新聞好きなのに、ってか

 
 今日は曇り空の春の日。
 昨日までの雨で桜も散り気味。

 ようやく新聞の切り抜き終わり。
 今回は昨年10月28日まで遡った。
 いつもは3~4ヶ月分の切り抜きだったから、今回はちょっとためた。
 その分、消費される情報と残しておきたい記事がはっきりとわかった。
 この間、やっぱりいろんなことがあった。
 指が真っ黒。

 新聞好きの自分が、新聞の切り抜きをしていて苦しい。
 ここまでなったのな、と。
 メディアとしての新聞は、具体的な処方箋ではもう
 後戻りできないところまで来ているようだ。
 どうすればわからない。
 この間、ずっと考えていることだ。

 話は変わるが、例えば、自分は主に写真を撮ることを
 活動のメインとしている。
 その理由は、言語には限界があり、映像は言語・国境・
 民族などを超えて伝え易いという利点があると思っていた。

 だが、そうではないことに薄々と気づき始めている
 からだろう。
 うう、考えすぎて、頭が痛い(>_<)


 《審議会に専門家がいない》
 新聞の切り抜きを改めてみて、こういう「審議会の問題」をもっと深
 くツッコんで欲しい(してたらゴメンナサイ)

 ツッコんでいかないから、読み応えがない、一過性の紙面となる。
 だから新聞紙面が締まらない。

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