〉を使っている。
 

 〈 ビルマ 〉を使っている報道機関が、外国のメディアとして初めて、〈ビルマ〉の最高責任者に

 インタビューしたのである。

 

 各メディアが、自らが自らの判断として、どう報道するのかが、実は問われているのである。

 

 そこで、上記の各紙から〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉に変更した理由を抜き出してみると、


 --------------------

 (1)民族主義の台頭や国内事情を考え、現地の呼び方を尊重する

 (2)現地の発音に近い表記をとる

 (3)慣用化した書き方は変えない

 --------------------

 現地から英語式の呼び方をやめるよう求めてきました。外務省が認めたので

 --------------------
 
 日本の外務省が正式国名として採用するのを始め、国連でも名称を
 
 変更するなど、国際的に認知の輪を広げている。

 --------------------

 ビルマ政府が表記を変更したのに伴って、外務省は10日からこれらの

 呼称変更を実施することを決めました。今回の措置はこれを受けたものです。

 --------------------

 ビルマ大使館からの変更通告に伴い、日本政府は六月三十日に表記変更を
 
 決めました。今回の措置はこれを受けたものです。

 --------------------
 
 外国地名の書き方を一部変更します。これは日本新聞協会加盟の

 新聞・通信社と放送局の担当者で構成する新聞用語懇談会の決定に

 基づくものです。

 --------------------

 (1)現地の呼び方を尊重する(2)現地の発音に近い表記をする-を

 基準とし

 --------------------

 ビルマ大使館が日本政府に国名変更を通告してきたのに伴い、政府は

 二十八日、ビルマの国名を「ミャンマー」(MYANMAR)に表記変更する

 ことに決めました。
 
 本紙もきょうの紙面から「ミャンマー(旧ビルマ)」と、国名の呼称を統一します。

 --------------------
 
 それぞれの国内事情等を考えて現地の呼び方を尊重し、現地音に

 近づけた表記をするのが改定の主なねらいです。

 --------------------

 現地政府から英語式の呼び方をせず、国名を「ミャンマー」とし、首都名も
 
 「ヤンゴン」(旧ラングーン)とするよう要請があり、外務省も認めたので

 七月九日からこの呼称に変えました。

 --------------------

 ビルマがこのほど国名を「ミャンマー」と改め、国連など国際機関、各国

 政府とともに、日本政府も呼称変更を受け入れました。これに伴い、本社も

 1日から呼称をミャンマー(旧ビルマ)とします。

 --------------------

 ビルマが自国国名をこれまでの英語の読み方の「ビルマ」から、自国流の

 読み方の「ミャンマー」に変更、その旨を外交ルートを通じて通報してきた

 のを受けたもの。

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 在京ビルマ大使館は二十日、ビルマ政府が十八日表記適合法を制定した

 のに伴い、国名を「ビルマ」(UNIONOFBURMA)から「ミャンマ」(MYANMAR)に

 変更すると外務省に通告した。これについて外務省の渡辺外務報道官は

 同日の記者会見で「ビルマ」の日本語表記を変更するかどうか検討中で

あることを明らかにした。

 --------------------

 
 つまり、ビルマ政府が英語の呼称変更を日本政府に通告する。
 

 日本政府は、その通告に従って、日本語表記を〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉に変更する。


 ※※※※※日本政府は、なぜ、「日本語」読みを「英語読み」に変える必要があったのか。
 

 例えば「グルジア」を英語読みで「ジョージア」にしているのか? 

 もしグルジア政府から要請があれば「ジョージア」に変更するのか? 
 

 韓国は「コリア」へ、中国は「チャイナ」と英語読みするのか。
 

 

 さてここで、 <2>ビルマ語を使わないビルマ以外の人びと(私たち)で、

 特にメディアに関しては、さらに2つの立場があるように思える。
 

 <2>ー(A)日本政府の広報紙のようになって、政府の方針をそのまま伝える

 <2>ー(B)日本政府とは別の方針を持って、「ビルマ」から「ミャンマー」へと

 日本語表記を変える。

 

 <2>-(A)新聞各紙は、日本政府が日本語表記を〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉へ

 
変えたという理由だけで、現地の実状をあまり深く検討(研究)しないで変更した。

 
 <2>-(B)であるが、日本の新聞各紙は、現地の呼び方や発音を尊重する

 方針だとしている。


 だが、〈 ビルマ 〉と〈 ミャンマー 〉は、実は、同じ「ビルマ族」を表しているだけ

 なのである。

 呼称に関して、そこには政治的な意味が加えられたというビルマにおけ歴史的な

 背景を考慮に入れていない。
 

 また1989年当時は、口語では〈 ビルマ 〉が文語では〈 ミャンマー 〉が一般的で、

 従来、日本語の表記は〈 ビルマ 〉であって、そこに敢えて英語読みから変更する

 理由はない。

 また、ビルマにおいて最も重要な問題である、ビルマが抱える各民族問題を

 すっ飛ばしている。
 

 現地読みと言えば聞こえはいいが、実は、その現地読みを採用するその基準や

 危険性を全く考慮に入れていない。つまりは現地への理解不足である。

 
 
 では、なぜ、私がいまだに〈 ミャンマー 〉という単独ではなく「ビルマ(ミャンマー)」

 あるいは「ミャンマー(ビルマ)」と2つの単語を併記して使い続けるのか。
 

 今後、「ビルマ」という国名は世界の中で、これまで以上に〈 ミャンマー 〉呼ばれることに

 なるだろう。

 時代や社会の移り変わり、その時々の政治勢力によって呼称も変わるのも当然かもしれない。

 政治的な意味合いを含めないとしたらその流れには抗えないであろう。
 

 私が国名にあえて〈 ビルマ 〉と余分に付けるのは、1989年の軍事政権

 (「国家法秩序回復評議会」=SLORC)がいくつかの歴史的な事実の書き換えを行い、

 日本政府と日本のメディアはそのことに対して当然の疑問を差し挟むことなく、

 「日本語」の国名表の変更を当然としてきた事実を記しておきたかったからである。
 

 結果的に、当時の軍事政権を支える言動が繰り返されてきた事実は消されないのである。
 

 忘れるということがなければ、人間はある意味、前へ進めない。

 また、時がたてば個々人のこだわりも弱くなっていくだろう。

 ビルマに関わって、一つの国と地域の歴史と時代を見てきた者として、或いは

 そこで何人もの死を見て来た者として、果たして、それでもその忘却に乗っかり、

 時に自分に妥協しながらやくのが自分の選ぶ道なのか。
 

 
 〈 ビルマ 〉か〈 ミャンマー 〉に関して、さらに、以下の理由も付け加えられるであろう。


 ・東京外大や大阪大学(旧大阪外大)のウエブサイトを見るといまだに

 「ビルマ」「ビルマ語」と従来の日本語表記を使い続けている。


 ・日本のビルマ研究者の中には〈 ミャンマー 〉表記を使っている研究者

 も増えつつあるが、その研究者の集いの名称は今だに「ビルマ研究会」

 である。


 ・アウンサンスーチー氏自身が一貫して英語で〈 ビルマ 〉を使っている。

 

 しかしながら、〈 ビルマ 〉という国名を単独で使い続けると、日本では

 事実上〈 ミャンマー 〉という呼び方が一般化しているので、現地の現状を

 伝えようと記事を書いたとしても、その報告を読む読者に内容が伝わらないおそれがある。
 

 そこで、「ビルマ(ミャンマー)」或いは「ミャンマー(ビルマ)」という表記を使っている。

 
 
 また以下に、私個人がビルマに関わってきた経験を述べる(ビルマ国内には

 過去20年、30回近く入国して取材を続けている)
 
 

 これまで、ビルマ全土を歩き回った際、それぞれの訪問地で出会う人びとに、

 機会があれば同じ質問を続けてきた。
 

 「バー・ルゥ-ミョー・レー(あなたは何人(何民族ですか?)」と。

 10年ほど前は、ビルマ人であればその答として、
 

 「バマー(ビルマ人です)」とか、カチン人であれば「カチン・ルゥミョー(カチン人です)」

 という返答があったし、それぞれ「ラワン・ルゥミョー(ラワン人です)」

 「チン・ルゥミョー(チン人です)」「ムスリム(ムスリム人です)」と各民族名や

 宗教名を表す答があった。
 

 ところがこの数年は、ビルマ政府の教育が徹底してきたのか、「あなたは

 何人(何民族ですか?)」という質問に対して
 

 「ミャンマー(ミャンマー人です)」と返答する人びとが増えてきた。


 ビルマ族の人が「ミャンマー」と答えるのはまだ理解できるのだが、ビルマ族

 以外の人が「ミャンマー」と答えたのは驚いた。
 

 実は、「ミャンマー」と答えた人に対しては「バマー(ビルマ族)ですか?」と

 重ねて質問をするようにしている。
 

 「バマー(ビルマ族)ですか?」という質問に対して、ビルマ族の人なら

 「バマー」と返答し、それ以外の民族の人なら、例えば「カレン・ルゥミョー

 (カレン人です)」とか

 「モン・ルゥミョー(モン人です)」という返事があった。


 
 追記:
 

 『朝日新聞』は2012年から「ミャンマー(ビルマ)」から「ミャンマー」へと

 変えたのに伴い、「アウン・サン・スー・チー」を「アウンサンスーチー」へと

 変更。
 

 このスーチー氏の名前の表記の変更こそが、現地の実情に合わせて、

 日本の読者にできるだけ正確な事柄を伝えようとする報道姿勢であろう。
 

 なぜなら、ビルマ族の人は基本的に、日本の「姓名」に当たる「姓」を持たない

 からである。
 

 だから「アウンサンスーチー」を「・」で区切って表記することは、読者に対して

ビルマの人にはあたかも「姓」があるような誤解を与えるからである(例えば、

 米国人のJohn Smith さんを 〈 ジョン・スミス 〉 と表すように)
 

 もっともこの「姓名」表記に関しては、「シャン」「カチン」など他の民族には

 当てはまらない。



追記2:
 
 国名や人名など、日本語独自の表記があって当然である。
 
 だが、その日本独自の表記にこだわるあまり、読者に(視聴者に)、現地の

 実状をより正確にではなく「誤って」伝えるのは避けたいことである。




 以上



 「〈 ビルマ 〉〈 ミャンマー 〉 から 〈 ビルマ 〉〈 ミャンマー 〉」へ


 どうして私が、〈 ミャンマー 〉という一つの言葉ではなく、「ビルマ(ミャンマー)」 

 あるいは 「ミャンマー(ビルマ)」と2つの呼称を併記して使い続けるのか。

 
 今後、〈 ビルマ 〉という国名は世界の中で、これまで以上に〈 ミャンマー 〉とだけ
 
 単独で呼ばれることになるだろうに・・・。




◆結論を先取りすればこういうことである。

 
 時代や社会の移り変わり、その時々の政治勢力によって国や地域の呼称が
 
 変わるのも当然であろう。

 
 政治的な意味合いを含めないとしたらその流れには抗えないであろう。

 
 私がこの国の名前にあえて〈 ビルマ 〉と余分な呼称をつけるのは、1989年当時の
 
 ビルマ(ミャンマー)軍政(「国家法秩序回復評議会」)が、いくつかの歴史的な事実の

 書き換えを行い、日本政府と日本のメディアはそのことに対して疑問を差し挟むことなく、

 「日本語」の国名表記の変更を当然としてきた事実を記しておきたかったからである。
 


 結果的に、当時の軍事政権を支える言動が繰り返されてきた事実を消してはならない

のである。




◆以下、説明が長くなるがその理由を説明したい。
 

 東南アジア最後の軍事独裁政権国家「ビルマ(ミャンマー)」が2011年「民政移管」を

 果たした。
 

 全国紙で唯一「ビルマ」表記をしていた『朝日新聞』 が2012年に入り、これまでの

 「ミャンマー(ビルマ)」という表記から(ビルマ)を取り去り、「ミャンマー」とだけ表記し

始めた。


 それと同時に、「アウン・サン・スー・チー」という表記を「アウンサンスーチー」と変更した。

 ビルマ(ミャンマー)の問題にあまり詳しくない人には、この国をどう呼ぶ(表記する)

 のかということについて、それほど関心がないのかもしれない。


 
 この国の呼称の混乱の事の発端は、1989年に時のビルマ軍事政権(「国家法秩序回復

評議会」=SLORC)が、対外的な「英語の呼称」を〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉に変えた

ことである。

 
 国連は、クーデター政権であろうと、事実上ビルマを「実効支配」しているのは軍事政権で

あったため、その呼称変更を受け入れた。
 

 日本ではこれ以降、〈 ビルマ 〉よりも〈 ミャンマー 〉という呼び方が一般的になっている。



◆〈 ビルマ 〉と〈 ミャンマー 〉は語源が同じ同じ言葉

 もともと〈 ビルマ 〉と〈 ミャンマー 〉は「ムランマー」という同じ語源の言葉で、

文語(書き言葉)で〈 ミャンマー 〉、口語(話し言葉)で〈バマー(ビルマ)〉という使い分け

があったことに留意しておかねばならない。
 

 軍政に反対するから〈 ビルマ 〉、軍政を認めているから〈 ミャンマー 〉と呼ぶということ

ではない。

 また、この国名の呼び方について単純に、「英語読み〈 ビルマ 〉」か「現地語読み

 〈 ミャンマー 〉」かという問題でもない。




◆〈 ビルマ 〉と呼ぶか〈 ミャンマー 〉と呼ぶかには、大まかに言って2つの立場がある。

 <1>ビルマ語を使う、ビルマの人の立場

 <2>ビルマ語を使わないビルマ以外の人びと(私たち)


 <1>ビルマの人の立場(主に民主化活動家)

 ビルマの人は、国の名前を変えた当時のビルマ軍事政権が選挙を経ずに武力で政権を

奪取したクーデター政権であるため、正当性を持たない政権が国名を勝手に変えたことを

認めたくないという。



<2>ビルマの人以外の立場

 日本語を使うわれわれは<2>である。

 日本では従来、映画では「ビルマの竪琴」という小説もあるし、オランダ語から入った

〈 ビルマ 〉という国の呼び方は定着していた。


 それをなぜ、英語読みの〈 ミャンマー 〉に変更しなければならないのだろうか?


(1)もともとビルマ語には書き言葉(文語)と話し言葉(口語)とがあり、ビルマ(バマー)と

いう語は「ムランマー」という言葉から派生し、(2)多くのビルマ人は文語では「ミャンマー」、

口語では「バマー(ビルマ)」と使い分けてきた。


(3)実は「ビルマ」にしろ「ミャンマー」にしろ、本来的な意味ではこの2つの語はどちらも

「ビルマ族」を意味してきた。


 


◆〈 ビルマ 〉に政治的な意味づけ 


 ややこしいのはこれからである。

(4)英国からの独立を闘った1930年代のビルマの人は、諸民族を全て含めた統一国家を

示す意味で「ビルマ」という語を使った。


※独立の志士たちはここで、政治的には中立であった「ビルマ」という単語に「諸民族を

含めた一つの国民」という意味を「付け加え」た。


 
 このように説明する研究者もいる。

--------------------

ところで、ビルマ政府は、1989年6月18日の法律によって、英語の対外呼称を Burma から Myanmar に変更しました。

これに従って、日本でも、ビルマをミャンマーと呼ぶことが多くなりました。

これについては、どちらの呼称を使うべきかについて様々な議論があります。


実を言うと、ビルマ語の現地音を尊重するという意味においては、「ミャンマー」を

用いたほうが良いのです。


ビルマ語ではビルマのことを[ミャ(ン)マー]あるいは[バマー]と発音します。


日本語の「ビルマ」は、、[バマー]の古音に基づくヨーロッパ語(おそらくオランダ語)

から江戸末期に入ったもので、発音としては現代ビルマ語の


 [ミャ(ン)マー]とも[バマー]とも大きく異なります。


 ですから、現地音を尊重するという意味では、ビルマよりミャンマーを用いたほうが

 良いと思われますが、日本語の学術用語としては「ビルマ」のほうが


 定着している等の理由により、このHPでは「ビルマ」を用いています。



 ではなぜミャンマーを使わないかというと、ビルマ政府が、ビルマ語の[ミャンマー]は

 国内に住むすべての民族を含む呼称であるかのように説明しているからです。


 この説明は嘘なのです。本当は、[ミャンマー]という呼称はビルマ族のことしか指しません。


 [ミャ(ン)マー]と[バマー]は、前者が文語的、後者が口語的という違いくらいしかないので

 あって、両方ともビルマ族を指す言葉です。


 政治史的には逆に[バマー]をビルマ国内のすべての民族を指す呼称として用いようと

 する動きさえありました。ところがビルマ政府は、


 ビルマ語にビルマ族を指す言葉が2つあったのを良いことに、他民族国家の呼称
 
 としては Myanmar のほうがふさわしいですよ、と説明したのです。


 
 この主張は、少数民族の立場を考えると受け入れがたいものです。もしここで、

 日本語のビルマをわざわざミャンマーに変更するなら、我々はビルマ政府の無理な

 主張を受け入れることになってしまいます。



 それならばむしろ、従来の日本語としての「ビルマ」を、現地音とは違うという憾(うら)みは

 ありますが、使っていこうじゃないかということなのです。


 そもそも、ビルマ政府が変更したのは英語呼称の Burma なのですから。

 --------------------



◆〈 ミャンマー 〉に政治的な意味づけ
 
 ビルマは1948年に英国から独立する。
 
 その前年、1947年にできた憲法は『ミャンマー連邦』=Pyihtaunsu Myanma Naingan であり、

 「ミャンマー」という言葉を(もちろん文語なので)使っている。

 
 1962年、ネウィン将軍がクーデターを起こし、この時からビルマは軍事政権が始まる。

 
 1974年、新しい憲法が作られる。
 
 
 その1974年憲法では、これも文書であるので、『ミャンマー連邦社会主義共和国』=
 Pyihtaunsu Hsoshelit Thanmata Myanma Nainganto とした。


 日本ではこの憲法を「日本語」で『ビルマ連邦』『ビルマ連邦社会主義共和国』と表記した。

 
 1988年、ビルマではネウィン将軍によるビルマ式社会主義が行き詰まり、大規模な

 民主化デモが起った。

 
 この時、ビルマ国軍がクーデーターを起こし、国内の騒乱状態を収集するという理由で、

 あくまでも「暫定政権」という意味で、「国家法秩序回復評議会(=SLORC:

 State Law and Order Restoration Council)」と名乗った

 
 翌1989年「国家法秩序回復評議会」が対外的な「英語呼称」を「ビルマ」から

 「ミャンマー」へと変更した。



 ※※「国家法秩序回復評議会」はこの時、1930年代の独立の志士たちが
    意味づけしたこととは反対のことを主張した。


 「ビルマ」という語は「ビルマ族」だけを意味し、「ミャンマー」は「ビルマ族を含む

 諸民族全てを含む」言葉として適当であると。


 
 〈 ビルマ 〉 と 〈 ミャンマー 〉 という単語に、どのように意味づけをするのかは歴史的な

 文脈を無視して語ることは出来ない。

 
 この場合も、1930年代の独立の志士と1989年のクーデターを起こした軍部の
 
 どちらの主張が、より正しいかは判断できない。




◆呼称変更は地域名にも

 もう少しみてみよう。


 1989年に国名を「ビルマ」から「ミャンマー」へと対外的な英語呼称を変えた際、
 
 「国家法秩序回復評議会」は同時に、国内の地名の変更も行っている。
 

 主に英国の植民地時代の「英語表記」を「ビルマ語」に変更した。

 「ラングーン(Rangoo)」→「ヤンゴン(Yangon)」
 
 「ペグー(Pegu)」→「バゴー(Bago)」
 
 「モルメイン/モールメイン(Moulmein)」→「モウラミャイン(Mawlamyaing/Mawlamyine)
 
 「アラカン州(Arakan State)」→「ラカイン州(Rakhaing/Rakhine State)」
 
  「カレン州(Karen State)」→「カイン州(Kyin State)」

 「シポー(Hsipaw)」→「ティボー(Thibaw)」
 
 「ケントン( Kengtung)」→「チャイントン(Kyaingtong)」
 
 など他にもまだある。

 

 「国家法秩序回復評議会」はこの時、「ビルマ」から「ミャンマー」への英語の呼称変更の

 理由として、ミャンマーは「ビルマ族を含む諸民族全てを含む」言葉として適当であると

 していた。

 
 だが、地名変更を見てみると、例えば、シャン州の「シポー(Hsipaw)」や「ケントン( Kengtung)」は

 「ティボー(Thibaw)」や「チャイントン(Kyaingtong)」など、本来はシャン語に

 近い英語表記からビルマ語読みに変わっている。


 ビルマ語はr音がy音に変わる。

 よって「カレン」が「カイン」に変わる。

 だが、「ラカイン」は「ヤカイン」に変わらず「ラカイン」のままである(ビルマ人はヤカインと

 呼ぶが、政府の表記では「ラカイン」である。

 
 実際、ラカインを表す場合、「アラカン」「ラカイン」「ヤカイン」と3つもある)


 諸民族の立場を尊重しようとするなら、地名の変更をそれぞれの民族語に近い

 呼び方のまま残すのが適当ではないだろうか。


 1974年の憲法では「公用語としてビルマ語を用いることにする。必要な場合、

 当該の土着民族語を用いることができる」という規定を1989年の軍政は

 無視している。これこそが、各民族の人びとにとっては、当時のビルマ軍政の

 進めてきた少数民族の文化を認めない「汎ビルマ主義」に見えてしまうのである。


 
 〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉への国名変更で、ビルマ国内に暮らす諸民族の

 位置を尊重しようと主張していた当時の軍政「国家法秩序回復評議会」(SLORC)の

 説明は、実は地名の変更をみると無理がある。


 
 また「国家法秩序回復評議会」は国名の英語呼称の変化に伴って次のような変更を

 行っている。

 
 1988年までビルマは「ビルマ社会主義計画党(BSPP:Burma Socialist Programme Party)」が国を支配していた。


 それまでこれまで「ビルマ社会主義計画党」を英語で表す際、" BSPP" と表記していたのが、

  "MSPP"(Myanmar Socialist Programme Party) と表記するようになった。


 「国家法秩序回復評議会」は、歴史的に事実としてあった「ビルマ(Burma)」という

 呼称をすべて「ミャンマー(Myanmar)」に変えることで英語の呼称 〈 ビルマ (Burma) 〉 を

 消し去ろうとしているようである。


 
 このような歴史的な表記までさかのぼって変更することは果たして可能なのだろうか。

 歴史的な事実の書き換えである。
 
 まるで『ビルマの竪琴』を『ミャンマーの竪琴』とするようなものである。

 
 1989年における「ビルマ」から「ミャンマー」への英語の呼称の変更は、同時に

 史実の書き換えがあり、諸民族の存在を弱めるような変更あったとしたら、その

 主張─「ビルマはビルマ族だけを指し、ミャンマーは諸民族を含めた言葉である」
 
 はどこまで受け入れる事ができるのであろうか。


 1988年のクーデター政権「国家法秩序回復評議会」は、この英語の対外呼称変更の

 一年前、1988年の大規模な民主化運動で国内が騒乱状態に陥った当初、あくまでも

 「暫定政権」という意味で、国家法秩序回復評議会(=SLORC:State Law and Order Restoration Council)と名乗っていた。

 
 ところが同じ軍政は10年後の1997年、その「暫定政権」という意味を捨て、これからも

 政権を担う意図で、自らを国家平和発展評議会(=SPDC:State  Peace and Development Council)と名前を変えた。


 軍事政権の動きを見ると、〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉という呼称変更は、単に

 名前の変更だけでなく、そこには必ず、公にはされない隠された政策の変更がある

 ということを見落としてはならない。

 
 そこにはビルマの歴史、国民の意思や法を無視して、史実を書き換えてまで自らの

 政権の正当性を強調しようとするための名称変更だからだ。



 確かに〈 ビルマ 〉や〈 ミャンマー 〉という単語自体に政治的な意味はなかった。
 
 ビルマの場合、例えば国名表記の際には、1930年代に、その後1947年、74年、

 89年と後づけで政治的な意味が歴史的に付与されてきた。


 つまり、「〈 ビルマ 〉と〈 ミャンマー 〉から〈 ビルマ 〉か〈 ミャンマー 〉か」へと

位相が変わったのである。


 特に89年の英語の呼称変更の後、国名の変更に加えて「事実の書き換え」があった。

 それゆえ、当時の軍政の主張をそのまま受け入れるのは、ビルマの人であれ

 ビルマの人以外であれ、受け入れがたいのである。



◆新政権の態度 ─ 〈 ビルマ 〉と呼ぶか〈 ミャンマー 〉と呼ぶか
 
 ビルマは2011年3月、「民政移管」を果たした。
 
 新政府首脳の多くが、軍服から平服に着替えただけの元軍部出身ということはあるが、

 形の上では軍事政権体制は終わった。
 

 新政府は、国際会議などにおいて、自らの国を英語で〈 ミャンマー 〉で呼ぶように

求めている。

 
  2010年11月に自宅軟禁から「解放」された民主化運動家のアウンサンスーチー氏は、

 新しい政府のもと、自ら率いる国民民主連盟(NLD)の政党再登録を済まし、議会選挙の

 補欠選挙に参加しようとしている。
 
 
 スーチー氏は、テインセイン大統領と信頼関係を結ぶことによって、ある程度、

 新政権を認めている。だからと言って、スーチー氏は新政権の主張を丸呑みして

 いるわけではない。

 
 たとえば、スーチー氏は、ビルマを表現する際、ビルマ語では〈 ミャンマー 〉と

 言っているが、英語では「バーマ(Burma)」と言っている。

 
 2012年2月現在も、前の軍事政権の英語による呼称変更を受け入れていない。


 さてここで、日本の新聞が〈 ビルマ 〉から〈 ミャンマー 〉へと変えた頃の紙面を見てみよう。

 『朝日新聞』『北海道新聞』『毎日新聞』『読売新聞』『中日新聞』である。

 主に1989年の「ビルマ」か「らミャンマー」へと呼称を変えた頃を中心に。

 

< 続く >


 
 

突然の企画、ってか

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 Sパンにチーズをのせ、しなびかけたレタスを喰らう。

 申請書を書き始める。
 ペチペチペチペチペチ。

 昼過ぎ、ビュンとバイクで出動。

 
 OoSsAaKkAa でYバシに寄る。
 いやねMP3が動作不良なもんで。
 やっぱり待たされる。
  
 と、待ち時間に、時計の電池・・・交換なのに・・・。
 45分待ちの表示なり。

 ま自分でやろう。
 簡単なボタン電池だから。
 
 210円ですか。
 タイですと100バーツだから、日本の方がちょいと安いですヤン。

 
 テクテク歩いてA_Pのオフィスへ。
 ごきげんよう。
 しばし近況をぐっちゃら。
 そういうことなんです。
 えっ、そんな展開になりますかー。
 で、突然の企画ですな~。
 
 うわぁ。
 心機一転だす。

 
 一足早いチョコをいただく。
 さすが、半島系のチョコですね。
 マッコリ風味(笑)?
 120209_1656001.jpg
 

 おいとま。
 帰りにYバシによってMP3を物色。
 電池やボイス録音の事を聞こうと思っても、店員さんがいてはらへん。
 面倒だな。
 帰ろう。

 
 駅でのやっぱり待ち時間長い。
 乗っている時間自体はそれほどではないのだが・・・乗り換え・接続で半時間はつぶれる。
 とほ。


 バイクでビュンと部屋戻る。
 木曜なのでスーパーに寄ったりして。

 
 いきなり、夜を徹して、申請書と企画書の下書きに励む。
 ペチペチペチペチペチ。

 

 

 昨日今日と、久方ぶりにのんびりした日々。
 朝もゆっくりと起きる(これは毎日だわな)

 
 と、気分的にゆっくりできるのは、昨年12月の初め以来だな。

 机の上を整理してみたりする。
 
 
 こういうときは評論など読まず、しっとり系の文学を読みたいのだが。
 と、言いつつ、読みかけの 『和解のために』 を開く。

 「慰安婦」の章では違和感を感じたのだが、「靖国」の章ではストンと落ちる内容なんだな。
 
 
 夕方、テキトーな時にテクテク歩いて散歩に出る。

 
 野菜焼きそばを喰らって寝入る。




 ビルマ(ミャンマー)の国営英字紙『ミャンマーの新しい灯』
(" The NEW LIGHT OF MYANMAR" )
 から(2月8日)

 
 ビルマ(ミャンマー)新政権と米国の蜜月ぶりが(一方的のようだけど)みえますね。
 
 オバマ大統領とクリントン国務長官が同時に国営紙をかざっているんですもの。

 nlm08022012.png
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連日カレ-、ってか

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 雨が降りそうな曇り空。

 チーズトーストとトマト、濃い目のドリップコーヒーで目をさます。
 さ、ちょっと余裕の今日と明日(のはず)
 
 
 昨日、スキャンを終えましたので、机の上を整理する。
 
 写真データをHDに移す。
 手持ちの外付けHDを探す。
 とりあえず80GBと20GBが見つかった。
 フィルムの通し番号とHDを再チェックして、段ボール詰めだ。
 ふぅ、これで一段落。

 
 昼もまたまたカレーだ。
 いったい、何日食べ続けているのだろうか?
 杉良太郎になってしまうわい。
 ぱくぱく。

 
 さ、やろか。
 14時過ぎ頃から、「<ビルマ>か<ミャンマー>か」について書き出す。
 一気に。
 ペチペチペチペチペチ。

 
 17時過ぎ、ひと息つく。
 再び、ペチペチペチペチペチ。

 20時過ぎ、うー、腰を延ばそう。
 で、テクテクと出動。
 夜の町を歩いてスーパーへ。
 
 
 小汗をかいて、部屋に戻って、再びペチペチペチペチペチ。
 一気に1万7000字ほど(ま、引用が多いけどね)書き上げました。


 23時前、原稿チェックのためMG氏にビュンと送信。
 ふぅ。
 と、ほどなくチェックが戻ってくる。
 やっぱり見てもらって正解。
 数日寝かして、これもアップしようっと。
 ふぅ。

 ガチガチ文書の下書きに取りかかる。
 これまた、ペチペチペチペチペチ。
 ふぅ。

 
 これだけ寒い日が続くと、今日などはちょいと暖かい。
 とはいえ、ズルズルと起き出す。

 ま、電気毛布を使っているので、朝起きると身体がカラカラに乾いている。
 身体に悪いなあ。
 
 
 トマトに紅茶、チーズトーストを喰らう。

 
 
 昨夜書いた原稿を読み直す。
 ペチペチペチペチペチとマイナーな修正。
 やっぱりビルマ(ミャンマー)話となります。

 
 昼は残り物のカレーとなる(何日目だ?)

 
 スキャン作業の続き。
 いよいよ最後の最後だ。
 ギュルギュルとスキャナーが動き出す。

 ずっと机にかじりついている。
 身体を動かそう。
 テクテクと出動。
 はぁ、小汗かいた。
 
 スキャンの続き。
 ギュルギュル。

 夜もカレーだ。
 いわゆる、手抜きですね。
 
 深夜、日付けが変わる頃、最後の1枚のスキャンを終える。
 ふぅ~。終わったぁ。
 約2年かけました。
 計15,788枚、285GB分のイメージです。
 
 写真は、加藤博さん撮影の、ビルマ(ミャンマー)東部カレン民族同盟(KNU)
 武装抵抗闘争を中心にした1980年~1990年頃の写真です。
 
 イメージそのものは時間を見つけて、facebook にでもアップしていきます。
 はい。


 今朝は寝過ごせない。
 目覚まし時計2個をセット。
 心臓がビンビンとなる目覚まし時計がお出ましだヨ。


 最近は寝起きにコーヒーよりも紅茶を飲むことが多いなあ。

 
 パタパタと用意
 ビュンと出動。

 
 11時過ぎ、大阪国際交流センター着。
 1年に一度の国際協力フェスティバル。
 あくまでもフェスティバル(お祭り、だよ)
 今年は人出が少ないような。

 おお、目立つところに写真展示です。
 どうもありがとうです。
 
 で、まずはBRCJのブースへ。
 と、雪ん子さんお一人ですな。
 と、お隣はこれまた北朝鮮関係のブースである。
 

 と、パタパタと映画会場へ移動。
 ザガナーの映画上映なのである。
 「ザガナーって誰?」って思う人は、ビルマの政治囚関係をば。
 映画が終わって、半時間ほどビルマ解説。

 その後、あちこちで立ち話気味にビルマ話を繰り返します。
 
 Y夫妻は遠く雪国から。
 ご苦労様です。


 と、レコムのブースも出てました。
 ちょいとご挨拶。
 その他、あちこちで※ツキ飛蝗となる。

 旧知の写真家とぐっちゃら話となる。
 いやね、今の、これからのカメラマン事情についてなど。
 うーん、先行き明るくないですね。
 ま、これはフリーランス、写真、ジャーナリスト、<<<メディア業界全般にいえることですね。
 はい。

 
 『地図にない国』のKさんと、これまた1年ぶりに再会です。
 「スキャン・プロジェクトはもうすぐ終わりますから~お待ちを」と。
 ほんにもうあと少し。


 フェスティバルの後は、いつもの中華屋食堂へ。
 今日は10名。
 オコゲが美味な食堂です。
 ぱくぱく。
 お腹いっぱい。
 ごっTZあんです。

 早めにおいとまでビュンと移動。

 電車の中で朴裕河(パク ユハ)『和解のために』を読み続ける。
 ん、なにやらその話の展開に、ちょいと違和感をば。
 なんだろうこの違和感の原因は。
 ふむ。

 電車の乗り換え。
 と、最近多いですね、電車のトラブル。
 吹きっさらしのさぶいホームで約30分、乗り換え電車を待つ。
 とほほ。
 降車駅の駅舎を出ると、うわ、冷たい雨が降り出してた。
 うわぁあ。
 さぶいつめたい、手がかじかむ。


 再校ゲラをチェック。
 
 明日締め切りの原稿の下書きを書き上げる。
 写真の編集を終えて、ビュンと送信。


 
 夜通しのスキャン作業となる。
 
 で、いつ寝たのか思い出せない。
 

 で、ズルズル起きる。

 
 顔を洗おうと思って蛇口をひねる。
 と。
 給湯器からお湯出ない。
 ゲゲゲ~。
 ポトリ、とも。

 冷たい水は出る。
 うー。
 

 マンションのメインテナンスさん来る。
 
 「18年物の古い給湯器だね。
 きっと交換だね。
 うーん、、っと火曜日かな、モノが入るのは」

 う。

 「やっぱりそれじゃあ、この寒さの日々、水だけじゃあ生活できないよね。
 替えの部品があるかどうか調べてみるし」
 とのたまう。

 う。


 ゲラ再校届く。


 スキャン作業、最後のバッチ「O」(オー)に取りかかる。


 一年かけたフィルムの作業、いよいよ最後の2本だよ。
 スキャナーがギュルギュル。

 
 
 目がパシパシ (◎_◎)
 うう、限界に近い。
 
 
 ポジフィルムあと10コマのフィルムスキャンなのに、集中力が続かない。
 目の焦点が合わない。
 色の修正と濃淡の調整ができない。
 黒ごまパワーも効かない。

 朝刊の見出しだけを読んで、寝入る。

後がない、ってか

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 ズルズル起きる。
 今日も寒い。
 昨日より寒い。

 自パンとチーズ、大量のレタス。
 
 
 今日もスキャン作業に精を出す(出さなければならない、嗚呼、後がない)
 スキャナーがギュンギュン唸る。
 
 
 餃子と残り物のお味噌汁。


 と、あ、修正ゲラを送るのを忘れてた。
 あらら、2日連続だ。
 ビュンと送信。


 14時半過ぎ、出動なり。
 連日、この冬一番の寒さが続く。

 FM、BK、駅へと。

 部屋に戻ってスキャンの続き。
 ギュンギュン。

 
 CMIにメッセージを送る。

 
 野菜焼きそばを喰らって、作業を続行。


 


 
 空気が乾燥しすぎて[/]。
 身体が乾燥してカユイ。
 ノドもカラカラ。
 電気毛布がヤバイのかな。 
 きっと。

 
 8時過ぎ起きる。
 どんより曇り空。

 
 自パンにチーズ、大量のレタス、紅茶なり。

 
 今日もスキャンの日となるだろう。
 うん。

 
 一日中スキャン作業の日となった。

 
 あ、またゲラ修正を送るの忘れていた。
 とほ。


 彼がビルマ(ミャンマー)に入国する予定、との一報が入る。
 う~ん、そこまで来ましたか、この国の変化は。
 入国、っていうより一時帰国と言った方がええのかな。
 ふむ。





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